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第5話 幸せな選択

 ベイル村の疫病を収束に導いたあとも、アルテミスとカイルはロダニアの町で忙しい日々を送っていた。近隣の村々からは相次いで「薬師アルテミス」の評判を聞きつけた人々が訪れ、王都に行かずともこの辺境で治療を受けるために列をなすことさえある。師匠であるレオルトも、弟子の成長を誇りに思いつつ、「休めるときにしっかり休むんだぞ」と口癖のように繰り返していた。

 そんなある日、ロダニアに一台の豪奢な馬車がやってきたとの噂が広まった。王都からの使者らしい――そう囁かれると、人々は色めき立ち、ある者は「ついに王都が本腰を入れて辺境を掌握しようとしているのではないか」と危惧を口にし、またある者は「今さら何の用だ」と憤る。

 しかし、その馬車から降り立ったのは、見覚えのある紋章を身につけた侍従の一団だった。かつて王太子アレクトの側近を務めていた者もいるらしく、少し古い世代の貴族なら誰もが知っている顔ぶれだ。

 アルテミスは、ロダニアの町長から相談を受けて仰天した。「王都からの正式な依頼状が届いている。しかも、宛名はアルテミス・ヴァルター――元侯爵令嬢殿」と、町長は困惑を隠さない。何しろ、本人が追放された身でありながら、王都から正式文書が送られてきたのだ。

 当のアルテミスも同じように面食らったが、その依頼状を開くと、驚くべき内容が目に飛び込んできた。要約すると、こうである。


「王都をはじめ、国内各地で再び謎の疫病が蔓延の兆しを見せている。聖女カトレアの力では対処しきれず、状況は日増しに悪化している。ついては、ベイル村で疫病を沈静化させた功績を持つ“薬師”アルテミス殿に、ぜひ国を救うための薬の開発・提供を願いたい。謝礼や地位など、必要なものは何でも用意するので、早急に王都へ赴いてほしい」


 あまりにも身勝手な文面に、アルテミスは呆れるやら怒りがこみ上げるやら、複雑な思いに包まれた。かつて自分を追放した王都が、困ったときだけ頭を下げてきたのだ。さらに言えば、再び疫病が広がっているという点は看過できない重大事ではある。命を救いたい気持ちはあるが、しかし「王都へ赴いてほしい」という依頼には素直に応じたくない――それが正直な気持ちだった。

 その夜、アルテミスはレオルトの店を訪れ、薬師仲間と周囲の住民たちを交えて相談を開いた。カイルも当然のように隣に付き添い、彼女の意見を尊重しながら必要な助言をしてくれる。

「先生、私は王都に行かなくても、薬を開発できると思うんです。必要な資料や器具も、このロダニアに集めれば何とかなるはず……」

 アルテミスがそう言うと、レオルトは腕組みをしながら深刻そうにうなずいた。

「確かにな。だが、今回の疫病がどんな原因で広がっているか、実際に見ないことには分からん。王都の水源が汚染されているのか、あるいは商人が持ち込んだ毒草の類が再び出回っているのか……。それに、人々を救いたいという気持ちがあるのなら、できれば現場を知るほうが対策を立てやすいんじゃないか」

「ええ、そこが難しいところです。私としては、やはりあの場所に戻りたくはありません。あの人たちの都合のいいように利用されるのは、正直ごめんだわ」

 アルテミスは「殿下」という言葉を口にするのも嫌なほどの嫌悪感を、今さらながら思い出す。追放されて味わった屈辱を忘れることはできない。ただ、それでも多くの命が失われている状況を見過ごしていいはずがない。

 彼女が苦悩の表情を浮かべていると、カイルが静かに口を開いた。

「アルテミスさん、俺はあなたを無理に王都へ連れて行きたくはない。だけど、こういう提案はどうだろう。あなたは王都へ行かずとも、薬のレシピや必要物資をそちらに送る形で協力する。今のあなたの知識と調合技術があれば、現地に行かずとも薬を完成させられるのでは?」

