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introduction 07 九法 悠の時間―彷徨うラップタイム(Lap Time)/05

   【Flashback】


 HODOの商売人たちが結成した『テキヤ』という組織がある。

 そのテキヤのまとめ役であるミツエ婆さんに頼みがあると言われて、俺たちは事務所に呼ばれていた。

 同席しているのはリーダーとアジエ、それから俺とライノだ。

 到着すると、テキヤの事務所の奥に通された。

 そこは畳張りの和室だった。

 部屋の中央の座布団にリーダーとアジエが胡座で座り、俺とライノは端の座布団で正座していた。

 座るとお茶を出された。

 湯呑で緑茶ってそういや久しぶりな気がする。


 床の間の掛け軸には、いかめしい顔つきの老人が描かれていた。

 頭には二本の角、蓑を羽織り、口には長い葉っぱを咥えている。

 水墨画だろうか、墨の濃淡が絶妙で、妙な迫力があった。

 絵の右下には赤いミミズのたくったような字の押印がされていてその上に四文字の漢字が書いてあった。

 こっちも達筆でミミズがのたくったような字だが、押印とは違いこちらはかろうじて判別できる。

 『神農炎帝』と書かれるようだ。

 別に足を崩して座ってもよかったのだろうが、何か雰囲気に飲まれて正座になってしまった。ライノも普通に正座で座っていた。

 そういった所作はできるのに、和室は珍しいのか目を輝かせてキョロキョロしている。


 「ウヒョー、これが『ニンキョウ・ウェイ・オブ・ライフ』ってやつ?」

 ライノが小声で嬉しそうに言った。

「任侠道な……。つうかさ、こんなコテコテの畳張りとか久しぶりに見たぞ」

 記憶の中にぼんやりと、小さい頃に親父の田舎の爺ちゃんの家がこんな感じだったかな、という程度だ。

 まさか、インター・ヴァーチュアこっちでお目にかかるとは思わなかった……。


「ええー、悠って日本に住んでるんでしょ?日本の家ってタタミ、カケジク、ボンサイじゃないの?」

「畳なんて今時、珍しいよ。お前は日本に何を期待してるんだ?」

「ええーなにそれ、ツマンネー」

 そんな感じでヒソヒソやっていたら、アジエに怒られた。

「ウッセーぞ、お前ら」

 俺たちはお互い目配せしてからピンと背を伸ばした。

 何やらヤクザ映画の下っ端の気分だ。


 しばらくすると、上座に真っ赤なアロハシャツ姿のどっしりした婆さんが現れた。

 この人がHODOの商売人の顔役、ミツエ婆さんだ。


「柳、アジエ、わざわざ悪いね。よっこらしょ」

 ミツエ婆さんは右足で立膝をついてどかっと座った。


「歳で足がキツくてね。まったくこんなところだけ中途半端にリアルで困ったもんだ。作りもんならこのへんはどうにかしてほしいもんだね」

 「ああ、そうだな。俺もそこは同感だわ……」

 少し冷めたお茶を啜るとリーダーがつまらなそうにそう答えた。


 なんとなく、その場に気まずい空気が澱んだ。

 「それで、ミツエさん私たちに頼みたいことがあるってなんです?」

 アジエはそんな空気を読んでか。

 前置き抜きで、いきなり本題に切り込んでいった。


 「ちょいと、アレ持ってきな」

 ミツエ婆さんが言うと、サングラスをかけ、ハンテンに甚兵衛姿の男が正座で障子をスッと開けて入ってきた。

 彼はアジエの前に高級そうな服を置き、再び障子のところで正座をすると無言でペコリと一礼してピシャッと障子を閉じて出て行った。


「こいつを見てくんな。アジエ、あんたならこの代物がどんなものかわかるんじゃないかい」

 アジエは目の前に置かれたパステルカラーの女の物のブレザーを手に取ってしげしげと見つめた。

 アジエは眉間に皺を寄せながら懐から端末を取り出して服をスキャンした。

「ちょっと、ミツエさんこれっておかしくないか……」

