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3.制裁と拉致と懇願と

 雨で始まる週明けってのは、クソだるい。

 降るのはせめて、俺の昼休憩が終わってからにしてほしいもんだ。

 外で飯も食えなきゃ、タバコも吸えねえ。

 投稿した最新話、読者さんの反応をゆっくり確認することも出来やしない。

 スマホのバッテリーも上がったままだったから、電源借りようと事務所に寄った。

「……キヨ、ちゃん……」

 事務所で見た女の姿に絶句する。俺のローな気分は全部、ブっ飛んだ。

 ボロ傘畳んでプレハブの戸を開けると、羽根の折れた天使みたいな女の子がいた。

「どったの?」

 だいたい察しはついてるが、何気ないふりをして訊いた。

「え、あ、大丈夫だいじょぶ。道路歩いてたら熊に襲われてさー」

 もうちょっと、マシな嘘つきなよ……。

 キヨちゃんは顔に青アザ作り、片目は眼帯。出勤したってことは、目は潰れちゃいないだろうが、唇まで腫れて、頬はまるでお多福だ。

 眼帯姿はコスプレなら可愛いもんだが、さすがにこれは痛々しい。

 杖はない。骨をヤられた様子もないが、身体はあちこち傷だらけだろう。

 奥でやすさんも渋い顔を作ってた。気の優しいおっちゃんだ。布袋ほてい様に似てるからって、DV男に神罰を下せるわけでもない。

 新しい彼氏に、バれたんだ――

 そもそもキヨちゃん、男関係が派手だった。下半身に節操がない。

 お世話になってる俺が言うのも、ナンだけど。

 キヨちゃんと知り合ったのは、この会社に来てからだから一年余り。

 そのあいだに男を切らしたって話、知る限りでは覚えがない。

 そこそこ長く続いた相手もいたらしいが、二日で別れた話も聞いたことはある。

 俺は時々、その隙間を縫ってお相手するだけの――間男ってやつに過ぎない。

 本命で付き合う相手も、そこんとこは承知してるもんだとばかり思っていたが――どうも最新の彼氏は違うらしい。ここまでやるとは、こりゃ相当ヤバそうだ。

 察するに、てめぇの女遊びは棚に上げて、キヨちゃんにだけ貞操を求めるってタイプのケチな野郎に違いねえ。

 だが、これでひとつ、心配事ができちまった。

 浮気を知った。

 女をボコった。

 てことはだ。

 俺んとこにも、そいつは来るってぇことだ。

 たかが男遊びで女を殴るようなやからが、相手の男をめに来ねえワケがねえ。

 つまり、次は俺がボコられるの、確定。

 まいったな……小説の中でならいくらでもヒーローやれるが、現実の俺はか弱い少年でしかない。

 いや、ちょっと訂正。

 なんちゃってボディメイクで筋トレかじってる程度の、青少年だ。

〝実は古武道の心得がある達人〟なんて小説の主人公みたいな設定は、無い。

 現実にヒーロー様はいないのよ……なら、どうする?

 ――どうしようもねえよなあ。

 今更いきなり強くもなれないし、傷害保険にでも入っときゃ良かったんだろか。

 アヒルのやつとか。いや、金の話かよ……。

 ……………………クソッ。全部、俺の責任じゃあねえかっ。

 きっちり落とし前は、ツけてやる。

 絶対ったら、ゼッタイだ。

 だがよ――いったい……どうやって?


