さやかは一年前、義兄が若頭という裏社会の住民であることを知った。

　それはさやかの養父がさやかの母と正式に結婚したときに、養父から教えてもらった。今後、義兄と関わり合いになりたくないなら自分が手配するが、どうするかと問われた。

　さやかは普段は言葉を交わすこともめったにない養父に、落ち着いた気持ちで返した。

「お義父さんは、私たちが正常な兄妹関係じゃないとずっと心配してくれていたのを知っています。お義父さんは、心配性だから」

　さやかの母は良家の娘だったが、実家の借金が返せず、養父の愛人となっていた人だった。けれど正常な夫婦関係でないことを、その関係を強いた義父自身がずっと変えようとしてきた。

　養父は言葉少なく、さやかを見て言った。

「……それは、親だからな」

　養父には正妻との間に、義兄を含め三人の息子がいる。けれど愛人の連れ子で、自分の子どもでもないさやかのことも、わが子と変わらず目を配ってくれた。

　養父が妻との離婚を決めた、その理由のことをさやかは知らない。妻とうまくいかなかったのかもしれないし、さやかの母を愛しているからかもしれない。

　さやかは微笑んで養父に返した。

「ありがとうございます、お義父さん。大丈夫、兄さんを遠ざけてほしいと思ったことは一度もないんです」

　ただいずれにしても、養父と母の結婚を機に、さやかと義兄は本邸を離れて別邸で暮らすようになった。

　別邸での暮らしは、母が側にいなくて寂しくなったが、正妻や他の子どもたちとの関係はもう気にしなくてよいものだったから、さやかには気楽だった。何より、義兄といつでも気兼ねなく会えるのが幸いだった。

　一年が経ち、さやかが夕食の席に現れると、そこにきらびやかなディナーをみつけた。

　先に来ていた義兄は席を立ち、さやかの手を取って導く。

「今日はさっちゃんと一緒に暮らして一年だから。さっちゃんの大好きなものを集めたよ」

　義兄が椅子を引いて席に着いたさやかは、テーブルの上を見て目を輝かせた。

　色とりどりに並べられたカクテルサラダのグラスたち、細工物のような冷製オードブル、焼きたての柔らかいパン、シェフが作ったビーフシチュー。義兄の言う通り、さやかの大好きなものをたくさん集めたディナーだった。

　さやかははにかんで義兄を見上げる。

「ありがとう……いいのかな。私、お兄ちゃんのお仕事のお手伝いもしていないのに」

「それは弟たちがやってるからいいよ」

　義兄は事も無げに言って、さやかを優しいまなざしで見下ろした。

「俺はさっちゃんが俺の妹になった日から、さっちゃんがかわいかったんだ。今も俺と一緒にいてくれて、抱きしめたいくらいにうれしいんだ。……抱きしめていい？」

　義兄はそう言って、さやかがうなずくのと同時に立ったままさやかを抱きしめた。

　義兄はさやかを腕に収めたまま、思案するように言う。

「仕事……さっちゃんを俺に仕えさせるって、想像つかないな。でもこれから長い時間を一緒に過ごしていくなら、そういう時もあるのかな。父さんたちだって、ずっと同じじゃなかったもんね」

　何気なく義兄が付け加えた言葉に、さやかはふと訊いてみたくなった。

「お兄ちゃんは、私やお母さんが憎らしくなるときはないの？」

「俺が？　なんで？」

「私たちは、お義父さんをとっちゃったかもしれないんだよ」

　さやかの問いかけに、義兄は意外にも笑って答えた。

「さっちゃんは小さかったからわかんなかったかなぁ。父さんは昔から、さっちゃんのお母さんしか見てなかったよ。前の夫と別れさせて、彼女の実家に圧力をかけて、ひどいこといっぱいして……それくらい大好きで。別邸に住まわせてからも、昼も夜もそこに入り浸っていたじゃない」

「そう……だったの？」

　さやかが目を丸くしたら、義兄はぽんぽんとさやかの頭を叩いた。

「脅迫、不倫、監禁、だめに決まってるよね。でもごめんよ、俺たちって極道だからさ」

　義兄はさやかの前の席に座り直すと、悪い笑みを浮かべて言った。

「俺も父さんと同じ血が流れてる。さっちゃんが好きで好きで……たぶん人間としては、もう狂ってる」

　テーブルの向こうからさやかの頬を撫でて、義兄は愛の言葉をささやく。

「さっちゃんがどこかに行こうとしても、どこにも行かせない。さっちゃんが誰かを好きになっても、誰にも渡さない。……だからこれは脅迫だ。さっちゃん、俺のことを好きでいて？　俺を許さないでいいから、ずっとずっと、俺の側にいて」

　さやかはそれを聞いて、子どもの頃から自分を取り巻いて来た義兄の愛情の籠を思った。

　兄弟なら他にもいた。自分を見守ってくれる養父と母もいた。けれどさやかが心を預けたかったのは、目の前の義兄だけだった。

　若頭と小鳥。義兄とさやかは、そんな風に世間で言われる。たぶんその関係は歪んで見えて、実際そうなのかもしれない。

　さやかは頬に触れた義兄の手に、自分の手を重ねて言った。

「……私も、もうずっと悪い子だから。そんなお兄ちゃんが、大好き」

　義兄はさやかの指に指をからませて、くすくすと笑った。

　たぶん遠くない未来、義兄とさやかは仕事を共にするようになるし、体も一つに重ねるときが来る。

　それは正常ではないけど、ふたりの清浄な関係。

　幸せな過去をふたりはずっと前から重ねてきて、それが未来までつながっていくのだった。