「アッシュおじさ~ん、もうお昼よ~! 早く起きなさ~い!」
部屋のドアを激しくノックする音で目が覚める。
ああ、もう昼か……。
昨日はつい飲み過ぎて、すっかり寝過ごしちまったな。
「
二日酔いの頭にダメージを与えてくるキンキン声の主は、姪っ子のメリルだ。
俺は兄貴夫婦の経営する小さな宿屋、兼酒場に用心棒という形で下宿させてもらっている。
一応冒険者が本業だがな。
「アッシュおじさ~ん! 起きて~! 起きないとひどいことするよ~!」
「おはよう。……もう起きた。起こしてくれてありがとう。助かるよ」
ドアを開けながらお礼を言う。
と、鞘に入ったままの長剣を振りかぶっているメリルと目が合った。
いや、ちょっと待て。
メリル……その手に持っている長剣は俺の……。お前、それでドアを叩いていたのか? 下手したらドア割れるぞ?
「あ、ようやく起きた~。
メリルは長剣を背中に隠すと、いたずらっぽく笑った。
「それは困ったなー。おじさん、その剣を取られると、冒険者を引退しないといけなくなっちまうからなあ。んー、そうだな。今朝起こしてくれたお礼に……ちょっとばかし色をつけて、これでどうにか許してくれ」
手の平に乗せて見せたのは銅貨を3枚。
朝起こしてもらう約束の代金は銅貨2枚だから、奮発して1枚プラスだ。これでお友達と甘いものでも食べてきなさい。
「しょうがないなあ。また今度冒険の話を聞かせてくれたら許してあげる~」
メリルはそう言って笑うと、長剣と引き換えに銅貨3枚を手にすると、元気よく階段を駆け降りていった。
しかし、メリルもあっという間にしっかりしてきたな。
ついこの間生まれて、ハイハイして喜んでいたと思ったんだが……。もう10歳か。ということは俺ももう少しで40。……年を取るわけだ。
「あ、おじさ~ん!」
メリルが再び階段を駆け上がってきた。
「ん、なんだ? もう金はやらんぞ! あんまり甘やかすなって釘を刺されているからな」
お前の母さんは怖いんだぞ?
この間、どうしてもって言うから買ってやった宝石箱な……あれ、マジで怒られたんだからな。内緒って約束したんだから、ちゃんと隠しておいてくれよ……。
「違うよ~。おじさん、お酒臭いから、そのままギルドに行ったら、セシリスさんに嫌われちゃうよ? ちゃんとシャワー浴びて、おしゃれな香水つけていかないとダメだよ~って言おうと思って!」
「ほっとけ。セシリスは俺に文句をつけるのが仕事みたいなもんだろ。酒の臭いが魔除け代わりだって言ってやるさ」
「そうやってすぐイチャイチャするんだから~。結婚式にはちゃんと呼んでよね! わたしがすっごいイチャイチャエピソードをスピーチで話してあげるから~」
「あのなー。セシリスは俺の担当職員なだけなんだよ……。絶対に外でそういう根も葉もないうわさ話をしたりするなよ? こんなおっさんとそういううわさを流されたら、セシリスが迷惑するんだからな?」
「おじさん鈍感だ~。女心がわかってないんだ~」
「何が女心だ。ガキが生意気言ってんじゃねぇぞ。10年早いわ」
「わ~、鈍感系主人公が怒った~!」
キャーキャー言いながら、メリルが再び階段を駆け下りていった。
まったく、誰が鈍感系主人公だ。
俺ももうすぐ40。このまま人生の主役にもなれずに静かに年老いていくだけさ。最近では姪っ子の成長を見守るっていう、ささやかな夢もできたか。
ちなみにセシリスは、若くて優秀な
俺は冒険者歴が長く、無駄にランクが上がっているため、ギルドで専属の職員がつけてくれているんだが、セシリスが俺の担当になってから……もう2年になるか。
セシリスは笑顔で暴言を吐き、毎回無理めな高難易度クエストを受けさせてくるヤバいヤツだ。しかし前の担当者の時と比べると、3倍くらいは功績を上がっているし、俺がクエストクリアすると、自分事のように一緒に喜んでくれるから強くも出にくい……。
だが、どのクエストもギリギリの戦い過ぎて、そろそろ死ぬかもしれんが……。
* * *
いつものようにクエストを受けようと街の中心街にある冒険者ギルドへと向かうと、なぜかギルドハウスの前には人だかりができていた。
なんだこれは?
ギルドにこんなに人が集まるのは珍しい。緊急クエストでも出たか? いや、しかし集まっているのは冒険者たちじゃないな。若い女たちばかりだ。マジで何だ?
