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第5話

 藤崎を凍結させ確保したあと、和睦商店街には続々と警察車両とホワイトの応援部隊が駆けつけた。現場には規制線が張られ、パニックから解放された人々や野次馬が遠巻きに様子をうかがっている。

 氷漬けとなった藤崎は、そのままホワイトの隊員によって丁重にシートで覆われ運ばれていく。

 団は左腕をきつく押さえながら、荒い息を整えるのに必死だった。

 血を注入された腕からは脈打つような激痛が走り、全身が鉛のようにだるい。藤崎の異能による拒絶反応が、容赦なく体を苛んでいた。

 警察やホワイトの隊員が慌ただしく動き回る喧騒の中、団の傍に右京が歩み寄る。

「……生きてるかい」

「な、なんとか……」

「そう」

 右京はそれだけ告げると、団の負傷した腕にも、その苦痛に歪む顔にも一切視線を留めないまま踵を返す。そのまま、他の隊員たちの間を縫うように去って行ってしまった。

 団は一人取り残され、商店街の騒然とした空気の中で立ち尽くす。痛みと吐き気で思考が鈍る。どうやって基地に戻ろうか。ホワイトの隊員に助けを求めようかとも考えたが、皆一様に忙しそうで、団は声をかけるのもはばかられた。

 ふらつく足取りで商店街を出て、ホワイト基地の方角へと歩き出す。


 なんとか基地までたどり着き、一般用の入口ではなく、教えられたホワイト基地の職員用入口に向かう。慣れない認証機に手間取りながらも地下へと続く無機質な廊下を進むも、痛みは増すばかりで、全身からは脂汗が滲む。

 すれ違う隊員たちは皆、団の怪我を見てはいるようだが、誰も立ち止まって声をかける者はいない。彼らにとっては見慣れた光景だと言わんばかりの無関心さだった。

 団は朦朧としながら廊下を彷徨う。もう限界かもしれないと思った、その時だった。

「でえええ! 団くん!? その腕どうしたの!」

 明るく、しかし驚きと心配の色を多分に含んだ声が響いた。団が痛みに霞む視線を向けると、情報局の時親が目を丸くして立ち尽くしていた。他の隊員とはまるで違う、心底心配そうな表情だ。

