義兄とさやかが暮らす屋敷には美術館のような庭園がある。
義兄は病弱なさやかがいつでも窓から庭を楽しめるように、庭師を雇って、季節を感じられる景観を整えてくれていた。
たださやかは最近、景観を楽しむだけでなく、庭に下りて土いじりをすることを覚えた。
「そろそろ種まきしようかな。何にしよう……?」
さやかが庭師の手を借りて作った小さな家庭菜園は、近頃何をするにも気になる。さやかは時間をみつけては庭に下りてきて、庭師にいろいろなことを教わっていた。
「二十日大根、私でも作れる?」
庭師は初老の小柄な男性で、おっとりとさやかの質問に答えてくれる。
「できますとも。お嬢様はお花より野菜が気になるんですねぇ」
庭師はころころと笑って、じゃあ今日は二十日大根にしましょうかと言って、さやかと一緒に庭にしゃがみこんだ。
さやかは元々、細かい作業を黙々とするのが好きだ。庭師と一緒に家庭菜園で作物の世話をするのは楽しかった。
でもさやかは、時間を忘れて熱中する癖もある。庭師が声をかけても、最初は気づかなかった。
「……お嬢様。雲行きが怪しくなってきました。そろそろ中へ」
庭師がそう勧めているのも遠い世界の出来事のように、手元の土を一生懸命に整えていた。
ようやく雨が降っていることにさやかが気づいたのは、義兄の悲鳴のような声が聞こえたからだった。
「さっちゃん! 雨の中で何てことしてるの!」
義兄は普段の冷静さが嘘のように、さやかを叱った。
さやかがきょとんと顔を上げると、義兄は大股で近づくなりさやかを抱え上げる。
「風邪でもひいたら……! だめだよ、さっちゃん。すぐ中に入るよ」
義兄はさやかの答えを待たずに、無理やり屋敷の中に連れて行く。さやかはその頃ようやく雨に濡れたことを自覚して、少しの寒さでも風邪をひきやすい自分の体にも思い至ったところだった。
「くしゅ……っ」
案の定、さやかが部屋の中で着替えていたらくしゃみが出てきた。義兄はヒーターをつけると、さやかを雪だるまにするようにたくさん着せて、さらに自分の腕で包む。
「……ごめんなさい、お兄ちゃん」
オイルヒーターで部屋が暖まり始めた頃には、さやかは自分のうかつさにしょんぼりしていた。義兄はまだちょっと怒っているようで、しきりにさやかの背をさすりながら言う。
「めっ、だよ。さっちゃんが冬に雨に濡れるなんて、しちゃだめ。もうしないって、約束できる?」
「うん……」
「さっちゃんがまた雨に濡れてたら、家庭菜園は温室の中だけにしちゃうからね」
義兄は最近のさやかを見て、温室を増設しているところだった。土いじりに熱中しているさやかの楽しみが増えるようにと、義兄は費用も手間も惜しまない。
さやかはバスタオルごしに義兄を見上げて、こくんとうなずく。
「うん。私、お兄ちゃんを悲しませたいんじゃなくて、喜ばせたいの」
さやかが作れるものは少しだけど、野菜が出来たら一番に義兄に見せるのだと決めている。だから一生懸命研究して、さやかに出来る形で義兄を喜ばせるのだ。
義兄はそんなさやかを愛おしそうに見下ろして、手でさやかの鼻をくすぐった。
「……ずるい。さっちゃんにそんな風に言われたら、反対できないだろ?」
義兄は後ろからぎゅっとさやかを抱きしめて、窓の外に目を細める。
「雨、止んだね。……でも今日はもうさっちゃん、外に出さないから」
それはちょっとの喧嘩の後の、甘い午後。
晴れ渡った空をさやかも見上げて、義兄の腕に頬を寄せた。