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introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /02

  【Present Day】


 γを見上げていたライノはふと、悠のもう一つのお気に入りを思い出し、ハンガーの隅っこに目をやった。

 CFの部品や、廃棄処分待ちのゴミに紛れてブルーシートに覆われたそれを見つけた。


 近づいてみるとブルーシートは存外に綺麗なことに気がついた。

 長いこと放置されているであろうゴミと見比べれば一目瞭然だった。

 これは頻繁にシートが動かされている証拠だ。


 ライノはシートをめくってみた。


「ふーん。女はダメでもCFこっちにはマメなこって……」


 こいつは、リーダーとママ・アジエがジクサーを手に入れたときに、オマケとしてこのライナーにくっついてきたものらしい。


 実際、それは名前だけの装備で、ライノとエリミネーターが加入した頃には、すでにハンガーの隅で眠っていた。


 とはいえ、ママ・アジエが三ヶ月に一度は様子を見ていたのは確かで、その律儀さだけは印象に残っている。


 一度、なんで使いもしないエイプの面倒なんて見るんだと聞いたことがある。

 アルマナックに入って、数ヶ月が過ぎてからのことだ。


「この船のメカとして、ぶっ壊れてもいないのに、不精して火が入らないなんてもんがあったら、プライドに関わるのよ」


 ママ・アジエはそう言っていた。

 その言葉と、エイプを整備する姿を見て、ライノは「あー、この人は信用できらぁ」と確信した。


 それまで、一匹狼でやってきたライノは怖くてリーダーに逆らうことが出来ず、エリミネーターを見ず知らずのメカに任せていたが、その日を境にギルドとはプロとプロが一つに集う場所なんだと考えを改めたのだ。


 自分はコード・ライダー。

 メカニックとは、お互いの仕事に干渉しすぎないのが円滑にやっていくコツだ。


 基本的な整備は自分でする。だが、セッティングに手を出すときは必ず相談――それがライノの流儀。


 美学なんて立派なもんじゃない。ただの処世術だ、と本人は思っている。


 ウィリアム・ライノ・高田は女癖が悪く、HODOで浮名を流し、腕っぷしが強くて、凄腕のエリミネーター使い――。


 はたから見れば破天荒に見えるが、実際のところは、ただ世間体を気にする小心者の反動の姿だと思っている。


 そんな自分と比べ、久能悠という人間は、なんとも自由な男だと思う。


 でも、ご本人様はそのことにはこれっぽちも気づいていないのだからたちが悪い。


 危なっかしくて、何をやらかすかもわからない。

 おかげで見ていて飽きない。


 出会ってから今日まで、悠と続いてきた理由だ。


 そういう意味ではお互い友達と言えるのはそんな、腐れ縁の相手だけとは――結局は似た者同士なのかと心の中で自嘲する。


 そのエイプをママ・アジエが整備している姿を最近、見ていない。

 最低限のメンテナンスを誰かがやっているということだ。

 誰が?……悠に決まっている。


 悠がγ以外で乗ったことあるCFはこのエイプだけだ。


 エイプは全高にして四メートルの作業用小型CFだ。

 頭部はない、代わりに胸の部分からエアスクリーン風防が張り出し、パイロットシートが剥き出しで備え付けられている。


 二足歩行型だが、この作業用小型CFは通常のCFとは違い、ガニ股で腕が太く長い。


 CFではあるが、現実の作業用マニュピュレータを彷彿とさせる造りで、人間というよりはその姿はゴリラっぽい。


 類人猿エイプとはよく言ったものだとライノはその形を見て思った。


 スタリッシュとは言い難いが、実際のところよく出来た機体だ。


 小型ゆえに飛行を維持できるだけの出力を持たないが、荷重制御も、ブレインテック・インターフェイスBTIによる思考制御も全く同じ。


 ただ小さい、剥き出しで操縦する――そんなCFだ。

 それは現実世界にかつてあったというオートバイという乗り物を、より強く連想させる。


 γが壊れたあの一ヶ月の間、悠はリーダーの言い付けでこのエイプを使っていた。


 ライノはブルーシートを戻して、悠を探しに行くことにした。


 (きっとまたメンドクセー感じになってんだろな)


