次の瞬間、喉を締め上げられ、掠れた悲鳴を絞り出していた。
シュウゾウが。
喘息の発作でも起こしたみたいに、ひゅーひゅーと喉を鳴らしてやがる。
宙に浮きながら。
何が起きたのか分からないって眼をしていた。
――パーン! か、ドーン! か、ボーン……か?
なんか、そんなの。なんかそんな音が、俺の心の中で弾けるんだ。
久しぶりの感触。
出来れば、感じたくなかった、感触。
ひゅーひゅー音が、すーすーくらいにか細くなってた。
――あ、やばい。またヤっちまう……。
あわてて〝力〟を解いて、シュウゾウを降ろしてやった。
絞首台の床板が開いたときみたいに、男の体がどさりと落ちた。
危ねえ、あぶねえ――なんとか人殺しには、ならずに済んだ。
いや、とっくに人殺しには
遠い昔の思い出に、うっかり苦い笑いが込みあげそうになり、かみ殺した。
「やめてくれって、頼んだろ。人の話は聞けよな、シュウちゃんよ」
返事はない。泡吹いて、気を失ってやがる。
だらしねえの。
「シュウさんっ!? 野郎! 兄貴になにしやがっ――がばあああっ!」
あ、もう一人部屋にいたんだっけ――と思った瞬間、ケリがついてた。
ガッシャーンとミラーが砕けて吹っ飛び……あらら、血まみれだ。
モブのおっさんひとりは、壁に叩きつけてやった。
大の字抱えて貼りついてやがる。
こいつもヒューヒュー言ってるし、ま、死んではいないだろ。
だしぬけに、扉が開いた。
派手な音がして異変に気づいたのか。外の見張りが飛び込んできた。
おいおい、ボーイさん、まだ終了時間には早いんじゃあないの?
俺の思いに無視を決め込み、チンピラが叫んだ。
「兄貴いーっ!」
へえ、ヤクザ映画みたいなセリフ、あるんだあ。
「つ……ててて、痛ぇなあ。子供ひとりに大人がやり過ぎだっつーの」
が、まだ、イける。俺の怒りの衝動は、消えてねえ。
「ガキがあっ!」
言いざま、二人目のあんちゃんの腰から銀閃が走った。
後ろに。肉の中で、骨の砕ける音が鳴った。
これはあんまり、聞こえて気持ちのいいもんじゃあない。
目ン玉ひん剥いたまま、糸の切れた人形みたいに男は崩折れた。
足と腕が四つとも、曲がっちゃいけねえ方向にぐにゃっとしてる――て、あれ? ワキタシュウゾウの手足まで、あさって向いてら。
「相変わらず融通の利かねえ、力だなあ」
呟く俺の鼻先に、糞尿の匂いが漂った。大のオトナ三人揃って、失禁したらしい。
臭え。工場の肉より、酷え匂いだ。
あっちは喰える臭さだが、こっちはただの汚物。
汚物が汚物をタれるなんざ、なかなか洒落がキいてるネ。
「あー、終わったあ。スッキリしたあ」
けど……バチクソ痛え。早く医者、行きたい。手足も縛られたまんまだし。
にしても――怒りに任せてうっかり〝力〟が出ちまったのはいつぶりだ?
小説を書くようになり、衝動のはけ口を創作に求めるようになった俺。
すっかり暴力反対、平和と女を愛する青少年になれていたってのに。
余計なことをしやがって、このド
古武術なんぞは使えないが、俺の切り札、熊も殺せる見えない力。
――念動力――
まるで当てにならない、感情の昂りがトリガーになるらしい不安定なパワー。
俺が人を避けて生きる理由の、ひとつだった。
「おーい、おーい、バイトの兄ちゃーん。聞こえないのー?」
しーんと静まり返ってる。
まいったなあ。
どうやって、抜けだしゃいいんだろ?
すっかり怒りのおさまった今の俺じゃ、この力は使えない。
プロのあんちゃん三人を、
――だらしなく床に這いつくばったまま、小一時間ほど待ったろうか。
いい加減、身体が眠りを要求してきたころになってようやく、ファンキー兄ちゃんが現れた。あんまり雇い主の帰りが遅いもんだから、きっと気になったんだろう。
「おい、兄ちゃん兄ちゃん、こっちきて。これ、ほどいてくれよ」
俺は極力優しく、しかし半殺しで転がる三人を
「お、おい……これ……どういう……お前??」
「さあねえ……分かんねえなあ。分かんないけど、あんたも、同じになりたい?」
潰れかけの喉が出す音は我ながら、冥府魔道の呼び声みたいだ。
小便ちびりそうな顔をしながら、兄ちゃんは拘束を解いてくれた。
全身くまなく悲鳴が上がるが、どうにか立って歩けそう。
「悪いけどさあ、駅まで送ってくれる? 車で。あと、電車賃」
ガクガクと首を振る兄ちゃんが懐から自分の財布を出そうとするのを、俺は顎をしゃくって止めてやった。
「違う違う。そっちの三人から抜いといてよ」
ま、こっからひと月ふた月、治療費がかかるだろう。これはその、前金だ。
財布丸ごと頂いて、急に懐があったまる。季節は一気に、常夏だ。
へえ、
ついでにスマホを――割っといた。物騒なオモチャも見かけたが、そっ閉じだ。
「じゃ、帰ろうか」
「そ、そすね、兄貴……」
いつの間にやら、兄ちゃんは俺の舎弟になっている。
俺、十六だぜ? ま、そういう気分、なんだろう。
ホントは家まで送ってもらいたかったけど、用心だ。
カーナビに足が残っても事だったし、賑やかな駅前で降ろしてもらった。
「あんがと。じゃ、またコンビニでねー」
親し気に挨拶したつもりだったけど、コンビニでと聞いたとたんに、兄ちゃんの顔が凍りついた。あれ? バイト、辞めちゃうかなあ。
