【Flashback】
テキヤの事務所でのミツエ婆さんとの会合から三時間後には俺たちアルマナックは平原地帯の北東側で依頼を果たすためにジクサーを飛ばしていた。
HODOを含むオラクル・パシフィックゲートはインター・ヴァーチュアの中央部の東に位置する大平原地帯……グレートフラットと呼ばれる荒野と平原の地平が続く場所にある。
中央部とは言っても本当の意味でインター・ヴァーチュアの真ん中に位置しているのかというと定かではない。
インター・ヴァーチュアを支配する大企業でも、最初期から勢力の拡大を行っていたオラクル社の支配地域、本拠地のゼロ・ホライズンを中心とした円形に広がる地域が便宜的に中央部と呼ばれているだけとされている。
オラクル・パシフィックゲートはそもそも初期型のヨタバイト級オーシャンライナーでブラックアウト事件前には現在の場所に到達し、都市として拡張開発が始まり、長期で行われ現在に至り、いまだに継続中だ。
おかげで、開発がいつまでも終わらないため、インター・ヴァーチュアのサグラダ・ファミリアとも呼ばれている。
今では都市機能を持った超巨大なオーシャンライナーを建造して飛ばすなんてことは、コストがかかりすぎて行われなくなった。
かつて、企業が躍起になって仮想現実の新天地で領域を広げていた黎明期には、武装した要塞都市をそのまま飛ばして橋頭堡を確保していく……そんな無茶なことを繰り返していたらしい。
各国政府が引き籠っているイントラが、規格外のヨタバイト級オーシャンライナーとして建造されたのを最後にブラックアウト事件以降は新たに建造されることはなかった。
そんな、結構な歴史を持つオラクル・パシフィックゲートはゼロ・ホライゾンから中間のテリトリーを結ぶ高速転送網であるネクサス・リンクの東エリアの終端であり、さらに北東に八咫の門、南東に
その立地のため、アジアを基盤とする支配地域のテリトリーの側のネクサス・リンクも乗り入れる接合点、いわゆる
オラクル・パシフィックゲートに系列のアジア法人企業が集まっているのはそんな理由からだ。
そしてそんな勢力の中継点になるような場所には、現実世界の昔から、物に、情報に、人も入り込んでくるようになるのが相場だ。
グレーなものや叩けば埃が出そうな連中も寄りついてくる。
まるで中世の大航海時代のカリブ海に存在したという海賊の拠点として知られる、ポート・ロイヤルのような港町であるHODOが、交通の要所に寄生するように産まれたのも必然なのだろう。
俺はブリッジの正面を双眼鏡で覗き込みながら、グレート・フラットの草なのか苔なのかもわからない明滅するだだっ広い緑の平原を見張っていた。
左舷はライノ、右舷はケイトが担当している。
ジクサーは今、限界ギリギリの低空飛行で密売人たちの拠点となっているライナーを捜索中だ。
このインター・ヴァーチュアでは有視界戦闘が原則だ。
データとシュミレーションで支配されたこの世界では有視界外戦闘は無意味だからだ。
レーダーロックオンはこの仮想世界でも再現はできる。
だが、レーダー波を騙すダミーデータをいくらでも作れるのがこの世界だ。
おかげで誘導兵器もカメラによる画像識別式に限られるが、効果的に使うにはドローンとして操作するか、近づいて数を打つ必要がある。
ドローンは手間もかかるし、使い捨てにしては高くつくので金持ち専用の武器だ。
結局、CFという
おかげでこのデジタルの世界では警戒や、索敵は人力のアナログ頼りと、字面だけ見ると矛盾した滑稽なことになっている。
このジクサーを操艦するスミーは操舵席にハマりこんで文字通り一体になっている。
通常であれば自動航行だが地図のない未開地帯の航行や索敵のために低高度航行をする場合は操舵が要求される。
