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最終話「重傷を負ったメンバーを追放したくない!」

 ◆


 いつものように午後の日差しが柔らかく差し込む編成相談窓口。


 エリーナが執務日誌に目を通していると、扉が控えめにノックされ、二人の女性が入室してきた。


 一人は快活そうな印象の、短い赤毛を揺らす女性。


 もう一人は、どこか伏し目がちで憔悴した様子の銀髪の少女だ。


 ──あちらは、銀等級パーティ「オールド・ロード」のリーダー、ファイ様。そして付き添われているのは……メンバーのレイリア様ですね


 エリーナは内心で確認しつつ、穏やかな笑みを浮かべて二人を迎える。


「ようこそ、編成相談窓口へ。本日はどのようなご相談でしょうか」


「こんにちは、エリーナさん。今日はちょっと、その……うちのパーティのことで相談があって来たんだ。えっと、追放とかじゃないんだけど……その、アドバイスが貰いたくって」


 リーダーのファイが少し緊張した面持ちで口火を切った。


 その隣でレイリアは俯いたままぎゅっと唇を噛んでいる。


「パーティメンバーに関するご相談ですね。承知いたしました。もちろん単純な相談でも構いませんよ。詳しくお聞かせいただけますか」


 エリーナは促すが、ファイは言葉を選んでいるのかすぐには話し出せない。


 その間、レイリアの肩が小さく震えているのをエリーナは見逃さなかった。


 やがて、意を決したようにファイが口を開く。


「実は……この子、レイリアのことなんだ。少し前に魔物との戦闘で大怪我を負ってしまって……。怪我自体はもう治ったんだけど……」


 ファイはそこで一度言葉を切り、隣のレイリアを心配そうに見遣った。


「……もう、戦えないんです」


 か細い、しかしはっきりとした声でそう言ったのはレイリア本人だった。


「魔物を見ると身体が竦んでしまって……剣を握っても、震えてしまって、振ることができないんです」


 言葉を続けるうちにレイリアの声はさらに小さくなっていく。


 相当参ってしまっている様だった。


「そんな状態じゃ、もうみんなの足手まといになるだけで……だから、私……パーティを抜けたいんです」


 堰を切ったように溢れ出す言葉と共に、レイリアの目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。


「レイリア……!」


 ファイが思わずといった風にレイリアの肩を抱く。


「そんなことないって言ってるだろ! お前は足手まといなんかじゃない! 私たちは、レイリアがいない「オールド・ロード」なんて考えられないんだよ! パーティを作った時から一緒だったじゃないか!」


