グリーン車は静かだ。
ペットボトルの珈琲を飲みながら、
流れてくる紅葉に染まった山景色の向こうには飛鳥時代に建てられたという塔が見え、旅の目的地が近いことを宮古に教える。
彼女は三白眼の小さな黒目を元の位置に戻すと、肩まで伸びた金髪をヘアゴムで一つ結びにした。
椅子の下のリュックサックを背負って立ち上がり、扉の前で待機する。
無機質なアナウンスが響き、新幹線が駅に停車した。
「次は、
宮古は木野羽都駅の改札口を通過すると、東出口を通って街に出る。
待ち合わせ場所として有名な武将像に向かうと、そこに立っていた眼鏡の青年が宮古に気付いて手を振った。
「宮古さん!」
よく言えば模範的、悪く言えば無個性な黒髪に、垢抜けない印象が強いチェックのシャツとジーパン。
眼鏡の奥の少し垂れ目気味な顔が、柔らかい笑みを浮かべた。
「偶然だね、こんな所で会うなんて」
「……アンタ、もしかして
京と呼ばれた青年は、少し遠い目をして頷く。
彼は不意に尋ねた。
「今日は宮古さんだけ?」
「ああ。お袋の……いや、クソババアの目を盗んで来た」
宮古は勝ち気に笑い、服のポケットから手紙を取り出す。
彼女はその内容を簡単に説明した。
「この街に住む弁護士が、親戚筋からアタシの家の事情を知ったらしくてな。今日ここに来たのは、そいつと会って話すためだ」
「……そうなんだ。何か、ようやくって感じだね」
宮古の家の事情は、京も以前より把握している。
京の手を取り、彼女は目を輝かせて言った。
「待ち合わせは夜だし、それまで遊ぼうぜ!」
「でっ、でも」
「んだよ〜、アタシとデートすんのが不満か〜?」
宮古がふざけて京の腹を小突く。
痛がる京の手を引いて、宮古は木野羽都の街へと駆けていった。
「何か昔にタイムスリップした気分だな……あっ、人力車!」
古き時代の面影を色濃く残す街を歩きながら、宮古は子供のようにはしゃぐ。
京が落ち着いた口調で解説した。
「この辺りは文化保存のために、敢えて昔の街並みを残してあるからね。観光地としての人気も高いよ」
「はぇー、詳しいな!」
「これでも観光雑誌のライターだからね」
京は得意げに胸を張る。
彼は知る人ぞ知る食事処や街の歴史を語りながら、宮古を大きな寺に案内した。
「何と言ってもここ! このお寺を見ずして木野羽都は語れないよ」
「ここは流石にアタシでも知ってるぜ。修学旅行でも一番の目玉だったよな。ほら、あの塔とか」
新幹線の車窓から見えた塔の存在感は、近くで見てもやはり凄まじい。
自分ですら感じ入るものがあるのだから建築当時の影響力は計り知れなかっただろうと、宮古は遥かな時間の流れに想いを馳せた。
「……行きたかったな」
「うん。行きたかった」
宮古と京が高校三年生の時、大規模な感染症が世界を襲った。
外出自粛や大会中止の煽りを受け、二人の修学旅行も取りやめとなったのだ。
「修学旅行のしおり、班で分かれて自分たちで作ったんだよな。アタシら一緒の班だった」
「覚えてる。今もまだ家にあるよ」
「行けなかった旅行のしおりだぞ。悲しくならないのか?」
宮古が引き気味に問う。
京は伏目がちになって答えた。
「悲しくないってことはないけど、あの時の経験が今の仕事に繋がってるんだ。後悔はしてないよ」
「……やっぱすげーわ」
二人は暫く黙り込み、塔を見上げる。
やがて三時を知らせる鐘の音が、京たちに時間の感覚を思い出させた。
「あっ、そういや昼飯食ってなかったわ」
「どうしよう。今から食べると夕飯が入らなくなるし……」
