【Present Day】
「観念したまえ、モデルちゃん」
アジエは実に嬉しそうな顔をする。
アルデンは昔からわたしにランジェリーモデルをさせたがっていた。
断っておくが、アルデンにイヤラシイ思惑など微塵もない。
困ったことにハイモードのスタイリングディレクターとして、本当にただ、見たいだけなのだ……。
「アルデンの推しだと、やっぱりアレだよね?」
「……そう、たぶんヴィヴィアン・シークレット」
「うわぁ〜。超エロいわ。 楽しみー」
「アジエは、あれいっぱい持ってるじゃん」
「おあいにく。アルデンと一緒で、あたしも
アジエは口元を押さえてまたあの「キシシッ」という笑い方をする。
わたしは「むぅーっ」と腕を組んで視線をそらしてぷいっと横を向いた。
ヴィヴィアン・シークレット。
レース、チュール、サテン、メッシュといった透け感や光沢のある素材。
リボン、フリル、刺繍などでかわいく、ゴージャスに飾り立てる。
抑えつけるような拘束感がなくナチュラルに胸元を盛り、体のラインを強調する。
誰が言ったか、必殺、必勝……着て落とせない相手などいない――そんなふうに呼ばれる、究極の勝負下着だ。
要するに、すごく大胆。
アジエ流に言えば、超エロい下着だ。
べつにヴィヴィアン・シークレットが嫌いってわけじゃない。
むしろ今のわたしからすれば、新作の情報とかは気になるほうだ。
実際、内緒だがピンクのカワイイのは一つ持っている……。
興味本意で買って、一回だけつけてみた。
鏡の前でポーズを決めて、アルバイトで覚えた営業スマイルを浮かべた自分を見たとき、
「――ああ、こういうことか」って、はじめて
そう考えた途端にわたしは、求められる可能性というのを意識してしまった。
……直後のことだ何故か具体的に誰かの顔が浮かびそうになり、慌ててその処理を強制終了した。
以来、あれはクローゼットの一番奥に封印して二度と身につけていない。
ということで、デザイン的に気にはなっても、怖くてヴィヴィアン・シークレットは避け続けてる。
好みに、表情に……気持ち。
そういうものの本質は、まだよくわかっていないし、時には持て余している。
データの蓄積による学習だけでは説明のつかないものを日々獲得しているという実感だけはある。
あのラウンウェイに無理やり立たされた時を思い出す。
あれから一年で、わたしは随分と変わったものだ。
【Flashback】
わたしは四人のスタイリストに担がれるように、部屋のステージの裏手に連れていかれ……
「どうあんたたち、いけちゃうわけ?」
アルデンの言葉に無表情だった四人の顔が揃ってニマァという笑いを浮かべると。
「
黒のニットワンピースが代表して答えた。
「さあいくわよー」
そのあとはわたしを担ぎ上げて四人はわっしょい、わっしょいと掛け声をかけながらステージの裏手へと連れてきたのだ。
大きな鏡のついた化粧台の椅子に座らされたわたしに彼女たちは一人ずつ名乗った。
一人目、サーモンピンクのジャケットにタイトスカート。
流したショートヘアのグラデーションが光を受ける。
「ルジュ。骨格とラインは、わたしに任せて」
二人目はフリルのついた水色ブラウスにグレースカート。
大きな瞳がこちらを覗き込む。
「ミルですっ。カワイイの極み、引き出しちゃいますからっ!」
三人目は赤のダウンジャケットにダメージジーンズ。髪はくしゃくしゃの青ショートで、頬を動かしてなにか噛んでいる。
「ジン。ま、サクッとやってみりゃいいでしょ」
最後の一人、黒ニットワンピースが身体に吸いつくようにまとわりついている。明るいブルネットを後ろで縛ったその人は、わたしを見下ろしてにっこり。
「レイナよ。チセちゃんよね? 今日は私たちと、女の武器、最大火力まであげてみましょう」
そう言うと、レイナは再びわたしの顔を覗き込んだ。
「ルジュ。どう思う? アルデンがゴイスーって言ったから来たけど、ほんとにすごくない」
