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introduction 08 チセ―縺(もつ)れるラップタイム(Lap Time)/02

  【Flashback】


 わたしはマキシムからもらったグリーンの大きなコートを羽織り、その上からサンタクララを降りるときに渡されたショルダーバックを肩にかけて、アジエの背中を追って歩いていた。


 荷物は拉致されたホテルから回収されていた。

 とは言っても、売り捌くために作った服以外といえばこのカバンだけがわたしの全財産だ。


「これからは気軽におばちゃんでいいから、何か困ったら遠慮なく相談においで」


 と、ミツエ婆さん……おばちゃんから手渡された。


「……ってことだ、アジエ。しばらく頼むわ」


「って、やっぱりあたしかい!」


 柳橋にアジエが食ってかかったあの後、少しの間二人は会話していた。


「手が足りねぇってお前言ってたろ……」


 耳の穴に小指を突っ込んだあと、指先に「フッ」と息を飛ばしてから柳橋がそう言っているのが聞こえた。


「いや、だからって、いきなりねーだろ。他の連中にもどう説明しろってのよ……」


「どっちにしろしばらくは身動き取れねぇぞ。えーと、おいテメェ、名前は?」


「えっ……」


 いきなり柳橋からの問いに、わたしはビクッと身をすくませた。


「名前だよ、名前。なんて呼べばいい」


 柳橋の目が細く、イラつきの色を帯びたの見てわたしは反射的に答えてしまった。


「……ち……チセ……」


「おっ、わかった……チセだな。アジエ、とりあえずそいつにγガンマをどうにかさせろ」


「えぇ〜。アレはもういいだろ! 元々、手かかってのはアレのせいだぜ!」


「ダメ元でいい。別のCFを調達したとして、あいつに諦めさせてそっちへ乗せるのに、どちらにしろ時間がいるだろ」


 柳橋の言葉にアジエは腕を組んで鼻を鳴らしていた。


 話が終わると、アジエ以外のアルマナックのメンバーはさっさと引き上げてしまった。


 「ほら、行くよ。ついてきな」


 ミツエおばちゃんから荷物を受け取ると、一人残ったアジエについてテキヤの事務所を後にしたのだった。


 カバンのベルトを握り、先を歩くアジエの背中についていった。

 アジエは無言で少し猫背になって、両手をズボンの尻ポケットに突っ込んだまま、時折何かをブツブツと呟いていた。

 「……なんで、あたしが……」とか、「宿六め、覚えてろ……」とかいう言葉が聞こえる。


 ミツエおばちゃんの事務所はHODOの第2層の一角にあった。

 HODOと呼ばれる場所はオラクル・パシフィックゲートの第3区画に作られた、自然発生した7層の都市だ。


 すでに船の面影はほぼ消えているが元々、巨大なオーシャンライナーであったオラクル・パシフィックゲートの球形船首バルバス・バウの部分にひな壇型に作られた場所だと記録を見た。


 とはいっても、各層はおよそ長さ百九十キロメートルにもおよぶ巨大なプラットフォームだ。


 それが高さ五十メートルずつ、3層までは傾斜十度と比較的緩やかで、貨物エレベーターとは別にそれぞれを行き来する階段状の広い通路が中央にある。


最初に作られた第1層は、公共施設が多く、併設して居住区が整備されている。


第2層、第3層は商業と居住が入り混じる雑多な街区で、わたしは主にこの2層を拠点に、商売や宿を転々としていた。


第4層から下は傾斜が急になり、ドックやジャンクヤード、ライナーの整備ヤードばかりが広がっていて、正直あまり足を踏み入れたことがない。


 わたしとアジエは今、ムービングウォークで上層に移動していた。


 両脇に年代物のムービングウォークが上り、下りの合計4機と、中央に階段を備えた全幅二十五メートルの通路は『仲見世通り』と呼ばれ、両脇に商店や飲食店が軒を連ね、往来が途絶えることはない。