血まみれの俺を見て行き交う人々は――遠巻きに、知らん顔しやがった。
世間の風てぇのは、まっこと冷たいもんで、ござんすねえ。
§
ねぐらに辿り着いた俺は、そのままぶっ倒れちまった――と、スマホの時計が語っていた。どうやら三日三晩、寝ていたらしい。
山ほどメッセージも入ってた。
そんなに気になるのなら、見に来てくれりゃあいいのにねえ。
ま、贅沢ってもんか。
無断欠勤後、ようやく工場の事務所に顔を出したときの、
「どうしたのっ!?」なんて、ふたり同時に聞いてきたもんだから、「道路歩いてたら大熊に襲われてさ」と答えた。
「熊なら仕方ないねえ」と言われて、それきりだ。
安さんは、あいかわらず深いことは聞いてこない。
キヨちゃんは……たぶん、脇田絡みで何かあったことは察してる顔だ。
でもなあ――なんて答えりゃ、いいんだろ……。
それはともかく。まずは病院、てなわけで。
俺は今、キヨちゃんの付き添いを得て、会社の産業医もやってる外科さんのとこへと来ている。社会保険、万歳だね。
ちなみにこちらの先生、その
美人の看護師さんに検査であちこちいじくり廻されるのは、ちょっとしたプレー感があった。俺の一番大事な
看護師さんがにっこりしてたのも、俺は見逃さなかったよ。
こっぴどくやられたが幸い内臓の損傷はなく、深い傷はもっぱら、筋肉性のものと多少の骨折ばかり。ぱっきり折れてる骨はなく、ヤバい血管や脳にも障りは見つからなかった。
外科のセンセが首をかしげるほどに健康だ。
たぶん〝力〟が、防御の役割を果していたんじゃあないかと、俺は思う。
本能と感情で働くしかない力だ。たぶん、そういうこともあるだろう。
とはいえ、下された診断は一応、全治二カ月。
顔もキヨちゃん以上に、ボッコボコ。
どこぞの海賊の親分みたいに、でかくて黒い眼帯が左目を覆っていた。
右目の上も、ちょいとしたお岩さんだ。
海賊とミイラをごちゃ混ぜにしたみたいな恰好で病室を出てきた俺を見て、キヨちゃんが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「へへー、おそろいだねー」
妙に明るい。自分の眼帯を指さして、ニコニコしてた。
「んなペアルックなんざ、願い下げだ」
返事の言葉とは裏腹に、元気の戻ったキヨちゃんの声を聞いてホッとした――が。
「そんなこと言わないでさー。また元気になったらあ……ね?」
手元を人目から隠して、キヨちゃんの指が俺のイチモツに触れてくる。
「キヨちゃん、両目眼帯になってもいいのかよ」
俺の心配なんざよそにして、キヨちゃんはさっそくサキュバスぶりを発揮した。
「ん? ああ、大丈夫だいじょうぶ。脇田のやつ、精神病院に入院しちゃってさ」
「はあ?」
「昨日、いちおーお見舞い行ったんだけど。『アイツはヤベえ、マジやべえ』ってそればっかりで」
アイツてのは俺のこと、なんだろうな。
「再起不能って感じ? 身体もなんか、おかしな形になってたし。お医者さんに聞いたらさ、『原因は分かりませんが、一生車椅子でしょう』とか言っててね。だからもう、いーかなーって」
軽いなー。それってつまり、お払い箱、元カレにしましたってことだろ。
ま、キヨちゃんから悪いクソ虫が駆除されたってことについては、めでたい。
喜んで良い話では、ある。
「……でさ。何があったの?」
ああ、ここでくるのか。ん-……これで、どうだ。
「ヒーローってさ、いるんだなって。俺がめちゃくちゃピンチになると、颯爽現れて助けてくれるヒーロー」
「なにそれ、ウッソくさーい」
そうりゃそうか。でも、あながちウソでもない。
どうにもならないピンチになると現れる俺の力は、俺だけのヒーローだ。まるで当てにならないから、いつでも頼れるわけじゃないってのも、ソレっぽい。
ケタケタ笑うキヨちゃんの声は、病院の廊下によく響く。
「まあいいや、そういうことにしといてあげる。あたしはとにかく、助かったし」
あれ?
「だーかーらー、ね?」
スっと口元が顔の横に寄ってきた。鼻先をメンソールの匂いがくすぐる。
「いっぱい、シよ」
はーぁっ……深くて重い、掠れたタール混じりのため息が、俺の肺から長々と吐き出された。いやこれ……まさか、口止め料?
実は俺が凄腕のヒミツを隠す少年で……とか、思い込んでる??
つまり、キヨちゃんが
これからは脇田が消えた分、俺が倍、頑張る……。
いくら思春期ビンビンでもね――それに、執筆時間を削られるのは、痛い。
「しばらく安静にしろって医者のセンセに言われてんの。全治二カ月だぜ? キヨちゃんだって、まだ治るのしばらくかかるだろ」
「そっかあ……しょがない、
「俺の前でそれ言うかなあ」
どんだけスきなんだろ。セックス依存症って言ってたことあるけど、マジなのか。
「妬いた? ねえ、もしかして、ジェラシーしちゃった?」
廊下で二人いちゃいちゃしてたら、看護師さんが般若の面になってた。
すんませんと頭を下げて、会計済ませて俺たちは、白い巨塔を後にする。
外吹く風は、消毒液と初夏の匂い。
ちいとばっかり傷に染みるが、風が身体を撫でていくのは気持ちがいい。
空は馬鹿みたいに、青かった。
なお、俺の無断欠勤は、有休消化で穴埋めされた。
<一話・了>