目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第9話

 白いバンの車内には、エンジンの低く唸る音と、アスファルトをなぞる振動が微かに響いていた。運転席の男は黙々とハンドルを握り、助手席は空いている。

 後部座席には、団と右京、さらにその後ろに和日と善が並ぶ。

 車内に固定されたタブレットには、通信機越しの時親要の顔が映し出されていた。やや緩めの笑みを浮かべながらも、その声は淡々としている。

「今回のターゲットはね、高速移動の異能を持った男だよ。これまで幾度となく逃げ続けてきたけど……今回は潜伏情報が入って、任務に繋がったってわけ」

 映像が切り替わり、黒いフードの男が画面内を駆け抜ける映像が再生される。フレームの合間で姿が消え、また別の位置に現れる――まるで瞬間移動のような挙動だ。

 団は画面を食い入るように見つめていた。左腕にはまだ鈍い痛みが残っていて、無意識に肩を縮こまらせている。

 要の声が続く。

「拘束移動っていうか、テレポートに近いかな、一瞬姿を消して、次の瞬間には別の場所に移動してる……逃げ足も速い。かなり厄介だよ」

「……あれ」

 団が小さく呟く。画面の中で、男が消える前、わずかに体が沈み、次の瞬間には膝を伸ばした姿勢で現れている。本当にこの男の異能は高速移動なのか。

 思考を巡らせる団の集中を、バリッ――と、何かを破る音が引き裂いた。

「余裕だな、速いだけの雑魚だろ」

 善が和日のスナック菓子の袋を横取りし、ぶっきらぼうに言い放つ。慣れた手つきで中身をつまんでいるあたり、常習犯だ。

「ねえ、どんな速さ? ウサギさんくらい?」

 和日はまったく気にした様子もなく、新しいお菓子の封を切りながら楽しそうに言う。

「ウサギだァ? 本気で脳みそガキのまんまだな、お前」

「止まってないし! 十七歳!」

「え、十七!?」

 団が思わず声を上げると、善が鼻で笑った。

「俺も十七。何か文句あんのか」

「いや、ないです……なんか……意外で……」

 歳上だと言うことに驚きを隠せない団。そのやり取りに、右京がついに堪えきれず、大きく一つ息を吐いた。

「……うるさい」

 彼が指をひと振りすると、すぐさま二人の口元に薄く氷が張りつく。

「んぐっ!?」

「むぉごごっ!」

 唇を押さえて身をよじる善と和日。右京は一切視線を向けることなく、静かにタブレットへと目を戻す。

 団はその様子を見て、無意識に眉を下げた。

 ――……このメンツで、本当にやれるのか……? 不安は否めない。でも――。

 要の声が再び、通信越しに響いた。

「いい? 何度も言うけど――『四人で』力を合わせて、捕まえること。それが絶対。いいね?」

 通信が途切れ、画面が暗転する。車内に、さっきまでの騒がしさが嘘のような静けさが戻る。全員で協力して異能犯罪者を確保するという、ホワイトからの明確な任務。

 団は小さく息を吸い、ぎゅっと拳を握った。異能がなくても、自分にできることはある。



 バンは郊外の倉庫街に到着した。工場跡地や空きビルが立ち並ぶ、人気のない場所だ。灰色のコンクリートが広がる無機質な街並みに、時折、鉄パイプの軋む音が風に乗って聞こえる。