 まあ、あの単細胞の朴念仁が行く場所ぐらいは検討がつく。

 アイツがイジけてるとすれば、いつものあそこだ。


 ジャケットのポケットに手をツッコミ、ヒョコヒョコとライノは甲板にでる階段に向かって歩き出した。


  【Flashback】


 ケイト、俺、悠と一列に、ブリッジのあのキャプテンシートの前で並んで立っていた。


 居心地はと言えば……当然、最悪だ。


 両脇のケイトと悠は俯き向きで視線を床へ、俺はと言えば逆に、斜め上に向けて、壁にあるニキシー管時計へと向けていた。

 これは俺たちのいつもの定位置でいつもの姿勢だ。


 キャプテンシートにプレッシャーの塊のようにリーダーがデデーンと鎮座していらっしゃる。


 早い話、リーダーと目を合わせるのがメチャクチャおっかなくてビビっている。

 せめてもの救いは、今日はブリッジにスミーのオヤジがいないことだ。


 いつものなら、ジリジリとしたリーダーの圧に加えて、その背後からスミーがあの無機質な上下に並んだ二眼カメラをこっちに向けてガン飛ばしてくるのだから堪らない。


 そのスミーは今日はメカニックの中では一番の強面のハキムと一緒に債権回収のバイトで外出中だ。


 いつものよりかは幾分マシと言っていいのかどうかは甚だ疑問ではある。


 だってスミーのオヤジがいようが、いまいが、結局はリーダーがおっかないのには変わりはない。


「さて、問題です。この中にユニット・ヘッドに穴開けて、CFぶっ壊したヘボがいます。 さーて誰でしょうか?」


 リーダーはいつもの通り、ベンチシートの背もたれに身を預け、足を組んだまま、痛烈な質問をぶっ込んでくる。


「こいつでーす」


 すかさず、ケイトが悠を指差した。

 こいつは人の心がないんか……。


 視界の隅に右下を向いている悠の肩がピクリとするのが見えた。


「あー、そうだな。そいつだなぁ。では第二問です。CF動きやがるのに、ヘボいじって、遊んでるバカは誰でしょう?」


「このクソ赤毛です」


 今度は悠が速攻でケイトを指差した。

 なんだ、これ――小学生が体育の先生の前でチクリ合ってる図か。


「なんだぁ? この童貞野郎! うちにケンカ売ってんのか!」


 「童貞ちゃうわ! 下手に出てりゃつけやがりやがって! 女だからって容赦しねーぞ!」


「プーっ! 何がちゃうわだ。やってみろ玉無し野郎!」


 ケイトが思いきり中指を突き立てる。


「おうっ、やったらぁ! 後悔すんなよ!」


 悠は飛びかかる寸前だ。

 売り言葉に買い言葉――ここまで低脳だと最早、止める気すら起きない。


「だー、まー、れー」


 その瞬間、リーダーがそう、ボソリとつぶやいた。

 ほんとボソリとつぶやただけなに、なぜかその声は腹の下までズドンと来るように響いた。


 まるで、重力が2レベルほど上がったの感じるほど、その場の空気は一瞬で重くなった。


 悠とケイトは固まったかと思うと、無言でさっきまでの定位置と姿勢に戻った。


「はーい、じゃあ第三問です。ヘボとバカと一緒に能天気に遊んでやがった筋肉ダルマはどこのどいつでしょーか?」


 俺は頬が引き攣るのを感じた。

 左右から無言でケイトと悠が俺のことを指さしてたのだ。

 もうやだ、こいつら……。


「はーい、俺でーす」


 右手を顔に当てて、俺は小さく左手をあげてそう答えた。


「はい、君たち正解。三人そろってアンポンタンだ、ハッハッハッ……」


 リーダーが乾いた笑いをする。

 俺たち三人は一瞬、顔を見合わせた後、それぞれ小さく引き攣った笑いをした。


「何笑ってんだ――オマエラ、舐めてんのか?」


 その瞬間にコレである。

 重力がレベル2重くなった上に、場は氷河期のごとき冷っぷりだ。

 恐怖で背筋が寒くなり、全身粟立つように鳥肌が立つのを感じた。


 悠がゴクリと唾を飲む音、ケイト、「ヒッ」と泣きそうな声を上げたのが聞こえた。


 これはマズイ……。


 俺はもう半分諦めていた。


 多分、ケイトも悠も、これから自分たちの身に降りかかるであろうことは、もうわかっている。


 これは、きっと俺たち三人は五分後にはボコボコになって、滝沢先生の医務室で意識不明で世話になるコースだ……。


(OH、Jesus……)