「いい大人がガキみてえなこと言うなよ! アタシなんか、晩飯前でも平気でポテチ開けるしなんなら晩飯がポテチだぜ!」
「変な所で勝ち誇らないでよ。でも、おやつってのはいいアイデアかも」
京は鞄から観光情報誌を取り出し、『木野羽都の甘味処特集』と題されたページを宮古に見せる。
どこかそわそわした様子の京に、宮古が言った。
「これ京ちゃんの記事だろ」
「え、何で分かったの?」
「分かりやす過ぎだっつーの」
宮古は雑誌を京に返し、彼の腕を引いて走り出す。
京が慌てて叫んだ。
「ちょっと、どこいくの!?」
「記事に書いてあった団子屋だよ。ここからすぐだし、何より一番のお勧めなんだろ?」
「でもそこはっ」
「いいから行くぞ! 団子がアタシらを待ってる!」
宮古の強引さに引っ張られるまま、京は件の団子屋まで辿り着く。
そして数分後、二人は気まずい空気に包まれた。
『完全個室制かよ、早く言えよ』
宮古のアカウントからメッセージが届く。
次いで送られてきた怒り狂う富士山のスタンプに、京は一言『ごめん』と返した。
『こういう時あんまり真剣に謝るな。かえって拗れる』
『そういうものなの?』
手足の生えた醤油瓶のスタンプが京の疑問を肯定する。
続けて宮古が注文した団子の写真が送られてきた。
『出しな、テメーの団子を……』
宮古に促されるまま、京は注文した草団子を写真に撮って送信する。
彼女が頼んだ季節限定トロピカル団子と自分のを比べて少し気後れしていると、その通りの感想が返ってきた。
『地味だな』
『うん』
『でも結局、そういうのが一番美味かったりする』
『なら宮古さんもこれ頼めばよかったのに』
『限定には逆らえないんだよ』
『そういうものか』
京はスマートフォンを置き、草団子を食べ始める。
こし餡の甘さがヨモギの微かな苦味に引き立てられ、口の中に優しく広がった。
かつて紹介記事を書いた時より更に洗練された味わいに、京はすっかり満足する。
食べ終えて部屋を出ようとすると、宮古からメッセージが届いた。
『まだ部屋にいろ。話したいことがある』
矢継ぎ早に画像が送信される。
それは、宮古が弁護士から貰った手紙だった。
『これ、書いたのアンタだよな』
「どうしてそれを……」
京の額に冷や汗が流れる。
京は震えるスマートフォンを手に取って、恐る恐る耳元に当てた。
「……もしもし」
「要件は分かってるよな」
宮古の冷たい声が耳を刺す。
黙り込む京に、宮古が続けた。
「こんな嘘まで吐いて、京ちゃんはアタシをこの街に呼び寄せた。何が目的だ」
「……どうして分かったの?」
「筆跡が似てたんだよ。それに今日最初に会った時、人数を気にしてたのも怪しかった。少しカマをかけてやるつもりが、まさかあっさり認めちまうとはな。……じゃあな」
宮古の追及に、京は言葉を詰まらせる。
苦し紛れの言い訳すらできぬまま、二人の通話は終わりを告げた。
「あー……もう誤魔化すのは無理かな」
京は冷めた目で吐き捨て、個室を後にする。
宮古が入った筈の部屋からは、既に彼女の姿は消えていた。
「ご馳走様でした」
会計を済ませて店を出た京の背中に、沈みゆく太陽が重なる。
夕暮れ時を知らせる鐘の音に誘われて、京はゆらりと歩き出した。
「そこにいたんだね、宮古さん」
昼間に訪れた寺で古い塔を見上げる金髪の背中に、京が冷たい声をかける。
宮古は背を向けたまま言った。
「……京ちゃん」
「宮古さんはこの塔を気に入ってたからね。ここにいるんじゃないかと思ったんだ」