ルジュが親指と人差し指で直角を作るとわたしの顔の中央に人差し指がくるようにかざし、片目をつぶる。
「マジ、
「ミル、あなたの見立ては?」
ミルがわたしの背後に立ち、肩に手を置く。
外側から一本ずつ確かめるよに置かれる指の感触に反応して思わず背中が伸びた。
鏡越しに大きな目でわたしの顔を見ていた。
なんとなく子供っぽい感じの顔なのにその目になにやらうっとりした恍惚の色が見えるのは気のせいだろうか……。
「うーん。素敵な首筋……」
背後に顔を近づけると、うなじに「ふぅっ」と息を吹きかけられた。
「ふにぁ!」
ものすごい間抜けな声を上げ、思わずバンザイのように手を上げてしまった。
「ハーイ!ごめんなさいねー!」
次の瞬間、ミルの手がわたしの腰にまわり手を回しゼブラストライプのシャツの裾を掴んだかと思うと、「せーのっ!」という声と共に真上にたくしあげた。
視界が奪われ、次にはスポンと一瞬でシャツは奪われ、目の前には上半身下着姿でバンザイ姿のわたしがいた。
「どれどれ、どんな感じかなぁ〜」
呆然としているとミルは今度は二の腕に指を当てたかと思うと、ワサワサとまさぐるようにわたしの上半身全体に指を這わせた。
「うっひゃぁぁぁーっ!」
指先が這うたび、勝手に体がのけぞって、声が漏れた。自分でも知らない反応だった。
一瞬ではあったが顔が熱くなり、頭の先がぽわっと言うように白くなるような……嫌なのに嫌じゃない……そんな感覚に襲われたのだ。
すぐにミルの手が離れると、わたしは椅子の上でぐったりとして肩で息をしていた。
「いやーん、カワイイ。好きになっちゃうかも。えっと、チセちゃん歳は?」
指をわきわきと何かを確認するように動かしながらミルがそう聞いた。
「……ひィ……ふぅ……じゅ、十五歳……」
ぐったりとし、息を整えながら答えた。
「まじかー。レイナさ、チセちゃんオールマイティよ。なんでもいけるよ、じゃんじゃんイコー」
最後にぺろっと舌を出して「えへっ」と笑うとミルはわたしの傍から離れて行った。
まだ胸がドキドキとして息が苦しい……落ち着くまでしばらくかかりそうだ。
なんとか自分を取り戻そうと目を閉じた瞬間、頭を両側から押さえつけられて「グィ」っと無理矢理正面を向かされた。
びっくりして目を開けると今度はジンががっしりとわたしの頭を掴んでいた。
ジンは上からわたしの頭を見ていたかと思うと……。
「スゥー!」
ジンは頭のてっぺんに顔を近づけたかと思うと、ものすごい勢いで鼻から息を吸い込み始めた。
……もしかして……頭のにおいを嗅がれているのでは……。
「はうっ……はうっ……」
何が起きているのか……もう限界だった。
諦めて、わたしは考えることをやめた。
放心状態でピクピクしているわたしの頭をひとしきり嗅いだジンは顔を上げ、頭を掴んでいた両手を放すと今度は髪の毛を指でなぞった。
「ウィッグかと思ったけど正真正銘の本物!こんな光ファイバーみたいなプラチナブロンド初めて見たよ! 感動しちゃう!」
「ジン、あなたの鼻は何て言ってる?」
レイナの問いにジンは動きを止め、目を閉じて鼻をピクピクとさせた。
「……天然のウォームシトラス。ベースはミルクだね」
ジンがくるりと小躍りしてみせると、レイナがわざとらしくため息をついた。
「ちょっと〜、ほんとあんた嗅覚だけで仕事するのね。でも、たしかに……」
レイナはわたしの髪に手を添え、光の反射を確かめるように首筋に視線を落とした。
「このツヤ感、ベースはサテンかシフォン……映えるわね」
その呟きに、ルジュが目を細めて頷いた。
「骨格も理想的。デコルテのラインが強調できる服を第一候補にしましょう」
わたしの肩のあたりに手を沿わせ、軽く角度を測るような仕草を加える。
「えっ、第一って何着あるんですか……?」
聞き返すより早く、ミルがどこからか服が満載されたキャスター付きのハンガーラックを押してきた。
「今日は
レイナがチラッとわたしに目を向けた。
「さー、チセちゃん立ってくれるかしら。 片っ端からいくんで、ついでにスカートも脱いじゃおう」