「薬を“こちら”で作り、あるいは“こちら”から送る、ということですね。王都には行かなくても済むし、そこにいる人々も助かる……」

「そう。もちろん現地との情報交換は必須だが、幸い、王都には多少使える医者や学者もいる。彼らがアルテミスさんの指示に従い、調合を再現すればいい。それでも無理なら、一部の代表者だけがロダニアに来て協力を仰ぐ、という形にできるはずだ」

 カイルの言葉に、レオルトも感心したようにうなずいた。

「なるほどなあ、あいつらが本当に協力を求めたいなら、それくらいの柔軟性は示すべきだ。……ただ、王都側は『わざわざ辺境に出向くなんてとんでもない』と思うかもしれんぞ?」

「ええ、だからこそ、こちらが強気に出るべきだと思います。私にはもう帰る家も実家もありません。そちらからの一方的な“命令”には従いません、と」

 アルテミスが毅然と言い放つと、周囲にいた仲間たちや町長も、「それでいいんじゃないか」と同意を示す。誰もが、今さらアルテミスをぞんざいに扱う王都のやり方には憤りを感じていた。そもそも、このロダニアにとって彼女は非常に大切な薬師であり、仲間でもあるのだ。

 こうして一夜をかけた協議の末、アルテミスは「王都へは行かない」という結論を出す。一方で、疫病そのものを放置するわけにはいかないため、薬の開発や情報提供はできる限り行う方針を固めた。

 翌日、王都からの使者たちに対して、その旨が正式に伝えられる。侍従たちは「殿下のもとへ早急にお越しいただきたい」と何度も繰り返したが、アルテミスは決して折れず、町長や周囲の住民が一丸となって彼女の意思を後押しした。

「こちらに来ていただければ対応します。私自身は、もう二度と王都には戻らないと決めましたので」

 静かながら強い決意を示すアルテミスの言葉に、侍従たちは明らかに狼狽した。しかし、疫病対策は一刻を争う状況でもあり、「分かりました……とにかく、国としても正式な支援を要請し続けますので、何卒ご検討を……」と渋々頭を下げ、帰っていくしかなかった。


薬の開発と王都とのやりとり


 そこからの数週間、アルテミスとロダニアの人々は総力を挙げて「新しい薬」の開発に取り組むことになった。まずは王都で発生している疫病の症例データを集める。侍従や医者から送られてくる報告書は、最初は曖昧な記述だらけだったが、アルテミスが「どんな症状がどれほどの期間で出ているか」「患者の年齢層や地域分布」「水源や食糧庫の状況」「他の病気との混合はないか」など、細かく要求を出すにつれ、王都側も本気で情報をまとめ始めた。

 やがて明らかになったのは、この疫病がベイル村のケースと類似した特徴を持ちながら、さらに強毒化している可能性があるという事実だ。高熱や下痢、嘔吐だけでなく、中には神経系に異常をきたして痙攣を起こす患者もいると報告があった。

 原因として考えられるのは、毒草や汚染された水、それに加えて「魔力の暴走」といった要素も捨てきれなかった。ロダニアには古くから伝わる文献が多く残されており、アルテミスはレオルトや地元の学者たちと協力して、その病状に最も近い記録を探し出した。

 結果、見えてきたのは「キメラ病」と呼ばれる古の疫病の一種だった。これは単なる細菌やウイルスではなく、植物系の毒素と魔力反応が複雑に絡み合うことで発症する特殊な病――というのが古文書にある説明だ。ある時代には相当数の死者を出し、王家の歴史書にも断片的に記録が残されていた。

 しかし、その歴史書がしっかりと研究されていなかったせいで、現代では「そんな病はただの伝説」と軽視されていたらしい。だが、どうやらこのたびの疫病は、その“伝説”が形を変えて再来したというのだろうか。

 アルテミスは数種の魔力封じの薬草と、解毒効果の高い植物エキスを組み合わせた試作薬を何度も調合し、ロダニアの実験室で検証を重ねた。カイルやレオルトらも手伝い、日々寝る間を惜しんで研究を続ける。

