タバコを指で弾き飛ばした後、リーダーは俺を抱えたままエイプで壁を降下した。
ワイヤーガンを使って壁を飛び跳ねるように一気に降りるというより、まるで落ちているような感覚を味わった。
突然、リーダーが背中からエイプを落下させた瞬間は小便をちびりそうになった。
尊厳と意地がまさって、なんとかズボンを濡らすことは避けられた。
ワイヤーの限界近くまで降りると、一瞬の落下と共にワイヤーガンを射出し、再び同じように降りる。
この一連の動作が
次の瞬間、エイプが拘束を解いた。
俺は失敗したプールの飛び込みのようにビタンと固いコンクリの地面に落下し、ベシャリと潰れたカエルのように張り付いていた。
「……ぬぉおおう……。 いっ、痛ってぇ……」
顔面をコンクリにへばりつけて目から星が飛びそうだった。
悶えること数秒……ところどころ擦りむいたのか、体のヒリヒリするのを我慢して上体を起こすと、いつのまにかリーダーはエイプを降りていた。
「手本はみせたぞ。 なんで、機体は荷重制御で、手と足は
リーダーはまだ辺りは暗いというのに、何故かサングラスをかけた。
しかもシェード付きの、色の濃いやつだ。
「コード・フレームワークは身体拡張プログラムだ。 空飛ぶロボットじやねーんだ。 そこんとこ勘違いすんなよな。 まあ、なんだ。 あとは自分でどうにかしろ」
「はぁ、ありがとうございます……」
感謝は述べたものの、釈然としない答えを返してしまった。
これまでも、リーダーはおっかない人で、でも凄い人だと思いはあった。
でも、今日、目の当たりしたことで、俺はリーダーが凄じいコード・ライダーなんだとアルマナックに入って初めて理解した。
はっきりと、
それに感謝しているのは本当だ――たしかに、すごいものを見せられた。
これまでも、深く抉るような旋回や、踊るような動きなんてものは見てきた。
テクニックには違いないのだろうが、根本的に何かが違うと感じた。
エイプという通常のCFとは明らかに大きく制限を受けた機体が人のように動いてた。
漠然と
きっと、その漠然な何かはっきりさせるものを期待していたのだが、結局出てきたのはコード・ライダーなら誰でも知ってる話だけだったので拍子抜けした。
そんな俺にリーダーは一つ大きなため息を投げつけると、頭をボリボリと掻きながらジクサーの方へ去っていく。
遠ざかる背中を見つめていたが、リーダーが不自然に肩を揺らせていることに気づいた。
よく見ると、リーダーは左足を引きずりながら歩いていた。
さっきのあの言葉がまた頭の中によぎった
「やっぱり脚はイテェし、目がかすみやがる。 まあ……。 ヤニもこれで、吸い納めだ――」
その姿を見て、乗ることと、操ることは違う――その、事実を思い知らされる。
確かに腕の差は歴然――だけど限界行動とは言え、やれることが極端に少ないエイプで見てわかるほどの消耗。
しかも明らかに普段はそうとは感じさせないのに、今は、はっきりと身体の異常が出ている。
中途半端に不自由で、人に容赦ないこの仮想現実は一体どんな仕組みで動いているというのだろう。
そんなことを思っているうちに、ジクサーの明滅する船灯に照らさながら、リーダーの姿は闇の中に消え、その場にはエイプと俺だけが残された。
リーダーはエイプの火を落とさなかったらしい。
あぐらをかいて、腕を組み、胸部の装甲の奥から軽い律動を繰り返すアイドル状態のエイプを見上げた。
「アイドルしてるってことはすぐに乗ってこいってことだよな……」
確かに俺はウズウズしている。
あんなの見せられて黙ってはいられない。
目を瞑って思い出す。
エイプは確かに飛べないが、跳べるし、コアベースを通じたインター・ヴァーチュアへの干渉処理だってできる。
まず、俺がダメだったのはエイプが飛べないという思いこみだ。
処理の範囲が狭く、継続性が低いだけで、CFをはじめとする、インター・ヴァーチュア固有の存在が持つ
当然、CFとして扱ってないのだから、現実世界と同様の物理法則に従ったことしかやらせていなかった。
それではただの重い機械にすぎない。
「……トルクをかけるってやつもかな……」
確かに自分とリーダーの乗り方は全く違っていた。
これまでも、「エルボースマッシュするな」とは何度も言われたが正直、ピンと来てなかった。
自分としては小さく小回りをと、意識して、体を前に迫り出すように肩から曲がろうしていたのだが――見せられたあれは、全く逆だった。