観光客の喧騒がやけに遠く聞こえる。
宮古が尋ねるよりも先に、京が口を開いた。
「本当のことを話す前に、一つだけ補足させて」
「補足?」
「手紙を送ったのは君にだけじゃない。元同級生全員にだよ」
「……は?」
「名義も呼び出す目的も変えて、僕はみんなをこの街に集めようとしたんだ。結局、来たのは君だけだったけどね」
京は笑って頷き、宮古の正面に回り込む。
悪魔の翼のように両腕を広げて、彼は感情を爆発させた。
「全ては今度載せる記事のためさ! 遠くの高校の元同級生が、木野羽都の地で偶然にも再会する! 実にセンセーショナルだろ!?」
「ちょっと待てよ、訳わかんねえよ」
「この記事で見返してやるんだ! 僕の仕事を見下し、努力を踏み躙った奴らを!」
狂ったように捲し立てる京を、宮古は困惑の眼で見つめる。
京は怒涛の勢いで続けた。
「うんざりなんだよ! やらせて貰える筈だった新しい企画は上の一存で黙殺され、やっと取り付けた取材の予定はドタキャンされる。世の中そんなことばかりだ! 約束破りどもを分からせるには、もうこの方法しかない!!」
「……それは違くねえか」
「何だって?」
宮古がやっとの思いで発した言葉に、京は眉を吊り上げる。
脳内で言葉を整理しながら、宮古は京に訴えかけた。
「やめとけ。アンタはそうじゃない。アンタの書く記事はもっと」
「君に何が分かるっていうのさ! ライターとしての僕のことなんか何も知らないくせに!」
「分かる!! むしろアタシは、アンタの最古参のファンだ!」
宮古は小冊子を取り出し、京の胸元に押し付ける。
酷く拙いその小冊子には、数年前の日付と共に『修学旅行のしおり』という題名が記されていた。
「これを作ってる時、京ちゃんは楽しそうだった。今日見た特集記事からも同じ気持ちが伝わってきた。……その気持ちを失くして欲しくない」
「もう失くしたよ。楽しむなんて感情は」
「嘘を吐くなよ!」
宮古は京の頭を掴み、無理やり正面を向けさせる。
彼女の強気な顔が、泣きそうに歪んだ。
「京ちゃん、今日ずっと笑ってたぞ」
宮古にそう言われ、京は今日の出来事を思い返す。
二人で街を巡るうち、計画のことはすっかり頭から抜け落ちていた。
ただ友人と再会し、他愛のない言葉を交わしながら自分の住む街を案内する。
記事になどならないような何気ない時間を夢中で過ごしていたことに、彼はようやく気がついた。
「……なんでそんなこと気づかせるんだ。僕は君に、酷い嘘を吐いたのに」
京は涙を流して蹲る。
無邪気な笑顔にとびきりの愛憎を込めて、宮古は彼の顔を覗き込んだ。
「だからだよ。ド地雷踏まれたからには、アンタのも踏み抜かないとなぁ?」
夜を知らせる鐘の音が、二人の確執を洗い流す。
朝を告げる鐘が鳴るまで、京と宮古は木野羽都の街を当てもなく、楽しげに彷徨い続けるのだった––。
「ありがとうございましたー」
それから一ヶ月後。
店員の気怠げな挨拶を背に、宮古は書店を後にする。
家まで我慢できずに本を覆う透明なカバーを破くと、風がページをぱらぱらと捲った。
『友達と行きたい! 木野羽都のおすすめスポット10選』
本––観光情報誌の最新号に載った記事を見て、宮古はふっと微笑む。
活き活きとした文章の向こうにいる友人に、彼女は笑って語りかけた。
「今度、高校の奴らとそっちに行くことになったよ。詳しいことは教えてやらねえから、精々びっくりするんだな。……それでまた、朝まで遊ぼうぜ!」