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第14話 薩摩の白焼き

 多賀一郎は、舞い上がっていた。侍として育った一郎は、女の人と目を合わせたことがほとんどない。


 母親のさとの慈愛に溢れた目、そして十一年前の胡蝶こちょうの眩しかった瞳。


 格子女郎の古調こちょうは、一郎の手の甲を軽くつまむ。「いてっ、えっ」と驚いて女郎の顔を見ると、艶のある魅力的な微笑で「朝湖ちょうこ先生、ほかのひとのこと考えちゃだめよ」と甘くささやく。


 一郎は「あっ、すみません。母上のことを…」と言い訳すると、太鼓持ちの男が三味線を弾きながら、「北の里(吉原)でも孝行を忘れぬは 絵師大成の秘訣なり」と節をつける。一郎は一瞬小馬鹿にされたような気がするが、丸木(金沢屋)が「ガハハ、うまい!」と言って、女たちも笑うので、追従笑いをする。


 古調が「こちら、薩摩の白焼きの器です。先生、どうぞお使いください」と渡されると、一郎は芸術家の目になる。


 「日ノ本でもこれほど純白な器を焼けるようになったのですね。朝鮮では朱子学がずっと前から盛んだから、儒教の『白』を追求するために、白磁の技術は抜きんでていたんですが、薩摩はここまで追いついてきたのか」と興奮気味に言う。


 専門的な話に太鼓持ちもなにも言えず、古調は定まった微笑のまま、そこに酒を注ぎ「先生はさすがお詳しいのですね。ところで、狩野派のお仕事は大変でしょう。なんと言っても将軍御用達ですわ」とさり気なく話を変える。


 「あっ、はい。お上への献上品の仕事は緊張の連続です。でも、僕は今夜、古調さんたちの笑顔とお喋りで癒されてます」と女郎を持ち上げると、丸木は「おっ、先生!太鼓持ち顔負けですな」と笑わせる。古調は「大先生ステキ!」と言って一郎の頭に腕を回すとぐいっと、自分の胸のあたりに引き寄せる。


 衣にきしめた花の香の良い香りに混じって、いがらっぽい煙草の薫りが一郎の鼻腔に広がる。


 十九歳の若い下半身はビンビンに反応しながら、頭では「女の人って結構腕の力が強いんだな。薩摩焼きの話はあまり盛り上がらなかったな」と冷めた感想が浮かぶ。



 古調はそれからも「まぁ先生すごいわ」と言うたびに、一郎の肩や胸、腿に、細くて柔らかい白い手を添えてくる。


 若い一郎は衝動を理性で抑えられなくなっている。一郎は突然さっとその場に立ち上がる。太鼓持ちの三味線が止まり、視線が集まる。


 一郎は作り笑いをして「す、すみません。ちょっと飲みすぎたみたいなので、外で少し風に当たってきていいですか?」と頭をかく。


 丸木がニッコリとして「先生は初めての吉原です。盛り上がりすぎましたね。ちょいと小休止しましょう」と同意する。


 急な階段を二人で降りて茶屋の前で、丸木は「初心者は迷いますから、外の空気に当たるのはここだけ。動かないでください」と念押しし、「金沢屋は少しだけ野暮用がありますので、すぐ戻ってきますから絶対に動かないで」と提灯で照らされた仲之町をたたたっと駆けていく。


 一郎は背伸びして「うーん、楽しいな、吉原。確かに天国かもしれない。芭蕉さんが通うのももっともだな」と深呼吸する。

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