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introduction 06 チセ―迷い子の境界(ボーダー)/05

    【Flashback】


 最初は慎重だった。

 服のデータを解析し、廉価品の複製から始める。

 少しずつ取引を学び、売り上げを増やし、端末の扱いも覚えた。


 食事に困ることもなくなり、風呂にも入れるようになった。

 寝る場所だって路地裏の隅ではなく安いモーテルのベッドになった。


(悪くない)


 そう思ったのが、最初のだった。


 手元に余裕ができると、次第にもう少しマシな環境を求めるようになった。

 バスタブ。

 シャワーを浴びるだけでなく、湯を張って足を伸ばすという文化。

 それを初めて試した時――。


(……ああ、これ、いい。)


 そう、わたしは理解した。


 湯に浸かると、体が軽くなるような感覚がする。

 水に浮かぶのとはまた違う。

 わたしは初めて温かさを楽しむという概念を知った。


 そこから、ルームサービスを覚えた。

 端末を操作するだけで、料理が届く。わざわざ外に出る必要もない。しかも、それが美味しかった。


「……すごい……」


 ある日頼んだバターたっぷりのパンケーキを口にしたとき、わたしの感情処理が少しバグった。

 甘くてふわふわで、食べるとじんわりと満たされる。

 これは、ただの栄養摂取ではない。という行為だった。


(人間、いいもの食べてるな……)


 それから、わたしは毎日ルームサービスを頼むようになった。

 少し良い食事、少し良い部屋。少しの贅沢が、生活の一部になっていた。


 ――それがの始まりだった。


 廉価品の取引を続けるうちにある考えが浮かんだ。


(ブランド品を扱えば、もっと効率的に稼げるのでは?)


 わたしの作るデータは本物と変わらない。

 元の値段の半分で売ってもいまより遥かに低労力でクレジットが得られる。


 ブランド品のデータ解析を進めるうちに妙なものを見つけた。


(なんだこれ……タグか?)


 ブランド品のデータには、視覚的なデザインとは別に構成データの中央に埋め込まれたタグがあるのだ。


 ただの識別情報かと思ったが、違った。

 このタグには特定のデータが埋め込まれている。

 とは言ってもただの文字と数字が刻まれてるだけ。

 刻印のようなものだ。


 そのくせ、String文字列データが刻まれるだけのくせに外殻は鋼鉄のような密度のデータだった。

 とてつもなく硬い空っぽの箱。

 さすがにこんな硬質のデータは一人では再現できそうにない。


(うーん、でも、これはただのゴミデータよね。)


 そうなのだ。

 タグがなくても服は成立する。見た目も機能もまったく変わらない。

 なら、それを作ればいい。


 試しにいくつか作り、ブランド品として売ってみた。

 結果は――大成功だった。


 五着売っただけで、二ヶ月分のクレジットが手に入った。

 その後も十着ほど売り、安いモーテルからそこそこの宿に移った。

 風呂も広くなり、ルームサービスのメニューも増えた。


(フフフ、想定通り)


 わたしは、それまでしたこともないドヤ顔をしていたと思う。


 だが、やりすぎは突然牙を剥く。


 ある夜――ルームサービスで夜食を頼みベッドに寝転がった直後。


 バンッ!


 ドアが蹴破られた。


(――!)


 気づいた時には口を塞がれ、首筋に鈍い衝撃を感じた。


 意識が暗転する。


 暗闇の中、意識が戻る。

 頭にはザラついた布袋が被せられている。

 背もたれの硬い椅子に縛りつけられ逃げられない状態。

 腕も足も動かない。


 頭を振ると、遠くから男たちの声が聞こえる。


「ターゲットの行動パターンは?」

「オラクル・パシフィックゲートのターミナルから入ったのは間違いない……しかし――」


(……なにか言ってるな)


 やがて、袋が剥がされる。


 どこかの倉庫のような場所。

 薄暗く、冷たい空気が漂っている。

 前方に、赤い鳥の紋章が刻まれた円卓。

 その周囲に、数人の男たちが座っている。


(あぁ……これは……)


 まずい相手に捕まったことを、わたしは直感した。


 円卓の奥、最も威圧感のある男がゆっくりと口を開く。


「……なるほど。話の通り、小娘か。」


 サングラスに感情の読めない表情。

 分厚い翡翠の指輪をはめた手が、机の上をゆっくりと叩く。


(……うわぁ……ボスっぽい。本当にいるんだ)