 目を瞑って、心の中でそう唱えた。

 人間、追い込まれると最後は神に悔い改めるってこういうことなんだな……

 そういや、もう何年も教会行ってねーな――。


「なーんてな」


 完全に諦めていた俺たちにリーダ−は楽しそうに言い放った。


「なんだよ、オマエラ。ビビってんじゃねーよ、ハッハッハッ」


 そのリーダーの言葉を聞いた途端、俺は「フハーッ」と大きく息を吐き出した。


 目を開けると、ケイトはペタンとへたり込んで、エグエグと泣きべそをかいていた。


 悠の方は青ざめて、心臓のあたりに手を当て、「ハァハァ」と息をなんとか整えようとしている。


 「まあ、暇になのには変わりないだろ。 お前ら手分けして宅配のバイト行ってこい」


 俺たちをからかったのがよほど面白かったのか、リーダーはいつになく上機嫌だった。


 とにかく助かったことに、今度は、感謝の意味を込めてもう一度、心の中で主の名を唱えていた。


 今週末は教会に行きます。

 懺悔もします。

 俺は自然と胸の前で手を合わせていた。


「あ、あのー。すいません、俺はどうすれば……」


 悠が、恐る恐る、そう言い出した。

 確かに、γはスクラップでどうにもならない。


 そんな悠にリーダーは「ヘッヘッヘッ」と笑い、まるで、獲物を見つけたでかい猫化の動物、強いていうなら虎を思わせるような目で悠を見つめた。


「なっ、なんすか……?」


 顔を引き攣らせ、そんなマヌケな言葉が悠の口から漏れた。


「心配すんな、乗るもんならあるからよ。ついでにお前は、特別メニューといこうや。なぁ、悠」


 悠は白目を剥きそうな、絶望的な顔をしている。

 リーダーの宣言に『チーン』という、あの日本の葬式の金属音が聞こえた気がした。


  【Present Day】


 甲板に出ると、案の定、悠は甲板とお友達になっていた。

 いつものように、グデっと膝を抱えて丸まって甲板の上に転がり、HODOの港湾の先の地平をジッと見ている。


 その姿はとても一七歳という子供と大人の間の狭間にいる年頃には見えない。

 まるで幼児だ。

 その姿にライノは眉を顰めた。

 正直、この男のこういうところはライノは嫌いだ。


 リーダーは桁違いだが、悠にしたって時々、どういう精神構造してるんだと疑問が湧く。


 コード・ライダーとしての悠は周囲が引くレベルでストイック――むしろ、盲目で愚直だ。

 まるで破滅願望でもあるとしか思えない時がある。


 もちろん、ライノは違うし、ケイトだって自分の命を削ってまでコード・ライダーをやろうとは思っていない。


 だが、それでもそれは、悠としてのコード・ライダーとしての在り方であり、むしろ個性だ。

 危うさはあっても、悠の趣味と割り切れば、資質とは切り離せる。


 現にアルマナックに入ってしばらくしたら、チームでの行動もできるようになった。


 それに実戦ともなれば、相手を撃墜することにはなんの躊躇もしない。

 中にはそれを楽しむような壊れたヤツもいるが、悠の場合は淡々とまるで作業というか――それが当たり前だと言わんばかりにやってのける。


 その境地は逆に、自分も堕とされる可能性があるということを前提にしているからできる行為だ。

 こればっかりはライノやケイトも同じだから、よくわかる。


 ヤラれるぐらいなら、ヤルべきだ――。


 このコード・ライダーとして理想的な思考を悠は持ち合わせている。

