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メールの通知音が部屋に響いた。
いつもの企業案件だろうか、それとも視聴者からのファンレターか。
画面を開くと、見慣れない差出人名が目に飛び込んできた。
「灯之村役場観光課」
聞いたことのない地名だった。
本文を読み進めると、村のPR動画制作の依頼らしい。
「当村は平均寿命が全国トップクラスの長寿村として知られております。この度、観光振興の一環として、若い世代にも村の魅力を発信したく、SONOKO様のチャンネルでのご紹介をお願いしたく存じます」
形式張った文面が続く。
報酬は相場の倍以上だった。
地方自治体からの依頼は初めてではないが、こんな高額オファーは異例だ。
私のチャンネル「SONOKO's Journey」は、登録者数二十八万人。
旅と暮らしをテーマに、日本各地の知られざる魅力を発信している。
廃村探訪、秘境温泉、地方の奇祭。
メインストリームから外れた場所にこそ、本当の日本があると信じていた。
視聴者の年齢層は幅広い。
都会の喧騒に疲れ、どこか懐かしい風景を求める人たちばかり。
検索エンジンに「灯之村」と打ち込んでみた。
ヒット数は予想以上に多い。
人口は約八百人、山間部に位置する小さな集落。
確かに平均寿命のデータは突出していた。
男性八十九歳、女性九十二歳。
全国平均を大きく上回る数字が並んでいる。
「長寿の秘密を探る」というテーマは視聴者受けもいいだろう。
私は返信メールを書き始めた。
「この度はご依頼ありがとうございます。喜んでお引き受けいたします」
送信ボタンを押すと、すぐに自動返信が届いた。
添付ファイルには村の基本情報と写真が含まれていた。
棚田の風景、古い神社、満開の桜並木。
どれも美しいが、特別珍しいものではない。
観光資源としては弱い印象を受けた。
だからこそ、私のような動画クリエイターに頼んだのだろう。
翌日、役場の担当者から電話があった。
「SONOKO様、この度は本当にありがとうございます。村民一同、大変喜んでおります」
声の主は中年女性のようだった。
方言のイントネーションが心地よく耳に響く。
「取材日程はいつ頃がよろしいでしょうか」
「来週の火曜日はいかがですか。平日の方が村の日常をお見せできますので」
スケジュールを確認すると、その日は空いていた。
「それでは火曜日にお伺いします。朝は何時頃がよろしいですか」
「朝十時に村の入り口でお待ちしております。車でいらっしゃいますか」
「はい、レンタカーで向かう予定です」
「山道が続きますので、お気をつけてお越しください」
電話を切った後、私は企画構成を練り始めた。
三年前に始めたこのチャンネルは、最初は趣味の延長だった。
会社員時代の週末を使って、一人で小さな旅に出ては動画を作っていた。
気づけば本業になり、今では月に二、三本のペースで動画を公開している。
長寿の秘密を探るドキュメンタリー風にしようか。
それとも、村の日常を切り取るVlog形式がいいだろうか。
視聴者層を考えると、健康や食生活に焦点を当てた内容が無難だろう。
水質、空気の清浄さ、地元の食材。
定番の切り口だが、それだけでは面白みに欠ける。
何か独自の視点を加えたい。
機材の準備を始めた。
メインカメラ、サブカメラ、ドローン、三脚、予備バッテリー。
音声収録用のピンマイクも忘れずに入れた。
地方取材では電源確保が難しいことがある。
モバイルバッテリーも複数持っていこう。
その夜、告知動画を撮影した。
「みなさん、こんにちは。SONOKOです」
いつもの挨拶から始める。
白い壁を背景に、シンプルな構図で話しかける。
飾らないスタイルが、私のチャンネルの特徴だった。
「今回は特別な企画をお知らせします。平均寿命日本一とも言われる灯之村から、PR動画制作の依頼をいただきました」
カメラに向かって微笑む。
視聴者との距離感は大切だ。
「長寿の秘密は何なのか、村の人々はどんな生活を送っているのか、来週実際に訪れて取材してきます」
コメント欄への誘導も忘れない。
「みなさんが知りたいことがあれば、ぜひコメントで教えてください。現地で確認してきますね」
撮影を終え、編集作業に入った。
テロップを入れ、BGMを選び、色調を整える。
サムネイルには「平均寿命90歳超! 長寿村の秘密とは?」というキャッチコピーを配置した。
動画をアップロードすると、すぐに反応があった。
「楽しみにしています!」
「うちの祖母も長生きの秘訣を知りたがっています」
「灯之村って初めて聞いた。どこにあるの?」
「SONOKOさんの地方取材動画、いつも参考にしてます」
コメントが次々と流れてくる。
再生回数も順調に伸びていた。
公開から三時間で一万回を超えた。
告知動画としては上々の滑り出しだ。
私はGoogleマップで村への道順を確認した。
最寄りの高速道路インターチェンジから、さらに一時間以上かかるようだ。
県道から外れて山道に入ると、携帯の電波も届かなくなるらしい。
オフライン用の地図をダウンロードしておこう。
週末は取材の準備に費やした。
村の歴史を調べ、気候データを確認し、周辺の観光スポットもチェックした。
複数の村おこしサイトに灯之村は登録されていた。
テレビの健康番組でも何度か取り上げられ、新聞の特集記事も見つかった。
「長寿日本一の村」「奇跡の健康集落」といった見出しが並ぶ。
それでも私に依頼が来たのは、若い世代へのアプローチが弱いからだろうか。
確かに既存の記事や番組は、シニア向けの内容が多かった。
過去の動画を見返しながら、構成を考えた。
秋田の限界集落、奈良の山奥の温泉宿、四国の棚田。
どの取材でも、土地の人々との出会いが動画の核になっていた。
灯之村でも、きっと素敵な出会いがあるはずだ。
月曜日の夜、荷造りを終えた。
明日の天気予報は晴れ。
撮影には絶好の条件だ。
目覚まし時計を朝六時にセットした。
村までは三時間以上かかる計算だ。
余裕を持って出発しよう。
ベッドに入るとなぜか寝付けなかった。
新しい場所への取材はいつも楽しみだが、今回は違う感覚があった。
期待というよりかすかな違和感。
それが何なのか、自分でもよくわからなかったが──まあいい。
明日の今頃は、山奥の静かな村にいるのだろう。
どんな人々と出会い、どんな発見があるのか。
クリエイターとしての好奇心が、次第に不安を押しのけていった。
私は目を閉じ、明日の撮影プランを頭の中で組み立て始めた。