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第4話 生神様

「塚元! いるか?」


 聞き覚えのある声だ。

 塚元潤と同じ学部の、瀬田直桜とかいう男だ。

 直桜が校舎裏に走ってくる。


『ひっ……、いやだ、ダメだ。あれには近付くな。消される。浄化される』


 楓の時より怯えた声が脳に響いた。

 明らかに自分の声ではない、別の何かだ。


「……瀬田、瀬田!」


 叫ばなければいけないと思った。

 今、見付けてもらえなければ、きっと自分はカメラと幸福感に喰われて死ぬのだと。

 楓が刺していった針のせいで、身動きが取れない。

 そのお陰で自分の中の何かも動けないでいるようだった。

 体も心も怯えているのに、直桜の声に安堵した。


「良かった、無事か。……この針、……楓?」


 潤を見付けた直桜が、潤とカメラを見詰めた。

 何度も首を動かして頷いた。


「どの辺りから、記憶がない? もしくは、どこから変だと感じた?」


 直桜の問いかけは、曖昧なのに的確だった。


「三日前に、裏山の祠に、陽介と、写真を撮りに……。うっかり祠を崩して、何かと目が合って……」


 考え始めたら、頭の中が白んだ。


「何かが、カメラに入って。写真を撮ったら幸せで、美味くて、満福で。夏川さんとも一つになろうと、して……」


 頭がぐらぐらして、眩暈がする。

 直桜の手が、肩に触れた。


「上出来。よく覚えてる。まだ自我があるね」

「ぁ……」


 温かな直桜の手が触れた場所から、重たい何かが剥がれていくような気がした。

 直桜がカメラに手を載せた。


「この程度の邪魅なら、俺が触れただけで浄化される。すぐに楽になるよ」


 カメラから、白くて丸いフワフワしたモノが浮きだした。


「あれ、なに……?」

「邪魅に憑かれた塚元が食った魂。あのまま人間を食い続けていたら、次に祠に封印されるのは、お前だったよ」

「なんで、おれ……?」

「怨霊になった邪魅がお前の体を乗っ取って、お前の魂を祠に収めれば、邪魅は自由になれる。で、お前が次の邪魅になる。邪魅って、そういう存在だ」


 直桜の説明は、しっくりきた。

 納得できたが、寒気がした。

 あの時、祠の中で目が合ったアレが邪魅だった。


(俺、憑りつかれていたんだ)


「俺が、次の、邪魅に、なってたら、人を喰った、のか?」

「あのままならね」


 人を写真に撮って感じた幸福感も、満腹感も、幸せも全部、邪魅のせいだった。


「俺、ただ、幸せで。人、喰って幸せに、なってたのか」

「それ全部、邪魅のせいだから。塚元がなんとか自我を保ってくれていたから、邪魅はカメラに収まった魂を消化できなかったんだろ。頑張ったじゃん」


 直桜が触れている場所から、黒いモヤが剥がれていく。

 剥がれた黒いモヤが、直桜が発する気に触れて塵になって消えた。

 直桜の体からは確かに神々しい気が流れ出ていて、それが神力なのだと感覚で理解できた。


「お前って、何者?」

直日神なおひのかみ惟神かんながら。簡単にいうなら体に神を宿した生神だよ」


 あまりにもさらりと話すから、するりと脳に沁みた。

 そんなファンタジーみたいな生物が、こんなに身近にいたなんて思わなかった。


(邪魅にとりつかれた俺も、ホラーか)


「陽介、大丈夫かな。ごめん、瀬田。陽介は、瀬田の友達なのに」

「塚元の友達でもあるだろ。どちらにせよ、一人で行かなくて、良かったよ」


 フワフワ飛んでいく魂が、どこに行くのかわからない。

 写真を撮った場所に戻っていくのだろうか。


「瀬田、祠、壊れたままなんだ」


 急に、あの場所が気になった。

 もう邪魅はいないのかもしれないが、また自分と同じような目に遭う人間がいたら、大変だ。


「塚元に憑いた邪魅も、祠も、俺が全部、浄化しとく。心配ないよ」

「そっか」


 神様が大丈夫だというのだから、大丈夫なんだろう。

 潤は自分のカメラを、そっと撫でだ。


(俺の唯一の趣味で、人を殺すとこだったんだな)


