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第4話

 「というわけで、真田団は正式にホワイト入隊の運びとなりました」

 犬飼が告げると、ホログラムのヘルマンは穏やかに頷いた。

 未成年である団に関する両親の承諾書、そのほか事務的な手続き書類が、犬飼の机上に山積みになっている。ヘルマンはそれを労ったあと、「しかし驚いたねぇ」と零す。

「まさか、右京くんの合格が出るとは」

 最初に「右京に任せよう」と言い出したのはどこの誰だ。犬飼はそう思ったが、当然口には出さない。ヘルマンは楽しげに笑っているが、犬飼の表情は一向に緩まなかった。

「それで、どうするつもりだい? 彼の教育係」

「その事ですが、身体能力や強さを考慮すると、うちには右京くらいしか……」

「ああ、確かにそうだね……」

 ホワイトには、様々な部署があり、数多くの隊員が所属している。中には異能も持たない者も居るが、特殊事案対策局に異能のない者が所属するのは、団が初めてのことだ。

 基本的に新人はベテランと組む。だが、万が一に突破できる様な人材となると、限られてくるのだ。

「じゃあしばらくは右京君と良いバディになってもらおうか。なんてったってエースだからね」

 厳密に言えば、特局には右京を含め三人の『エース』がいる。しかし、残り二人に関しては、今は論外だ。馬鹿二人の顔が犬飼の脳裏にチラつき、払拭するように頭を振った。

「致し方ありませんね。先行きは不安ですが」

 犬飼は深いため息をつく。それにヘルマンも肩をすくめて同意はするが、「人手不足だからね……まぁ、右京君なら色々と上手くやってくれるよ」と今回も呑気に構えていた。

「……団君は、即戦力になりそうかい?」

「…………彼には……少し、危うさを感じます」

 ヘルマンの問いに、犬飼は目線を落とした。

「あの行きすぎなくらいの正義感。……一体、何が彼をそこまで駆り立てるのか……」

 犬飼の声に陰りが差す。

「……『リカルド』のように、いつか正義を履き違え、取り返しのつかないことになるのではないかと」

 その名が出た瞬間、ヘルマンの顔からも笑みが消えた。ホログラム越しでさえ、彼の中に沈んでいく過去が、ありありと伝わってくる。

 短い沈黙を挟み、ヘルマンは静かに言った。

「……そうだね。慎重に、見ていこう。そのためにスカウトしたのだから――」

 一呼吸置き、ヘルマンはわずかに自嘲気味な笑みを浮かべる。

「忘れてはいけないよ、犬飼くん。……私たちホワイトは、断じて、ヒーローではないという事を」

 その言葉は、まるで自らへの戒めのように響いていた。

 ヒーローではない。その言葉の重みを深く胸に刻みながら、犬飼は静かに頭を垂れた。



 ホワイトの制服に袖を通した団は、タブレットを手に慣れない手つきで操作していた。

 支給された備品の数々にもまだ馴染めず、所作もぎこちない。

 しかし、胸の高鳴りは隠せなかった。団にとって今日は、ホワイトでの初任務の日だ。

 タブレットには、今回のターゲットである異能犯罪者――『藤崎』のデータが映し出されている。

 彼の異能は、血液を刃物のように固化させ、それを自在に操るというものだった。だが厄介なのは、その異能だけではない。

「厄介だよなー、この藤崎の異能……っていうか、手口?」

 団は、数メートル離れた壁にもたれかかっている右京に向かって、熱心にタブレットの情報を読み上げる。

 問題は、その能力と、藤崎が何度もホワイトや警察の追跡から逃げ切っているという点だった。

「ただ血液を操るだけじゃなくて、自分の血液を追いかけてくる相手に強制的に注入する。それが、不適合輸血反応に似た拒絶反応を引き起こして、強い痛みとか倦怠感、最悪死に至る可能性もある……この異能で毎回、追い詰めたヤツらを嘲笑うように逃げていくんだって。幸いまだ死者が出てないのが唯一の救いってとこかな」