 そんな喧騒を抜け、アジエは仲見世通りの終点である1層まで上がった。


 この1層もわたしはあまり来たことがなかった。

 オラクル・パシフィックゲートに残された第3区画に続く古い搬入路を抜けてHODOへとやって来て以来だ。


 中央部には不思議な建物がいっぱいある。

 前回はそこを突っ切ってきた……。


 後でそれは人間が宗教と呼ぶロジックのための施設だと知った。


 これも人間が高級言語と呼ぶコードの書き方と同様に、そのロジックは単一ではない。

 それに、どの宗教も同じように、未定義の関数を呼び出そうとしてるようなことをしている。


 宗教の違いは、わたしには構文だけが違っているように見える……。


 しかも、呼び出し先は存在しないかもしれない。

 けれど、人間はそれを何千年も続けてきたようだ。


 どうやら、実行結果ではなく、呼びかけることそのものに意味がある演算らしい……。

 正直、結果を出力しない演算にどんな価値があるのかはさっぱりわからない。


 「なにボーッとしてんだ? ほら、こっち!」


 宗教施設の方を見ていたわたしにアジエが声をかけた。


 そしてまた、スタスタと歩いていくアジエの背中を追いかける。

 どこへいくのだろう……彼女が向かう方向は居住区画とも違う。


 強いて言うなら、球形船首バルバス・バウ側に向かっていた。

 丁度、あの古い搬入路がある場所の反対側にあたる。

 頭上にそびえ立つ船首へさきが近付くとその存在感と巨大さがより感じられた。


 それと、さっきから違和感があったのだが進むにつれ、辺りがやけにひらけてきた。

 雑多で猥雑な2層、3層ではありえない。

 1層でも居住区画といえばHODOでは集合住宅が普通だ。

 それに、宗教施設なども含め、ブロック的な区画で整理されている。


 だが、ここは明らかに異質で、右手にオラクル・パシフィックゲートのそびえるような船首の壁が、左手には下層を見下ろすような開けた空間が広がっている。


 まるでテリトリーにあるという公園といった風情の場所だ。

 そういば、どこから始まったのか、やけに綺麗に舗装された道を歩いていたことも今になって気づいた。


 その道の二十メートルぐらい先だろうか、やけに明るい場所がある。


(スケスケだ……)


 と、心の中でつぶやいてしまった。


 よく見ると、四角いボックスをランダムに積み重ねたような構造の大きな建物がある。

 中から灯りの光が強烈に漏れていた。

 目に入るほとんどの壁がガラス張りで、わたしは思わず足を止めた。


「ここって、何なの?」


 思わず声が漏れた。


「ああっ?」


 そんなわたしの言葉に反応して、アジエがわたしの方を振り返った。


「あたしの家だよ、文句あっか?」


「あの建物が?」


「んー……ていうか、このへん全部、うちの敷地。だいたい三千坪くらいかな? それに1層は、ほとんどあたしの持ち物。――いわゆる地主ってやつ。Gotchaガッチャ?」


 人差し指を立ててクルクルと回しならがそう言った。

 そして、アジエは思い出したという顔をして言った。


「あー、そうだ。おまえ、この道から出て歩き回るなよ。セキュリティが動いてて、危ねぇからな」


 「……わかった……」


 三千坪……メートル換算で約一万平方メートル……。

 それが、

 1層をほぼ所有している……?


