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第二話 アマガエルよりも大嫌いなアイツ


 橙乃大翔とうのはるとの嫌いなものと言えば、雨上がりに現れる、緑色のアマガエルである。小学生の頃に顔面にペタッとくっつかれて以来、どうにもあの感触が忘れられず、今では見るのも嫌だし、アマガエル色である黄緑のことも、なんなら少し憎んでいる。


 そんなアマガエルよりも、苦手――というか、嫌いな相手がいる。高校二年になって同じクラスになった、藍川真夏あいかわまなつだ。


 高身長、イケメン、スタイル良し。ついでに声良しと、神様にかなりひいきされて作られたらしい彼は、所謂スクールカーストの頂点に君臨している王様だ。真夏という名前に反して、涼やかでクールな風貌。噂によればモデル事務所にスカウトされたとか、そんなエピソードに事欠かない。


 不機嫌なとき大翔は真夏のことを「アマガエル野郎」と思っているし、真夏も多分大翔のことを「面倒なヤツ」とか「ウザいヤツ」とか思っているはずで、普段の相性は最悪だった。そんな大翔と真夏がカップルチャンネルをやっているのには、少々理由がある――。




 ◆   ◆   ◆




「――ノート回収、っすか……」


 職員室の椅子にでっかりと座った、目の前の担任教師に言われた言葉に、大翔は内心げんなりしていた。数学教師である担任によれば、藍川真夏がノートを未提出らしい――そして、その回収を、本日の日直である大翔に頼んできたのだ。


 他のヤツならば、二つ返事でOKしただろう。大翔は基本的に断ったり、文句を言ったりしない。親でも、友達でも、教師でも。だが、真夏が相手となれば、それ別だ。真夏は大翔にとって、アマガエルなのである。


(うわ、だるっ……)


 そう思うが、顔には出さずに頷いておく。たかがノートだ。それも、未提出なのは真夏の方に問題があるのだ。堂々としていれば良い。


 時刻はもう下校時刻をとっくに過ぎていて、真夏がまだ校舎内にいるとは思えない。明日の朝一番に捕まえて、ノートを回収するだけの簡単なミッションだ。明日はもう、日直ではないのだが……。


「ああ、そうだ。橙乃」


「なんすか?」


 担任は渋い顔をして、ペラリと書類を捲る。大翔の方は見ていなかった。


「お前、M大学志望だったよな。判定Cだぞ?」


「うっ……。そこは、今から頑張りますよ」


 進路の話は、周囲でもにわかに騒がしくなってきたように思える。まだ高校二年なのに、大翔には正直、実感がなかった。


「まあ、今からしっかり頑張れば、なんとかなるだろう。ああ、志望学部だがな」


「あ、はい。商学部です」


「今年で最後。来年からは募集がないそうだから」


「――は?」


 驚くくらい感情のない声で、あっさりとそう言いきられ、大翔は一瞬、何を言われたのか解らなかった。


(え? 募集がない?)


 無くなった。そう把握するまでに、かなり時間がかかった気がする。


 曖昧ながらに、なんとなく想像していたキャンパスライフが、ガラガラと音を立てて崩れていくような気持ちだった。


 なんと言って職員室から出ていったのか、記憶がないままに、大翔は呆然としたまま廊下をトボトボと歩く。肩から鞄がずり落ちて、ほとんど引きずって歩く様は、さながらゾンビのようだった。


(学部が無くなるとかマジ……? そんなことあんの……?)


 ただでさえやる気のなかった進学への気持ちが、一気に萎んでしまう。どうしても、そこに入りたかった訳ではない。従兄弟が通っていて、楽しそうな話を聞いていたから、そこにしようと思っただけだ。


 だが、新しく別の進路を探す気持ちになど、なれる気がしない。


「――終わった……」


 幼馴染みの百地冬羽ももちかずはは理系で進路が違うし、自分でどこか別の大学を探す気力も湧かない。ただでさえ興味の薄かった進学だというのに、道をポッキリと折られてしまったような気持ちになった。


 ハァ。重い溜め息を吐き出して、トボトボと昇降口へと向かう。人気ひとけのない校舎が、より侘しい気持ちを掻き立てた。


(―――あ)


 靴箱の手前に来て、大翔は昇降口にその人物がいるのに気がついた。怒っているようにも見える、少し不機嫌そうな唇。藍川真夏だ。


(まだ残ってたのか……)


 この時間まで残っている生徒は、大抵は部活のせいだが、大翔は真夏が部活に入っているかどうか、気にしたこともないし知らなかった。ただ、偶然遭遇してしまったことに、なんとなく嫌な気分になる。


 大翔は彼を、条件反射で避けようとして、思い止まった。そういえば、担任にノート回収を頼まれている。


「おい藍川」


 大翔の声に、真夏がのそりと顔を上げた。相変わらず無表情のまま、チラリと視線だけをこちらに寄越す。


「お前、ノート提出してないだろ。里ちゃんが怒ってたぞ」


 実際には担任の里中は怒っていたわけではないが、方便というヤツだ。さぞかし、焦ると思いきや、真夏の反応はまるで違うものだった。


「あ? ああ――小さくて気がつかなかったわ。居たの?」


「はっ!? テメエ、ふざけんなよ! 誰が小さいってんだよ! 俺は一七〇あるっての!」


 本当は一六十九センチなのだが、一センチなんて誤差だろう。わざわざ見下して言う真夏に、大翔は思わず歯を剥く。


「で、なんだっけ。ああ、お使い頼まれたんだっけ? 偉いでちゅねー」


 わざわざそんな言葉を言って煽って来る真夏に、大翔の頭がブチンと切れた。


「テメエ、表に出ろーーーっ!!」




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