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introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /07

   【Day6】


 週に三日のトレーニングのノルマのためログアウトしていた。

 インター・ヴァーチュアの中では朝の早い時間だが、時差のおかげで現実は夜明け前だ。


 現実の季節ではそろそろ夏だが、この時間だと、多少の湿気は感じても空気に暑さを感じるほどでもない。


 そんな時間に俺は、通気性の良い薄手のスポーツウェアを着て、久々に家から出て近所の公園に来ていた。


 気温自体はそうでもないが、全力で体を動かしたため、ウェアはべっとりと湿って肌に張り付いていた。

 俺は汗だくでしゃがみ込んで、スクイズボトルからドリンクをがぶ飲みしていた。


 正直なことを言うと、家から外に出るなんて久しぶりだ。

 この公園も訪れたのは小学生のとき以来かもしれない。


 歩いて十五分ほどの高台にある広い公園だ。

 見下ろすように景色が広がる様が、HODOの階層構造に似ていると感じた。


 遠くに海と、ぼんやりと巨大な橋が二つ連なっている。

 ワイヤーが何本も張られた塔だけが白く照らされ、白と赤の光が規則的に瞬いている。


「そういや、ここも港街だったっけ」


 ブラックアウト以降、人はインター・ヴァーチュアでの生活が中心だ。

 一応、ここも大都市の近郊で海に向かって都市部が広がるのだが、なんとなく灯りはまばらで、薄暗い。

 ただ、転々と信号機の赤、青、黄だけが、まばらに、規則的に明滅しているだけだ。


 だから、今では都市部でもけっこうな星空が拝める。


 まあ、出歩く人間なんてほとんどいないのだから、無駄なエネルギーを使う必要がない。

 当然の結果だ。


 実際、パンデミックスのときに不要不急の外出は控えるロックダウンが行われた。

 街から人の姿が消えたが、今ではその光景が特に制限もされていないのに普通になってる。


 そういえば歩いてくる間に見たアスファルトはボロボロで、隙間から雑草が伸び放題だった。


 この公園の木々も随分と昔より生い茂っている――というか荒々しく逞しく、勝手に育ち放題という有様だ。


 ようするに、需要がないから放ったらかしなのだろう。


 人間とは実に厳禁なものだ。


 実際、人間が仮装現実に引き篭もっているおかげで、地球の自然環境は目覚ましい回復をしているんだそうだ。


 スンっと潮の香を含んだ、この空気を感じるのも久しぶりだ。

 たまにはいいもんだなと思った。


 街の灯はまばらだが、ここは街灯が白い光を放ち、そこそこ明るい。


 ジャングルジムに、うんてい、それに大きなコンクリ製の山型の遊具がある。


 このコンクリの山は、昔、子供心にけっこうエクスリームな遊具だと思っていた覚えがある。

 体が小さかったから、大きく感じてたんだろうなぁなんて思っていたが……。

 記憶よりもかなりデカかった。


 山型の遊具は斜面が急な滑り台、鎖が垂れ下がり、デコボコとした出っ張りがある壁。

 その山の周囲を大小様々なタイヤがランダムな高さで積み上げられ、並べられている。


「思ったより、デンジャラスな作りしてるよ……。 これ子供が遊ぶもんか?」


 なぜこんなところに来たかというと、どうせワークアウトするなら、エイプで気づいたことを確かめたかったからなんだが、どうやら正解だったようだ。


 エイプですっ転びそうになったのを回避した時――あれでなんとなくコツを掴んだ。


 確かにこれまで、足や手を使う――というよりも四肢を意識して使っていたかというと、無かったと、やっと気づいた。


 思えば、ライノと初めてやり合った時、あいつは飛行じゃなくてバックでホバリングしていた。

 あれは荷重コントロールだけじゃない、足捌きが要求される芸当だ。


 アルマナックに入って、一年も立ってそれに気づくこといなるとは――自らの鈍さに呆れる思いだ。


 コツを掴んだおかげで、リーダーのようにエイプでスケートのような加速をつけることはできた。


 昨日は空の光が完全に消える前、オレンジの夕焼け色のタイミングでジクサーに戻ることができた。

 かなりの成果だった。


 なのに俺の心の中には不満が残った。

 咄嗟のことだったが、エイプで実現したあの動きの気持ちよさを、そのあと感じることはなかった。


 腰で重心を操作するような荷重は少しはモノにしたとは思う。


 処理に干渉させるポイントによって、慣性モーメントを変化させ、四肢の動きでベクトルやトルクを生み出し、コントールに活かすことができることも知った。

 でもあの偶然の動きはできなかった――。


 必死だった……恐怖した……。

 それでも、体は自然に動き、その時、俺はとても自由だったと感じた。


 いろいろ考えたのだが、その結論がこれだ。

 ただの思いつきだ――考えすぎだろうか、それとも俺がイカれてるのか。


 インター・ヴァーチュアのコード・フレームワークを操るため、俺は現実リアルで実際に体に手と足の使い方を脳みそに刻むことにした。


 でっ、このコンクリの山を使って、駆け登ったり、飛び降りたり、よじ登ったりやってみたが――十五分もしないうちに座り込んでこのザマだ。


 あんがい、動けないものだ。

 だけど、体はヒートしているが、無我夢中に動かした後に落ち着いてくると、思考は冷静に動き出す。


 息を整えながら、俺は体にかかる重さ――重力ってやつのことを考えていた。

 物理法則というやつだ。

 この現実リアルでもインター・ヴァーチュア仮想現実の双方で世界を支配する絶対原則。


 事象を確定し、限界を生み出す万象の理。


 現実とインター・ヴァーチュアの差はその法則に干渉する方法の有無だ。


「だったらなんで、デジタルな世界を現実に寄せる必要があったんだ」


 あれ――なんだ……俺はどうして、いまさらそんなことを考えてるんだ?


