絶望の淵から這い上がった深冬の瞳に、冷たい光が宿る。
その時、足元でミドリが小さく喉を鳴らした。
翡翠色の瞳が、まるで『信じている』とでも言うように深冬を見上げている。
その瞳の奥に、一瞬、屈託なく笑う幼い妹の面影が重なったような気がした。
『お姉ちゃんなら、できるよ』――そんな声が聞こえた気がして、深冬は唇を強く噛みしめた。」
「シラヌイ様…あんたの孤独も悲しみも分かるわ。でもな」
深冬は立ち上がる。震える足が、確かな意志で踏みしめられる。膝が笑てるけど、もう倒れへん。
「やからって他人を巻き込む権利なんて、あんたにはあらへん」
シラヌイ様の精神攻撃が波みたいに押し寄せる。でも深冬はもう逃げない。考古学者として培った知識と、小春を失った痛みが与えてくれた集中力で、その混沌とした意識の流れを逆に利用する。
古代のシャーマンが危険なトランス状態で異次元の存在と交信したみたいに。
「この土器の文様…そうや、これ呪術的な意味があるんや。古代人も同じことやっとったんや」
深冬の脳裏に、教授から学んだ知識が蘇る。縄文時代の呪術師たちが使っとった精神操作の技法。それを逆手に取って、シラヌイ様の意識に潜り込む。
「まだお諦めになりませんか」
耀の声に、わずかな焦りが混じる。古風な敬語も、心なしか乱れとる。
「面白い。実に面白きご抵抗でございますね、七瀬深冬殿」
「運命やって?」深冬は振り返る。
「寝言は寝て言いや。私の人生は私が決めるんや」
その時やった。
黒猫のミドリが動いた。まるで黒い影みたいに耀の足元に駆け寄ると、その爪を耀の足首に食い込ませる。
「ぐっ…!この裏切り者めが!」
耀が苦痛に顔を歪めた一瞬の隙。ミドリは深冬に向かって鋭く鳴くと、洞窟の壁の一点を前足で指し示した。
そこは明らかに他と違う。後から何かを隠したような。
「あそこ…!」
深冬は駆け寄る。岩の隙間に小さく丸められた紙片。震える筆跡で記された文字。手触りからして、和紙や。古いもんや。
『シラヌイ…ノ弱点…ハ…赤鉄鉱…特定ノ…共振周波数…ヲ持ツ…『歌』…古代…ノ鎮魂…』
「これ…恩師の字や!」
全てが繋がった。
この村の特異な地質。時折聞こえる不気味な歌。シラヌイ様は赤鉄鉱と特定の周波数の歌で活動を阻害できる——古代の人々が発見した、唯一の封印方法。
恩師は最後まで、解決の道を探しとったんや。
「まだ…まだ終わってへん」
深冬の胸に希望の光が灯る。目の奥がジンとして、涙が滲む。でも、今度は悲しみやない。
耀の狂気も、村人たちの狂信も、そしてシラヌイ様の触手も——全てを相手にした最後の戦いが、今始まろうとしとった。