祠堂耀の残酷な裏切りは、深冬の心を完膚なきまでに打ち砕いた。
信じてた最後の光が、実は一番深い闇やったっちゅう絶望。
「左様でございます、七瀬深冬殿」
耀は恍惚の表情で深冬を見つめる。翡翠色の瞳が、薄気味悪く光っとる。
「この村も、愚かな人間も、全てはこの偉大なるシラヌイ様のために存在するのです。あなたはその最も美しい供物として、シラヌイ様と永遠に一つになられる。さあ、全てをお委ねなさい。あなたの苦しみも悲しみも、全てがシラヌイ様の愛の中で溶け合いましょう」
長老衆と村人たちが、深冬を取り囲む。狂信の光を宿した目で。
「ああ、花嫁様…」 「シラヌイ様と一つに…永遠の喜びを…」
深冬は力なく、禁断の洞窟へと引きずられた。足をひきずる音がぺたぺたと響く。情けない音や。
巨大な血染めの繭が、以前よりもさらに膨れ上がってる。表面の血管がドクドク脈打っとる。生きてるみたいに。
繭の先端が、肉食植物の花みたいに裂け始めた。
中から溢れる濃厚な腐臭。鼻の奥がツンとして、目に涙が滲む。粘液に濡れた触手が、深冬の体にまとわりついて、精神を侵食していく。
『オイデ…コッチヘ…イッショニナロウ…』
小春の幻影が囁く。以前よりも甘く、優しく、抗えない響きで。
「お姉ちゃん…もう楽になろうよ。もう一人で苦しまなくていいんだよ。こっちへおいで。ずっと一緒だよ…」
「いや…いや…小春…私は…」
科学的知識も、これまでの経験も、全てが無力に感じられた。抵抗する気力さえ萎えていく。
このままシラヌイ様と一つになったら、この苦しみも悲しみも忘れられるかもしれへん…。
深冬の意識が、温かい霧の中に沈んでいく。
遠くで、翡翠色の瞳を持つ黒猫のミドリが、静かに自分を見つめてるのが見えた。
心の闇、魂の叫び
シラヌイ様の甘美な誘惑に、深冬の精神が取り込まれようとしたその瞬間。
脳裏に稲妻みたいに言葉が響いた。
『真実は時に残酷な姿で現れる。だが、それから目を逸らしてはいけない。君自身の目で見て、君自身の頭で考え、そして君自身の心で決断するんだ。それが本当の意味で「知る」ということだ』
高杉教授の言葉。そして、幼い頃の小春との最後の笑顔がフラッシュバック。
あの太陽みたいな笑顔を、もう一度見たい。いや、二度と曇らせたらあかん。
でも、小春はもうおらん。それも事実や。
やったら、私がやらなあかんのは何や?小春の分まで生きること。小春が見るはずやった世界を、この目で見ること。
「私は…私は、まだ…諦めてへん…!」
心の一番奥深い場所から、魂の叫びが迸った。
妹への愛、恩師への恩義、未来への希望。それらが一つになった、人間としての純粋な生存本能。
妹の失踪は「非科学的」やから目を背けてええもんやない。
それは「まだ理解できへん未知の現象」なんや。
それを認めた上で、一歩前に進むこと。それが本当の意味でトラウマと向き合うっちゅうことや。
深冬を縛ってた「鎖」――非科学的なもんは存在したらあかん――っちゅう心の殻が、大きな音を立てて砕け散った。
その瓦礫の中から現れたんは、傷つき迷いながらも、最後まで光を求める、ありのままの七瀬深冬の魂。
彼女の瞳に、以前よりもずっと強く決然とした意志の光が宿った。
「私、まだ死ぬわけにはいかへん。私には、まだやらなあかんことがあるんや」