「やっぱりあんたは目が肥えてるねぇ。あたしには、それを何て呼ぶか、言葉が見つからないんだけどね。あんたはなんだと思う?」

 アジエが困った顔していた。

 うーんと唸ってしばらくして口を開いた。

「うーん……偽物なのは間違いない。でもタグボックス以外を全部完全に再現してる。これ、物としては本物そのものだわ。ありえねぇよ」


 俺とライノも顔を見合わせた。

 確かにあり得ない事だからだ。

 この世界はデータで出来ている。

 仮想現実の中では現実世界の物品はシミュレーションデータとして再現されている。

 やろうと思えばデータとしてどんなものでも再現可能だ。

 だから安易なコピーを防止するためデータには厳重なプロテクトが施され、タグボックスと呼ばれる複製困難なシリアルコードを中心に置くことで本物の証明としている。

 タグボックスなしでのデータの複製は不可能……この世界の住人なら子供でも知っている基本だ。


「でよ、婆さん。俺たちに何をしろって? これを流したやつにヤキ入れて手を引かせろってか?」

 リーダーは茶を啜りながらますます仏頂面になっていた。

「それとも、そのブツを追って残らず始末しろとかか?」

 リーダーは普段、アルバイトに関しては非常に協力的なのだ。

 「補給がなければ干上がる」と言ってるのもリーダー自身だ。

 それにこの手の話は十中八九、荒事になる可能性が高い。

 どちらかといえばいつもは嬉々として受ける内容の仕事だ。

 それが何故か今日に限ってリーダーはどこか始めからシラけていて明らかに乗り気ではなかった。

 それが証拠にアジエはリーダーの態度にこめかみをピクピクさせ怒りを抑えていた。

 無論、この仕事を受けないという選択肢はない。

 なぜなら、現在俺たちは無一文で、今ある物資が尽きれば完全に詰みだ。

 もし、そうなればしばらくは便利屋どころか弾など撃たない運送屋や日雇労働をするハメになる。


「そうさね。今回は救出ってやつかね……」

「おいおい、婆さんよ、モウロクしたかよ。俺たちが空挺レンジャーにもでも見えるのかよ。そんなお上品なことできるか」

「おい!バシ!黙れっつーの!」

 案の定、ママ・アジエが切れた。

 リーダーは舌打ちしてソッポを向いてしまった。


 「すいません、ミツエさん。このアホはほっといてとにかく詳しい話を聞かせてもらえますか」

 あのリーダーの不貞腐れた態度など意に返さずニコニコと流すこの婆さんもたいがい曲者だ。

 ミツエ婆さんは、端末を取り出して操作した。

 すると目の前に映像が浮かび上がった。

 それは野暮ったいアミーグリーンのダボダボのコートを着た女の子が振り返ってる姿の映った画像だった。

 透き通るように白い肌と、緑の瞳、フワリとした髪は銀色だった。

 俺と同じぐらいの年頃だろうか?

 迂闊にも、目が離せなくなっていた。完全にタイプだった。

 ライノが唸りながら映像を見ていた。


「この子、確か?」

「おや、おまえさん知ってるのかい?」

「ちょっと前ですけど噂になってた子じゃないっすかね?」

 ライノが腕を組んで画像の顔を覗き込んでいた。

「どこからか流れ着いたホームレスの超美人が、2層の公共ターミナルでいきなりエロい動画見だしたって話題になってましたけど……その子っぽいんですよね」

 ああ、それ俺も聞いたことあるわ……。


 「呆れた。そんなことでも有名なのかい、どこまで世間知らずなんだか……」

 ミツエ婆さんは腕を組んで深くため息をついた。

「この娘がその服を捌いてた張本人さ。たぶん、作ったのもこの娘だろうね」

 頭が痛いとこめかみを手で揉みながらミツエ婆さんは続けた。


 「ここ最近、変なブツが流れてるのに気づいてね、追ってみたらこの娘だったわけだ。たいして追わないでもわかるぐらいには派手に遊んだみたいでね、先に鄭のところに引っ張られちまったんだよ」