    §


 雨は強まるばかりだった。

 仕方ないから、プレハブの片隅にある休憩所で、手早く握り飯を押し込んだ。

 他の従業員も似たようなもんだ。会話はない。俺らはほとんどつるまない。

 いろいろ過去があるのは、俺だけじゃあない。ここはそういう場所だった。

 近づけば、どうしたって〝過去〟ってトコロに触れちまうのが人情だ。

 土台を捨てて上っ面だけでの付き合いってのも、しんどいのが分かってる。

 だから。

 名札についてる名前という記号だけで呼び合って、それ以上に踏み込むことを、お互いにしなかった。出入りも激しいから、すぐに忘れちまうしね。

 キヨちゃんにもキヨちゃんの事情があるのは、あるんだろう。

 昔話を聞いたことが無いし、俺も聞かれたことはない。

 俺が小説書いてる話は……まあ、たまたまだ。布団の上でバレちゃった。

 社長の安さんは……ありゃあ、生きた神仏かみほとけ。別格だ。


 鳩尾みぞおちのあたりをまだ飯の塊がうごめくみたいにしていたが、どうしようもなく気になって、キヨちゃんがいるはずの事務所のほうへと足を向けた。

 安さんは、いなかった。昼から得意先で打合せだとか言ってたか。

 キヨちゃんは、ちょうど帰り支度の最中だった。早退するらしい。

「ごめん、キヨちゃん……俺のせいだ」

 いきなり声をかけると、キヨちゃんの顔がようやく俺の姿を見た。

 俺は見られて……外を見た。

「違うって。誘ったのは、あたしだし」

 雨脚が強い。

「俺のせいだっ!」

 怒鳴ってた。

 あれ……なんで、怒ってんだろ。

 声がでかかったせいか、プレハブの壁がビリビリと震えた。

 地震? なんて顔して、女の子が怯えてる。

「……ごめん、声出して」

 小刻みにキヨちゃんは首を横に振った。

「医者は何て?」

「全治一ヶ月って言ってた。傷は残らないから、安心しなさいって」

 寂しく笑ってる。

「もう、その……大丈夫なの?」

 俺は自分の頬を、拳で打つ真似をした。

「たぶんね。シュウちゃん、また他の男と寝たら、これじゃすまさないからなって……怒ってたけど」

 ――そのあと何を話したのか、話さなかったのか、よく覚えていない。

 名前だけはこびりついていた。

 シュウちゃん。ワキタシュウゾウ。どんな字だ? つか、どこのチンピラだ?

 気がついたら、キヨちゃんは早退した後だった。

 従業員の予定を書くホワイトボードには、「二~三日休むかも、てへ」とか書いてある。キヨちゃんらしいや……。

 イライラする……また、プレハブの壁が、震える。

 ガラスがきしむ。俺の、心も。

 雨は――強まるばかりだった。


    §


 出会いはいつも、突然に、だ。

 災いは予定通り、だが予告なく、本日中に向こうからやってきた。

 いつも通りに工場を定時に上がり、日も落ちた上、空模様は土砂降りで真っ暗闇。

 俺の頭には、怪我したキヨちゃんの姿が焼き付いちまってたし。

 心ン中がいっぱいいっぱいだったのが、不用心の元だった。

 いつのまにか、後ろに二人立って壁になり。

 いきなり目の前に、ソープの送迎車そっくりな黒バンが横付けされ。

 さっと車のドアがスライドしたかと思うと、背中をドンと突きとばされて、後部座席に突っ込まれた。

 人通りはあったが、車が車なら場所も場所。

 風俗絡みの何かかなと、誰も関心なんぞ寄せやしない。

 やつら、立ち回りもうまかった。おまわりの目が届かない場所を選んでる。

 防犯カメラにも顔とナンバーが映らないよう、用心していたことだろう。

 メンツはどうやら、全部で三人。

 ひとりは見憶えがあった。車転がしてるあの緑とピンクのツートン頭。

 こいつ、コンビニバイトの兄ちゃんじゃあないか。

 俺を車に押し込んだ二人は分からない。初顔だが、知ってる類いの人間だ。

 ガキの頃に、俺の姉貴を連れてった連中とそっくりだ。

 同類の匂いがしやがる。

 運転してるファンキーは素人の闇バイト、強面二人は本職か。

 こんな連中使って青少年一人ひっ掴まえるとは、ずいぶんと御大層なこった……こりゃあ、小説のネタに使えるんじゃあないか? ま、生きてりゃの話だが。

 にしても、これがシュウちゃんの尺金さしがねってことならば。

 十中八九そうなんだろうが、人を動かせるワキタシュウゾウとやらは、ずいぶんとやっかいな人間だってことになる。

 キヨちゃんも、なんでこんなのに引っかかった?