 団の解説にもかかわらず、右京は一切興味を示さない。壁にもたれたまま視線を向けず、欠伸すら隠そうとしなかった。

 ――この二人、本当に大丈夫だろうか。

 二人の様子を見ていた犬飼は、早くも胃がキリキリと痛み出すのを感じていた。

 右京は根本的に、他者という存在に興味がない。団の潜在能力を高く評価したのは事実だが、それは個人の人間性に関心があるということとは全く別だ。

 ヘルマンが期待するような「良いバディ」の関係には、どうにも程遠いように思える。

 とはいえ、団自身は右京の反応をさほど気にしている様子もなく、タブレットの操作に戻った。

「――あ、」

 ピコン、とタブレットに通知が光ると同時、けたたましくサイレンが響く。

『緊急連絡、緊急連絡――全隊員は直ちに状況を確認してください。和睦商店街にて、逃走中の異能犯罪者である藤崎を確認。繰り返す、和睦商店街にて……』

「……行ってきます!」

 既に右京の姿は無い。団は律儀に犬飼へ一礼すると、駆けるように現場へと向かった。



 けたたましいサイレンの音を背に、団と右京は和睦商店街へと駆けつけた。昼間の賑わいは消え失せ、人々はパニックに陥って路地裏や店のシャッターの陰に身を隠している。

 血の、鉄錆びたような匂いが、団の鼻を突いた。

 商店街の中央、アーケードの真下で男が一人、怯える女性の首に腕を回し、もう片方の手から歪な形をした血の刃を突き出している。藤崎だ。

 藤崎は団と右京の隊服姿を見ると、その顔を明確に強ばらせた。

「お、お前ら、ホワイトだな!? こっ、これ以上近づけば、この女を殺すッ!」

 藤崎の恫喝に、女性は恐怖で顔を青ざめ、涙を浮かべている。団は悔しげに奥歯を噛み締めた。人質がいる。犯罪の中でも厄介な状況の一つだ。迂闊に踏み込めない。

 藤崎の血を操る異能は、距離を取っての攻撃が主体であり、遠距離でも十分攻撃力が高い。一方、団は基本的に身体一つで戦うために、懐に入り込まなければまともな打撃を与えられない。だが、この状況では難しい。

「……おっさん、人質を離せ!」

 団が声を張り上げ、藤崎の注意を自分に向けようとする。藤崎はギラついた目で団を見つめた。

 その時、団の視界の端で、少し離れて様子を見ていた右京が、かすかに指先を動かしたのが見えた。本当に一瞬、気付いた者はいまい。

 藤崎が団を威嚇しながら人質ごと後ずさりしようとした、その瞬間だった。

「ぐっ!?」

 藤崎の足が妙な引っ掛かりを感じたように後ろにつんのめる。驚いてバランスを崩した一瞬、腕に回していた女性の体がわずかに自由になった。女性は藤崎の腕から身を捩ってするりと抜け出し、悲鳴を上げながら一目散に駆け出す。

「ぐっ、くそ、逃がすか!」

 藤崎が体勢を立て直し、血の刃を女性に向けようとする。だが、その素早い動きよりも早く、横から伸びた右京の手が女性の肩を掴んだ。

「あ、ありがとうございますっ!」

 女性は安堵と感謝の表情で右京を見上げた。しかし、右京は彼女の顔も見ず、「邪魔だよ」とそれだけ言い放つと、女性を安全な場所へと軽く押しやり、右京は踵を返して団の元へと戻る。

 右京の視線は既に、人質を失って激昂する藤崎に向けられていた。

「クソ、クソ! テメェらァアアア!!」

 人質という盾を失った藤崎に対し、団は待ってましたとばかりに猛攻を開始した。商店街を駆け回り、藤崎の血の刃をギリギリでかわしながら距離を詰める。ここには障害物も多い。団はそれらを利用しながら、間合いを詰めていく。

 藤崎もまた、地面に張り付いて動きを鈍らせていたらしい靴を、苛立たしげに引き剥がして脱ぎ捨て素足になった。自身の肉体を傷つけながら血の刃を生成し、怒りのままに団へと浴びせかける。

 激しい攻防が続いた。藤崎は大量の血を操り続けたが、流石に自身の血液を多量に消費したのか、ふと動きが鈍り、僅かにふらつきを見せた。

「くそっ……!」

 藤崎はそう吐き捨てると、商店街の並びにある店の壁の陰へと滑り込む。団は追撃しようとしたが、相手が隠れたことで攻撃の糸口が見えなくなり、一旦足を止めた。

 息を整えながら、藤崎が次にどう出るか警戒する。その時、ふと右京が傍によった。

「ねえ君、恩着せがましく言うつもりもないけど、本当に偶然、あんないいタイミングで風が吹いたと思ってるの? ソイツが転んだことも、ただツイてるとでも?」

「風……?」

 団の脳裏に、砂の異能者と戦った廃工場街での出来事が鮮明にフラッシュバックする。あの時、砂嵐の中で苦し紛れに編み出した反撃の糸口――たしかに、偶然にしては出来すぎたタイミングで風が吹いた。

 そして今、藤崎が転んだこと。脱ぎ捨てられた靴をよく見ると、わずかに凍り付いているのが見える。

 これら全てが、あのさりげない指先の動き一つで、右京が仕組んだことだとしたら。もし、今の右京のサポートがなければ、まだ人質は藤崎の腕の中に捕まったまま、自分は何も出来ずにいただろう。

 右京の言葉に意識が向かい、それに思い至ったほんの一瞬、団の集中が僅かに逸れた。その刹那の隙を、藤崎は見逃さなかった。

「死ねええ!」

 物陰から、予期せぬ角度で血の刃が猛スピードで突き出される。藤崎の奇襲だ。凝縮された血の刃が、団の左腕に深く突き刺さる。

「ぐっ…ぁ…!」

 焼けるような痛みと共に、熱い異物を注入された不快感、猛烈な拒絶反応が全身を襲う。視界がぐらつき、団の体がふらついた。藤崎は勝利を確信した笑みを浮かべた。

 だが、その時だった。

 団の苦悶を意に介さず、横目でそれを見た右京が、冷静に右手を掲げた。その手から、微かな光を帯びた氷のつぶてがぱきぱきと音を立てて拡散する。

「――終わりだよ」

 右京の呟きと共に、藤崎の体を覆う血の刃が硬直しはじめた。凍り付くような寒気が周囲を支配し、驚くまもなく藤崎の全身をその場で完全に凍結させてしまう。

 彼は血の刃ごと、氷の塊と化して立ち尽くした。団は左腕を押さえながら、白い息を吐きだした。

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