目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

最終話


 オヴリヴィオ帝国、首都ソルビスタ。この地の象徴とも云える皇城から、美しい鐘の音が鳴り響く。


 鐘を鳴らしたのは宰相であるエヴァンだ。


「──まるで春の陽気ですね。陛下」


 エヴァンが振り返った先には、青色のマントをはためかせているヴィルジールの姿がある。いつになく華やかな礼服を身に纏うヴィルジールは、宙を舞う花を眺めていた。


「春は好きじゃない。暖かくて眠くなる」


「そうですか? ぽかぽかして気持ちがいいではありませんか。ね? ルーチェ様」


 エヴァンに呼ばれて、ルーチェが振り返る。


 ヴィルジールと同じ色合いのドレスを着ているルーチェの頭には、青い宝石が煌めくティアラが載せられている。


 ルーチェは花開くように笑うと、ヴィルジールに右手を差し出した。


「行きましょう、ヴィルジールさま。ノエルとファルシ様を見送りに行かなければ」


「見送ったところで、あの魔法使いはいつでもどこでも現れるだろう」


「そういう問題ではありません。また会う日まで元気でね、と別れの挨拶をすることに意味があるのです」


 ヴィルジールは呆れたように溜め息を吐きながらも、ルーチェの右手を取った。



 あの襲撃の夜から十日。竜の急襲によりオヴリヴィオ帝国の首都では多くの怪我人が出て、城の一部も倒壊するという惨事に見舞われた。


 かつてイージス神聖王国を滅ぼした竜の爆炎から人々を救ったのは、亡国の聖女とこの国の皇帝であるヴィルジールだ。


 城門に向かうと、そこには艶やかな翼を毛繕いしているフェニックスと、契約主であるノエル、そしてファルシの姿があった。


 ルーチェの訪れに一番に気づいたのはノエルで、嬉しそうな顔をしながら手を振っている。


「──聖女、氷帝。見送りに来てくれたの?」


「そんなところだ」


 ルーチェは隣にいるヴィルジールの顔を見上げた。ついさっきまで見送りを渋っていたというのに、悠然とした表情でノエルたちを見ている。


「ヴィルジールさま」


「何だ」


「何だ、ではありません。さっきと違うではありませんか」


「何のことだ?」


 ふ、と。ヴィルジールの口の端に笑みが滲む。


 ルーチェは呆れ混じりな溜め息をひとつ吐いてから、ノエルとファルシに向き直った。


「ノエル、体に気をつけてね。いつでも遊びにきてね」


「ありがと。呼んでくれればいつでも行くよ」


「ファルシ様も、どうかお元気で」


 泣きそうな顔で言ったルーチェの頬に、ファルシの手が添えられる。


「そんな顔をしないでくれ、今生の別れではないのだから。君たちの結婚式には顔を出せるようにするよ」


 ファルシは春の花のように淡く微笑むと、ルーチェの額にそっと口づけを落とした。別れを惜しむように見つめ合っていると、ルーチェの手を握る力が強くなる。手を辿った先では、ヴィルジールが不機嫌な顔をしていた。


「ヴィルジールさま。何をするのですか」


「何もしていないが」


 そう言いながらも、ヴィルジールの手が伸びてくる。何をされるのかと思っていると、ハンカチで額を拭われた。


「……ヴィルジール様。相手はファルシ様ではありませんか」


「だから何だ。相手が誰であろうと、お前に触れていいのは俺だけだ」


「なっ……!」


 顔を赤らめたルーチェの声は震えていた。泣き虫なルーチェの両目は潤み、優しい表情をしているヴィルジールの顔が近づくと、涙の膜は一層分厚くなる。


「まさか憶えていないのか?」


「な、い、いつのことですか…!」


「つい十日前の話だ。忘れているなら、もう一度言うが」


 ルーチェは「あわわわ」と慌てふためいた声を出しながら、ヴィルジールの口を両手で押さえた。


 つい先日マーズから帰還したセルカとアスラン、ルシアンが微笑ましそうな目でこちらを見ている。


 ルーチェは顔を真っ赤に染め上げながら、ヴィルジールの手を取って駆け出した。


「おい、ルーチェ──」


 ルーチェは子供のように駆けながら、ヴィルジールの手を握る左手に力を込めた。こうして触れているだけで伝わる想いがあると、ふたりは知っているから。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?