「魔力を中和しつつ、毒素を排出させる薬を作れれば、王都の患者を救えるかもしれない」

 アルテミスの瞳には決意が宿る。二度と王都には戻らないと宣言してはいるものの、「このまま見殺しにしていい」とは思えない。もはや、アレクトやカトレアへの恨みの感情ではなく、純粋に人々の命を守りたいという想いが彼女を突き動かしていた。

 彼女の懸命な努力の甲斐あって、やがて試作薬は完成に近づき、王都から送られてきた患者の体液サンプルや魔力反応の検査でも、有望な結果が得られ始めた。王都側の医者や学者からも、「この薬には大きな効果が期待できる」との報告が上がり、その名声は一気に“辺境の薬師”アルテミスを中心に広がっていく。

 そうして最終的に、アルテミスは“特効薬”とも呼ぶべき解毒剤を完成させた。正式名称はまだ未定だが、レオルトやカイルはふざけて「アルテミス・セイブ」と呼んでいるらしい。彼女本人は照れくさがりながらも、「名前は何でもいいわ。とにかく、王都の患者たちがこれで救われるなら」と微笑むだけだった。


国を救う薬と二度と戻らない宣言


 薬が完成したという知らせに、王都は歓喜に包まれる……かと思いきや、問題は「ではどうやって大量生産し、広く配布するか」という段階に移った。王都側は再びアルテミスに「王都へ来て頂き、製造の陣頭指揮を執ってほしい」と要求したのだ。ところが、アルテミスの返答は変わらない。

「私がそちらへ行くつもりはありません。大量生産の手順書は用意しますし、薬草の供給ルートも案内できます。もし人手が足りないなら、私のもとへ人材を送ってください。私はあくまでも、ロダニアから協力させていただきます」

 それでも王都側は食い下がる。中にはこんな声まで飛んだらしい。「王都に戻れば、侯爵家の令嬢としての地位を復活させてやる」「あるいは、王太子のもとに返り咲けば、莫大な富と名誉が得られる」と。まったくもって身勝手な話である。

 しかし、アルテミスは微動だにしなかった。使者たちがいくら懇願しようとも、「もう二度と戻らない」と一蹴する。かつて自分を追放し、捨てた者たちに今さら屈するつもりなどなかったし、そもそも地位や名誉に魅力を感じることはもうなかった。

「私には、私の場所があるんです。ここでカイルや仲間たち、そして私を頼ってくれる人々と暮らしていきたい。そちらに戻る理由は、どこにもありません」

 静かでありながら力強い宣言。使者たちは、かつての「侯爵令嬢アルテミス」がこんなに頑なな意思を持っているとは思わなかったらしく、ただ慌てふためき、最終的には手順書や薬品の配合レシピを託される形で引き返していくしかなかった。


王都を襲う破滅と二人の行方


 こうして、アルテミスが開発した特効薬は、やがて王都の医療施設や地方の拠点に配布され、幾多の患者の命を救う結果となる。王宮や貴族たちが関わる豪華な医療機関ばかりでなく、平民街の診療所にも薬が行き渡り、そこに所属する医者や神官が必死に調合を再現することで、疫病の猛威は少しずつ下火になっていった。

 しかし、同時に明るみに出たのは、聖女カトレアの無能ぶりだった。もともと一部の人々は、カトレアが奇跡の力を過信しており、しかもその力は安定せず、ときに余計な被害を生むのではないかと疑っていた。今回の疫病への対処においても、彼女が行った“浄化の儀式”とやらはほとんど効果がなく、むしろ儀式を執り行うために投入した資金や人員が無駄に消費されるだけだった。

 さらにカトレアは、不調を訴える民衆に向かって「私の祈りが足りないのです。あなたたちがもっと信仰を捧げなさい」と言い放ち、混乱を加速させたという噂すらある。もともと薄氷の上に成り立っていた“聖女”への信頼は、一気に失墜した。

 また、王太子アレクトは、かつてアルテミスを追い出したばかりか、聖女カトレアに国の未来を委ねるような言動を繰り返していたため、その責任から逃れられない立場にある。実際、王太子派の貴族たちは今や一枚岩とは程遠く、皆「こんな無能な聖女を担いだのは殿下の独断だった」と非難の声を上げ始めている。

