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13 若頭と小鳥の恋人のお仕事

 義兄の怪我は左腕を切りつけられたもので、義兄は大したことはないと言ったが、さやかは心配でたまらなかった。

 部屋で休んでいる義兄に、さやかはたびたび戸口から顔をのぞかせて問いかける。

「お兄ちゃん、何か私にできることない?」

 家には使用人もいるし、仕事に関わっていないさやかにできることは少ないかもしれない。でも何かしてあげたくて、さやかは義兄から言葉を引き出そうとした。

 義兄は机で仕事のものらしい書き物をしていたが、顔を上げて微笑む。

「いいんだよ。さっちゃんは大学の勉強があるでしょ?」

「でも利き手の怪我で不自由じゃないかな。食事とか、着替えとか。助けられたら」

 義兄は少し思案顔になって、ふと気づいたように言った。

「そうだなぁ……平日に、一日中さっちゃんと一緒にいられるのは貴重かも。さっちゃん、勉強見てあげる。持っておいで」

 それだといつも通り面倒を見られるのはさやかの側だと思ったが、義兄がそう言うならと、さやかはうなずいた。

 さやかが義兄の部屋に勉強道具を持ってくると、義兄はテーブルの方に移っていた。さやかも義兄の隣に座って、講義のレジュメやノートを広げる。

「わからないところや、つまずいているところは?」

「私、経済学が苦手なの。大きな話で、実感が湧かなくて。たとえば……」

「ああ、それはね」

 さやかがレジュメをめくって義兄に見せると、義兄は丁寧に説明を返してくれる。

 義兄は医学部卒だが、商学部の大学院も卒業している。天才肌でその勉強の仕方は変わっているが、昔から学問に長けている人だった。

「こうやって図を描いて……」

 子どもの頃から、学校を休みがちなさやかに勉強を教えてくれたのも義兄だった。それも始終優しく、年の離れたさやかでも知っている言葉を使って説明してくれた。

 一時間ほどそうやって勉強を見ているうち、義兄はさやかに言った。

「さっちゃんは、大学を卒業したら俺の手伝いをしたいって言うけど。俺はさっちゃんを屋敷から出したくないんだ」

 義兄は気がかりそうにさやかを覗き込んで言葉を続ける。

「俺の仕事は、危ないこともあるから。今回だって、さっちゃんが居合わせなくて本当によかったと思ってるんだ。……俺は自分が怪我をするより、さっちゃんが痛いって泣く方が耐えられない」

「お兄ちゃん……」

 さやかはこくんと息を呑んで、精一杯言葉を返す。

「……だったら私、外では泣かないように強くなる。お兄ちゃんの側にいたいもの」

 義兄の瞳が揺れたのを見て取って、さやかは口をへの字にする。

「お兄ちゃん。少しずつ、仕事の場にも連れてって。今の私は……し、失禁もしちゃうような、情けない私だけど。強くなるって言っても全然説得力ないかもしれないけど、でも私、お兄ちゃんの妹で……」

 さやかはじわりと赤くなって、うつむきながら言った。

「……こ、恋人でもあると、思っていたいの」

 ふいにさやかは義兄にぎゅっと抱きしめられて、さやかは慌てる。

「お兄ちゃん、腕! 傷、開いちゃう」

「かわいい、かわいい……。なんてかわいいんだろ、俺のさっちゃんは。外の空気になんて触れさせたくない。俺の寝室だけに閉じ込めたい」

 義兄はそのままなかなかさやかを離してくれなくて、さやかを困らせた。さやかが、傷が開いちゃうとおろおろしていると、義兄はようやく腕を解いてくれた。

 義兄は悪戯っぽくさやかを見て言う。

「じゃあ……さっちゃん、恋人のお仕事頼んでいい?」

「は、はい。何でしょう」

 さやかはそれを聞いて緊張すると、どうしてかかしこまって返事をする。

 義兄は照れくさそうに笑ってさやかに言った。

「今夜のお風呂。……さっちゃん、俺の体を洗ってくれる?」

 さやかは一瞬きょとんとして、それでかぁっと赤くなった。

 小さい頃から、いつも義兄がさやかの体を洗ってくれた。でもその逆は初めてで、さやかは緊張するのと、どきどきする思いがした。

「本当は今すぐ一緒に入りたいけど。……俺の方が我慢、できなさそうだから」

 義兄が目を逸らしてぼそりとつぶやいた言葉は、さやかには少し不思議だったけれど。

 それは小さい頃からゼロ距離だと思っていた二人の距離が、それ以上に近くなった瞬間だった。

 その夜の初めての「恋人のお仕事」は、くすぐったくて、お互い笑ってばかりだった。

 そんな、いつものお風呂以上に長くて甘い時間だった。

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