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亡国の聖女は氷帝に溺愛される
亡国の聖女は氷帝に溺愛される
北畠逢希
異世界恋愛ロマファン
2025年05月26日
公開日
15.5万字
完結済
──その聖女は、大罪を犯した。 少女が目を醒ましたのは、氷帝と呼ばれている冷酷無慈悲な男・ヴィルジールが治める帝国だった。 全てを失った少女に、皇帝は問いかける。 「──お前が国を滅ぼした聖女か?」 帝国で保護された“難民”たちは、少女を“聖女”と呼び、恨み、罵り、石を投げつけた。 (わたしはとても大切なものを、護れなかった。それだけは憶えているのです) ──果たして少女の正体は、大罪を犯した聖女なのか。 「──名を、くれてやる」 ヴィルジールを救ったことを機に、近づくふたりの距離。だが少女には宿命が、ヴィルジールには使命があった。 全てを失った少女と、不器用な皇帝の物語。

第1話

「──ごめんなさい」


 囁きのような声で、少女は繰り返していた。


 真っ白な吐息とともに、何度も同じ言葉を吐き続ける少女の瞳からは、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。


 少女は祈るように両手の指を絡ませ、膝をついて泣き続けていたが、そこに返事ができる人は誰ひとりとしていなかった。

 あるのは、まっさらになった大地だけ。


 ──どれくらい、そうしていたのか。

 声も涙も枯れ果てた少女は、大地を蹴る蹄の音と馬の嘶きが聞こえたので、ゆっくりと顔を上げた。


 目の先には、外套をはためかせている騎手の集団が迫ってきていた。


「──居たぞ!あれが例の聖女に違いない!」


「一言も喋らせるな!魔法を発動される前に押さえつけろ!!」


「────っ…」


 セイジョ。マホウ。身に覚えもなければ聞いたこともない言葉を繰り出されたかと思えば、その集団──武装した大勢の男たちは馬から降りるなり、少女が身動きひとつできないように拘束していく。


 一体何事かと問う間もなく、首の後ろに軽い衝撃を覚え、少女の意識は暗転した。



「──この女が例の聖女か?」


 足元に物のように転がされた少女を、その男は冷めた目で見下ろしていた。


 少女は固く目を閉ざしている。肌は薄汚れ、布切れと言っても過言ではない粗末な服を着ていた。


「間違いありません。“難民”たちが口々に申していた特徴そのものです」


「まるで雑巾のようだな」


 聖女とは、唯一無二の力を持つ女人のことである。神が選ぶ国もあれば、類い稀なる力を持つことからその地位を与える国もあるが、選ばれし者であることに変わりはない。


 本当に聖女かどうか疑わしい形なりをしている少女が、たった今男の前に連行されてきた。


 男は冷たい眼差しで少女を見ていたが、実物を見た今興味を失ったのか、静かに立ち上がる。


「適当な部屋に押し込んでおけ。ただし傷はつけるな」


「──はっ!」


 抑揚に乏しい声で言った男の顔を見ないよう、騎士たちは深く敬礼しながら去るのを待つ。


 息を呑むほど冷たいアイスブルーの瞳が、少女から逸らされる。さらりと揺れた男の髪は銀髪で、顔は彫刻のように美しい。


 男が去ると、その場にいた者たちは力が抜けたのか、次々に息を深く吐いていった。



 ここは大陸の北にある大国・オヴリヴィオ帝国。その若き皇帝であるヴィルジールは、氷帝と呼ばれている。


 逆らう者には一切容赦のない、冷酷無慈悲で残忍はヴィルジールは、己の身ひとつで玉座を手に入れた男だ。


 ヴィルジールは先帝の十二人目の子だった。上にも下にもたくさんの兄弟がいたが、自身の即位の折に唯一慕ってくれていた弟の一人を除いて、全員を皆殺しにした。


 逆らう者には罰を、罪を犯した者のことは氷漬けに。慈悲の欠片もないその姿からついた渾名は、氷帝。


 皇帝になるために、実の父親をも手にかけたヴィルジールは、桁違いの魔力で人々を圧倒し、屈服させた、血も涙もない男なのである。


「──おかえりなさいませ、陛下」


 執務室へ戻ったヴィルジールを出迎えたのは、過労でふらついている側近・エヴァンだった。山のような書類を両手で抱えながら、ゆっくりと頭を下げる。

 当然、書類の山は雪崩の如く崩れていった。


「……エヴァン」


「申し訳ありません。徹夜続きで今にも召されそうなのです。私に仕事を押しつけたどこかの誰か様のせいで」


「無駄口を叩く暇があるなら働け」


 へらりと笑って、エヴァンは書類を拾い始めた。

 誰もが恐れる男を前にしても臆さないどころか、本人の前で不満を口にしているエヴァンは、この国の宰相だ。


「例の聖女様をお連れになったそうですね。どのような方でしたか?」


 エヴァンは散らばった書類を拾い終えると、紅茶を淹れてヴィルジールの前に置いた。ついでに自分の分も淹れ、ヴィルジールの執務机の側にある朱塗りのソファに身を預ける。


 ヴィルジールは紅茶を眺めながら、ぼそりと呟いた。──まるで雑巾のようだった、と。

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