 べつに、ビリー・オズニアックとかいうおっさんが、何考えて仮想現実を作ったかなんてどうでもよかったはずだ。


 正直、よくわからん。

 現実とは違う、ルールを捻じ曲げる手段があっても結局は反復と練度がつきまとう。


「そうか、よく考えりゃ、ルールは同じでも現実でもねーんだわなぁ」


 結局は現実でがむしゃらに体を動かしても、あっちと同じことはできない。


 なんか汗だくになって、息切らしてるのがバカらしくなってきた。

 でも、要は、反復と練度だよな。


 ふと、子供の時、父さんが道着に袴でどこかの道場で何度も同じ動きを飽きずにやっていた姿を思い出した。

 うちの親父は大学時代は合気道部にいたらしい。


 実力のほどは知らないが、パンデミックス前、小学校に上がったぐらいの頃まではよく演武大会などで技を披露していた。


 大会前になると、母さんがいない時は道場まで一緒に連れて行かれ、俺は父さんが稽古している姿を眺めていたものだ。

 ちなみに俺は武道や、格闘技の心得はまったくない。


 そういえば、稽古のときは演武と違って、ものすごくゆっくりとした動きをしていたよな。

 同じ動きを左右で何度も、何度も。


 呼吸がようやく戻ってきた。

 左手のスマートウォッチを覗き込む。


 ワークアウトの時間はたっぷり残っている。

 それにログイン可能になるまではさらにまだ先だ。


 そういえばいつもの、PCデスクで頭の中でイメージしてるよな。


 俺は立ち上がって、タイヤの上に飛び乗った。

 頭の中で、コンクリの山の上へのルートをイメージする。


 ようはどう動きたいか、どう動くべきかだ。

 じっくりと、ゆっくりと――イメージしながらあの時の父さんのようにやってみることしよう。


   【Day7】


「痛ってぇえええぇえ!」


 エイプをコントロールしながら電撃が走るような全身の痛みに叫びをあげていた。


 筋肉痛だ……。

 外の世界現実からインター・ヴァーチュアこの世界へはものは持ち込めないが、肉体の状態はきっちり持ち込む。


 理不尽極まりない。


 逆にインター・ヴァーチュアこの世界での負傷は適切にケアしてログアウトすれば、いわゆるリセットされるのだが……。


 目の前に迫る集合住宅の裏路地のような場所で、エイプで壁を蹴り上がり、腕で押し上げる。

 瞬間、瞬間の空間への観測確定の干渉を繰り返し、建物と建物の間をピンボールのように跳ね上がっていく。


 エイプを動かすのに痛みは感じないが、機体に伝わる振動でハンドルを掴み、突っ張った二の腕が――。

 コントロールのために左右に荷重をかけるたびに、内股に――。

 視界を取るために、重心を変えるために上体を起こすために胸が――。


  そも、インター・ヴァーチュアでいくら無理しても筋肉痛になったことなど無い。

 久しぶり感じる貴重な天然の痛みというやつだ。


 屋上へと降り立つとそのまま、加速を始める。

 迫る障害物たちをギリギリで交わし、跳ね避ける。


 そのたびに振動はズキズキと全身に痛みを伝えるが、加速するエイプを通して、この痛みがあのスローの反復が体に刻みつけられている証と感じた。


 ……でも、流石にしんどい――ジクサーに戻ったら滝沢先生に痛覚を誤魔化してもらおう……。


     【Present Day】 


 「でも、なんつーか、あれはれで気持ちよかったよ」


 悠はライノにそう答えていた。

 あの後は、リーダーから終了を伝えれるまで、繰り返したしの日々だった。


 エイプに乗ってる間は頭の中は空っぽにしてとにかく疾走させ、降りてる間はどう力をかければ、どうツッパっれば――なんて体躯の動かし方をひたすら考えていた。


 学校でも勢い余って体が動き、派手に机ごとひっくり返して無駄に注目を浴びたものだ。

