外へ出るとすぐに圧倒的な光と騒音に包まれた。
巨大なホログラム広告が空中に浮かび、整然とした人工のネオンが都市を照らしている。
広い歩道を行き交う人々は皆、端末に視線を落としながら無駄のない動きをしていた。
(ここが……オラクル・パシフィックゲート……)
サンタクララの端末から検索して得た情報の通りだった。
その煌びやかな都市はどこかエクス=ルクスを思い出させた。
だが、実際に足を踏み入れてみるとわたしの想像とは異なっていた。
行く先々で目立たぬよう足を止め人々の行動を観察する。
端末の操作しての何かのデータの交換、施設への入退室。
食事ができる施設もあるし居住エリアもある。
一見、自由に見える。
それに快適な環境。
だが、何かが違った。
違和感がある。
誰もが何かに従って動いている。
どこへ行くにも特定の手続きが必要なようだ。
ルールのようなものがあり、それに沿って生きている。
(この場所には、「決まり」がある……?)
その決まりが何なのかわたしにはわからない。
だが、それを持たないわたしはここでは「異物」なようだ。
試しにわたしは近くにあったターミナルの上に手をかざし何ができるかを確認した。
結果は何もできなかった。
扉の向こうへ進もうとすると認証が求められる。
移動のための施設の利用も同じだ。
何をするにも身分というものを求められる。
(ここでは、「誰か」だけでなく、「何か」に属していないと生きていけない……?)
たぶんやろうと思えば改竄は可能だが、サンタクララの時と同じで無理にいじれば足跡が残る。
気付かれれば不正として追跡される可能性がある。
違和感はそれだけではない。
サンタクララでは、乗組員たちは「役割」を持っていた。
だが彼らは、わたしに食事をくれたし話しかけてくれた。
でもこの都市では誰もわたしに関心を示さなかった。
ただ、すれ違うだけの存在。
(ここでは、「個」として生きることはできないのか……?)
わたしは、サンタクララの乗組員のように「所属」する場所を持たなければならないのか?
だが、それが何なのかどのようにすればそこに入れるのかわからなかった。
人々はわたしを気にも留めずただ流れていく。
わたしはその流れに乗ることができなかった。
でもその流れを見て、仮に何かに属することができて流れていく人間の中の一部になるとうことを考えるとなぜか胸の中がザワついた。
どうやらわたしはこのテリトリーという場所を拒否しているようだ。
ここにわたしの居場所は作れないと感じていた。
もう一度、オラクル・パシフィックゲートのデータを確認する。
どこかに『境界』があるはずだった。
わたしは、テリトリーの外縁部へ向かい監視の薄いエリアを探した。
(……このままでは、食料が尽きる)
マキシムが持たせてくれた食べ物はもう残り少ない。
人間にとっては擬似的な満足らしいが、わたしにとっては 「生存のための食事」だった。
それが尽きれば、わたしはこの世界で生きる手段を持たないことになる。
この世界に『適応する』には、まず『生存の方法』を知る必要がある。
『生き延びてくれ』『もっと観察するんだ』というあのマキシムの言葉が頭をよぎる。
わたしは、オラクル・パシフィックゲートのデータを確認した。
どこかに管理されていない場所があるはずだ。
そこでは何かを交換し、食料を得ることができるかもしれない。
見つけた。
都市の端に古い物流倉庫の区域があった。
そして、その先には記録されていない空間が広がっていた。
(ここは……)
わたしは、そこに足を踏み入れた。
そこは、テリトリーの都市とはまるで違っていた。
ところどころ崩れかけた建物。
壁に貼られた無数のステッカーやマーキング。
街灯が途切れ、ネオンの光がちらつく薄暗い路地。
何もかものがランダムで、煩雑で、カオスだ。
そして、人々の様子も違っていた。
取引 ——道端で何かを交換する者たち。
監視の目 ——遠巻きにこちらを伺う者たち。
生存のための交渉 ——騒がしく何かを叫び取引をしている者たち。
(ここでは、「所属」がなくても生きていける……?)
だが、それと同時に、またも違和感も覚えた。
サンタクララの乗組員たちとは明らかに異なる雰囲気。
彼らは「社会の中での役割」を持ちそれを果たしてた。
だが、ここでは——。
(ただ、生きるために
テリトリーにいた人間たちが身につけている服は画一的だった。
同じような色、同じようなデザイン。
一方で、HODOの住人はネオンのようにバラバラだった。
ある者はカラフルな服をまとい、ある者は揃いのマークが入った背中を見せている。
個々が異なるスタイルを持ち、同時にどこか「群れ」のような雰囲気もあった。
テリトリーの人々、サンタクララの乗組員たちは組織の中での役割を持ち、それを果たしていた。
だが、ここでは——。
(「個」として生きる者と、「群れ」を作る者……?)
