あれから奏は部屋に籠ってしまい、僕らは渋々帰ることにした。
本当はあんな風に悲しませるつもりはなかったんだ。でもあれが僕の本音だった。
僕と同じような境遇で育った奏に対して、僕は仲間意識のようなものを抱いていた。
だから奏は友達よりも深い位置に居て、だけど決して恋人とかにはならない。
僕にとっては妹みたいだけど妹じゃない。そんな相手だったんだ。
対して俺の初恋相手の女の子は――
「後悔してますか? 奏ちゃんの告白を断ったこと」
「そういう後悔はないかな。ただ、あんな風に泣かれるとちょっとね……」
彼女はいつも僕が折れそうな時、声を掛けてくれた。
それはいつも偶然だったのかもしれない。
でも確かに折れそうな脆い心を支えてもらった。
子供の頃、二人で巻き込まれた事件にしてもそうだ。
きっと隣に彼女がいなかったら、僕は今頃ここにいない。
とっくに命を投げ捨てていたと思う。
しかも自分ではそれが正しいと思って。
だから今ここに僕がいるのは、初恋の相手――姫柊姫と出会ったおかげ。
小学校に入って彼女と関わるようになって、僕は明確に変わったんだ。
「ところで緋色君。話は変わりますが」
「な、何かな?」
隣を歩く姫の横顔を見ていた僕は、慌てて彼女から視線を逸らす。
恋人同士なんだから焦る必要はなかったけど、考えていた内容の所為で妙に気恥ずかしかったんだ。だけど僕のその気持ちを知らない姫は、あっさりと雰囲気をぶち壊す。
「さっき奏ちゃんに話してた。緋色君の初恋の女の子って誰ですか?」
「はい?」
あんまりにもな質問で思わず声が出た。
え? もしかして姫、気づいてないの?
僕の初恋の相手が姫自身だって。
てっきりもう姫にはもうバレてるものかと。
「この件も奏ちゃんの件同様。彼女の私には知る権利があると思うんです」
何も気づいていない姫が、グイグイ尋ねてくる。
よっぽど僕の初恋相手が気になるみたいだ。
まさか姫本人も思わないだろうね。
その質問の答えが自分だなんて。
「ぼ、僕の初恋相手は……」
言い掛けて僕の声が止まる。
改めて言うとなると、なんでこんなに恥ずかしいんだろう。
さっきは奏に対して、視線誘導でなんとか示せてたのに。
姫相手にはそれすら使えない。となると――
夕暮れで赤く――僕の名前みたいな緋色に染まった空。
その下で僕はピタリと足を止める。
それに釣られて姫の足も止まった。
「どうしたんですか? まさか逃げるつもり――」
僕を疑う姫。彼女が喋り続ける中、僕は俯いたままゆっくりと手を前へ水平に上げる。
そして震える人差し指で、眼前に立つ女の子は弱々しく指差した。
「こ、これがさっきの質問の答えだよ」
うわ‼ 思った以上にこれ、すごく恥ずかしいんだけど⁉
お願いだから早く気づいてよ、姫‼
「緋色君は一体何をして……さっきの質問の答え?」
流石は学年主席。恋で盲目になることはあっても、もう首を傾げて考え始めてる。
それから十秒も掛からないウチにだった。
ゆっくりと姫が自分の顔を指差して、今度は彼女から僕に聞き返してくる。
「も、もしかして私、ですか?」
その問いに僕はゆっくりと数回だけ首を縦に振った。
それを見て、僕と同じように顔を真っ赤に染める奏。
二人揃って夕陽とは無関係に顔が赤くなっていた。
「い、いつからですか?」
「……誘拐事件の時から」
「そんな‼ あの事件で緋色君に助けられたのは私ですよ‼」
「僕は助けてないよ。君が僕を助けてくれたんだ」
子供の頃、二人揃って誘拐された誘拐事件。
僕は無謀にも素手で銃を持った犯人に挑もうとしていた。
そんな僕に声を掛けてくれたのが姫だ。
当時の僕はまだ色々なことを拭い切れてなく、さらに奏とも突然の別れを迎えていた。
一番心が脆くて一番無理をしていた時期。たぶん半分自暴自棄気味に生きてたと思う。
だから無意識に『死』への躊躇いがなかったんだ。
それに気づいていたのかはわからないけど、当時の姫はそんな僕に言った。
『大丈夫?』
って、心配そうに。それでいて優しい声で。
間違いなく僕よりも余裕なんてなかったはずなのに。
それでも彼女は確かに言った。
それが姫を意識するようになったきっかけだ。
姫がそれを覚えていないのは、彼女にとっては当たり前のことだったから。
そういうところにも僕は、強い魅力を感じている。
まあ恥ずかしくて、そんなこと今は簡単に言えないけど。
でもいつか、ちゃんと全部言って見せるよ。
僕の中にある君への気持ちを全部。
例えば六〇年後ぐらいまでにはね。