その目に恐怖を感じてわたしは椅子にしがみつき、横に顔を振った。
「あら、仕方ないわね。ミルに手伝ってもおうかしら?」
わたしは「はっ!」と我に返り、ミルを確認した。
「ウヘヘヘッ」と笑いながら、ミルはいたずらっ子のような目でこちらを見ていた。
「じ、自分で脱ぎます!」
跳ねるように椅子から立ち上がり、スカートを脱いだ。
ミルは「チェッ!」舌打ちをすると、残念そうな顔をした。
こうして、四人に剥かれた末に、今、下着姿で山ほどの服と対峙しているというわけだ。
その中から、ルジュが一着を取り出した。
サーモンピンクのツイードジャケット。うすくパターンサンプルを思わせるグラフラクリーンと金ボタン。
対でこの筋のとおったスカートのラインの文字は、よく見るとパターンラインのGとCのロゴをコートに絵線化したデザイン。
これはよく知っている。
わたしが複製したブランド品の一つだ。
レイナが「ふふっ」と微笑んで、少しのけぞるようにして目を細める。
「あら、それもしかして…フルラックスの…」
ミルがそれにかぶせて、軽くポーズを取ってみせながら口を開く。
「ルジュしゃん、これ私が探してきたやつなのよ。あのランウェイに立つやつ。やっぱり最初はキメっとかないとね」
ジンが櫛を取り出してわたしの背後に立った。
「それなら、普通にハイポニテって感じかな?」
レオナが親指を立てて、ジンに答える。
それを合図にジンはギュッと髪を手で束ねると素早く櫛を通し、高い位置でゴムで結んだ。
一瞬で髪がフワリと立ち上がり、背中にひとすじの張りを感じた。
わたしはその服を通した。
高さのあるポニーテールの後髪のせいで胸元や背中がすうっとひと線にしまい、ジャケットのつくりと合わさって、なんだかちょっと「正義の味方」みたいな形になってしまった。
「ハイブランドってこう、あれね、全体のバランスを見る感じ。効率性と、アピール。従ったら等しいこと得られそうな感じっ」
レイナのこの分析、そんなに実際のブランドの調査に基づいているわけではないだろうけど、言われてみるとそれっぽく感じるからふしぎだ。
「あら……気づいちゃったのね」
ルジュはクスッと笑って、鏡に映るわたしの顔をじっと見た。
その目が、下地のカラーパレットのとおりの配色にぴたりと合っていると、静かにうなずいた。
「ジャケットも瞳も、計算通り。……いえ、予想以上かしら」
ミルは手でフレームを作ると、どこか芝居がかったウィンクをしてみせた。
「写真いきまーす。はい、そのまま、ポーズ! ……美しいです……! 完璧です!」
――わたしは、今「キレイ」と呼ばれるような服を着ていた。
そして、誰かに見せるための
……なんだろう、さっきまでの“わたし”じゃないみたいだった。
鏡の中のわたしは、誰かが「見せたい」と思う姿になっていた――それが、もう変なことには思えなかった。
だけどそれが何なのか、このときのわたしにはまだわかっていなかった。
ステージの足元に、そっと光が灯った。
この光の方向に行けというのことか。
「さあ、行ってきて。チセちゃん。あなたを見せてきなさい」
戸惑うわたしをレイナが送り出す。
わたしは、試着ステージの中央に出た。
明るい照明と、大音量で音楽が流されている。
正面の鏡が照明を反射して、いつもと違う
斜め奥――ランウェイの向こうにある観覧スペースでは、アジエとアルデンが並んで座っていた。
二人は無言のまま、わたしを見ていた。
さっきまでティーを挟んで向かい合っていたアジエも、今はもう観客の顔をしている。
わたしは、このステージに立たされていた。
服を着せられ、髪を結われ、光の中に置かれている。
たぶん、ここが――見せるための場所なんだ。
そして、見せられているのは、いまのわたし。
わたしはなんとなく音楽にあわせて、ステージから続く通路――ランウェイを歩きそのまま、ステージの裏へと、きた道を戻っていた。
――これでいいんだろうか?