もちろん人間も操舵はできるが、疲れ知らずのAI が操舵手を務めているケースは多い。
ただ、自動操縦とは違い、状況判断を伴う操舵を行えるようにするにはそれなりの機械学習が必要で時間やコストもかかる。
スミーはそういう意味ではかなりの経験を積んだ操舵手ということになる。
アバターはアジエが仕上げたらしいが、スミー自体を作ったのはリーダーで、今のスミーの個性はリーダーが教育したということになる。
半殺しまではオーケー……となるぐらいに三原則が緩くなるような機械学習とは一体どんなものかと興味はある。
そのリーダーはキャプテンシートで読書中だ。
普段の振る舞いからは想像できないが、リーダーはかなりの読書家だ。
ジクサーでは特に何もなければキャプテンシートでずっと本を読んでいる。
最初の頃はそのギャップに驚いたが、今では見慣れた風景だ。
本を読むときだけリーダーはメガネをかける。
シンプルな黒縁のフレームにフロントとテンプルがメタルのウェリントンモデルだ。
何気によく似合ってる。
さっきチラッと表紙を見たが、『<こころ>の奇跡・禅・森田療法・念仏』というタイトルで、作者は『近藤 章久』というらしい。
どんな内容なのだろうか……なんとなくだがリーダーが呼んでる本のタイトルから哲学とか宗教、歴史の本を好んで読んでるいるということはわかった。
いつもデジタルの立体映像で済ませる俺には、ああやって現実世界のままの活字を本で読む楽しさは理解できそうにない。
操舵席に合体しているスミーが頭部を動かした。
「ご苦労さん、交代の時間だ」
スミーの野太い合成音がそう言い終わると同時に、メカニックのハキム、エスペランザ、
「ほい、お疲れさん。変わるぜ」
俺はハキムに「よろしく」と言って双眼鏡を渡した。
ライノとケイトもそれぞれ、エスペランザとジュンと交代して、背伸びをしたり腕を伸ばしたりしていた。
「おー、お前ら」
リーダーが本を片手にメガネをとり俺たちを呼び止めた。
「お前らは、見張りはもういいぞ。1時間交代でCFに待機だ。悠、おまえからだ」
「了解」
ミツエ婆さんからもらった情報の座標から三時間だ。
移動していると考えてもそろそろという頃合いだ。
相手が見張りのCFを飛ばしてる可能性もあるし、痕跡があれば偵察を飛ばす必要もある。
「じゃ、ヨロー」
「お先に。コーヒー淹れとくぜ」
そう言って、ケイトとライノは食堂の方へ引っ込んでいった。
俺はジャケットのジッパーを上げ、CFハンガーのγのコクピットに乗り込むと機体に火を入れた。
いつものようにチェックを始める。
左ハンドルのウェッポンセレクターバーを操作し、装備のデータロード……クリア。
右ハンドルとスロットルの動作状況……クリア。
左右のフットバーと制動ペダル……クリア。
手と足の指を軽く動かすイメージ。
γの手と足がギリギリと音を立てるのがわかる。
頭と目、視線を動かす。
ツールチェスト、向かいのエリミネーターと左側にいるホークとそれぞれを意識しつつ、見ていく。
コクピット内の半円球投影モニタに次々と、フォーカスした物体がハイライトされ、ターゲットの情報が投影される。
思考制御、
全て問題なし。
ハンドルから手を離し、前傾姿勢から体を起こして楽にする。
制御は特に問題ないが、最近は少し違和感がある……。
CFのコクピットはの中枢ブロックであるコア・ユニットの下部にある。
そして構造上、CFの心臓部であるコード・ベースが封入されるユニット・ヘッドは、コクピットの真上に位置している。
だからここは一番、駆動音や振動を直接感じることができる場所でもある。
今も規則的な駆動音を感じている。
その中にわずかだが、籠ったような音が混じっているように感じるのだ。