 いや……キヨちゃんのルックスだ。薄汚ねえこと企んで、うまいこと言ってキヨちゃんに近づいてきたってことも、考えられるな――


 車の中で縮こまり、俺は大人しく、口もきかず、だんまりで座り込んだままにしていた。どうせ行き先は決まってる。

 どっか人目のないところで、ファンキーは車に残り、こっちの二人は見張りに立って、シュウゾウ君が密室で動けない俺をボコボコにする。

 見え透いて、実に分かりやすい筋書きだ。

 俺も明日には、冷たい仏になって、多摩川の河川敷あたりに揚がるのかもな。

 あの日の姉貴、みたいにさ。


 車が着いたのは、錆びついたビルの前。

 廃屋同然になった、営業を辞めて久しい、ソープランドのビルだった。

 風俗街のこの辺りには、まるっきり人気ひとけがない。

 どっちにしろこの雨だ。どこの店も、お茶っぴきだろう。

 遠い店先でボーイさんが立っているのが見えたが……こっちに気がついたのか、慌てて店に引っ込んだ。

「降りろ」とか「歩け」とか小突かれながら、俺がご案内されたのはそこそこ広い、ソープの個室。たぶん、ちょっといい値段のする中の上、上の下ってクラスの店だったのだろう。

 防音も整ってそうだし、コの字の椅子までそのままだ。

 ま、当時と今じゃ、椅子の目的が違うけど。俺を囲むのは強面のおっさん二人。

 まあったく……とんだ二輪車でのお出迎えだ。

 有無を言わさずくぐり椅子に据えられて、手はうしろで足もがっちり、結束バンドとダクトテープで縛られた。

 手際の良さに、感心するね。

 ひとりが外へ出て行くと、ほどなく声が聞こえてきた。

 どうやら、ご本尊の登場らしい。

「ワキタの兄貴、用意ができました」

「おう」と舎弟に応じて入ってきたのは、グレーのスーツに赤いワイシャツ。

 どっかのゲームでお目にかかったみたいな、ヤクザなおじさんだった。

 この恰好、ゲームじゃヒーローなんだけど……こいつはどう見ても、ダークサイドの陣営だ。

 舎弟の一人は扉の内側に立ち、ひとりはどうやら外にいる。

 で、目の前に立つこいつが、ワキタシュウゾウ……なんだろうなあ。

 スーツの上衣を舎弟に預けて、シャツの袖をめくった。

 手首一杯まである、立派な彫り物がお披露目される。

 こりゃあ、背中はさぞかし、賑やかなキャンバスになってんだろう。

「よおう、テメェかあ? オレの女に、手ぇ出しやがったのは」

 細い身体に不似合いな、地獄の岩を砕くみたいな声を吐き出した。

「じゃ、挨拶がわりにぃ……っ!」

 言いざまいきなり、シュウゾウのつま先が俺の頬にめり込んだ。

 座った椅子ごとひっくり返り、タイル床に這いつくばる。

 割れた目地を伝って、血が滲んだ。

 くっそお……ろくに名乗りも無しなのかよ。

 どんな教育受けたんだ? 親の顔が見たいとはこのことだ。

「まだお前、ガキじゃあねえか。ガキってのはよう、しーっかり、躾とかなきゃあよう、オレみたいな、りーっぱな大人に――」

 蹴りやら、拳やら、角材やらが、上からガンガン降ってくる。

 ガスッ!……「なれっ」……ドゴッ!……「ねえっ」……バキッ!……「だろーがっ」……ゴンッ!――

「ようっ!!」

 挨拶んときよりも、派手に身体が吹っ飛んだ。肉の鳴る音が風呂場に響く。

 悲鳴を上げた――つもりだった。

 喉からごぼりと出たのは、血のかたまり。

「おいおいおいおーい、教育の時間は、まだまだこれからなんだぜえ?」

 アドレナリンが出てるのか、シュウゾウの歩みが酷くゆっくりに見える。

 痛みも……酷い。

 俺はワキタさんに懇願した。

「……て……くれ……」

「ああ?」

「やめて、くれ……」

 チンピラオヤジの口が、うれしそうにひしゃげる。

 あちこち足りない乱杭歯が見えた。

 いや、マジで、やめてくれって――

「死んじゃう、から、さ……な……止め……よ?」

 ぱっくり裂けた口元で、ワキタの涎がにっちゃりと糸を引いた。

「ヤめるわけ――ねえだろうがああああっ!」

 暴力の塊が俺を襲った。

 ぐぅううううっ、ぬんんんんんっ……! ――息が、でき、ね、え……。

 くっそ……シュウちゃんさんよう、男に容赦が無さすぎるんじゃあないか?

 殺すつもりか?

 つか、こいつ……ヤったこと、あるんじゃあないのか……。

 ぼやける視界のすみっこで、俺の喉元にヤツの両腕が伸びてくるのが見えた。

 締める気だ。ヤる気、なんだ。

 ――トびかける意識の隅で、俺の中で何かが、あのときと同じ、ドス黒い何かが、弾けようとしていた。


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