「瀬田、ありがとな。俺、人殺しになるとこだった」

「塚元が殺したんじゃないだろ。普通の人間は邪魅に魅入られたら逃げらんないよ。塚元も被害者だ」


 カメラを撫でる潤の手を、直桜が握った。


「カメラ、嫌いになるなよな。お前が撮る写真、俺は好きだからさ」

「また、撮ってもいいかな」

「良いに決まってんだろ。大丈夫なカメラに、俺がしとく」


 直桜の手から温かな光が溢れた。カメラが光に包まれる。 

 強くて優しい神力が、潤の中にまで流れ込んでくる。


(瀬田の力、温かい。カメラは俺の一部だったんだ)


 ただの暇潰し、適当な趣味でしかない。

 そう思っていたけれど。

 自分が思っていた以上に、レンズは自分の眼で、ファインダーに映る景色が好きだったと、気が付いた。

 安心したら瞼が重くなってきた。


「そんで悪いんだけどさ、今回の件は全部、忘れろ。陽介にも俺の正体、話してないんだ」


 そうなんだろうと思った。

 だから直桜は人と距離をとって、一定以上に近付かない。

 人でありながら人でない、人を救う存在なんだろう。


「わかった、忘れる。ありがと、瀬田。今回のこと、忘れても……、起きたら、今より仲良く、し、たい」


 崩れそうな体を直桜が支えてくれた。


「陽介の友達だから、塚元とも友達だよ」


 その言葉に安堵して、潤は目を閉じた。

 温かい神力は、カメラを通して体中に満たされた。


 目が覚めたら、保健室のベッドの上だった。

 思わず飛び起きて、周囲を見回す。


「あ、起きたか、潤。おはよ」


 カーテンが開いて、陽介が顔を見せた。

 隣のベッドで順と同じように寝ている。


「なんで、保健室? 俺ら、どうしたんだ?」

「どうもこうもねぇよ。裏山の祠、見に行っただろ? 山で足滑らせて転んだみたいでさぁ。直桜と楓が見付けて、助けを呼んでくれたんだってさ」

「枉津と、瀬田が?」

「そそ。飲みに行けそうだからってメッセしても返事ないから、探してくれたらしいぜ。夏川さんが、俺らが歩いて行くの見ててくれて、追いかけてくれたらしいよ」

「夏川さんが……、そっか」


 陽介の説明に呆然とした。

 説明に矛盾なんか感じないのに、どこか釈然としない。

 祠の写真を撮るために歩いて行った先の記憶がない。


「もう絶対、祠には行くなってさ。楓と直桜に、めちゃめちゃ叱られた。あそこ、工事再開するらしい。どうせ入れないけど、絶対に行くなって。あの二人にしては珍しく本気で怒ってたから、行かねぇ方がいいぜ。ちょっと残念だけど、他のもん撮ろうぜ」


 陽介が苦笑する。


「枉津と瀬田は?」

「今日は帰ったよ。飲みは、また今度だな」


 陽介の懲りない笑顔は、いつも通りだ。

 どうしてだか、あの二人に感謝したくなった。


(助けを呼んでくれたんだから、感謝して当然だけど、それだけじゃなくて。もっと、大事なこと、あったような)


 思い出そうとしても、頭がぼんやりして、何も思い出せない。

 ただ、体がやけに温かかった。


「枉津と瀬田と飲む時さ、俺も誘ってよ。お礼、したから」


 陽介が、きょとんとして潤を眺めた。


「当たり前だろ。二人で楓と直桜に御礼しようぜ。あと、夏川さんにも」


 遥の名前が出て、ドキリとする。

 けれど、前のように避けたり否定する気には、なれなかった。


「そうだな。夏川さんと話してみたい」

「やけに素直だな。告白する気になった?」

「は?」

「だって、潤てさ。前から夏川さん、好きだろ? 今のうちに告んねぇと、半年後には卒業だぞ。俺ら、もう四年なんだから」


 顔が熱くなって、目を逸らした。


「そうだな。俺たちもう、卒業するんだよな」


 不意に、窓の外に目を向ける。

 秋を迎えるには早い空はまだ高くて、夕焼けもやってこない。

 それでも、季節は確実に巡っている。


「もっと前に、進んでいいよな」


 とても貴重な、だけど思い出してはいけない。

 怖いのに嫌ではない記憶想いが、自分を後押ししてくれているようだった。

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