 王宮内部では、アレクトが父王や母后からも大きく叱責され、王位継承の問題が浮上しているという。王太子の地位を剥奪されるか、それとももっと穏便な形で退けられるか……いずれにせよ、アレクトが以前のように国の中心に立つ日はもう来ないだろう。

 カトレアについては、もはや王宮に居場所がなくなりつつあった。奇跡をもたらすどころか混乱を招き、自分たちが強調していた“聖女”という看板に価値がないと分かれば、周囲は手のひらを返すのも早い。彼女は一人、取り残される形で失脚していった――その後どうなったのか、確かな記録はほとんど残されていないが、貧民街に流れ着いたとか、別の国に逃げたとか、様々な噂だけが飛び交う。

 こうして、アルテミスをぞんざいに扱い、追放に追い込んだ王太子アレクトと聖女カトレアは、共に破滅の道を辿ることになった。かつての華やかな舞台でスポットライトを浴びていた頃の姿は、もはや見る影もない。“ざまあ”と言われれば、それまでだろう。

 だが、アルテミスはそんな彼らの末路を遠いロダニアで知るだけで、特に興味を示すこともなかった。王都の混乱に巻き込まれないよう、適度に情報を集めながらも、自分が守るべき生活と愛する人々を優先し続ける。それこそが、彼女が選んだ「幸せな選択」だったのだ。


新たな日々と幸せの形


 王都を救う薬を開発し、その偉業が国中に知れ渡ったにもかかわらず、アルテミスは以前と同じようにロダニアの薬師としての生活を続けている。特効薬の製法や配合技術は王国中に広まり、魔力を帯びた疫病への対応マニュアルも整いつつあるため、ひとまず大規模な流行は防げる状態になった。

 辺境の町に住む人々は、彼女を口々に「救世主」と讃え、訪れてくる旅人も「アルテミス様に一目お会いしたい」と宿屋を何軒も回るほどだ。しかし、当のアルテミスは謙虚なまま、患者と向き合い、薬の調合に没頭し、町の子どもたちと笑い合う日々を送っている。

 カイルは隣国の騎士団長という立場を一時的に休職扱いとし、このロダニアでアルテミスを支え続ける道を選んだ。国への報告や任務は最低限行いながらも、今はアルテミスとともにこの地を守ることが最優先だと、彼自身が上司に願い出たのだ。

「お前の判断に任せる。ただし、辺境で得た情報や知見は、必ず定期的に本国へ送れ」

 それが上司の命令らしいが、カイルとしてはそう難しいことではない。アルテミスとともに過ごしながら、彼女が成し遂げた業績をまとめ、国際的な協力体制を模索していけばいいのだから。それよりも、何より大切なのは、彼女の笑顔がそばにあることだ。

 そんなふうにして、アルテミスとカイルはささやかながら確かな幸せを噛みしめながら、共に新しい生活を歩んでいる。朝は町の人々とあいさつを交わし、日が暮れるまで診療や薬草の研究に励み、夕方には二人で散歩に出かけたり、宿屋で簡単な食事をとったり――。時には馬に乗って遠出し、近隣の村の視察がてらデートのような時間を楽しむこともある。

 アルテミスはふと、かつての自分を振り返る。王太子の婚約者として、華やかなドレスを着こなし、貴族の社交界で礼儀作法に必死にしがみついていたあの頃。あれはただの“見せかけ”の幸せに過ぎなかったのではないか、と今になって痛感する。

 今の彼女は、薬師として地に足をつけ、人々に本当の意味で感謝される。心の底から「あなたのおかげで助かった」と言ってもらえる。このロダニアの土と風の匂い、そして同じ目線を持つ仲間たち――それこそが、アルテミスがずっと求めていた“帰る場所”なのだろう。

 カイルも同じだ。この地で過ごすうちに、隣国の騎士団長という地位や名誉以上に価値のあるものを見つけたのだという。自分の剣と腕力は、こうして人々を守り、愛する女性を支えるためにあるのだと実感しているらしい。


