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introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /03

 悠とライノは甲板でグレート・フラットの日の出を眺めていた。

 地平の光が金属板のような床に反射し、甲板がゆっくりと温まっていくようだった。


 インター・ヴァーチュアの昼夜というのは場所によって違う。

 この世界は拡張する直方体が連結され、木の根が広がるように増殖していると言われている。


 惑星のような形状にあらず、直線的で拡大・増殖する世界は現実の世界と違い、距離が離れても時差が発生しない。

 どこでも日付と時間は同じだ。


 だが昼夜に関しては長さや、タイミングは場所によって全く違い、季節が考慮される場合もあれば、されない場合もある。


 ただ、昼夜が存在していれば規則的に遷移していくのだ。


 グレート・フラットは季節があって、昼夜がある場所だ。

 だが、その遷移はネットワーク時刻同期NTPで同期されているかのように一定で正確。

 季節は考慮されてないパターンだ。


 まるで遠くから蛍光灯の電源が一つずつオンになるように地平から次第に上空へと明るくなっていく。

 擬似太陽とも呼べる光源も存在し、東から西へと移動するが、でかい日時計みたいなものだ。

 眩しいが、ただのテクスチャに過ぎない。

 実際は空が地平から頂点に左右から光っていき、調光され、やがて、頂点から左右に消灯して夜へと変化する。


 それが、このグレート・フラットでの昼夜の仕組みだ。


 悠とライノは無言でそんな仮想現実の夜明けを並んで見ていた。

 朝が弱いケイトはあと数サイクルほど姿を見せないだろう。

 あのヤカマシイ赤毛がいないと静かなものだと、二人はこの穏やかで貴重な時間をそれなりに楽しんでいた。


 ライノはふと、先ほどハンガーで見たものを思い出した。

 チラリと悠の顔を見てみた。


 (スッキリとしたいい顔していやがる)


