ベルンハルトが発ってちょうど一週間。その間もそれまでと同じように、ヘルムートの後をついて回っていたリーゼロッテも、さすがに今日は朝からそわそわと落ち着かない。そんな有り様では到底役にも立たず、自ら私室に引っ込みその時を待った。
(昨年は、レティシア様が窓から飛び込んできたのよね)
寒々しい色をした雲と、これまでに見たこともないぐらいの雪が、これでもかというほど空から降り注ぐ。窓の外は、いつもなら眼下に広がるはずの庭すら、見ることができないほどの吹雪。『一週間だ』そう言ったベルンハルトの声が、耳の奥に響く。
この吹雪の中を、龍たちは飛んでくるのだろうか。気候制御の魔法というのは、このような天候にも耐えることができるのだろうか。
吹雪の合間にチラつく影に、気持ちをざわつかせながらその時を待った。
窓の外ばかりを見続けているリーゼロッテの目に、遠くに鳥のようなものが映り込んだ次の瞬間――昨年と同じように窓が大きな音を立てて開いた。
「リーゼロッテ!」
いつの間に龍の姿から人間の姿になったのだろうか。リーゼロッテが声の方に顔を向ければ、傷だらけのレティシアがぐったりとしたベルンハルトを抱えて立っていた。
「レティシア様!」
「貴女ならこの部屋にいると思ったの。ベッドを開けて!」
ベッドに横にさせられたベルンハルトを見れば、レティシアの様に傷はない。ただ、目を閉じたままぐったりとしているのはわかる。
「レティシア様、何があったの?」
「それは、私から」
ベルンハルトのことをベッドに押し込んだレティシアは、そのままベッドの脇に座り込んでいた。リーゼロッテの言葉に、返事をしたのはアルベルトだ。
「アルベルトさん、それにクラウスさんも」
「奥様。私の力が足りないばかりに、申し訳ありませんでした」
リーゼロッテの私室に、レティシアの後に付いて入ってきていたのだろう。窓際に所在なさげに立ちすくむ二人は、これまでに見たこともないぐらい表情が暗い。
「アルベルトさん。話をする前に、レティシア様の傷を治すことはできませんか?」
傷のないベルンハルトに比べ、レティシアの体は傷だらけだ。このままではレティシアの体も危ないだろう。ベルンハルトの容体や、こうなった経緯も気になりはするが、ここまで連れ帰ってきてくれたレティシアに感謝しても仕切れない。
「私の治癒が効けばいいのですが。レティシア様、失礼します」
アルベルトがレティシアの傷に手をかざせば、その傷が徐々に治っていくのがわかる。途中アルベルトが魔力石に手を伸ばしたのを見れば、ここに来るまでにも相当魔力を消費したのだろう。
「アルベルトさん。お疲れなのに、さらに負担をかけてしまってごめんなさい」
「いえ。私ができるのは表面の傷を治すことだけです。レティシア様もベルンハルト様もかなりの失血をしておられます。そればかりは、どうしようもないのです」
ベルンハルトのあの様子は貧血によるものらしい。
「何が、あったのですか?」
「これまでに見たこともない魔獣が出てきております。レティシア様を筆頭に、何頭もの龍とベルンハルト様の魔法によりなんとか討伐を終えました。ただ、ベルンハルト様ご自身もかなり魔力を消費し、その戦いの最中にお怪我を」
アルベルトはベルンハルトの治癒の為に同行しているとヘルムートが話していた。ベルンハルトの怪我をアルベルトが必死に治して運んできたのだろう。
「アルベルトさんも、お疲れ様でした。クラウスさんも良ければこちらにお座り下さい。レティシア様は、そちらのソファにお運びしましょう。手伝いに、ヘルムートさんとイレーネを呼びますね」
人を招く予定のなかったリーゼロッテの私室にも、少し前に応接セットを入れた。ベルンハルトとのお茶の為にと用意したものが、このような形で役に立つとは。
リーゼロッテが呼びつけたヘルムートとイレーネと一緒にレティシアをソファに寝かせ、アルベルトとクラウスにはヘルムートがお茶を淹れた。
「父上、そのようなことは私が」
「アルベルトさん。今わたくしはヘルムートさんにお願いしたのです。貴方は座っていて下さい」
リーゼロッテが強い口調でアルベルトに話しかけたのは初めてだ。それはただのお願いではなく、主人から使用人への命令にも取ることができる。そうまでしてでも、この場でこれ以上討伐から戻ってきた四人に負担をかけたくはなかった。
「奥様。申し訳ありません」
椅子に腰掛けたまま
「アルベルトさんには、すぐにやっていただきたいことが出てきます。その時に力を貸して欲しいのです。それは、今ではありませんから」
「な、なんなりとお申し付け下さい」
「ふふ。よろしくお願いします」
リーゼロッテはお茶を一口口に含むとその場を離れ、ベッドの脇に運び置いた簡易椅子へと腰掛けた。
目を閉じたままのベルンハルトの顔色を見ようにも、顔の上半分を覆い隠す仮面が邪魔で仕方ない。
「ねぇ、ヘルムートさん。これ、外しちゃだめかしら」