 ――返事はしたものの、何やら物凄いパワーワードが混じっていてセキュリティの話以外は、わたしの中ではほとんどがエラー音が出て、理解できてなかった。


 ドアの前までたどり着くと、そのスケスケの家がHODOでは規格外の大きさであることがわかった。

 正直わたしが拉致された、そこそこランクの高いホテルより大きいかもしれない。


 アジエが木の質感の巨大な両開きドアの前に立つと、内側から自動的に開いた。


 「ほら、入りなよ」


 玄関に置かれた木製のハンガーラックにキャップをかけながらアジエはわたしを家の中へいざなった。

 足を踏み入れると、自動的にドアが閉まった。


 「コートはこいつにかけな。えっと、それと……ジーブス」


 アジエが誰かの名前呼んだ。


 「はい、レディ・ジンガノ。御用は何んでしょう」


 突然、中低音の男の声だけが響いた。

 姿は見えないが、まるで上から降るように声が聞こえ、わたしは天井を見え上げた。

 そんな様子を見てアジエはニヤリとした。


 「どうだー、うちの環境制御AI執事は。なかなかのイケボだべ」


 なるほど……建物のコードに管理用のプログラムを直結しているのか……でも、イケボって何だろう。

 わたしはかばんの紐を握ってアジエの顔を見返した。


 「……ちょっと反応無しかよ? ツマンネー、ヤツ」


 アジエは一瞬、目を細め、面白くないと顔をしかめると高い天井に目を向けて、いわく、イケボの執事に話かけ始めた。


 「ジーブス、お客だよ。しばらくうちに泊まるから登録してやってくれ。 えーと、名前なんだっけ?」


 「チセ……」


 「ファーストネームは?」


 「……ない……ただのチセ……」


 「何だそりゃ……。まあ、言いたくねぇならいいわ。ジーブス。チセだ、パーミッション権限はフルアクセスでいいぞ」


 「かしこまりました。ミス・チセ、ようこそ。以降、あなたは当屋敷マノーに無制限のアクセスが許可されます、どうぞお困りのことがあれば何なりとお命じください」


 「あ、ありがとう……」


 確かに色々と制限が解除アクティベートされるのを感じて、ジーブスに小さく礼を言った。


 カバンを外し、コートをハンガーラックにかけていると、わたしにアジエが指をクイクイと動かした。


 ついて来いということらしい。

 カバンを抱えて、わたしはアジエの後を追った。


 しかし、天井が高い。

 玄関からの廊下もだだっ広く、ただの通路だというのにやけに開放感がある。

 もしかしたら、わたしが使っていたホテルの部屋よりこの廊下の方が広いかも……。


 その廊下の先にはガラスフェンスがついた螺旋階段が見える。

 階段の手前に部屋の入り口があり、アジエはそこに吸い込まれて行った。

 入り口に向かおうと廊下を進み螺旋階段をよく見るとどうやら、上に2階分、さらに下り階段までついているようだった。

 螺旋階段は吹き抜けで、見上げると家の中とは思えない高さがあった。


 その螺旋階段を横目にアジエの吸いこまれた入り口を潜った。

 開け放たれていたが、どうやらこちらもガラスの両開きのスライドドアになっているようだ。

 そして部屋に入ったわたしは唖然とした。

 部屋……というより最早、一つの空間と言ったほうがよさそうな光景だった。


 外からガラス張りでスケスケなのはわかっていたが中に入った方がより巨大に思えたのだ。

 完全に空間認識がバグっていた。


 そもそも、いま歩いてきた廊下だって普通の建物二階分ほどの天井高だった。

 この部屋は、ゆうにその二倍の空間が縦に取られていた。

 長方形の箱型のその空間はHODOへと辿りつく前に見たオラクル・パシフィックゲートのビルのちょっとしたロビーほどの広さがある。


 正面は一面、天井までガラス張りで、その先にはひな壇型の階層都市であるHODOを睥睨するかのような光景が広がっていた。

 床はダークブラウンのフローリングで、壁も同じ色のウッドのデザインだった。


 部屋のど真ん中に巨大な円形の毛が長いラグが敷かれている。

 きっと、フワフワに違いない。


 その円形のラグを囲むように、グレーのラウンドソファが置かれている。

 ソファと呼べるのだろうか、十人以上は座れそうだった。


 そして、その中央に置かれた四角白い大理石のような質感のテーブルは半面にガラスの四角いガードが施され、その中に黒い玉石が敷き詰められていた。

 敷き詰められた玉石の中央にある銀色の筒には赤々と火が灯っていた。

 それはまるで、テーブルに暖炉が組み込まれているようだった。


 部屋全体、家具や調度品も含め確かに調和がとれている……。

 嫌味のない空間だ……むしろ美しいとすら感じるのだが、それよりもわたしはすっかりスケールに圧倒されて半ば放心していた。


 「いつまで突っ立ってんだ? いいからくつろげよ」


 部屋のスケールに飲まれてアジエの存在をすっかり忘れていた。

 アジエの声のほうへ向くと、部屋の左側がキッチンになっていたのだと気づいた。

 アジエはそこでポットと四角い缶を手に立っていた。


 「とりあえず茶でも淹れてやっから、一息つこうぜ。チセ」


 ポットに水を入れながら、アジエは優しい笑顔で、わたしの名前を呼んだ。

 その時、わたしはエクス=ルクスを脱出して以来、久しぶりに自分の名前を他人が呼んでくれていたことに気がついた。

 サンタクララでは名乗らなかった。

 ミツエおばちゃんにもまだ名乗ってなかった。

 でも柳橋と、アジエはわたしの名前を聞いて、わたしを名前で呼んでくれた。


 名前を呼ばれる――。

 それだけのことなのに、胸の奥が、ぽっと温かくなったような気がした。

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