再び裏手へと戻ろうとすると、照明が一度落ちて、音楽のボリュームが下がった。
裏手に戻ったわたしの服をルジュが脱がす。
ミルが新しい服を手に駆け寄ってくる。
ミルが手にしたのは、淡いアイボリーのブラウスと、きれいなフレアのかかったロングスカートだった。
「次はこれ! お嬢さま系いっちゃうよ〜」
レースの襟元に、光沢を抑えたブルーのリボン。
わたしにはうまく言葉にできないけれど、着た瞬間に
どこかの誰かが
「こっちは清楚勝負でいくから。チセちゃんは立ってるだけでよしっ」
ルジュが冗談ぽくウィンクを投げ、ジンは髪をほどいて言う。
「うん、これならワンレンっぽく下ろしていこう。前髪は流して、はい斜めっ」
レイナが控えめに拍手してくれる。
「うん、うん……これは似合う。似合いすぎる」
気がつけば、またわたしは
さっきのポニーテールがほどかれて、まっすぐに伸ばされた髪が首筋にふれる。
白いブラウスに袖を通すと、なんだか気持ちまで静かになる。
きれいに整ったブラウスの袖口と、少しふくらんだスカートのライン。
ふだんのわたしとは明らかに違う。
だけど、どこかで――これは
ふたたび照明が灯り、ステージが呼吸するように明るくなる。
鏡の中のわたしは、静かに微笑んでいた。
「チセちゃん。じゃあ、今度は最初は伏せ目にして歩いてみて。で、アジエさんとアルデンの前でふって笑ってみる。できる?」
レオナはそうわたしに指示を出した。
「うーん」とわたしは唸った……。
「えっと……こう」
伏せ目から、ふっと笑う。
自分なりにやってみる。
「そう、いい感じ。さあ、行ってらしゃい」
再び送り出され、ゆっくりと足を踏み出すと、ランウェイの床が優しく照らされる。
音楽は静かな曲調のものに代わり、歩くたびにスカートの裾が揺れ、光沢を抑えたリボンが胸元でかすかに揺れた。
さっきのジャケットとはまったく違う。
どこにも鋭さがなくて、やわらかくて、包み込まれているみたいな気がした。
最初は伏せ目で歩く……。
自然と手をスカートの前で組んでいた。
アジエとアルデンが見えたら、ふっと笑ってみせる。
わたしは顔を上げて二人に微笑んで見せた。
「うーん、いいじゃんかー」
観覧席のアジエが、小さく拍手してしてそうつぶやいていた。
その隣でアルデンはなにも言わず、ただ目を細めていた。
わたしという素材が、彼らの手の中で少しずつ形を変えていく。
そんな気がして、少しだけ背筋を伸ばした。
再び照明が落ちて、ステージ裏へと戻る。
裏手に戻ってくると四人がわたしを出迎えてくれた。
「うん、似合ってる。イイよ、すごく」
ミルが拍手しながら笑う。
「でもチセちゃん、もっと冒険してみない?」
ジンがラックの奥を覗き込んで、にやりと笑った。
「次は――甘くて黒くて、ちょっと魔性系、いくわよ」
レイナもわたしの顔をちらりと見て、小さく頷く。
「やるなら、徹底的に。だって素材がいいもの」
差し出されたのは、黒のドレス。
ふんわり広がるスカート、胸元と袖口に幾重にも重なるレースとフリル、そして鈍く光る銀糸の刺繍。
服だけで呼吸しているみたいに存在感があった。
「ロリータって、甘いだけじゃないの。これはね、戦う服よ」
ジンの言葉に背筋が伸びる。
ルジュが静かにウエストを締め、レイナがチョーカーを首に巻き、ミルが肩のフリルを整える。
ジンはホットアイロンを構えて、髪を大きめにカールさせていった。
装いが完成したとき、鏡の中の
ただ、胸のあたりが……なんだか……ボヨンとしていて。
フリルとコルセットの構造で、ラインがすごく強調されてる。
わたしは思わず腕で隠そうとして――ジンに「ダメ、崩れるから」って止められた。
えっ、これってそんな、わたし、そんなつもりじゃ……!
