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十一話 熱の名残




「じゃあ、編集終わったら一回動画共有するから、お前もチェックして」


「ああ」


 玄関口で振り返ってそう言う大翔に、真夏が頷く。大翔はやって来た時に来ていたパーカー姿ではなく、真夏が「持って帰って良い」と言ったサンプルの服を着たままだ。変な服しかないと思っていたサンプル品だが、大翔が着ると何故かすごく良いもののように思えるから不思議だと、真夏は思った。


 真夏はモデルの誘いを何度も受けたことがあるが、本当にモデルに向いているのは、大翔のようなひとなのかもしれないと、なんとなく思う。明るくて、笑顔が魅力的で、どこか目が離せない。そんな彼ならば。


 ドアの向こうに消える大翔の背を、じっと見つめる。なんとなく、振り返るかと思ったが、大翔はそのまま居なくなった。名残惜しい余韻を残して、扉をしばし見つめる。大翔の体温が、まだ空気の中に溶け落ちているような気がした。


 真夏は気を取り直すと、部屋の中へと戻った。静かな空間は、先ほどまで騒がしかった空気とは違っていて、どこか物寂しい。ふと、物置にしていた部屋の中を覗き込む。部屋の中にはまだトレイにのったコーヒーカップが置かれており、そこに大翔がいたという痕跡が残っていた。


(本当に、来たんだな……)


 なんとなく、まだ大翔がこの部屋にやって来たという実感が湧かなかった。唇をそっと指先で触れる。顔を近づけたときに額に触れた、柔らかな前髪。どこか甘く、清潔な匂い。


(柔らかかった……な)


 絶対にキスしてやる。そう意気込んで撮影に臨んだ。下心満載だったから、過剰な接触もしたと思う。大翔は多分、驚いていたが嫌がってはいなかった――。と、思う。勝手な解釈かも知れないが、少なくとも『ビジネス』としてキスをすることには、抵抗がなさそうだった。


 腕の中に捉えた大翔の身体と、唇の感触を思い返す。戸惑って震える身体。キスを深くするにつれ、熱くなる身体。髪から、良い匂いがした。


「――っ」


 思い出して、つい身体が反応してしまう。健全な思春期の男子の反応として、好きな子とキスをしたのだから、正しいと言えるのだが――。


 なんとなく後ろめたい気持ちがありつつ、スエットに手を突っ込んで、自身を握る。何度、想像の中で大翔を汚したか、解らない。その妄想が、よりリアルになって、鮮明になる。


 壁にもたれかかり、先端を愛撫する。キスした時、ピクリと震える頬。愛らしく染まった肌と、潤んだ瞳。僅かな抵抗を封じた時の、高揚。


 もっと深く口づけたい。首筋にキスをして、肌を撫でたい。


「っ、は……」


 荒い呼気が、唇から漏れた。組み敷いたら、どんな反応をするだろうか。軽蔑されるか、蹴り飛ばされるか。


(――後者、だろうな)


 思わず、自嘲気味に笑う。


 きっと、「なにすんだ、変態!」とか言われて、蹴り飛ばされるのだろうと思う。大翔はそういうやつだし、真夏はそういう大翔の、負けん気が強くて元気な部分を気に入っている。


 真夏がよこしまな気持ちでキスをしたと知ったら。こうして自慰のために妄想していると知ったら、どう思うだろうか。元々、さして仲良くない二人だ。きっと軽蔑して、二度と話しかけることなく、この関係が終わるのだろう。


「大翔……っ」


 現実では、真夏のことを嫌って、嫌な顔をする大翔は、真夏の妄想の中では甘く、恋人のように心を許す。偽装恋人の距離が、真夏の妄想を甘やかに補完していく。


『馬鹿。そう言うのは、後で二人の時に言えよっ』


 そう言って、顔を赤くして視線を逸らす大翔を、思い出す。一瞬、演技なんかじゃなく、二人は付き合っているのではないかと、錯覚してしまった。


「っ……!」


 ぐっと瞳を閉じ、真夏は妄想の中で大翔を汚した。解放と同時に、罪悪感がさざ波のように押し寄せる。粘液に濡れた手を見下ろして、ハアと重いため息を吐き出した。


「……くそ」


 誰に呟くでもなく吐き捨てた言葉が、がらんどうの部屋の中に虚しく響き渡った。




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