むしろ、荷重をかける直前には体を起こして――ハンドルを握って体を固定して、シートの斜め後にケツを落とすような感じか……。
まるで機体が上から一本の鉄の棒が突き抜けているような、そんなしっかりとした安定と、そこを中心としてベクトルのバランスをとって操っていた。
そしてじっくりとベクトルを使って溜め込んだトルクがパワーを生み出し、ブレない加速と安定を生み出す。
「あと、俺ってそんなに手と足使ってなかったか――?」
リーダーから投げかけられた言葉で思い当たるのものとしてはあとはそれくらいしか……。
思えば確かに、腕は武器を扱うぐらいだし、足なんて着地する時以外は今まであんまり意識したこと無かったかも……。
この前はジタバタと無様ではあったが、エイプに乗ってCFで積極的に四肢だけを使って動かすなんて初めてのことかもしれない。
「……コード・フレームワークは身体拡張プログラムだ。 空飛ぶロボットじやねーんだ。 そこんとこ勘違いすんなよな……」
何かわかるかもと思って、リーダーのマネをして言葉にしてみた。
うーん、やっぱりよくわからんね……。
「考えるな、感じろ――ってやつかなぁ」
昔の映画俳優が言ったセリフを持ち出していた。
立ち上がると、ズボンの尻をパンパンと両手ではたいた。
あたりはまだまだ暗く、ひんやりとした空気に低いアイドルの振動を続けながら、佇むエイプを見上げた。
どうやら、いつも通り手探りでやってくしかなさそうだ……。
とはいえ、今回はリーダーが一通り見せてくれた、ヒントがたくさんある。
かなり無理してくれたみたいだが、俺のためなんかに?
いや……やめよう、たぶんいつもの気まぐれだろう。
腰の装甲あたりに脚をかけて、エイプに飛び乗った。
首の部分から体をパイロットシートに滑りこませた。
「とりあえずマネしてみるか」
せっかく見せてくれたんだ、考えても仕方ないならそこからだ。
それに、リーダーが見せてくれたものは、気まぐれかもしれないが、俺にはとても、とても貴重な物に思えてしかたなかった。
【Day5】
普段は頭の方から感じるコードベースの音と振動を、パイロットシートのまたぐらからを感じながら、俺はエイプのスロットルを開けた。
リーダーのようにリズムに乗った軽やかさとは似てむ似つかぬ代物だが、機体を押し出し、加速できるようにはなった。
これが実際やってみるとなかなか難しい。
俺のはドシン、ドシンと助走をつけながら少しの間、おっかなびっくり、氷の上を滑っているような感じで、なかなかにダサい。
とはいえ、最初よりは遥かにマシで、昨日はあのあと夜が明けて、空の光が消える頃にはジクサーに戻って来れた。
とはいえ、こんな調子のおかげでスピードには乗り切れず、壁を登るにしてもただピョーンとエイプで跳ねて、ワイヤーガンを使って距離を稼いで、壁を蹴って次のワイヤーガンを――そんな感じだ。
座標演算の機能を使うようになったおかげで、無理筋なボルタリングから、素人の下手くそなリードクライミングにはなったという具合だろうか……。
とにかく、今はもっとスピードが欲しい。
今日は昼の一番眩しい光の下で、HODOの段々畑のように連なる建物を間をとにかく疾走し、飛び跳ねていた。
なんやかんや、昨日よりペースは早い。
「うぉ、あっぶね!」
視界に前に突然、でかい、室外機ユニットが現れた。
俺は慌てて、右に荷重をかける――。
γに乗っていた時の肩から捻りこむ荷重ではなく、斜め後ろに重心を落とすような荷重だ。
エイプの右の踵のあたりにスパイクを打ち込んだようなグリっとした感覚と共に、自然と機体の体が左に開く。
まだ慣れないが、正直、この感覚は意外と好きだ。
なんというか、地に足が着くというそんな感じがして安心する。
安心はするのだが、実際には失速しながら左足をあげ、ドスン、ドスンと右足でつんのめったケンケンをする。
バランスを取ろうと、考えたら自然と掌を開いた上来で右手を突き出し、左手も後に引いて構えるような姿勢をとっていた。
そんなおかしな姿を披露しながら、エイプはユニットを間一髪、躱した。
「っとっ、とっ――」
感覚はいいんだが、なんというか、やってることは不格好な歌舞伎みたいだ……。
障害物を回避した直後に体勢を正面に戻してスピードを上げるために再び、助走を開始した。
だが、左足を前に出した途端にズシっと沈みこんだ。
「オイオイ! まじか!」
どうやら、何かを踏み抜いたらしい。
エイプが前につんのめった。
ヤバイ、ヤバイ――このままでは俺は頭から地面に激突だ!