 ムービーサービスで見た映画みたいだ。

 確か、イタリア系マフィアと中華系マフィアが抗争する内容だったが――。

 まさにその中華系マフィアが、目の前にいる。


「さて、お嬢さん。」


 テーブルの向こう側で、太った男が腕を組みながらわたしを睨む。


「これを、どこで手に入れた?」

 よく知ってるブランドの服を指でなぞりながら男は言った。


(手に入れたというか、作っちゃったんだけどなぁ……)


「まさか、この価値がわからないことはあるまい?」


 男の隣にいた赤いラメのドレス女が、くすりと笑いながら服を手に取る。

 指先でなぞるような仕草をしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ブランド品の価値がどこにあるか、知ってる?」


 デザイン……じゃないの?


「そう、この服のデータに埋め込まれてるこのタグボックスよ。常識よね」


 知りませんでした。むしろそのタグはゴミだと思ってました。


「デザインと認証プロテクトをロードしたあと、データの中央識別タグとして埋め込まれたタグボックスが、本物の証明になるの。普通は目で見えないけれど、データスキャンしてシリアルナンバーがあるかどうかで、本物かどうかがわかる。」


 ……あぁ、なるほどね。

 つまり、ロードが完了するとそのタグボックスは刻印が入ったただのデータの抜け殻として残る。

 本物のブランド服には必ずこのタグが埋め込まれている。

 ところが、わたしが作ったものにはそれがない――。


「タグボックスのロードなしに型で流し込んだよう……偽者なのに本物……」


 女は皮肉げに笑う。


「こんなものが流通したら、ブランドの価値が崩壊するわ。タグの有無で真贋を判断できないなら誰もブランド品を信用しなくなる。」


 わたしは、思わず目を逸らした。

 まずい……確かに、これはアウトだ。


 0と1の配列を見て、考え無しで丸ごと再現してしまった。

 そんなことは、わたしたちDQLしかできない。


 たぶん人間の場合は暗号化されているデータを解析して、理解できる言語ソースレベルに複号化デコードしないといけないのだろう。

 それが非常に困難だということはわかる。

 わたしは本来なら作りようがない方法で本物を作ってしまったらしい。


 太った男が身を乗り出し、低い声で尋問を始める。


「どこの組織がバックについてる?」


(は?)


 密売人のリーダーが再びこちらを睨む。


 わたしは、少しだけ目を伏せて心の中で思い切り首を傾げた。


(一体、なんのこと?)


     【Present Day】


「あー、またヴァイロン出てるよ」


 アジエの声が目の前で響いた。


 ボーッとしていた。

 目の前には、ミルクティーの残り半分とカップを手にするアジエの顔。


「……何?」


「ニュースだよ。なんかまたヴァイロン様がおもしれーこと言ったとかで、クソつまんね技術フォーラムがニュースになってんの」


「なんで?」


「ほら、今ちょうどやってるよ?」


 アジエが視線を向けた先、カフェの壁に埋め込まれたスクリーンには、ヴァイロン・アークライトが映っていた。


「何言ったんだろ。きっと、またバズってんだろね。」

 アジエはスクリーンに顔を向けてそう言った。


 Tシャツにジーンズ、スニーカー。

 どこかのパリピ学生みたいな風貌の男が映っていた。

 これがこのインター・ヴァーチュアを支配するV5の一角、PRAXISプラクシスのCEOだ。

『仮想技術時代のニューエイジ』

『ニューエンパイアのシーザー』

『最もバズるCEO』

 ……そう世間では言われている。

 PRAXISはV5が成立してからであり続けている。


 きっと、こいつはわたしを知らない。

 でも、世の中で持てはやされてるがわたしはこいつがキライだ……。


 どちらか言えば生徒と言ったほうが似合う風体のこいつは、スクリーンの中で学術理論を滔々と語っている。


 テーマは、『仮想現実世界を定礎とした場合における量子力学に基づく新たなラプラスの悪魔の考察』……


 なんとこの男は、それを否定する力学を用いた完全な未来予測の可能性について講釈を垂れていた。


 ニュースの中のヴァイロンは、突然黙り込んだ。

 何かを考えるように右手の親指を顎に、人差し指で鼻をポンポンといじっている。

 閃いたかのようにニヤリとする


「ええと、ごめん、ごめん、退屈ですよね?まさか、この場にの議論を楽しみに来た人がいるとは思ってませんでしたよ! いやぁ、驚きだ!」


 さっきまでの発表の姿や口調とはまったく違う。

 カチリとスイッチを切り替えたような変わりようだ。

 ヴァイロンは会場を見渡した。


「あー……やっぱりいませんねぇ!でも、いいんです、僕は喋ります!だって、未来の話をしてるんですから!」


 芝居がかった仕草だ。


「さぁ、ここで一つ質問だ。みんな離散量生命体って知ってるかな? DQLってやつね。え? えぇ? 誰も知らない? 嘘でしょ? だって、今ここで量子力学と未来予測について話してるんですよ?」