「時親さん……っ……」

 団が名を呼んだ瞬間、緊張の糸が切れたように全身の力が抜けた。時親は慌てて団の体に駆け寄り、肩を支える。

「ちょ、しっかり! 大丈夫!? 早く医務室行こう!」

 時親は団の腕を丁寧に確認し、その顔色を見てすぐに事態の深刻さを悟ったようだ。他の隊員たちの無関心とは裏腹に、時親は親切に医務室の方へと促し始める。

 団は時親の温かい手に支えられながら、朦朧とする意識の中で、ようやく人心地ついたような安堵と共に感謝を伝えた。

「……すみません、ありがとうございます」

「いいからいいから! 大丈夫だよ、すぐそこだからね。一人でここまで来たの? 無茶するなあ、もう」

 時親の明るく、弾むような声と、彼が示す医務室の方向へ、団は意識を失いそうになりながらも足を進めた。



 冷たい空気の地下廊下を少し進んだ突き当りに、『Medical Hub』とシンプルなプレートを掲げた扉が見える。

「紗月さーん、いる?」

 時親が扉を開く。部屋の中は、外の無機質な廊下とは打って変わり、清潔で落ち着いた雰囲気に満ちていた。

 白い壁、整然と並べられた書類や機器、消毒液の匂い。カーテンの向こうはベッドが並んでいることが安易に想像つき、学校の保健室を思い出した団は少し安心感を覚えた。

「要? 珍しいな、お前が来るなんて……」

 その奥から、一人の女性が顔を覗かせた。肩まで伸びた薄い茶髪をひとつに束ね、白衣を身にまとった女性は、ひと目で医療関係者だとわかる位で立ちだ。

「俺じゃなくて、この子。団くんが怪我しちゃってるんだよ」

「……団……あぁ、例の新人か」

「そうそう、新人君。団くん、この人はかずら 紗月さつきさん」

「あ、えっと、団です。お願いします」

 紗月と呼ばれた女性は団の傍によると、椅子を指さし座るよう促す。時親に支えられたまま、団は椅子へと腰を下ろした。

「どれ……あー、酷いな」

 紗月は団の顔色と、力なく垂れ下がった左腕を見るなり、すぐに事態を把握したようだった。

「紗月さん、お願いしますね! 僕はちょっと報告だけ済ませてきます!」

 時親は団に「あ、手当終わっても待っててね」と言い残し、医務室から出て行く。

 紗月は、棚から救急箱を取り出すと、テキパキと手当の準備を始めた。傷口周辺の服を丁寧に払い除け、消毒液を含ませたガーゼで団の腕を拭う。

 ひんやりとした感触の後、じん、と傷口に染み込む痛みを感じた。団は思わず息を呑む。

 紗月はそんな団の様子に気づき、眉を少し下げた。

「痛むか?」

「うー、はい、結構……」

「そうか、でもこればかりは仕方ない……で、これはどんな異能にやられた?」

「あ、えっと……藤崎っていう異能犯罪者で……」

「あぁ、血液操作の……なるほど」

 彼女はそう言いながら、団の左腕にそっと手をかざした。その途端、ほわりと温かい光が放たれる。白くて淡い光が、やがて団の左腕を包み込むにつれて、ズキズキとした、内側から何かが這いずるような痛みが団を襲った。

 団は思わず歯を食いしばり「ぐう」とくぐもった唸り声をあげる。

「すまんが我慢してくれ。――まずは、異能による副作用を取り除かなければ」

 焼けるような不快感、体のだるさ、込み上げる吐き気。その光に触れている箇所から、それらが奇妙な熱を伴って吸い出されていくような、あるいは中和されて溶けていくような感覚が走る。

 やがて激しく裂けた傷口が、細い糸が伸びて紡がれるように、みるみるうちに塞がっていくのが見えた。痛みの中でも、団はその驚異的な光景から目が離せなかった。

 数分後、光が収まった。傷口は完全に塞がり血は止まっている。しかし、皮膚にはまだ赤く生々しい痕が残っていた。

「よし、これで大丈夫。表面は閉じた」

 紗月は額に滲んだ汗をそっと拭い、団に安堵の微笑みを向けた。

「ひとまずこれで様子を見よう。これ以上悪化することはないが、念の為言うけれどこれはあくまで応急処置。無理に組織を修復させただけで、完全に治ってないからな」

 紗月は団の腕を優しく撫でながら、念を押すように告げる。

「しばらくは安静にしてて」

 その言葉を聞きながら、団は改めて自分の腕を見つめた。ついさっきまで酷い痛みに苛まれていた左腕の傷。跡は残っているものの、完全に塞がっているのだ。

「凄い……」

 感嘆の声が漏れる。紗月は団の素直な反応に、少しだけ困ったように微笑んだ。

「治癒エネルギーに特化したアストラルギーを、お前に流し込んだんだ。その力で組織の再生を一時的に活性化させて、強引に傷口を閉じたってわけさ」

 紗月は医療器具を手際よく片付けながら、団に語りかける。

「ところで君は、アストラルギーについてどれくらい知っている?」

「えっ、アストラルギーについて……ですか?」

 紗月の予期せぬ質問に、団は目を瞬かせた。正直なところ、授業で習うような一般的な知識しか持ち合わせていなかったのだ。

「えっと、アストラルギーっていうエネルギーを触媒にして異能が発現する……くらいしか」

 団の正直な答えに、紗月はふむ、と頷いた。

「ああ、その通り。異能の発現にはアストラルギーが触媒として必要不可欠になる。……だが、アストラルギーはただの触媒というだけじゃなくて、多様な性質を持つ本当に不思議で多様なエネルギーなんだ」

 そう前置きし、彼女は続ける。

「どうして発生したのか――その根源はまだ謎に包まれていて、ホワイトの研究開発局でも日々解明しようとしてるんだけどね。まあ、謎ばかりだけど」

 彼女はそこで少し間を置き、団に微笑みかけた。

「その発現の仕方は能力者によって、本当に千差万別でね。色んな可能性がある。私の異能も、アストラルギーの持つ『治癒』に特化したものを体内に溜め込んで、こうして利用しているというわけ」