 実に穏やかな表情で、地平を見る悠の顔はさっきまでの無様な姿からは想像ができないほど清々しい。


 ほんの一瞬だがライノはこんな澄んだ顔でとんでもないことをやってのける悠を見たことをふと思い出した――。

 それは悠がエイプというちっぽけな機体を操る光景だった。


 ほんの少しの出来事だった。

 たまたま視界に入った光景だ。


 アレはおそらくママ・アジエも知らないだろう。

 γが壊れていた一ヶ月、リーダーはそれをやらせていた。


 当然、ライノは偶然目撃したソレが何なのかをリーダーに聞いた。

 あっさりと、リーダーは教えてくれたが、ライノはその回答に呆れた。


 そして、呆れると同時に、嫉妬の感情が湧き上がったことをよく覚えている。

 鮮烈に脳裏に焼きついたあの光景だ。


 まるで狂おしく、身を捩るように、翻り、不格好なはずの小型のコード・フレームワークが美しく舞い跳んだ――。


 その時、悠はこの澄んだ顔をしていたのだ。


「あのさ、お前、今もエイプ乗ってるの?」


 思わず、ライノはそう聞いていた。

 リーダーに釘を刺されていたのを思い出し、「イケね」という気持ちが一瞬よぎったが、乗り方には言及してないし……セーフ、と自分に言い聞かせた。


 ライノの質問に、悠はキョトンとした顔で彼を見た。


「んー? 急にどうしたよ」


 普段、ライノからCFや操縦の話を振ってくるのは珍しい。

 そっちの話は悠の専門だ。

 乗り方だとか、γ以外は乗る気もないのに新型情報や、の機体は渋いとか、スゲェだのを延々と語り続ける。


 最初はライノもケイトも付き合うが、あまりにも長いので結局は「お腹いっぱい」と切り上げられるのだ。


 ライノの方はといえば色と恋の話専門だ。

 ケイトがいなければ、男二人で延々とCF話とスケベ話の無限ループで盛り上がれるのだから不思議だ。


 だが、今日はライノの方からCFの話題を振ってきた。


「いやさ、ハンガーのブルーシートのめくったら懐かしいのがいたからさ……」


 ライノは内心、ギクリとしていた。

 自分でも驚くほどの迂闊さだ。

 なんとか平静を装ってそう答えた。


「そうだな……たまに、乗りたくはなるかな」


 悠は親友のその思いがけない問いにそう答えた。


「でもさ、俺のCFじゃないから」


 キッパリと言い切る。


「でもさ、おまえ、アレの整備してるんだろ?」


「ああ、やってるよ」


 困惑顔のライノに悠は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。


「なんか縁がついたし、またリーダーに使えって言われるかもしれないだろ。それに……」


 悠はライノから視線を外した。

 次の言葉は飲み込んだ。


 悠もこうやってライノに言われると、あのエイプとの日々の記憶がよみがってきた。


 チセがγを直してくれている間、リーダーの命令でエイプでHODOをかけずり回った。

 その始まりは、やはり、理不尽で無茶苦茶なものだった。


  【Flashback】


「心配すんな、乗るもんならあるからよ。ついでにお前は、特別メニューといこうや。なぁ、悠」


 小さな子供がバラバラにするおもちゃを見るような目で、リーダーはそう宣言した。

 一瞬、気が遠くなる。

 おりんの「チーン」というあの、寒々しい耳に残る金属音が頭の中で響いたような気がした。

 俺からしてみれば、これは処刑宣告同然だ。


 気がつけば、リーダーの悪ふざけの圧で腰抜かし、床にへたりこんでベソかいてたケイトと、緊張が溶けてでっかく息を吐き出していたライノも俺の顔を見ていた。


 その眼差しは、同情を通り越してもはや憐れみの域だ。

 わかってる。これは完全に詰んだやつだ。


 ……いや、お願い、君たち助けて。


 俺は必死で救いを求めるアイサインを二人のチームメイトに送り続けた。


 泣き顔だったケイトは涙を拭うと、すくっと立ち上がった。


「うち、オッパマ方面いくわ。じゃ!」


 そのまま、振り返らず、ブリッジの出口から小走りで去っていた。


 あのアホ赤毛、マジでいつか仕返ししてやる。


 だめだこういう時こそ、信じれるのは、やはり心の友だ。

 俺はライノの目をじっと見つめた。

 信じてるぞ、親友。


 しばらく、俺たちは視線を交錯させた。

 すると、ライノは力強く、親指を立てた。


 そしてそっと、片目をつぶる。

 わかってくれたか、相棒。


「生きろ!」


 そういうと、ライノは「テヘッ」と舌を出した。

 そして、そのまま、振り返らず、ブリッジの出口から小走りで去っていた。


 あの筋肉ダルマ……あっさり俺を見捨てやがった。


 呆然とブリッジの出口を見つめていたら、どんと肩と首に何かが重くのしかかった。

 いつの間にかリーダーが右隣に立って、肩に腕を置いて立っていた。


 背の高いリーダーの顔を恐る恐る見上げると、リーダーの口元に浮かんでいたのは、悪魔のような笑みだった。

 じわりと冷たい汗が噴き、顔から血が足に下がっていくような感覚を覚えた。


「おーい、悠。どうしたぉ、とって食おうってじゃねーんだ。固くなるって、なぁ」


(助けて……神様……)

 まさか本気で神頼みする日が来るとはな……。


 人間、苦しいとこは神頼みってこういうことなんだな……。

 そういや、最近、墓参り行ってねーな――ごめんなさいご先祖様。


「よーし。ハンガー行くぞ。いい機会だから、たまにはγ以外も乗ってみろ」


 ガッチリと力強く、腕は肩に置かれたままで、俺とリーダーは歩き出した。

 アルマナックに入った時と同じで、いつも通り、俺には逃げ道なんて残されてなかった。


  【Present Day】


 あのブリッジでの出来事を思い出した悠はブスッとした不機嫌な表情を浮かべた。


 「おまえさ、あの時、俺のこと見捨てたよな」


 ライノはサッと目を逸らし、唇を尖らせると「フー、フー」と何やら息を噴き出している。

 口笛のつもりらしい。


「音出てねぇから」


 ライノはわざとらしく惚けてみたが、悠の追求の表情は変わらない。


 観念したようにライノは肩をすくめ、どこか照れ臭そうに片目をつぶり――ぺろっと舌を出した。

 ――マッチョの『てへぺろ』だ。

 悠の表情はさらに嫌悪感を増した。


「……暑苦しくて、ミリもかわいくねーよ、それ」


「やっぱり、ダメっすか」


 ライノは開きなって、おどけて答えた。

 悠のほうも、しかめた顔をしても、あの時の話を蒸し返すつもりもない。

 リーダーがらみの事で同じようなことがあれば自分も同じようにさっさと見捨てて、逃げる自信があるからだ。


 あれは、悠にとって、災難だったとしか言いようのない出来事だ。



(リーダーはなぜあんなことをさせたんだろうか?)