頭がスイカのように潰れる瞬間を想像して冷や汗が出た。
焦った俺はγを操縦している時のクセがでた。
右肩から捻り込んでしまったのだ。
空中じゃないのに俺は何やってんだ――。
当然、エイプの右肩側に荷重がかかる。
さらに焦った俺はアクセルを開いていた。
本能的な思考だったのだろう、手をつくんだと強く意識しながら、右手を地面へと伸ばすイメージをした。
エイプの腕がそのイメージに連動するように動き出した。
迫る地面に周りの空間がスローモーションになったよな感覚がする。
これがかの有名な走馬灯なのだろうか――。
エイプの腕が地面に接触するその瞬間、俺は奇妙な感触を感じた。
ついたエイプの掌の下から飛沫のようなゆらめく干渉光が発生したのだ。
その光と共に、機体を通じて硬質な地面に触れたのとは違う、何やら弾力があるゴムのような沈み込みと、反発するような抵抗があったのだ。
俺はその抵抗を感じた瞬間、今度は頭の中で腕を伸ばしていた。
エイプの腕に力が入ると、干渉光はさらに明るい飛沫をあげた。
強烈な浮力と同時に機体が地面から跳ね上がった。
地面が離れた瞬間、遅く感じた全身の感覚が一気に戻る。
空中に跳ねた機体から真上に地面を見ながら、俺は今度は左側へケツを斜め後方に落とすように体重をかけた。
エイプはまるで体操選手か、空手家の浴びせ蹴りのようの左に体を捻り、踵から地面に着地した。
今度は左足から光の飛沫が上がり、またあの反発が伝わった。
足首と膝を屈伸させながら、地面を蹴り出す――アクセルは開いたままだった。
いや、むしろ俺は開けていた、じっくり、じわりと――。
エイプが力強く、機体を前に押し出し、アクセルと連動して、加速しながら機体が安定して滑るように前方へと跳ぶ。
慌てて、スロットルを戻し、両足の制動ペダルを踏み込んでいた。
機体は右に流れ、数メートル、足から金属が擦れる火花を散らしながら滑った。
間一髪、建物の壁に背を向けて接触する直前に停止した。
(なんだ今のは?)
地面に激突しかけた恐怖は残ってはいたが、それよりもあの奇妙な感覚と今できたことの方に俺の心の大半は囚われていた。
「おいオマエ! こんなところでそんなもんで何してやがる!」
頭上から野太い怒鳴り声が降ってきた。
見上げると、顔半分にがっつりとタトゥーが掘り込まれた、でっぷりと太った男がいた。
「さーせん! すぐどけます!」
こんなとことでトラブルはご免だ、さっさと退散に限る。
エイプできびすを返し、俺はその場から全速力で駆け出していた。
背後から飛んでくる罵声は続いていたが、その場を遠ざかるにつけ小さくなっていく。
そんなことより、俺にはさっき自分のやれたことが気になって仕方ない。
手や足は自分の体を動かすのと同じ、頭と連動してのことだ。
一瞬の反発や、抵抗の感覚はエイプの機体を通した振動や動きとして伝わったもので、自分の体が直接感じてるものでなく、なんだか薄皮を通して脳みそ自体が感触を知るような感覚というのが近いだろうか……。
曖昧でちょっと気味が悪い感覚――でもあの瞬間、俺はエイプをこれまでで一番気持ち良く動かせたような気がする。
コード・フレームワークは身体拡張プログラム……。
その言葉がリフレインする。
手と足を使う。
荷重でコントロールする。
CFはこの世界を支配する物理演算に少しだけ干渉できる。
現実と同じ物理法則に縛られる、インター・ヴァーチュアで現実では出来ないことができる。
何かが繋がってきたような気がしてきた。
俺はアクセルをゆっくりと開けながら、俺の思考で動く足に集中しながら、足首と膝でためを作ってエイプを前へと押し出し始めた――。