幸せな選択と物語の締めくくり


 ある日の夕暮れ時、アルテミスとカイルは町外れの丘で夕日を眺めていた。遠くに連なる山々がオレンジ色に染まり、頭上には一番星が瞬き始めている。夜風は涼しく、草原の葉がざわざわと揺れる音が心地よい。

 アルテミスはそっと目を閉じ、深呼吸をしてから、カイルの肩にもたれるように身を寄せた。

「ねえ、もしこれから先、何か大きな事件が起きて、私たちがまた試練に立たされたら……あなたはどうする?」

 突然の問いに、カイルは少し驚いた顔をしたが、やがて柔らかな笑みを浮かべる。

「俺は変わらないよ。君が行く場所なら、どこへでもついていく。もし君が“ここに残って町を守りたい”と言うなら、一緒に守る。君が“新しい土地へ旅をして、もっと薬学を広めたい”と言うなら、それにも付き合う。それが俺の幸せだ」

 その答えに、アルテミスは胸が熱くなるのを感じながら、そっと手を重ねる。かつて王太子アレクトとの間にはなかった“確かな信頼と愛情”が、ここにはある。

「ありがとう、カイル。……私も、もう二度と王都には戻らないけれど、この国やこの世界を見捨てるつもりはないの。どこかで苦しんでいる人がいるなら、できる限り手を差し伸べたい。私が薬師として生きる意味は、そういうところにあると思うから」

 カイルは静かにうなずき、アルテミスの肩をそっと抱き寄せる。風が夕日の名残をさらい、遠くで鳥の声が響く。

 ――追放された令嬢が、新たな愛を見つけ、国を救う薬を開発し、そして自らの意思で「幸せな選択」をした。その道は決して平坦ではなかったが、彼女はもう迷わない。かつての王太子アレクトと聖女カトレアの破滅を耳にしても、彼女の胸に起こるのは復讐心ではなく、むしろほんの少しの哀れみと、今の自分の環境への感謝の思いだけだ。

 ふと夜空を見上げると、満天の星々がロダニアの空を彩っている。アルテミスという名に宿る“星の導き”が、今まさに彼女を照らしているようにも思えた。

 ――もう二度と戻ることのない王都、そして振り返る必要のない過去。これからは、新しい生活をともに選んだカイルと、仲間たちと手を携えて、一歩ずつ未来へ進んでいくのだろう。追放ざまあ――そんな言葉が似つかわしいほど、彼女を追い出した者たちの末路は悲惨だったが、アルテミス自身はそれを“償い”や“報復”の形で受け取るつもりはない。ただ、自分らしく生き、自分が信じる幸せを掴んでいる。それこそが、何よりも鮮やかな勝利なのだ。

 空を仰ぐアルテミスの瞳は、遠い未来を見据えている。横にいるカイルが微笑み、彼女の手をしっかりと握る。

「行こうか、アルテミス。夜が更ける前に、町へ戻ろう」

「ええ。明日はまた忙しくなるでしょうし、そろそろ戻りましょう」

 そう言い交わしながら、二人は寄り添うようにして町へと下りていく。ロダニアの家々に灯る明かりが、まるで二人を歓迎するように揺らめく。

 これが、アルテミスにとっての新たな日々の始まりだった。侯爵令嬢としての立場を捨て、王太子の婚約者であることをも捨て、それでもなお掴み取った、自分自身の幸せ。彼女の歩む先には、きっとさらなる試練や出会いがあるだろう。それでも、カイルや仲間たちと共に進む道なら、きっとどんな困難も乗り越えていけるに違いない。


 こうして、物語は幕を下ろす。

 王都の混乱はひとまず回避されたが、王太子アレクトと聖女カトレアの破滅は決定的で、もう二度と王宮に再起の光が差すことはなかった。国中の人々が命を救われたことに感謝する一方で、アルテミスの名前を讃える声は日増しに高まっている。しかし、当の本人はそんな名声に頓着せず、ただロダニアの片隅で、大切な仲間と新しい愛を育みながら、穏やかな時を過ごすのだった。


 それは、彼女にとって紛れもない“幸せな選択”。かつて追放された令嬢は、もう誰にも縛られることなく、自分が求める未来を堂々と生き始めたのである。



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