でも、みんなは平然としていて、むしろ「イケてる」と思ってる顔だった。
「チセちゃん。今度は最後までツンっとしてみてちょうだい。表情はいらないけど、目線は見ている人に送ってね」
レイナにうなずく。
そして、照明が再び上がる。
ランウェイへと足を踏み出すと、スカートのボリュームが波のように空間を押し返す。
空気がすっと変わったような気がした。
ピンヒールの足音が硬くステージに響く。
胸元に添えた手をそっと外すと、ドレスの構造がそのままわたしを支えてくれた。
観覧席のアジエが「やっば」と呟いて手を口に当てていて、アルデンはまるでデータを走査するような目つきでわたしを見ていた。
――こんな
わたしは、知らないわたしを見せていた。
だけど、怖くはなかった。
むしろ、気分がいい――。
「さーて、そろそろ火力上げていくよっ」
裏手に戻るとジンが手をパチンと鳴らすと、ラックの奥から何かを引っ張り出した。
ミルがそれを受け取って、「
差し出されたのは、黒の短めタンクトップとローライズの濃紺ジーンズ、それに赤のショート丈ジャケット。
胸元には「HYPER GLAMOUR」と描かれた派手なロゴ。
なんだか強そうで、言葉にしにくいが
「HYPER GLAMOURコレクション。今期のストリート最強ピース」
ジンがそう言って、にやりと笑う。
「髪も変えるわ。ボクサーブレイズでいってみよう」
レイナが手に髪を整えるための道具いくつも指に挟んでいた。
「え、ちょっ、わたし、これ着るの……? え、いや、これもう完全に……戦うやつじゃ」
思わず言葉が漏れる。
「そうだよ、チセちゃん。美しさは攻撃力。
ジンが真顔で答えてきた。
どういう理屈なの、それ。
仕方なく袖を通すと、服は肌に吸いつくようにフィットした。
胸のライン、腰のカーブ、脚の動き――全部が見える。
そして、レイナとジンによってわたしの髪はきつく編み込まれ、サイドから長く垂れるボクサーブレイズになった。
鏡の中のわたしは、強そうで、キラキラしてて、挑発的――でも、どこか孤独で寂しそうだった。
上書きでわたしという存在は固定されたはずなのに、着替えるだけでまるでテクスチャが変化しているよう……。
「チセちゃん。その服のエネルギーを感じて、下から上に睨むように強い目で!さあ、行ってきて!」
レイナの言葉と共に、照明が再び上がる。
レイナの言葉を思い出す。
エネルギーを感じる……そう、いまのわたしは強いんだ。
そう思い込むことして、ランウェイに足を踏み出すと、力強く踏みこむように歩みを進めた。
そのたびに、編み込まれた髪が背後で大きく揺れた。
強気に睨むように、眉の間に力を入れ「キッ!」という目を演じてみる。
アジエが「カッコいいじゃん!」と身を乗り出していて、
アルデンは指を組んで顎に当てたまま、低く唸るように「……完璧」と言った。
こんなわたしを、わたしは今、確かにやっている。
裏に戻った途端、ラックの奥から派手な柄がぬっと引き出された。
「さあ〜〜チセちゃん、お待ちかねのレ・オ・パァ・ド!」
ミルが両手を広げて声を張る。
差し出されたのは、派手な茶色と黒の模様がうねうねした、なんだか落ち着かない柄の上下だった。
上はへそが見える丈のシャツ、下は裾にフリルのついたショートパンツ。
しかも襟は白で、胸元のボタンがやたらとギリギリ。
「これはね、街角のパンサーって呼んでるの! 野生と洗練の狭間!」
「嘘つけ、今考えたろ」
ジンが横から突っ込んだ。
「髪は高めのポニテ再装備ね。軽く巻いて跳ねさせて、跳躍感!」
レイナがすでにコテを温めている。
わたしはそっと、上着を持ち上げた。
……軽い。薄い。そして、短い。
袖を通すと、胸のところがパツパツで、生地がふんわりと浮いた。
フリルでカモフラージュされてるけど、これは絶対、隠せてない。
「……む、無理だよ……!」
「いけるいける!」
ジンが明るく背中を押す。
セットアップを着終わったとき、鏡の中のわたしは……。
なんだか、じっと見られるために作られたものみたいだった。
腰のライン、脚の露出、胸のふくらみ。
自分の身体が、意思とは関係なく
それが、怖いわけじゃなかったけど……うまく目を逸らしたくなる。
「……チセちゃん? 生きてる?」
ミルがすっと顔を覗き込む。ついでに胸元に視線が落ちて、「おお……」と感嘆の声を漏らした。
「こら」
ルジュが肘でつついた。
これはたぶん、
わたしは今、その仕掛けになっている。
「チセちゃん! 恥ずかしがらない! あなたはイケてる!」
自分の姿に怖気付いてたわたしにレオナの声が飛んできた。
思わず、ビクッと肩が揺れた。
「いい、瞬きはできるだけしないで、するときはゆっくり。人の顔を見たら、こう視線を右から左へ、そしてまた瞬きよ、そしたら笑顔よ――笑顔!」
レイナの指示通り、頭の中で動きをなぞってみる。
よし、できそう――それに、この服によく似合う。
そして、照明が上がった。
ランウェイに足を踏み出すと、空気が変わった気がした。
わたしがこれを着て、本当に歩くんだよね。
ちょっと、胸とか、揺れてない?