この世界のルールを理解しなければならない。
管理されていないこの場所ならわたしは異物とは思われない。
なら、ここで人間がどのように食料を得てどのように生活しているのか。
それを観察し適応することがわたしの次の課題だった。
わたしは、それから何日も人の流れを観察してすごした。
HODO——そこはテリトリーとはまったく異なる世界だった。
街の路地は入り組み、建物はところどころ崩れかけている。
街灯は途切れがちで、場所によってはネオンの光がちらつき闇に沈む場所もある。
街路も均一ではなく、傾斜がついていたり補修された跡がムラになっていたりする。
どこも雑然としていて、テリトリーのような整った人工美は感じられなかった。
そんな場所で夜は隠れるように眠り、昼間は観察をした。
すっかり埃にまみれ、服は泥で汚れてしまっていた。
人間の体になるまで汚れというものは意識しなかったが、今はベトつく感覚があり、変な臭いもして不愉快だ。
ふと、何か視線を感じたような気がして振り返ったが、薄暗い道があるだけだった。
わたしは、気を取り直しいつもと同じ裏路地の入り口から慎重に周囲の様子を窺う。
通りの端では粗末な屋台が並び人々が何かを売買している。
屋台の奥ではこそこそと動く者、何かの取引をしている者、裏路地へと消えていく者——。
ここには決められたルールがない。
それぞれが、自分の方法で生きている。
(どうやって……食料を手に入れる?)
食べ物の残り少ない。
手持ちが尽きるのも時間の問題だ。
どうすればいいのかを知るためにわたしは必死だった。
それに比べれば汚れた体など二の次だった。
わたしは、人々の行動を観察しながら、彼らの『生存の方法』を探ろうとした。
道端で座り込んでいる男がいた。
その前には小さなボードが置かれ、そこには古びた小物が並んでいる。
通りすがりの男が立ち止まりそのうちの一つを手に取る。
「いくらだ?」
「五十だ。いやなら帰りな。」
短い交渉が行われ、取引は成立した。
買い手の男が端末をかざすと売り手の端末に何かの単位と数字が転送される。
受け取った男は満足そうにポケットに品物をしまい、足早に立ち去った。
(何か特定のデータを持っていれば、それと交換して食べ物を得ることができる……?)
少し離れた路地裏では別のやり取りが行われていた。
「三枚だ、いいだろ?」
「手持ちがなくてな、現物でどうだ。」
何かのデータを端末を介して確認させている。
やり取りの間、周囲には別の男たちがじっと様子を窺っていた。
すぐに取引を終えた二人は満足そうに握手をし、短く言葉を交わしその場を離れていく。
(物同士の交換したのか?)
わたしは遠巻きに観察していたが取引の品物までは確認できなかった。
ただ、こうした交渉の中には「食料」を得る手段もあるはずだった。
飲食店らしき店の前に行列ができているのが目に入った。
人々が順番にカウンターへ進み、何かを受け取っている。わたしは、その流れを注意深く見つめた。
彼らはカウンターの端末に何かをかざしそれと引き換えに食べ物を受け取っている。
取引の流れは理解できたがその端末が何を示しているのかはわからない。
どうすれば、わたしもあの列に並ぶことができるのか。
わたしは端末どころか、何も持っていない。
(やはり、何かを得るには「交換」が必要……)
この世界では何かを持たなければ生きていけない。
ただ存在するだけでは、食事すら得られない。
わたしは、じっと人々の行動を観察しながらこの世界で生きるための手段を考え始めた。
次第にわかってはきた。
ここでは欲しいものを得るために二つの方法があるようだ。
一つは端末に何かストックした共通のデータの単位を受け渡す方法。
もう一つは物そのものを交換する方法。
前者は単純だ。
品物にあらかじめ決めた数値を指定してそれと同じ数値のデータ受け取る。
後者はそのデータがない場合に欲しいものと同じような価値を持った品物を提示する。
こちらはお互いが合意できれば品物同士を交換するのだろう。
さて、困った……まずわたしはあの端末をもっていない。
サンプルさえあれば解析してもっと簡単に仕組みがわかるのに。
まずはあの端末を手に入れなければ……では何かと交換する……?
何も持ってない……。
ふと、また誰かに見られている感じがした。
よく見ると向かいの通りから男が一人こちらを見ていた。
そういえば昨日もいた気がする。
なんなのだろう?