 悠にとってもいまだにあの体験、経験をいまだに整理も、消化もできていない。

 期間としては二週間ほどのことだった。

 突然に始まり、突然に終わった。


 リーダーの無茶振りに振り回された日々だった。

 でも、ライノにも、ケイトにも言ってはない役得があったのも事実だ。

 そして、最後は楽しかったとも思えた。


  【Flashback】


   【Day1】


 リーダーは俺の首を腕で引っ括ったまま、一緒にハンガーへと降りてきた。

 俺はずっとリーダーに引きづられるようにヨタヨタと一緒に歩くしかなく、途中、ズタボロになったγガンマの前を通りすぎた。


 力無く投げ出された足が視界に入ると、なんとも表現しようのないものが胸のあたりにモヤモヤと湧き上がってくるのを感じた。

 苛立たしさと、情けなさと……そんな感じのものが混ざったような感覚だ。


 これまでも壊したり、落とされりもしたが、ここまでウンザリするような気の滅入る気分は初めてだった。

 自分の機体を見上げると、爆ぜたような真っ黒な大穴が見えた。


 まるで自分の胸の中をのぞいたような気分がした。

 きっと今の俺の胸の中もドロドロと黒いもので一杯になってるに違いない。


 ふと視界の隅にフワリと白いキラキラとしたものが入ったような気がした。

 γの胸の大穴から左に視線を向けると、コクピットからこちらを覗き込んでる人影を捉えた。


 その人物を見た瞬間、ケイトの言葉を頭の中で思い出した。


「でさー。あの子、この前の贋作ブランドの子だろ。ちょっとー、マジでγの修理させるんだ。ウッソでしょー、ワラえるー」


 ケイト曰く、その贋作ちゃんがγのコクピットから顔を出していた。

 思えば、映像ではない彼女を直接見るのはこれで二度目だ。

 本当に、γの修理をするのだろうか。


 他のメンバーはHODOに戻る間や、テキヤの事務所で救出した彼女を見ていたらしい。


 俺はと言えば、密売人のライナーを襲撃した時に動かなくなったγを前に、ずっとハンガーで焦って右往左往していた。

 ユニット・ヘッドに穴が空いてコア・ベースが顔出しているのだから、起動するわけがないのにどうにかしようと、あたふたしていたのだ。


 その間、誰の言葉も耳に入っておらず、結局は仲間に呆れられて、ほったらかされたというわけだ。


 万策付きて冷静になった――というか、放心したというか……とにかく気づいた時には、いつの間にかジクサーはドックに戻っていて、あたりは真っ暗になっていた。


 あれから数日して、彼女がどうやらメカニックとして、γの修理をするらしいなんてことを聞いて慌ててジクサーに顔を出したのだ。


 そして、甲板でリーダーに呼びつけられるちょっと前、俺は初めて映像ではなく、生身の彼女を見た。


 インター・ヴァーチュアで生身というのもおかしいが、ハンガーの上層通路から彼女を見た時、俺は確かに生身という言葉が相応しいと思った。


 そして、こうやって改めてその姿を見ると、やはり俺の感覚が生身と形容した妙な存在感を感じた。


 コクピットからヒョコッと顔だけを出して見降ろしているその目は、本当に薄く発光してるんじゃないかと思わせる。


 それにさっきも視界に入ったのは彼女の髪だったようだ。


 その髪も、一本一本がまるで極細のガラスの細い管のような、硬質な雰囲気をまとっていた。

 触れれば砕けそうなのに、月光を内に蓄えたような銀の糸……そんな髪が、風に誘われるまま、柔らかく揺れていた。


 やっぱり……カワイイなぁ……。


「ごふぅ!」


 なんて考えてたらいきなり脇腹へ、抉り込むような衝撃が突き抜けた。

 さらにゴリゴリと石の塊が押しつけられるような感覚が続き、息が詰まった。


「もしもーし。 お留守ですかー? シカトとはいい度胸だな?」


 激痛の正体はリーダーのボディブローと、抉り込むようにグリグリと捩じ込まれるゲンコツだった。


 やばい……女の子に気を取られて、リーダーに話かけられていたのにまるで入ってきてなかったらしい。


「ず、ずびません…… ボーッとしてました……」


 まだぐりぐりと捩じ込まれる拳の痛みを堪えつつ、必死に言葉を選んだ。

 すっと、拳が脇腹から離れていった。


「ったく、気ぃぬいてんじゃねーよ。 ほら行くぞ」


 また俺は、ズルズルとリーダーに引きずられてた。

 未練がましく、俺はもう一度、あの子のほう見てみた。


 彼女はなんとも、冷ややかな視線をこちらに向けていた。

 そして「ふんっ」という感じでプイと視線を外すと、コクピットに引っ込んでいった。


 ハンガーの隅まで連れていかれて、ようやくリーダーの拘束が解かれた。