いや、揺れてるよ――たぶん。
ピンヒールの足音がパチンと跳ねる。
袖口のフリルが揺れて、ポニーテールがふわっと跳ねた。
わたしは、歩いていた。
誰かの目を受けながら。
そして、その誰かの期待通りのわたしになっていた。
ランウェイの終点で一瞬立ち止まると、視線の先にアジエとアルデンの姿があった。
レイナに言われた通り、ゆっくりと瞬きしてする。
そして二人の顔を見ながら視線を右から左へ動かして、もう一度瞬きをする。
少し深呼吸してからわたしは精一杯の笑顔を作ってみた。
次の瞬間、アジエは椅子から乗り出してバンバンとテーブルを叩いていた。
「それ最・高! まさかここまで来るとは……!」
その横でアルデンがひとつ、ため息をついた。
「これは……仕上がってるどころか、破壊力しか感じない」
……なんか、そういうことらしい。
裏手に戻ると、四人から拍手で迎えられた。
「さーて……最後の一着、いきますか」
そして、レイナがゆっくりとラックの奥深くに手を伸ばす。
そこから引き出されたのは、鮮やかな黄色のワンピースだった。
伸縮性のある生地で、縦に細かいリブが入っている。
裾は短め。肩は出ていて、胸元はU字に広く開き、ポケットだけがカジュアルさを装っていた。
「最高のイケイケ系、D.E.S.L.の今期の一番
ジンが小さく笑いながら言った。
「Digital energy stream line 。ブランド名通り、エネルギーは形に現れるってこと」
ルジュがそう付け加える。
「髪、真っ直ぐでいこう。ストレート、重め。目線がぶれないやつ」
ミルがドライヤーを持ち出し、アイロンとスプレーで仕上げにかかる。
わたしは、その服を見て、明らかに引いていた。
というよりも、すでに逃げ腰だった。
「わたし、これ、ほんとに着るの?」
「チセちゃん、ここまできたら逃げられないよ」
ジンが軽く笑う。
服に腕を通した瞬間、もう分かった。
これは、
胸のふくらみも、ウエストの起伏も、お尻のかたちも。
それを、
髪が真っ直ぐに整えられて、肩を滑り落ちる。
視界が遮られないことで、逆に隠れる場所がどこにもない気がした。
鏡に映るわたしは、いつものわたしではなかった。
息に合わせてリブの服が伸び、戻る。
それが呼吸の音みたいで、鼓動が妙に気になった。
まるで、身体の内側まで誰かに見られてるような気がした。
強くて、華やかで、どこか寂しげな、別の誰か。
でも、わたしだった。
「チセちゃん、その服を着るなら黙ってまっすぐ前を向いて、それだけでいいから。それがあなたそのもの――あなたの姿よ。自信たっぷりに行ってきて。あなたは……そう……」
レオナは貯めて、吐き出すように言った。
「もうっ、サイコーにホット!」
照明が上がる。
ランウェイに出た瞬間、空気の重さが変わった気がした。
金色のネックレスの鎖が胸元で光る。
リブの生地が、わたしの歩調に合わせて微かに波打つ。
黙ってまっすぐ、自信たっぷりなつもりで歩く。
アジエは椅子の背もたれに身を預けながら、ため息のように「オーケー……完璧」と呟いていた。
アルデンは片手で額を押さえるようにしながら、「今日は……理論を超えている。逸材よ」とだけ言った。
わたしは、
【Present Day】
アジエの目論見は大成功だった。
あれでわたしは自分がオンナであるということを自覚し、考えるよりほかなかった。
オンナは見られ、時には見せる。
望む、望まずに限らずに……。
「正しく使えるようにならないと危ねぇの」
アジエの言葉が今ではよくわかる。
見せてなお、隙を見せない。
そのためには使い方を知らなきゃ行けない。
だから今でもモデルのアルバイトでそれを知ろうとしている自分がいる。
それでもやっぱり、それとは別に自分のフェイバリットというやつに行き着いてしまうらしい。
すっかり灯りが落とされ、船灯だけが薄く明滅するジクサーの船体が見えてきた。
それを見ながらわたしはそんなことを考えていた。