「でも……っ」


 レイリアは首を横に振り、ファイの腕の中で嗚咽を漏らす。


「私は……もう、みんなと一緒に戦えない……。迷惑を、かけたくないの……」


 ──心的外傷というものでしょうか。怪我は癒えても、心の傷はそう簡単には治らない


 エリーナは静かに二人のやり取りを見守りながら、状況を分析する。


 ファイのレイリアを思う気持ちは本物だ。


 そしてレイリアも、仲間を思うからこそ身を引こうとしている。


 別にその判断自体をどうこういうつもりはエリーナにはない。


 可哀そうだとは思うが、所詮他人である。


 辞めたいというのならば辞めてもいい──そんな風に思ってはいる。


 だが、ここでパーティ脱退を許可してしまっては──


 ──私の職務怠慢になってしまいますね


「ファイ様、レイリア様。お気持ちはお察しいたします」


 エリーナは静かに口を開いた。


「レイリア様がパーティを抜けたいと仰る理由は、確かに納得できるものです。ですが……」


 エリーナは真っ直ぐにレイリアの瞳を見つめる。


「それがあなたの本当の気持ちなのでしょうか。心の底からパーティを辞めたいと願っているのでしょうか」


 その問いに、レイリアははっとしたように顔を上げた。


 彼女の揺れる瞳の奥に、エリーナは迷いと、そして諦めきれない未練のようなものを見て取った。


 ファイもまた、固唾を飲んでエリーナの言葉に耳を傾けている。


「……まずはレイリア様のこれまでのご活躍を、記録水晶で拝見してもよろしいでしょうか」


 エリーナはそう言うと、レイリアの冒険者証から情報を読み取り、記録水晶を起動させた。


 淡い光が室内に広がり、壁一面に「オールド・ロード」の冒険の記録が映し出される。


 レイリアは軽剣士として、パーティの中でも特に機敏な動きで敵を翻弄していた。


 その戦闘スタイルは、回避を重視しつつ、的確なタイミングで敵の隙を突くというもの。


 そしてエリーナが特に注目したのは、彼女が牽制や追撃に多用している投げナイフの技術だった。


 映像の中のレイリアは、目にも留まらぬ速さで投げナイフを放ち、それが面白いように魔物の急所──目や首筋、関節といった脆弱な部分──を正確に捉えている。


「……レイリア様、あなたの投げナイフの技術は素晴らしいですね」


 エリーナは感心したように呟いた。


「特に、魔物の急所を捉える精度が非常に高い。これは単なる偶然や数多く投げた結果とは思えません」


 その言葉に俯いていたレイリアが少しだけ顔を上げる。


「それは……昔から、なんです」


 ぽつり、とレイリアが答えた。


「小さい頃から、なぜか動いているものの動きを読むのが得意で……あと、勘も良い方だって、よく言われました」


 その言葉にファイも頷く。


「そうなんだよ! レイリアのその特技には今まで何度も助けられてきたんだ。不意打ちの矢を避けるのも、罠を見抜くのも、いつもレイリアが一番早かった」


 ファイが熱のこもった口調で言う。


 エリーナは静かに頷き、レイリアに向き直った。


「レイリア様、提案が一つあります。あくまで可能性の一つとしてお聞きください」


 エリーナは前置きをして、言葉を続ける。


「あなたは、軽剣士としての道が閉ざされたと感じていらっしゃるかもしれません。ですがその素晴らしい動体視力、危機察知能力、そして何よりも精密な投擲技術は、別の形で活かせるのではないでしょうか」


 レイリアとファイは、固唾を飲んでエリーナの次の言葉を待つ。


「例えば……弓士への転職というのは、いかがでしょう」


 その提案にレイリアは驚いたように目を見開いた。


 ファイもまたはっとした表情でレイリアを見つめる。


「弓士……ですか?」


 レイリアが戸惑ったように問い返す。


「はい。弓もまた、遠距離から敵の急所を狙う武器です。あなたの持つ『目と勘の良さ』、そして精密なコントロール能力は、弓士として大いに才能を発揮できる可能性があります」


 エリーナは続ける。


「魔物との接近戦が難しいのであれば、距離を取って戦える弓士は、あなたの精神的な負担も軽減できるかもしれません。もちろん一から技術を習得する必要はありますが、あなたの素養があれば、きっとすぐに上達なさるでしょう」


 エリーナの言葉は暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように、レイリアの心に届いたようだった。


「そっか……弓……!」


 ファイがまるで天啓を得たかのように声を上げた。


「なんで気づかなかったんだろう! レイリア、お前なら絶対に良い弓使いになれるよ! 剣がダメでも、お前のその目は本物だもの!」


 ファイは興奮した様子でレイリアの両肩を掴む。


「今までだって、私の指示より早く敵の弱点を見抜いて、そこにナイフを投げてくれてたじゃないか! あれが弓になったら……!」


 その言葉に、レイリアの表情にも微かな希望の色が浮かび始めた。


「私……弓士に……」


 呟くレイリアの声には、先程までの絶望感は薄れていた。


 彼女は自分の手のひらを見つめ、何かを確かめるようにぎゅっと握りしめる。


「もちろん、簡単な道ではないでしょう。ですが諦める前に試してみる価値はあると私は思います」


 エリーナは穏やかに微笑む。


「「オールド・ロード」という素晴らしい仲間と共に、新たな一歩を踏み出してみませんか」


 レイリアはゆっくりと顔を上げ、隣のファイを見た。


 ファイは力強く頷き、励ますようにレイリアの手を握る。


「……はいっ」


 レイリアの目から、再び涙が溢れた。


 しかしそれは先程の様な絶望の涙ではない。


「やってみます……! 私、弓士を目指してみます!」


 その言葉にファイも破顔する。


「よし、それじゃあ早速、弓の練習だな! 私も手伝うからさ!」


「うん……! ありがとう、ファイ……! それから、エリーナさんも……本当に、ありがとうございます!」


 深々と頭を下げるレイリアとファイに、エリーナは優しく微笑みかけた。


「いいえ、お力になれたのなら幸いです」


 窓口を後にする二人の足取りは、来た時とは比べ物にならないほど軽かった。


 ──仲間を思うあまり、時に視野が狭くなってしまうことは誰にでもあるものです


 エリーナは窓の外に広がる青空を見上げながら、小さく呟いた。


 ファイはレイリアを失いたくない一心で、レイリアは仲間に迷惑をかけたくない一心で、二人とも袋小路に入り込んでしまっていたのだろう。


 しかし第三者の視点から客観的に状況を捉え直すことで、新たな道が見つかることもある。


 ──私もそうでした


 前任の顔を思い出しながら、エリーナは過去を思う。


 かつて彼女もまた一人の冒険者として、大きな壁にぶつかった事があった。


 絶望と焦燥感に苛まれ、全てを投げ出しそうになった時──手を差し伸べてくれた者がいた。


 ──今の私がいるのは、あの時のあの言葉があったからです


 だからこそ、今度は自分がその役割を担うのだと。


 目の前で悩む冒険者たちにほんの少しでも異なる視点を提供し、彼らが自ら新たな可能性を見つけ出す手助けをする。


 それが、この編成相談窓口で働く自身の使命なのだと。


 そうエリーナは思っている。


(了)

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