最初は偶然かと思っていたが、何度か視線を感じるうちにそれが意図的なものだと気づいた。
わたしが動くと男の姿が視界から消える。
わたしが戻るとまたそこにいる。
(つけられてる……?)
わたしの胸の下でドクドクと不安に連動して何かが激しくリズムを刻み始める。
考えすぎかもしれない、と思った。
だが、次の瞬間——。
「……!」
突然、背後から口を押さえられ腕を捻り上げられた。
体が硬直する。
わたしは暗い路地の奥へと引きずり込まれた。
乱暴に放り投げられ、わたしの背中が地面に叩きつけられた。
一瞬、痛みで息ができず動けない。
その隙に、男が馬乗りになってくる。
顎を押さえつけられ、呼吸が詰まる。
さらにさっき通りからわたしを見ていた男、さらにもう一人、別の男が立っていた。
——やられた。
自分が人間の姿であることに油断していた、わたしは狙われていたらしい。
でも理由がわからない。
「なぁ、言ったろ……キッタねえ身なりしてるが、いい女のガキが通りに棲みついたってよ」
「へへへ、どうせ客でもとるんだろ? その前に味見させてくれよ」
後ろの二人も、こちらへと歩み寄る。
(何かが違う。これは……暴力じゃない……?)
嫌な感覚が背筋を這い上がる。
黒い巨人——ハマーが、故郷を蹂躙していた光景と重なる。
壊されるだけの存在。
逃げられない。
力のないものが蹂躙される。
だが、これはあの時と違う。
——これは、もっと根源的な嫌悪感をともなう行為だ。
「どうせ
男がわたしの服を掴む。
そのまま、力任せに引き裂いた。
ビリッという音が響く。
肌に冷たい空気が触れる。
わたしの中に説明のつかない感覚が走った。
「いやぁあああああああ!いやだぁぁぁぁ!」
何が起きているのかも、何をされようとしているかも、はっきりとはわからない。
だけど、わたしの体は知っていた。
これは拒絶しなければならないものだと——。
だから、わたしは叫んだ。
本能的に——この行為はわたしが許してはいけないものだった。
エクス=ルクスの時と同じ突然の蹂躙にわたしは抵抗しようとしたが強く口を押さえられた。
「騒ぐな!このガキ!お前ら足を押さえろ!」
その場を逃れようと必死にもがくが、男たちは容赦なく自由を奪った。
むなしい抵抗をしたが次第に恐怖に支配され、諦めかけて涙が溢れる目を閉じたときだった。
「うぎゃぁ!」
ゴツンと鈍い音が響いた。
わたしの上にいた男が、バランスを崩して倒れ込む。
腕の拘束が解かれ、わたしは泥を払いながら後ずさった。
男を押し退けはいずるように離れる。
立とうとしたが足に力が入らない。
ゼェゼェとした息を必死で整えながら何が起こったのかを確認する。
男がぐったりとしていた。
そこにひとりの老婆が立っていた。
派手な赤いシャツを着て手にはずんぐりとした棒を握って、それを肩に担ぎ私を見下ろしていた。
この老婆が持っている棒で男を殴り倒したらしい。
他の男二人は老婆の後ろにいつの間にか集まった男たちの集団に取り囲まれて震えていた。
「あー、よかった、よかった。まだ何もされちゃいないね……」
老婆は頭から足までわたしを舐めるように目を動かし、特に腿の付け根あたりを見てそう言った。
「おい、お前たち、そういつらはよくわからせてから、港の下に捨ててやんな」
その老婆のせりふを聞き、泣きながら「止めてくれ」と言う二人の男を老婆はどなりつけた。
「都合のいいこと言ってんじゃないよ!うちのヤサで舐めたマネしてくれたね。まあ、どうせ
男たちの集団は「へいっ」と言うと、ぐったりと動かなくなった男と二人をどこかへ連れていった。
「酷い目にあったねお嬢ちゃん。大丈夫かい」
そう言うと老婆はこちらに近づいてきた。
頭が痛い。
顔が、首が冷たいのがわかる。
わたしは胸を隠すように自分の手で両肩を押さえていた。
歯はガチガチと音を立ている。
「服もこんなにされちまって、かわいそうに」
老婆は手を差し伸ばした。
「うわぁぁああ!」
わたしは、無意識のうちにその手を払いのけ、駆け出していた——。
「ちょ、ちょっとお待ち!そんな格好でどこ行くつもりだい!」
そう老婆は叫んでいたが気にせず走った。
早く、とにかく早くわたしは一人になりたかった。