加速をかけた時も、たまに一拍遅れるように感じる時がある。
「今日の仕事が終わったら、ママに相談すっかな」
γは
このタイプは最近、めっきり数が減った。
エリミネーターとホークと構造が違いすぎて部品が使いまわせない。
だから、ママ・アジエはいつも「めんどくせぇ」とブーブー言いながら部品を調達して整備してくれる。
実際、γ自体は中古だし、モデル自体が古く、機体はすでに製造が終わっている。
だが販売されたときは軽量でコンパクトの謳い文句と、何より安かったことで流通していたモデルだ。
おかげで中古市場には溢れかえっている。
裏を返せば、在庫はあっても売れない不人気機種ということだ。
今では性能はイマイチで設計自体が古く、安価にパーツは揃うが、メンテナンス性は最悪と言われている。
そのためだろうか、リーダーにも、アジエにも「乗り換えろ」と言われる。
「また言われるよなぁ……」
アルマナックではコード・ライダーがそれぞれ好きな機体に乗っている。
ギルドとしては珍しい。
メカニックの労力やパーツや武器の調達を考えると、普通は機種を統一したりするのだが、リーダーの意向でうちは自由だ。
確かに最近の
それに年式を考えれば、乗り換えるだけでγより遥かに高性能になる。
きっと、今よりもやれることも増えるだろう。
(頭じゃわかってるんだけどな)
それでも動く限りはγを使いたいと思ってしまう。
最初に乗って、これまで付き合ってきたCFだ。
愛着が無いとは言わない。
でもそういったおセンチな感情とは別に、まだγでやれることがあるんじゃないかと思ってしまうのだ。
「あー、やめやめ……」
なんかネガティブな方向に気分が落ちそうだ、気持ちを切り替えないと。
「ミツエ婆さんからもらった依頼のデータを表示」
そう言うと目の前に立体映像で今日、テキヤの事務所で婆さんが見せてくれたデータと同じものが表示された。
最初の方は今回の件の発端になった例の偽ブランド服の情報だ。
手を上に払うと、画面がスワイプされ流れていく。
あの映像が流れた。
俺は手を止めてゆっくりと下に払って、画面を映像の部分に戻した。
あの子だ。
アミーグリーンのミリタリーコートを着て振り返る女の子の映像。
しかもこの子の瞳は、まるでLEDが発光しているかのような、見事なまでに明るく、輝く緑なのだ。
ライムグリーンというのだろうか?
それに見事なプラチナブロンド。
白ではない、輝く光沢を放つ不思議な髪の色だ。
最近はまったく意識しなくなった、子供の頃に感じた自分とは違う肌と、瞳と、髪の色をもつ別の人種に出会った時のあの感覚だ。
インター・ヴァーチュアでは完全な死語となった、異邦人という言葉が頭に浮かんだ。
混血なのだろうか……柔らかそうな白い肌は明らかに日本人には無いものだが、顔の作りはうっすらと馴染み深い造形に感じる。
他にもいくつか別の映像があった。
地面にいくつも服を並べてその真ん中にペタンと座っている映像。
あの偽ブランド服を抱えて通りを歩いている映像。
アーミーコートはそのままだが、さっきの座っている映像よりなんとなく身なりが綺麗になってるような気がする。
他にもおそらく商売をしている姿がいくつかあった。
うーん……テキヤがすごいのか、それともこの子がうかつなのかは判らないが、足がつくと、いとも簡単にガッツリ追跡されちまうんだな。
ある画像でスクロールする手がピタリと止まった。
「おおぉ……」
どこだ? 何やら高級そうな部屋だ。
そういえば婆さんが「派手に遊んだ」と言っていたがそれか?
風呂あがりなのだろう、頭にタオルを巻いている。
インナーにショートパンツという姿だ。
ルームサービスでも頼んだのか?
カートを移動させているのだろう、上に乗っているのはパンケーキの皿か?