 団はタブレットに表示された情報をもとに、周辺の地図を確認していた。監視カメラの位置、犯人の目撃情報、そして逃走経路の候補。全てを頭の中で整理しようと努める。

「ここだな。最後に姿が確認されたのは、この路地の突き当たり……」

 独りごとのように呟いた団に、善が鼻で笑った。

「チマチマ探すより、上から潰せば終わりだろ」

 その言葉に、右京の足がぴたりと止まった。

「建物の大きな破壊は禁止だ。聞いていなかったか?」

 低く、氷のような声だった。団は思わず肩をすくめる。

「『大きく』ってことは、ちょっとなら潰してもセーフだろ。どうせ捕まえりゃいいんだし」

 善が肩をすくめて言い返す。右京の眉が僅かに動く。

「その『ちょっと』が信用ならないんだ」

 そこに、和日が明るく手を挙げた。

「見つけたら伊之瀬が足を食べるね! ぱくって!」

 団は反射的に和日に目を向けた。

「……え、足を……?」

「ぱくって!」

 右京がため息をつく。

「論外だ。生きての拘束が任務だし、倫理的にもアウト。まったく、君の発想は原始人並だね」

「ちょっとくらいならいいじゃん。悪い人なんだからさ」

「君の『ちょっと』もだめだ。加減を知らないだろう」

 呆れ混じりに言い返す右京の声に、団は密かに胸を押さえた。

 想像以上に、足並みが揃っていない。和日は明るく楽しげ、善は独断専行、右京は合理性優先。そして自分は……。

 ――まとまる気配は、ゼロだ。

「俺が凍らせれば一瞬で終わる。被害も出ないよ」

 淡々と告げる右京に、団は思わず声を上げる。

「で、でも……要さんは『四人で』って……!」

 口にしてから、言葉の軽さが胸に刺さった。こんな反論で、この状況を変えられるはずがない。案の定、右京の瞳が冷たく細められた。

「真田。君、左腕はどうなんだい?」

「えっ、あ……えっと、まだ完治はしてない、けど……!」

 団は慌てて返す。が、右京はわずかに目を細めて言った。

「そう。なら、無理に協力する必要もない。最短で終わらせる方が重要だよ」

 右京は正論を淡々と口にした。そこに嘲りや感情はなかった。それが逆に、団の胸を締めつけ、思考が記憶の底へとゆっくり沈んでいく。

 砂嵐の中、風向きが変わって生まれた、奇跡のような隙。敵がよろめき、人質が逃げ出せた一瞬の隙。それらが全部、右京が仕組んだことだったと知った時の恥ずかしさ。

「……っ」

 団は思わず顔を伏せた。悔しさと、胸を締めつけるような感情。

 自分が活路を見出したと思い込んでいた偶然が、すべて右京の計算のうちだった。情けなさが喉にこみ上げてくる。その恥ずかしさで意識がそれた瞬間に左腕に走ったあの時の痛み。