 心構えとしては広く知られる考え方だが、それを息をするように実践できる者は、そうそういない。

 本来、相手を討つということは、結構な覚悟が必要なものだ。


 だからこそ、今やライノやケイトからして見ても頼れるヤツだし、実際、悠はチームの切り込み担当になっている。


 その一方で、普段はといえば、好きな女の子の写真を隠し持ってることがいまだにバレていないと思っているようなニブちんでウブな思春期君だ。


 これがライノが好んでつるんでいる、九能悠だ。


 ライノは周囲が思っているほど自分が器用ではないことを自覚している。

 だから、コード・ライダーでいることに集中しているのだ。


 悠のようにテリトリーで現役高校生をやりながら、コード・ライダーとして、自分の命がかかっていれば、相手をヤルことを厭わないシニカルさを両立させる自信はない……。


 そんな二面性だけでも、人としては特異なことだ。

 それなのに、たまにこんな幼児退行したような姿まで垣間見せる。


 気の許せる友人ではあるが、あまりにも自然に、無防備に自分を曝け出してくる悠に対して、ライノは嫉妬にも似たイラつきを覚えることがある。


 その嫉妬の根源に悠のCFを操る、コード・ライダーの資質に対するものも含まれていることも自覚している。


 あのエイプを見た後では余計にそう感じる。

 決定的な差というやつをあの、作業用の小型CFに乗る悠に思い知らされたのだから仕方ない。


(いっそ自分もこいつみたいに無自覚になれたらねぇ……)


 とすら思う。

 自然とブーツの爪先で軽く、悠の背中を小突いていた。


 鉄板入りのエンジニアブーツだ、軽くといっても相当痛い。

 悠は当然のように脇腹を抑えて、むくりと起き上がった。


「痛ってぇーな! 何すんだ!」


 ライノは抗議の声を上げる悠の顔を上から覗き込んで、どうやら今ので本日のウジウジモードは終了したようだと確認した。


 「はぁー」とため息をつくと、そのままどかっと、悠の隣にアグラかいて座りこんだ。


 悠は腕を組んで無言で横に座った親友の顔を見た。

 ジーッと無表情で見つめてくるライノは無言なのだが、顔がうるさいと悠は思った。


 こいつは、黙っていても目と顔がいつも喋ってくるんだ。


 いまは、「まだ、続けるのか?」と聞いている。


 出会った時からこいつはそうだと、鬱陶しいと思いつつも、それにこれまでも救われているなとも感じた。


「……悪かったよ。あとでチセに謝るよ。もういいだろ!」


 不貞腐れた自分に、勝ち誇ったように「デヘヘヘッ」というイヤらしい笑顔を向けてくるライノにそう吐き捨て、そろそろ夜から朝への切り替わりで白々と明るくなってきたグレード・フラットの平原に顔を向けた。


 なにか気持ちを有耶無耶にされたような気もするが、気分は楽になっていた。


 説教するでもなく、ライノはいつもこうやってコチコチになった悠の心を溶かして、ほぐしていくのだ。


 おかげでアルマナックという集団でこれまでうまくやってこれたし、チセと喧嘩しても決定的に険悪にならずに済んでいる。


 依存のような違うような……まともな友人など小学校以来、一人もいなかった悠にとってそれが友情と言えるのかはっきりとわからないが、今となっては居なくて困る存在になっている。


 それがこの熱くしい筋肉ダルママッチョと出会ってから今日まで、続いてきた理由だ。

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