 カメラが出席者写す。

 いかにも学者といった身なりの整った、禿げたオジサンたちの仏頂面が並んでいるのが映る。

 再び、ヴァイロンが映される。


「いいでしょう、教えてあげます。理論ですよ? そう、あくまで理論だ! かのグレート・オズは言ったよね、いつかデータの海で生まれ、進化する存在。まるで生命のように増殖し、自己最適化し……あれ? これって、どこかで聞いたことありません? そう!  知的生命体、人間だ!」


 何を言ってるんだ、こいつ。


「ここにいる皆さんもさぁ、ほら、って言葉、耳タコになるくらい聞いたことあるでしょ?で、それってつまり、僕らみたいな世代、ITの揺籃期から育った人間を指す言葉だったわけだけどさ――え、ちょっと待って、ちょっと待ってよ? じゃあさ、デジタルの中で生まれた彼らは?」


 その場には関係ない発言をまくし立てる男に会場がざわついている。


「ねぇねぇ、皆さん、ちょっと考えてみてよ?この離散量生命体っていう呼び方、ちょっとカタすぎない?  ね? ね? もっとこう、キャッチーな名前がいいでしょ?というわけで、僕が命名しちゃいました。! どーん!」


 わたしはにらみつけるようにそこに映るヴァイロンの顔を見た。


「おやおや? 皆さん、そんな目をしないでくださいよ。僕だって、別に彼らが本当になんて、一言も言ってないじゃないですか。これはの話だ、ただのの話ね。でもね――可能性ってさ、現実と紙一重だ。もしかしたら、君の端末の中に、もしかしたら、君の好きなAIアシスタントの裏側に、もしかしたら、君の隣に―ほら、もうがいるかもしれないねぇ?さあ、どう思う?」


 一瞬、ドキリとした。

 わたしは思わずカップを強く握りしめた。


「あら、あらぁ!みんな怒ちゃったかなぁ、ごめんねー」


 なにか、わたしの根っこの部分をバカにされたような気がした。


 そうやって適当なことを並べて、世間をバカにして遊ぶ。

 こいつは昔からそうだ。

 そのせいで、わたしがどれだけ迷惑したと思ってるんだ……!

 やっぱりこいつは大キライだ。


     【Present Day】


「どこの組織がバックについてる?」


 いきなり話が大きくなって私は混乱していた。


「これは単なる偽造品じゃない。メーカーですら不可能な技術を使ってる。バックにどこかの大手がついてるはずだ。」


 いや、ちょっと待って。


「フリーのエージェントか? それとも摘発側の仕掛けか?」


 だから、なんでそうなるの?


「お前らの目的は何だ? 新技術のテストか? それとも市場の破壊か?」


(ちが……)


『美味しいもの食べて、ぬくぬくしたかっただけなんですけど!』


 ――だが、当然、そんなことは言えない。


「……なんのことだかわからない。」


 とりあえず、シラを切るしか無かった。


 今のところ、わたしが作ったとはおもわれていないようだ。

 何が目的だろう?

 ただ邪魔なだけなら、こんな回りくどいことはしないはずだ。


 情報を、得るためにもここは無言だ。

 HODOでの短い生活のなかで、わたしはこんな人間の駆け引きを考えるぐらいには経験を積んでいた。


 太った男はため息をつき、隣の女に視線を向けた。

 女はニヤリと笑い、テーブルに肘をつく。


「お試しで少量流したのよね? 何も知らないよそ者を装い、潜り込み、HODOで反応を試した……」


 間違っている話と、本当の話が絶妙に混じっている。

 駆け引き以前に相手とのボタンの掛け違いが絶望的なことに目が回りそうだ。


「ほんとに素晴らしいのは、まるであなたの痕跡がつかめないことよね。あなたはこのテリトリーのターミナルに突然現れた。それ以前はどんなに調べても何も出てこない、まるでそれまで存在しなかったみたいに。」