 悠はそんな過去をふと思い出していた。


 ライノはまた自分の世界に入ってやがると、そんな思い出に浸った親友の顔を見て呆れた思いでいっぱいだった。


「あのよ、気持ちよくヌイた思い出で結構なんですけどー、あの時、おまえ、何があったんだよ」


「……いやー、何もー」


 頭の後で腕を組んで悠はとぼけ顔だ。


「すっとぼけんじゃねーよ。 おまえ、あの後、乗り方変わったじゃねーか」


 γが復活した後、悠のCFの乗り方というか、使い方は様変わりしていた。

 ライノもケイトも、リーダーの言いつけ通り、悠には何も伝えていないが、もはや二人は悠とまともにやり合って勝てる気がしないとまで感じている。

 それほどの変わりようだった。


「γぶっ壊す前までは、あのダッサイ、スープフライスーパーマン飛びでの変態弾避けが得意技だったけどさ――」


「あぁん! なんだよ、ライノ! ダセェってなんだ!」


「あらー。 何よ、悠君、スープフライはダサくってないって言っちゃうわけ?」


 顔真っ赤にして声を荒げたが、「うっ……」っと悠は言葉に詰まる。


 スープフライスーパーマン飛び――いわゆる、まさにアメコミのヒーローが両手を突き出し体を水平に飛行する姿に似ているところから来た呼び方だ。


 ブラックアウト事件の前、CFがインター・ヴァーチュアで軍用として

運用され始めた頃だ。

 まだ、各国の軍隊が国益と実験を兼ねて様々な思惑の下に理由をつけて従軍をしていた。

 当然、仮想現実の戦略兵器としてCF部隊の編成を始めたとき、多くは空軍からパイロットが調達されたという。


 手探りでスタートしたCF部隊は、派閥として多数派を占めた空軍出身者によって空戦マニュアルの基本に沿って運用されたという。

 結果として当初、CFは航空戦闘機代わりと言う誤った扱いを受けた。


 機体を水平に直線的に飛行するその姿を、数と声の大きさで幅を効かせた空軍出身者への皮肉として戦車乗員やヘリパイロット出身の兵士がスープフライと呼んだ、というのが定説だ。


 最初期の古典的なCFの操縦方法といえば聞こえがいいが、今では初心者の飛び方へたっぴをさす言葉だ。


「しょうがないだろ。 誰も教えてくれなかったんだからさ!」


 悠はさらに顔を紅潮させて抗議の声を上げた。

 青くなったり、赤くなったりほんとに飽きないやつだとライノほくそ笑んだ。


「だいたいお前とケイトだって趣味悪いぞ――教えてくれったっていいだろうが」


「甘えんなよ、坊や。 人様の趣味に口出すほどヤボじゃねーの」


 少しさめた目つきのライノにそう言われると、悠はまたも唸り、口をつぐんだ。

 その姿にライノな内心、後ろめたさもあった。

 それと同時に、人の気も知らんで好きに言ってくれるとも思った。


 ライノとケイトからすれば、スープフライの悠とチームを組んだ頃はしばらく恥ずかして仕方なかった。

 二人はツッコミたいのをひたすら耐えたのだ。


 ライノはともかく、あの堪え性のないケイトも黙っているのは、リーダーに「絶対に悠の乗り方に口を出すな」と半ば脅されていたのもあるが、スープフライで敵の弾幕に飛び込むあの変態戦法で結果を出してたのが大きい。


 エイプに乗ったことで悠が変わったことは確かだし、ライノ自体はその技術の正体と理屈をリーダーが語った言葉の上では知っている。


才気センスで生きてるようなやつには、何言っても無駄だ」


 最後にリーダーが言ったあの言葉を思い出し、また少し嫉妬の感情を感じた。

 あのエイプの姿を見て予感はあった。

 ライノは目撃したソレと親友のあの澄み切った楽しそうな顔を思い出していた。

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