 団はちらりと三人を見る。

 善は黙って足元の小石を蹴飛ばしていたが、肩に入った力が「さっさと動きてぇ」という本音を物語っていた。

 和日は草むらに座り込み、口の中で何かをもぐもぐと咀嚼している。よく見ると草をブチブチと引きちぎり食べているようだ。彼女は緊張感などどこ吹く風だ。

 団は静かに顔を上げた。少しだけ手が震えていたが、目の奥には、さっきより確かに強い光が宿っていた。それでも。それでも、今回こそは。

 作られた偶然ではなく、自分の目と頭と判断で、仲間の力をつなぎ合わせて、本当の意味で、ホワイトの一員として。



「来たね」

 監視ドローンからの映像を見ていた右京が、タブレットを睨みつけながら呟いた。

 現れたのは黒いフードを目深にかぶった男。細身の体を覆うコートが、風を裂くたびに翻る。次の瞬間、男の姿が視界から掻き消えた。

「速……っ!」

 団が思わず声を上げる。その間に、男は複雑な路地をすり抜け、猛スピードで街を駆けていく。

「右京!」

 善が叫んだ。右京の手から冷気が解き放たれ、通路の先に一瞬で氷の壁が立ち上がる。しかし、その直前で男は跳躍。電柱を蹴って軌道を変え、氷の防壁を紙一重で回避した。

「ちっ……」

 右京が舌打ちする。冷気の余波が周囲の空気を震わせ、白く霧がかった。

「ハッ、だから言っただろ? 一気に上から潰しゃ終わりなんだよ」

 善が呆れたように笑った。

「こんなチマチマ凍らせてる間に、逃げられるっつーの」

「うるさいな。『生け捕り』って言われてるんだ。お前じゃ力加減もできないだろ」

 右京が冷たく返す。

「んだとコラ……!」

 張り詰める空気。だがその時――

「……やっぱり。着地のたびに、あいつ、動きが一瞬止まってる……」

 ぽつりと漏れた団の声に、全員の視線が集まった。

 団は目を見開き、目の前の男が駆ける姿を見つめていた。犯人の跳躍、移動、旋回――そして、必ず発生する「着地」の瞬間。

「あれは瞬間移動じゃない」

 団の脳内で、思考が急激に回転する。男の素早さは確かに並外れたものだが、それはあくまで一瞬の移動に過ぎない。

 速さの秘訣は、高速移動でも瞬間移動でもなく、驚異的な脚力と反射神経を駆使した跳躍移動だった。

「着地のタイミングで……うん……これなら行ける」

 団の脳内で、ピースがはまる音がする。速さだけなら対応できない。しかし着地場所が分かっていて、そこを潰せれば。

「和日さん、あの着地するコンクリートも食べれますか!? 足元を崩せば、奴もバランスを崩す。そこを右京が狙えば……!」

 急に話しかけられた和日は目を丸くし、「えっ?」と驚きの声を漏らす。

「善さんは重力で軌道を誘導してください! 着地点をこっちでコントロールできれば、必ず捕まえられます!」

 右京が団を見つめる。いつものような冷ややかな目ではなかった。一瞬の静寂が流れる。

 その沈黙を、和日が先に破った。

「良いじゃん良いじゃん! 団くんすごいな! うん、できるよ、それ!」

 善も鼻を鳴らして口角を上げた。

「はッ……確かに、やるなお前」

「……うん、悪くはないね」

 右京が静かに団を見る。

「……真田、タイミングは君に任せたよ」

 団は一瞬、言葉を失った。

 ――……俺の提案を、受け入れてくれた……。

 胸が熱くなる。それは初めて、自分の意志と観察が、仲間の行動を動かしたという証だった。

「……ああ! 任せろ!」



 屋上を駆ける足音が、倉庫街に反響する。

 善は躊躇なく壁を蹴って飛び上がり、犯人の視界にその姿を晒した。身軽な体が太陽を背負って宙を舞う。

「おい、クソ野郎! 待て!」

 その声に反応し、犯人の動きが鋭く跳ねた。視線を向けた瞬間、再び地面を蹴って逃走を図る。

 団は息をのんで、眼前の逃走劇を追いかけた。犯人は善に捕まらんと、一直線に路地を駆けるが、重力操作によるわずかな空間の歪みが、動きに微細な変化をもたらしていた。誘導するように、善はタイミングを見計らって建物から建物へと飛び移る。

 団の脳内に描いた「ルート」に、着実に追い込まれている。

「……今です、和日さん!」

「りょーかいっ!」

 和日が大きく足を踏み込んだ。次の瞬間、和日は口を開けてて地面にかぶりつく。コンクリートが、まるで麺類のようにその口に吸い込まれていく。

「っ――!?」

 犯人が跳躍し、まさにその足を下ろそうとした瞬間。そこにあったはずの着地点が、突如として消えていた。

 バランスを崩した犯人の体が、大きく揺れる。団は迷わず叫んだ。

「右京、今ッ!」

「……ああ」

 冷気が爆ぜた。右京の手から放たれた氷の魔弾が、足元から鋭く伸び上がる。割れるような音とともに、地面が氷の杭に変わり、犯人の両足、腰、肩……全身を瞬時に凍結させて縫い止めた。

「ぐっ……! くそ、動け……!」

 抵抗の声は虚しく、氷の束縛から逃れる術はなかった。氷のきしむ音だけが響く。

 善が地面に降り立ち、凍りついた犯人に向かって歩み寄る。表情は険しく、だがどこか冷めた目で見下ろして言った。

「逃げ足だけの雑魚が、調子に乗ってんじゃねぇよ」

「わーい、捕まえたー! チームプレイだー!」

 和日が両手を上げてぴょんと跳ねる。右京は周囲の氷を一つずつ安定化させながら、ふうと息をついた。

 団はその光景を見ながら、ようやく肩から力が抜けるのを感じた。

「……良かった、上手くいった……!」

 小さくつぶやいたその声には、ほんの少し震えが混じっていた。安心と達成感が混ざった、誇らしい息だった。

 その肩に、静かに近づく気配。

 隣に立った右京が、いつもよりほんの少しだけ柔らかい目で団を見下ろす。

「……真田、今回は君の力だ」

 団は、はっとして右京を見上げた。驚いた顔のまま、ほんのわずかに笑みを浮かべる。

「……ありがとう……でも、三人が居たから捕まえられました」

 夜風が吹き抜ける。かすかに残った冷気の白が、闇に溶けて消えた。



 バンの中。任務を終え、帰路についた車内は、先ほどまでの緊張感が嘘のように緩んでいた。

 後部座席では、犯人を拘束するための特殊拘束具が静かに光を放ち、氷ごと拘束された男の身じろぎひとつ許さぬよう制御している。だが、それ以外の空気は穏やかだった。

 和日は運転席側の窓に頬をくっつけ、ニコニコと上機嫌に揺れている。

「協力って楽しいー! ね、善!」

 隣の善は、団へと視線を移しながらふっと鼻で笑う。

「……ああ。新人にしちゃ肝が座ってんな、お前。異能無しって言うけど、やるじゃねぇか」

「えっ……そ、そうですか?」

 団はぽかんとしながら、思わず身を引いた。照れ臭さが頬を染める。

「うんうん! 今日、初めてスマートに終われた気がするもん」

 和日はいつもの調子で手をぶんぶん振りながら、前の席に座る団の背中をバンバン叩いた。

「右京もそう思うよね?」

 和日に呼ばれ、窓の外の流れる景色を見つめていた右京は、ぼそりと漏らした。

「協力なんて非効率だと思ってたけど……まあ、今回は悪くなかった。君の観察力も含めてね」

 団を見ずにそう言うその声は、わずかに温度を帯びていた。

 団は驚いて顔を向ける。

「……ありがとう」

 言葉が自然に口をついた。右京は返事をせず、ただ一言、背中越しに告げた。

「次は……君の左腕が完全に治ってからだ。万全の状態でやるべきだろう?」

 団は目を見開いた。しばらくの沈黙ののち、ぎこちなく、だがしっかりと頷く。

「……次はもっと、上手くやる」

 団の中で、ホワイトとしての覚悟が強まった一日だった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?