他の映像ではまるで作り物のように無表情だったが、この映像ではうって変わって、なんとも幸せそうなウキウキした笑顔を浮かべている。
「か、かわいい……」
声が出てしまった。
そして、思わずゴクリと唾を飲んでしまった。
これまでは野暮ったいグリーンコートを着ていたが、この映像では体のラインがあらわになるような服装だった。
ママ・アジエのビキニ姿のようなダイナマイトバディとは全く違う。
だが、俺はこちらの方が好みだ。
形の良い小さいお尻と……インナーから浮き出るその膨らみから、なかなか豊かな胸をお持ちであることがわかる。
着痩せするタイプなのか……。
こんな子が公共ターミナルでエロ動画見ていたとか噂になっていたのか。
……不純な想像が浮かんでしまった。
いかんいかん……と思ってもこの年の男子として正直な気持ちは大事にするべきだろう。
俺は目の前の画像に両手でフレームを作って重ねた。
端末にスクリーンショットが撮られる。
えへへっ、とニヤけたところで俺は顔面の血の気が一気に下がることになった。
半円球投影モニタの端っこに、ライノとケイトがニタニタしながら映っていたのだ。
「ちょっと、ケイトさん。聞きまして……」
「ええ、カワイイとか言ってましたわよ」
俺は口をパクパクしていた。
声が出ない……
「お前さ、待機中なのに回線リンク開きっぱなしとか油断しすぎだろ」
ライノが鬼の首を取ったような顔でそう言った。
いや、実際に俺の首は完全にとられたようものだ。
しまった……一人でいた頃のクセが出てプライベートモードにするのを忘れた。
CFのコクピットは味方識別でリンクされていると、モニタリングのために通常は双方に回線がオープンしっぱなしになる。
ようするに、見ようと思えば俺の行動はメンバーに丸見えということだ。
「……お、お前らいつから……」
震える指で画面の上の二人を指さしてやっと言葉が出た。
「うちらさ、コーヒー差し入れてやろうかと思ったら、なんと悠がさ、生中継してるじゃん」
ケイトが口に手を当ててオホホホと意地悪そうに笑ってそう言った。
「作戦の復習でも始めたのかと思ったらよ、例の子の画像をガン見し始めたじゃーないですか」
今度はライノだ。
「いやー意外ですな。悠先生のお好みはプラチナブロンドのトランジスタグラマーだったとは……」
「まさかスクショまで撮るとは思わなかったわ」
ケイトがそう言うと二人は爆笑しだした。
「うわぁあああ!忘れてくれー!」
俺は頭を抱えて叫んだ。
【Present Day】
その後、ライノとケイトが飽きるまで、数週間に渡り壮絶にイジられることになった。
まさに奴隷のような扱いだった。
特に酒カスのケイトには壮絶にタカられ、どれだけ奢らされたことか。
チセとの関わりのきっかけを考え、心がチクリとして思い返していたら岩で殴られたような記憶が蘇ってしまった。
「お前さ、もしかしてまだあのスクショ端末に入ってるだろ」
「ねーよ!」
必死で反論した。
もちろん入っている。
二回ほど機種変更したがロックをかけて大切に保存してある。
あの一件以来、俺のセキュリティ意識が高まったのは言うまでもない。
「進展させないのはお前の勝手だけどさ、ズルズル引っ張るのってさ、ツラいんじゃね」
「とりつく島もないんじゃどうしようもないだろ……」
そう俺は本音を漏らした。
「そうねぇ。チセちゃんは基本的に人に距離置くからね」
俺は憮然としてコーヒーを啜った。
「とは言っても、最初に比べればだいぶ馴染んだんじゃないか。最初のころはママ・アジエかスミー以外には寄り付きもしなかったしな」
確かにその通りだ。
今でこそ、チセも普通にみんなと会話するようになった。
自慢できる話ではないが俺もかなり他人に壁を張って生きていた人間だ。
そんな俺から見ても最初の頃のチセは異常なほど他人を警戒していた。
「悠ちゃんよ。なんやかんや言ってさ、最初にチセちゃんがさ、まともに会話し始めたのがお前だって気づいてる?」
「……そうだっけ?」
ライノに言われて思い返すが、ピンと来なかった。
「はぁ……まあ、いいや」
ヤレヤレとライノはまた、呆れ顔でそう言った。
何か言い返そうとしたとき、低い振動音をたてプラットフォームが停止した。
どうやら到着したらしい。
俺とライノは連れ立ってプラットフォームを降り、お互い飲み物の残りを啜り、空になった缶へ、拳を叩きつけて潰した。
「せーのっ!」
二人で降りたところにある柱の横のゴミ箱へ、潰れた缶を放り投げた。
見事に缶はゴミ箱の中に吸い込まれ、ガシャっという音が響いた。
いつからやるようになったかは覚えてないが、俺たちの仕事の前の景気付けだ。
「よっしゃ、行こうぜ、ライノ」
「おう」
俺とライノはジクサーのドックに向かって歩き出した。