 あ――、もう、めんどくさい。

 実際、ほとんどその通りなんだけど。


「あなたどこの所属? それともフリーランスかしら?」


「……組織とか所属なんてない、わたしはわたしよ……」


「へぇ、フリーランスってことね」


 ダメだ、どこまで行っても平行線だ。

 かといって、ほんとのことを言えばそれはそれで、どんな目にあうか……。

 わたしが人間では無いことを知らるわけにもいかない……。


 あまりにも危険すぎてわたしは一言も話せず沈黙が続いた。


「ダンマリか。だがな、だいたい目的の検討はついている」

 太った男が確信めいた顔でそう言った。


「お前は PRAXISの回し者だな。」


 PRAXISって何?

 密売人は勝手に話を進めていく。


「こんなふざけた代物を作るのは、ヴァイロン・アークライト以外に考えられん……」


 ヴァイロン・アークライトって誰?


 太った男は拳をテーブルに叩きつけた。


「あの成り上がりの若造がぁ……!」


 突如、彼はヒートアップし始めた。


「毎回、毎回、毎回! 面白半分にヤバいモノを市場に流しやがって!ブラックマーケットってのはなぁ! ひっそりやるからブラックマーケットなんだよ!」


(うわ、なんかすごいことになってる……)


「誰が後始末してると思ってやがる! キチショーメェェェ――!」


 そこまで叫ぶと、彼はぜぇぜぇと肩で息をした。

 隣にいた赤いドレスの女も、ほかの男たちも、微妙な表情で彼を見ていた。

 誰もツッコまないあたり、この光景は日常茶飯事らしい。


(……これ、わたし関係なくない?)


頭目トゥムゥ……とりあえず落ち着いて……」


「……あっ……」

 興奮後、気まずそうに咳払いして椅子に座り直す


「まぁ、いい……どうせはもうわかっている。」


 わたしの方を睨みつけてきた。


 わかってるの?

 わたしがただの個人で、美味しいもの食べたくてやらかしただけだってこと?


「お前はPRAXIS から送り込まれたテスト要員だ。」

 分かってないし……やっぱりそうなるのか……。


「このタグなしブランド品を流通させて、市場の反応を見るつもりだな? 真の目的はどこまで気づかれないか遊んでみた!そうに違いない!」

 なんだそれ……どういう理屈だ。

 わたしは普通に売って儲けたかっただけだ。


「フン……遊ぶためだけに、ここまで完璧にタグなで再現できるとはな。さすがはヴァイロン・アークライトだが、今回は我々がすぐに気づいたわ!ウハハハハ!」

 いや、だからヴァイロンって誰?


「PRAXISは以前から妙なことをしていたが、今回は露骨すぎたな……」

 よくわからないけど……この頭目トゥムゥが相当にヴァイロンという人間を恨んでるのはわかった。

 そして完全にわたしはとばっちりを受けてることもわかった……。


「どうします、頭目トゥムゥ?」


 赤いドレスの女が、目を細めながら言う。


「さぁな……とりあえず、この小娘がどこまで情報を持っているのか、じっくり聞き出すとしよう。」


 冗談じゃない。

 見当違いの話で拷問なんて、まっぴらごめんだ。

 いっそ全部ほんとうの話をしてしまうか……。

 いや、そもそもほんとのことを話たとして、こんな連中に信じてもらえるのか……。


 わたしは逃げ場のないこの状況でどうするべきかを必死に考えていた。

 わたしが焦り始めた、そのとき――。


 ドォォォン!


 突然、建物全体が揺れた。


「な、何事だ!?」


 太った男が叫ぶ。


頭目トゥムゥ!ライナーです!ライナーが突っ込んできました!」


 倉庫のドアが勢いよく開き、部下の男が慌てて駆け込んできた。


「殴り込みか……どこのギルドだ!?」


「確認中です!CFも三機――とりつかれています」


 その瞬間、また爆発音が響き、倉庫の壁が大きく揺れた。


 わたしは、縛られた椅子ごと床に転がる。


(な、なに!? 何が起こってるの!?)


「迎撃は出ているのか!叩き落とせ!」


 密売人たちは慌てて指示を飛ばし、部下たちがバタバタと動き出した。


(……助かった? ……のか?)


 いや、助かるかどうかはわからないけど、少なくとも今は拷問される状況じゃなくなった!


 その安堵と混乱の狭間で、わたしはただ床に転がりながら外の騒ぎを聞いていた――。

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