 なるほど、と呟く団に、くすりと肩を竦め、紗月は団を見つめた。

「ま、とにかく無茶ばかりしないように気を付けてね」

 その時、医務室の外から時親の声が聞こえた。

「紗月さーん、団くん!」

 間もなく、扉が開いて、笑顔の時親が顔を覗かせる。報告を終えたのだろう。

「紗月さん、手当ありがとうございます! 団くん、もう大丈夫そうかな?」

 団は頷く。まだ体のだるさは残るが、腕の激痛は消え、意識もはっきりとしていた。

「はい! ……紗月さんの異能、凄かったです!」

「はっはっは、紗月さんのは異能の中でも珍しい部類だからね!」

 要は満面の笑みだ。紗月は呆れたようにため息を着き、「ほら、もう終わったんだから出てった出てった」と背中を押しやられてしまった。



 二人して医務室を出ると、要が改めて団のほうを振り返った。

「まだホワイトの内部、ちゃんと見てないよね? 案内してあげるよ!」

「えっ、いいんですか?」

「もちろん!」

 団はありがたくその申し出を受け入れた。基地はかなり広く、一人で見て回るには迷子になる自信があったからだ。

 二人は再び、冷たい空気の漂う地下廊下を進む。要は慣れた足取りで曲がりくねった通路を進み、団はその後を追った。歩きながら、要がふと口を開く。

「ホワイトが元々、異能の研究機関だったのは知ってる?」

「はい! 各国に研究施設が建てられて、異能とアストラルギーの研究が進められてたって習いました」

 団が頷くと、要は嬉しそうに言葉を継いだ。

「そうそう! でも、異能を悪用する人が増えたことで、だんだん今の組織体系に変わっていった感じかな。もちろん、今でも研究開発局はホワイトの心臓部なんだけどね」

 要はそう言って足を止め、笑顔で団を振り返った。二人の前には、他の区画とは違った雰囲気を放つ、重厚な二重扉が構えている。厳重なセキュリティが設けられていることが一目で分かった。

 要が認証パネルにIDカードをかざす。

「さあ、ここがホワイトの頭脳。アストラルギー研究・技術開発局だよ!」

 認証が通ると、扉は重々しい音を立ててゆっくりと開いていく。団は要に促されるまま、その中へと足を踏み入れた。むわっとした熱気に包まれる。無数のモニターが光り、奇妙な形の機械が所狭しと並び、あちこちで装置が唸り声をあげて稼働している。

 白衣の研究者たちが慌ただしく動き回り、薬品やオイルの匂いが充満する室内は、まさに化学と技術が渦巻くカオスそのものだった。

「お〜やおやおやおやぁ!? まさかまさか、新人さんじゃありませんかぁ〜?」

 機械音に混じって、やけにテンションの高い声が響いた。現れたのは、どこか狸を思わせる風貌の男だった。目の下には深い隈が広がり、白衣の裾からはふさふさの尻尾が覗いている。

 ……狸だ。狸がいる。どう見ても、変化の途中で止まったような男だった。そんな男に、要が手を振る。

「狸さん! お疲れ様でーす!」

 やっぱり狸だ! と団は目を見開いた。

「団くん、紹介するね。この人は狸さん。異界出身なんだ」

 そう聞いて、団は改めて目の前の狸をまじまじと見つめた。異界出身者自体は珍しくはないが、この顔色はさすがに心配になる。一体何日寝ていないのだろうか。

 要が続けて団の紹介を行う。

「この子は真田団くん。数日前にホワイトに入隊した新人くんです」

「真田くんだね、よぉうこそ、ホワイトへ。ここは素晴らしい発明を生み出す最前線であり、世界中の知識と技術が集う、魂燃える労働の場なのだよ! むっふふ、働くって、楽しいんだよぉお!」

 興奮したようにまくしたてる狸の目には、狂気じみた労働意欲だけが宿っていた。

「だ、大丈夫なんですか、この人……」

 思わず団が要に小声で問うと、要は肩をすくめて苦笑する。

「あはは……狸さんは研究に没頭しすぎて、ちょっと頭のネジが緩んでるっていうか……まぁ、ホワイトって常に人手不足だから、残業も仕方ないっていうか……」

 濁しているようで濁せていない言い方だった。団も苦笑する。

「あ、でも狸さんの異能、すごいんだよ! 『ぽんぽこぽん』って唱えると、物質の見た目を変えられる異能なんだけどね、それを利用して内部構造を可視化できるから、ここでは重宝されてるんだ」

「……ぽんぽこぽん……」

 聞けば聞くほど狸である。そんな狸が、ぽん、と手を叩いた。

「そうだ、真田くん! ちょうどいいから、これを試して感想聞かせてくれないかね?」

 勢いに押されて団の手に渡されたのは、金属製の手錠のような装置だった。だが、ただの手錠とは違い、複雑な構造をしていて、どこか物々しい雰囲気をまとっている。

「これは今、試験運用中の対異能者用拘束具なんだ。これがまたなかなかの出来でね! 異能自体を鎮静化させる効果があるのさ」

 そう言うと狸は再びガシャガシャと機械をいじり始め、説明を打ち切ってしまった。

 団は手元の拘束具を見下ろし、何とも言えない気持ちになる。そんな団に、要はくす、と笑う。

「貰っときな、団君。狸さんの試作品ってことはたぶん仕掛けとかもすごいと思うし、役立つと思うよ」

 そう促され、団はこくりと頷いた。

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