「こんにちは~。どうぞお気軽に見ていってくださいね~。こんにちは~」
「順番に受付をお願いしますね~。お名前を書くだけでどなたでもご参加可能ですよ~」
人だかりの奥から、ギルド職員たちの声が聞こえてくる。
「おーい、ちょっと通してくれ。すまん、通してくれー」
人の層が薄いところを狙い、なんとか体を割り込ませて輪の中へと入り込んでいく。
もみくちゃにされながらも、ようやく人の波を抜けてギルドの入口へ。
と、チラシを配っているセシリスと目が合った。
「おう、おはよう、セシリス。すごい人だな……。いったい何が起こっているんだ?」
「おはようございます、アッシュさん。と言っても、もうお昼過ぎてますよ」
セシリスが苦笑する。
絶世の美女というわけではないが、よく笑うし、気が利くし、かわいい部類に入るだろう。まあ、ギルド職員として優秀なのは間違いないしな。姪っ子のメリルも、「セシリスみたいなギルドの受付嬢になりたい」なんて言ってたっけ。
「あー、ちょっと昨日は……これをな」
ジョッキを傾けるジェスチャー。
いつもの飲み過ぎちまったアピールってやつだ。
「まったくもう……。お酒はほどほどしてくださいよ~。翌日まで残っていると仕事に差し支えますからね。うわっ、酒クサッ!」
俺に近づいてきたセシリスは顔をしかめて腕で鼻を覆う。間髪入れずに消臭ポーションを投げつけてきた。
「おい、やめろ! 冷たっ!」
肩に当たって破裂した
「おいっ! お前! それトイレ用のやつだろっ!」
避けても避けても、俺の動きを予測するかのようにセシリスの
結局、消臭ポーション計10発。
俺の上半身を中心に全弾命中した。
頭からシャワーを浴びたみたいにビッシャビシャ……。
しかもこの消臭ポーション、バラの香り強すぎかよ……。逆にくせぇ……。
「アッシュさん、どうしたんですか? 全身ビショビショじゃないですか。濡れたままでギルドの中に入られると困ります」
セシリスが鼻をつまんだまま、タオルを投げてよこす。
「お前……一瞬前の記憶がないのか?」
お前が投げたポーションのせいで、俺はバラの香り魔人にさせられたんだが?
「はい? そんなことよりアッシュさんも早く受付を済ませてくださいね。もうすぐ始まっちゃいますよ」
コイツ……。
「で、この人だかりは何の受付なんだ? 見たところ冒険者でもなさそうな若い女ばかりだが?」
「ああ! 今日はこれをやっているので、ギルドの通常営業はお休みなんです!」
肩掛けバッグからチラシを1枚抜き取り、俺の顔の前にちらつかせてくる。
「『ギルドの受付嬢を大募集! 史上初・職員の現地採用をいたします』。なんだこれ? こんなことをやっているのか。ギルド職員ってやつは、中央ギルドから派遣されてくるものじゃなかったか?」
「普段はそうなんですけど~、最近魔物の動きも活発化しているじゃないですか! 冒険者志望の方が増えているのに、全国的にギルド職員の人数が足りなくてですね……ぶっちゃけ残業続きで死にそうなんですよ」
「それは……大変だな……」
魔物の動きが活発化している。
いつも聞かされている嫌な言葉だ。
「だからこの高難易度クエストは、今日中に終わらせて来てくださいね」この言葉が後ろに続くからな嫌なんだよな……。
「冒険者の方の新規登録から担当冒険者のノルマ確認だけでも、もう手が回らなくて私たち過労死寸前なんですよね……。でもアッシュさんのように、ランクが高いのにあまり働かない冒険者の方にやっかいな依頼をぶつけて死地に追いやる仕事もしないといけないじゃないですか。あ~あ、アッシュさんがあと10倍くらいの速度で働いてくれれば、私も少しは休めるのにな~」
あ、セシリスの瞳から光が消えた。
これはあかんやつだわ……。
急いで話題を変えないと、俺のほうが先に死んじゃう!
「そ、それで現地採用を? ギルド職員ってやつも大変だな!」
「そうなんですよ~。私たちのような中央から派遣される職員とは違って、ちょっとだけお給料は安いんですけど、転勤なしでずっと働けるのを売りにしていて~、この盛況ぶりなんです!」
おお、笑顔が戻ったわ。
あのままだったら、ソロでまた、エンシェントドラゴンあたりをタイムアタックで討伐させられるところだったわ。それで先月死にかけたしな。危なかったわ……。
「だからアッシュさんも早く受付を済ませてくださいね。もう少しで説明会が始まっちゃいますから!」
「説明会? ギルド職員の採用の説明会だろ? 俺は別に興味な……待てよ?」
メリルの代わりに説明を聴いておいて、あとで申し込みを手伝ってやるのは悪くないな。
学校に通いながら働けるのかもわからんが、説明だけでも聴いておくのに損はないか。
「おう、俺も説明会参加するわ。あっちに並べば良いのか?」
「アッシュさんが来てくだされば100人力ですね~。でもギルド職員は月曜日から土曜日まで、9時出社の18時退社の固定シフトですからね。みなし残業代が45時間分入っていますよ。ちなみに今日のように遅刻したら減給ですからね。気をつけてください!」
「いや、俺が働くわけでは……」
俺は気ままな冒険者稼業が性に合っているからさ。
そもそも今回の募集は『ギルドの受付嬢』なんだよな。そういうのは、セシリスみたいに若い女性がやる仕事だろう?
「アッシュさん早く早く! こっちに並んでください! すみませ~ん! みなさ~ん、当ギルドの看板冒険者、Aランク冒険者のアッシュ=エンドリスさんが通りますよ~♡ 凄腕のソロ冒険者ですよ~♡」
「おい、腕を組んでくるな! そういうのはやめろって!」
若い子たちにめっちゃ変な目で見られてるじゃねぇか。
おじさん、そういうノリは無理だからさ……。