 そこまで言うと、手を額から離し、リーダーとアジエに真っ直ぐ顔を向けた。


 「じつはね、この娘とは少し前に因縁があってね……助けてやってくれないい?」

 婆さんの言った鄭は、この前やはりミツエ婆さんに依頼されて話をつけに行ってリーダーが喧嘩を打った密売人の頭目の名前だ。


 なるほどね。

 どうやら映像の子はやばい商品を流してブラックマーケットの方を怒らせてしまったらしい。

 どんな因縁があったか知らないが、どうやらミツエ婆さんの方は本気のこの子を心配しているようだ。


「おことわりだ」

 いきなりリーダーが話をぶった斬った。

 相変わらず、つまらなそうに湯呑みからちびちびとお茶を飲む。


 「ああ?なんでそうなんだよ!」

 アジエが目を剥いて手をワナワナさせてそう言った。

 俺とライノも再び顔を見合わせた。

 ライノは手を広げて「わかんね」とジェスチャーで返してきた。


 リーダーがこんなに頑なにバイトを嫌がるのを見るは初めてだ。

 普段はトラブルに好んで首を突っ込んでいくような人なのに……。


 「どこぞのメスガキが調子こいて痛い目にあってるだけだろ。そんなん自業自得だ、付き合ってられっか」

 「バシ、お前な仕事選り好みしてる場合じゃねーだろ」

 アジエがもっともな抗議の声を上げる。

 だが、リーダーはアジエが見ていた派手なブランドデザインの服に汚物でも見るかのような視線を向けた。


 「その女の作ったってブツ。なんか気に入らねぇんだよ……」

 「ハァ、なんだそりゃ?ただの服だろ」

 「……そいつはなんか生きてるみたいで気持ち悪ぃんだよ。関わりたくねぇ……」

 「あー、オメェここにきて勘かよ……フザケンナ……」

 勘。なんとなく腹に落ちた気がした。


 この人はこういうとこが確かにある。

 まだ短い付き合いだが、どうやらそういう直感を外したことがないらしい。

 だからアジエもリーダーに勘を持ち出されたので言葉が淀んだみたいだった。

 リーダーがそうと感じたということは、こいつは厄ネタということだ。

 それに実際、リーダーが何か気に入らない、縁起が悪いとか言い出したときは頑固だ。

 いっさい、譲らないだろう。


 場が静寂に包まれた。

 しばらく沈黙を破ったのは依頼主のミツエ婆さんだった。


 「柳、お前さんが感じるもんは正しいよ。このブツはねあたしも世の中の理ってやつに唾吐くような代物だって感じるよ」

 それまでこの部屋に来てずっとそっぽを向いていたリーダーがミツエ婆さんの顔をようやく見た。


 「亭主の代のことだ。現実で商売していたころは、たまにこういったよくない品物ってやつを見た。そういうことに縁が無さそうなインター・ヴァーチュアでまた見るとは思わなかったけどね」

 リーダーは無言でじっと婆さんの顔を見続ける。


 「あんたが言うように気持ち悪いんでね、ブツは全部回収したよ」

 「へぇ。で、ソレ、どうするんだ?」

 「そうさね。とりあえず、仮想現実こっちの物だからね。こっちの神様に委ねるのがいいだろう。1層の一宮神社で祓って焼いちまうよ。あたしが責任を持って始末するよ。鄭にもそう伝えておくれ」