 その瞬間にバシィ!っと背中を張られ、俺はつんのめった。


「ホレ。 そいつだ」


 リーダーが顎で示したのは俺のすぐ目の前のブルーシートだった。

 さらにリーダーは「ふんっ!」と顎で俺にブルーシートをめくれと指示する。


 俺は恐る恐る、シートをめくってみた。


 ブルーシートの下から出てきたのは小型のCFだった。


「これって――エイプですか?」


「おう、よく知ってるじゃねーか。 ジクサー買った時にオマケでくっついてきたもんだ。 しばらくこいつに乗れ」


 黒いボディーカラー。


 左右の側面には胸から腹にかけてオレンジと赤のストライプが入る。


 腕にも肩から同じようにストライプが伸び、両肩のストライプの上に白の丸いラインとその中央に同じく白で「Ape」とロゴがプリントされている。


 ゴリラのような雰囲気のシルエットの機体だが、名機と名高い小型CFだ。


 コア・ユニットは縦積みバーチカルタイプの4工程型クワトロアクション単一コア・ユニットだ。


 通常サイズのCFのような頭部はなく、そこからコード・ライダーが胸の中に入るようにパイロットシートがむき出しになっている。

 小型故に継続的な飛行能力はないが、まるで月面の宇宙飛行士のようなジャンプは可能だ。


「お前はHODOの中をそいつで宅配だ」


 俺はリーダーに「はぁ」と返事をした。

 γが壊れてる俺には確かにいい暇つぶしかもしれないと思った。


「おっと。悠、ちょっと待て。 こいつを


 リーダーがまたあの目をしている。

 嫌な予感がして、背中にゾクリと悪寒が走った。


 最後の「つけな」が、やけに優しい感じなのが余計に怖い。


 リーダーはその背後からすっと、何かを俺に差し出した。

 そこにはカメラユニットのついたヘッドセットが握られていた。


「ウェラブルカメラっすか?」


「おお。 いい機会だからよ、乗り方を見てるよ。 どうだ?」


「ま、マジっすか?」


 俺は驚いた。

 今まで確かに、アドバイスや、かなりきつーい教育的指導付きの訓練をしてはいただいたが、個人的に見てやると言われたのは初めてだ。


 元闘神のコード・ライダーに自分の操縦を見てもらえるということはかなりアガる。


 特にエイプのような小型CFはパイロットがむき出しで乗るので、スクリーンディスプレイによる情報補助が無い。


 さらにコア・ユニットも超小型化されいるため出力はかなり制限されているのだ。


 結果、――そう言われいる。


「おなしゃーっす!」


 うわずって変な声でリーダーに頭を下げていた。


「おーう。あとな、端末だせ」


「はい!」


 リーダーは自分の端末から俺の端末にデータを転送した。

 そして、空中に手を広げるジェスチャーをすると、HODOのマップが俺とリーダーの間の空間に表示された。


 そのマップには赤いラインが明滅していた。


 そのラインは5層に停泊しているジクサーから、やや右外縁周りから真っ直ぐに第1層まで伸びていた。


 さらに今度は左周りで、同じように左外縁の方からジクサーに伸びている。


「いいかぁ、このルートで行ってこい。 話はついてるからこれで集配な」


 俺は頬がピクピクするのを感じた。


「えっと……貨物エレベーターから、完全に外れてるんでけど……」


「ワイヤーガンが両腕についてるだろ。 それ使って、よじ登れ」


 何言ってるんだ、この人。

 一層毎に五〇メートルを飛べない、エイプでよじ登れと――。


「と、というか……これ真っ直ぐだと建物とかいっぱいありますけど……」


「悠よ、俺が真っ直ぐ、つったら、真っ直ぐだ。 わかるな?」


 おおおっ……俺は、少しでも喜んだ自分の愚かさを呪っていた。


 甘かった……。

 リーダーが普通に小型CFで呑気に宅配なんてさせるわけねーんだ。

 飛べないCFでこんなルートで集配出来るわけねーだろ。


「時間はかけてもいい。 戻ってくるまでは終わらねーぞ。 まあ、ねーと思うが、バックれんなよ。 バックれればどうなるかわかるよな」


 これが洒落や冗談でないのは目を見ればわかる、リーダーは1ミリもネタでこれを振ってない。

 本気で俺にやらせる気だ。


「あと、カメラは切るんじゃねーぞ。 後で見るからよ、インチキすんなよ」


 もちろん、今更断れば何をされるかわからない。

 うっすらと笑っているようで、その実、目がちっとも笑っていないリーダーを前に俺は引き下がれない状況であることを覚悟するしかなかった。

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