街の護柵からかなり離れた場所だった、一面に木々がなぎ倒されている様がトーチの火で照らし出された。しかし竜の姿はない。
「地面に潜ったのかな?」
「洞窟に入っても地に潜る竜などいないよ」
私の疑問に神官が答えた。
「フェーゼルだ。見てのとおり、教団の者だよ」
「カバラール傭兵のベイルファー、こいつは従者でエーハと言う。さっき、何を遣った?」
「スパイクさ。衝くことも、投げることもできる」
いつの間にかフェーゼルの手に細長い棒があった。白く光る金属で、先端は鋭く尖っている。あんな武器でも急所を狙われたら死ぬだろう。
「あんたの従者は、もしかするとハザールーかね?」
私はちょっと戸惑ってエーハを振り返った。ハザールーは中央山嶺地帯に住む、主に狩猟で生活している少数民族だった。言われてみればエーハの特徴のある顔立ちは、ハザールー族の雰囲気だった。
「そうなのか?」
「知らない」
私の質問にエーハは素っ気なく答えた
「途中で拾って従者にしたのだが、どこかで呪をかけられて記憶がないらしい」
「そいつは気の毒に」
しばらくしてトーチは燃え尽き、星明かりで荒れた林の中を透かし見ながら落ちているはずの竜を捜した。だが発見できたのは全裸の女の子だった。
「これは……」
白っぽい金髪に特徴のある長い耳、食堂にいた娘だった。私が抱き起こすと、エーハが駆け寄ってきて脈を診た。
「大丈夫、生きてる」
なぜこの子がここにいたのかが謎だが、取り急ぎ街に戻って手当てをしなくてはならなかった。
「この娘が竜だなんてこと、あると思うか?」
私が聞くとフェーゼルは首を傾げた。
「さて……人外の血がはいっているようだが、こんな小さな子が竜に化身できるかな」
考えたところでわかるはずがなかった。私は軽い体を抱えて倒木に足を取られながら町の、かつて町だったところへ戻った。
瓦礫と化した食堂、その裏手にあった宿泊所の建物はありがたいことに形を保っていた。そこで女の子の手当てをしながら夜を明かし、明るくなってから街の状況を調べた。惨憺たる状態だった。
大きな宿では一人も生きていなかった。酒場も荒らされ、街にあるのは死体だけだった。運よく生き残った者はどこかへ逃げたに違いない。何しろ盗賊に襲われた上に竜まで出たのだ。
襲ってきた男たちは全部で27人。全員死んだ、と思う。竜の火に飲み込まれた6人はわずかな骨と剣しか残っていなかった。
エーハが、瓦礫の中から女の子の衣服を探し出して着せた。
「ご主人と奥さん、殺されてた」
エーハが私に耳打ちした。やはりここにこの女の子を置いて行くわけには行かない。
「名前は?」
私は女の子に聞いた。目を開いていて意識は戻っているのだが、口を利かないし身動きもしない。
「アイヒーユって、言ってたよ。ここのご主人に拾われたって」
エーハが代わりに答えた。
「アイヒーユ。ここを出なくちゃいけない、一緒においで」
手を引くと、アイヒーユは無表情のままふらふらと立ち上がった。
「あんたは、どうする?」
私はフェーゼルに聞いた。
「ヤンヤールクスへ行くなら、案内するよ。もっとも……」
そう言ってからフェーゼルは小さく咳払いのような音を立てた。
「また夕べのようなことが起らない保証はないがね」
私とフェーゼルが交代でアイヒーユを背負い、ヤンヤールクスへの道をたどった。途中何人かの商人や旅人に出会ったが、グルグが盗賊団に襲われて壊滅したと話すとみな引き返して行った。
やがてヤンヤールクスの方向から旗を押し立てた集団がやって来るのが見えた。着ているものはまちまちだが、明らかに軍のように統率された動きで武装もしている。
「どこから来た?」
先頭を歩いていた男が私たちを止めて聞いた。大柄だがまだ若い、私とそう変わらないだろう。
「グルグにいたが、ゆうべ盗賊団が襲ってきてかなり犠牲が出た。盗賊団は俺達でほとんど全滅させた。カバラール傭兵隊のベイルファーと言う」
それから言い添えた。
「残りは竜に殺された」
集団がざわめいた。
「その報せを受けて、俺たちはグルク向かうところだ。いま、あそこはどうなってる?」
「生き残った住人はたぶんみんな逃げた。竜もどこかへ行って、いまあそこにいるのは死人だけだ」
男が手で合図すると、男が2人グルグの方へ走っていった。
「俺はメルクリウス商団総領の長男でディグルスだ。親父はずっとコーモスの外商務館に詰めっきりだから、実質俺が商団を取り仕切っている。ついでに自警隊の隊長もやってる。客として扱うんで、一緒に来て話を聞かせてくれねーか?」
「ああ、それはありがたい」
ディグルスと名乗った男は私たちヤンヤールクスの中央商館に案内した。フェーゼルが竜神信仰側の神官と知ると、私やエーハまで下へも置かない丁寧さでもてなしてくれた。
「すると、その食堂からいきなり竜が飛び出したのかい?」
葡萄酒を注ぎながら、ディグルスが信じられない様子で首を振った。
「昼にそこで飯を食ったんだ、その時竜がいたら嫌でも気がついたはずだ」
「神父様」
ディグルスがフェーゼルに顔を向けて聞いた。
「竜ってのは、その……何もないところに『ひょい』って、現れるものなんスか?」
フェーゼルが小さく咳払いをして言った。
「それは、無理です」
葡萄酒を一口飲み、凝った細工のガラスゴブレットを灯りに透かしながら続けた。
「竜神であっても、何もないところに突然現れることはできません。やってくるところが必ず見えます」
そこでフェーゼルは言葉を切ってちょっと首を傾げた。
「まあ……人の姿を取っていたらわかりませんが」
「その……そこらにいても、普通の人間と見分けがつかないんスか?」
ディグルスが聞くとフェーゼルはゆっくりと頷いた。
「私も実際に見たわけではありません。見た者も、もうそれほど多くはないと思います……ただ、竜神の方々も、今や竜の御姿を示されるのは少なくなったと聞いております」
ディグルスが首を傾げた。
「でも……出たのって、黒い竜だったんスよね? それって邪竜じゃねーんですか?」
「竜に正も邪もありません。竜身となったお方はお気持ちのままに動かれる。その結果が人間にとって都合が良いか悪いか、それだけのことです」
私は思い出していた。あの黒い竜は店を襲ってきた男たちは容赦なく灼き尽くしたのに、私たちには何もしなかったのだ。
そこで部屋の戸が遠慮がちながら慌ただしく叩かれ、若い男が頭を下げながら入ってきてディグルスに何か耳打ちした。ディグルスの表情が固くなった。
「済みませんお客人、ちょっと急用ができましたので。どうぞこのままおくつろぎ下さい。何かあれば隣に女中がいますから、何でもお申し付けください」
そう言ってディグルスは慌ただしく部屋を出て行った。私は客間を出て、アイヒーユが寝ている部屋を覗いた。ベッドに付き添っているエーハが顔を上げて小さく首を振った。
戦奴隷の女と亜人の女の子、世の中からはじき出されてしまう者同士で何か通じ合っているようだが、あれからまだアイヒーユは口も聞かないし何も食べようとしないのだ。
この街には医者がいたので診てもらおうとしたが、人間と何かの混血である亜人は診られないと断られてしまった。