 何やらオカルトめいた話になってきた。

 このインター・ヴァーチュア世界でも宗教施設はある。

 そう言う場所は古今東西、空に最も近い場所に作られるのが相場らしい。


 ここHODOにも一番上層の1層に婆さんの言った神社をはじめ、寺院や教会、モスク、シナゴーグに廟なんかがある。

 実際、人が集まると最初に作られる公共施設は宗教関係なんだそうだ。

 インター・ヴァーチュアの世界ではいまさら人種や国も、へったくれもない。

 様々な肌の色や民族の文化はごちゃ混ぜになって一周回ったような場所だ。

 誰が何を信じていてもそれに口は出さない、挟まないのは暗黙のルールだ。

 だからインター・ヴァーチュアでも宗教は特に尊重され、宗教施設はどう言うわけか仲良く同じような場所に集まる。


 「ブツは婆さんが始末する。そうなるとあとは蒔いたやつが問題ってことか……」

 「その通り。あたしはこの件を葬るが、鄭のやつはどうかね。作り方を吐かせるか、作らせるかのどちらかだろよ」

 「ほっときゃこの薄っ気味の悪いもんがまた出回るって言いたいのか?」

 「そうだよ、だから張本人はここに連れてきておくれ」

 リーダーは「うーん」と唸るとしばらく頭をぼりぼりと片手でかきむしり、再びミツエ婆さんに向き直り、苦笑いをした。

 どうやら考えが変わったらしい。


 「汚ねぇぞ、ババア。俺の負けだ。報酬は弾めよ。」

 隣のアジエは小さく「Yes」と言ってガッツポーズをとっていた。


     【Present Day】


「そういえばミツエ婆さんに頼まれて仕事したときあったよな。ほら、リーダーが最初、かなりゴネたやつあったろ」


 俺がそういうとライノは何やらシラけた表情と哀れみと軽蔑が混じった視線を向けてきた。


「あのさ、悠ちゃんよ……」

 その表情のままゆっくりと近づいてきたと思うとでかいため息をついてヤツは両の手をガシッと俺の肩に置いた。


「なっ、なんだよ?」

「チミさ、確か一七歳だよね。青春ど真ん中の現役高校2年生だよね?」

「そうだけど……なんだよ?」


 ライノはジトーっとした目で俺を顔を覗きこんできた。

 いや、近いから……。

「正直におなり!」

 そう叫ぶと、いきなりライノは俺にコブラツイストを仕掛けてきた。


「痛い!痛い!痛い!何すんだオマエ!」

「ダマラッシャイ!お前が何を考えてるかなんて丸っとお見通しなのよ!」

 そのまま器用に卍固めに移行すると、オマケとばかりに脇腹に肘をグリグリと押し当ててくる。

「ほーら、吐け!吐け! 誰のこと考えてた!」

「あダダダ!わかった、わかったから!もうやめろって」

 技が外され、俺は地べたにドシャッとうつ伏せに倒れ込んだ。

 ゼェゼェと息をしながらゆっくりと立ち上がった。

 脇腹がズキズキとする。

 この筋肉ゴリラめ……手加減しやがれ。


 「どーせ、チセちゃんのこと考えてろ。わかりやすすぎです。チミはクラスの女子が気になりだした小学生ですか?」

 顔が熱くなる。

 図星すぎて反論できない。


 「そんなに気になるならさっさと告っちまえよ」

 「そんなんじゃねぇし……」

 「あー、もうヤダヤダ。素直になれない子はオバちゃんキライよ」

 カマっぽい仕草してそう言うライノに恨めしい目を向けた。


 女関係で言えば、俺はまったくこいつには敵わない。

 情けない話だが俺はこれまで女の子にはいっさい縁が無かった。


 というか、中学や高校でなんとなくそういったモーションをかけられたことが無かったわけではない。

 いま思えば、ドストライクではないが結構、可愛い部類の子から声をかけられ、何度かチャンスはあったのだ……。


 残念ながら当時の俺は、今ほど悟ってはいなかった……愚かである。

 そのころの俺はなんと、そんなありがたい女子に対して鉄壁の厨二オーラを全開に展開して追い返してしまっていたのだ。

 自業自得なのだが、おかげで俺は女の子とは無縁の彼女いない歴、自分の年齢という有様だ。


 そんな俺と正反対でライノは節操がない。あたり構わず声をかけ、すぐに手を出す。

 そのおかげでトラブってほとぼりが醒めるまでテリトリーの俺の家に逃げ込んでくるなんてこともよくある。

 なんにせよ、ライノは男女の機微というヤツには敏感だ。おかげで「むっつり悠ちゃん」などと言われイジられるわけだ。


 ライノは俺の恨めしそうな目を見て、「ふんっ」と鼻を鳴らし、ふざけた仕草をやめて壁に腕を組んで寄りかかった。


 「あのさ、ほんと誰かに先越されちまっても、オレは知らねーぞ」

 「うるせーな。余計なお世話だ」

 「ハイハイ、わかりましたぁよ。で、遠回しに何?」

 「チセを助けたあの仕事ってどのくらい前だっけ?」

 その瞬間、ライノは「プッ」と吹いた。

 「何よその遠回しなの。あー、アレね。キミちゃんがチセちゃんと運命的に出会ったちゃったのはどのくらい前でしたっけって……そいうこと?」

 なんだクソ、その通りだ。俺は口を尖らせ、ライノから視線を外した。


 「そうだな、確か半年ぐらい……だったって、それは現実時間リアルか。インター・ヴァーチュアこっちで一年ぐらいじゃないか」

 ブワッとプラットフォームに風が抜けた。

 俺は叩きつける風から庇うように片目を掌で庇い、片目で風上の方を見た。

 その先は港に停泊するライナーたち、さらにその先には仮想現実が作る夜空と風になびくように強い自然現象の演算により処理干渉光がオーロラのような淡い光を放って、ふわふわとしていた。

 チセと出会ってからそんなに経つのか。そう考えたら何故か胸のあたりがチクリとするような感じがした。

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