神代大学の裏手にある小さな山は、昔なら里山と呼ばれていた場所だろう。
宅地開発が進み、少しずつ削られながら残った丘隆、今ではその程度だ。
直桜は、陽介の言葉を頼りに裏山の話の中に分け入った。
今日は、警察庁公安部特殊係13課、
潤と陽介が憑りつかれた場所に改めて、バディの
「工事は再開されていませんね」
「多分しないね。というか、できない」
後ろを付いて歩いていた護が、納得の顔をした。
「邪魅が集まりやすい地形でもありますが、これは……」
「古墳だよ。円墳だから、かなり古い」
古墳といえば西方に多いが、関東地方にも少なくない。
特に古墳時代中期以降の円墳は、西より東に多く確認されている。
木々の隙間を縫うように歩く。
葉が茂っているとはいえ、陽の光が届かない場所ではない。
なのに、かなり暗い。
「邪魅のせいで視界が悪いですね」
本来、邪魅に強い鬼の末裔である護ですら、邪魅に視界を遮られている。
直桜が歩くだけで、黒く淀んだ空気が浄化される。
直桜は立ち止まり、東の方に目を向けた。
古い鳥居と小さな社が見えた。
「そうすると、あの御社の御神体はこの山、古墳に埋葬された人間でしょうか」
「そうだろうね。この辺りの豪族の長だったんだろ」
岩槻は縄文時代から人間が住み、文字のない時代から信仰が存在した場所だ。
時代が下るにつれ、意味が変化し、それでも大事にされてきた社なのだろう。
「問題は、これだけ手厚く祀っているのに、どうしてこんなに邪魅が多いのかってコト」
「直桜の同級生が祠を壊しただけでは、なさそうですね」
「んー、少なくとも、壊れたから、ではなさそう」
不思議そうにする護と共に、山の中を歩く。
程なくして、大きな杉の木が現れた。
「立派な杉ですね。この木だけで御神木になりそうな」
護が杉の木を見上げる。
杉の足元に、崩れかけた祠を見付けた。
石造りの石碑は、屋根のような上部が崩れ落ちている。
護が歩み寄り、上から覗き込んだ。
「石の祠の中は空洞ですね。邪魅や怨霊の気配は感じません」
「塚元に憑いた分で全部か。あれは俺が祓っちゃったから、デカいのはいなそうだね」
直桜は祠から距離を取って立った。
周囲と空を見上げる。
濃い邪魅の気配を、確かに感じる。
「この祠、元から穴が開いていたようですね」
護が落ちていた石を祠の上に乗せる。
ぴたりと合う場所にハメても、隙が開いて中が覗ける。
「あー、そっか。なるほど」
直桜は、ポンと手を打った。
「護、その祠に残っている邪魅、吸い上げてみて」
「わかりました」
鬼である護は邪魅を血に宿して血魔術が使える。
護が祠に手を翳す。
黒いモヤの塊が飛び出した。
「え? まだ、こんなにたくさん? 一体、どこから……」
護の頭上に邪魅の塊が浮き上がった。
鬼の護も流石に驚く量だ。
『陰の気、負の感情、人間の生気、寄越せ、食わせろ』
浮かび上がった靄の中で、ぎょろりと双眼が笑んだ。
「このサイズの邪魅に憑かれて、良く自我が保てたな。塚元って、霊感ある感じしないけど」
きっと、持っていたカメラのお陰なんだろう。
あのカメラが邪魅の大半を引き受けてくれたお陰で、潤は生気を吸われず死ななかった。
直桜は掌に神力を籠めた。
金色の風船が膨らんだ。ふぅと息を吹きかけて飛ばす。
邪魅にぶつかった金色の風船が弾けて、キラキラと光が舞った。
光の粒子に触れた黒い邪魅が瞬く間に溶けて消えた。
「まだ、残っているんでしょうか?」
護が怪訝に祠の中を再度、覗き込んだ。
「そっか。護は鬼だから、あんまり違和感ないのか」
直桜は両手の上に大きな金色の風船を膨らませ始めた。
「その祠は出入口だよ。そこから邪魅を集めて、纏まったら一つの形にして送り出す。人を喰わせて戻ってくる」
「だから、少しだけ穴が開いているんですね」
「そう。塚元が祠を崩したからデカいのが出入りしやすくなっただけ。壊そうが壊すまいが、同じ営みが続いていたんだ」
直桜は目の前に立つ杉の木を見上げた。
「本体はその、でっかい杉の木。木肌、枝、葉なんかから吸い上げた邪魅を纏めて祠に仕舞い込んでいた。邪魅が溜まりやすいんじゃなくて、吸い寄せて溜め込む木がいたってコト」
「この祠は、それを封じるためですか」
「最初は、そうだったんだろうけどね。崩れても修復しなかったせいで、杉の一部になっちゃったんだね」
両掌よりはるかに大きな金色の風船を空に飛ばす。
杉のてっぺんの真上に浮かせる。
パチン、と指をならすと、神力の雨が降り注いだ。
裏山一帯を覆う大きさの風船から、キラキラと神気が舞う。
杉の木のてっぺんに掛かっていた黒いモヤが晴れた。
暗かった山の中に日が差し込む。
杉の木が、上から徐々に溶け始めた。
「杉の木自体も、邪魅に犯されていましたか」
護の呟きが終わらぬ間に、あれだけ大きかった杉の木が跡形もなく消え失せた。
杉の木の足元にあった祠も共に、溶けてなくなった。
最後の一片の黒い邪魅が空気に流れて消えた。
「これでしばらくは、変な事件も起きないんじゃない?」
「相変わらず、簡単にやってのけますね、直桜。これだけ広範囲の浄化術、普通の浄化師なら三日はかかる仕事です」
「それはだって、神様だし」
「そうですけどね」
直桜は周囲を見回した。
来た時は空気が黒ずんで見えたが、すっかり澄んで、周囲を見渡せる。
遠くに感じた鳥居と社は、思ったより近かった。
「それにまた、似たような現象は起きるよ」
直桜の呟きに、護が振り返った。
「邪魅を吸い寄せていたのはあの杉の木だけど、邪魅を吸い上げる杉を作ったのは、この土地、いや、人間だから」
「古墳、ですか。きっかけは、宅地開発のための工事ですかね」
護が足元を見詰めた。
「ここが古墳だって、知っててやってんのか知らずにやってんのか、わかんないけど。この山を削り続ければ、次の杉と祠が、また現れる。邪魅が溜まって、人を喰う」
今回の宅地開発工事も含めて、もっと大昔から、山を削り、墓を荒らして御霊を穢してきた人間の営みが元凶なのは間違いない。
「清人さんに報告を上げておきます。現行の宅地開発の中止、およびこの周囲の地形調査の依頼を出してもらいましょう」
護がスマホを取り出し、メモを始めた。
霊・怨霊担当統括である藤埜清人から上申してもらえば、副長官を通して関係省庁に打診できる。
直桜は、杉と祠があった場所に目を向けた。
いまだに薄らと、気配は残っている。
この場所に眠る御霊がある以上、気配が完全に消えることはない。
「今回だけじゃない。もっとずっと昔から、あんな風に人を喰って、祓われて、忘れられた頃に、また出て来てを繰り返していたんだろうね」
だからこそ、邪魅の残滓がこびり付くように土地に残っているのだろう。
それはまるで、この墓の主の怨念にも感じられた。
「人の負の感情も、陰の気も、人が生きている限り……死んだって、なくならないものだからさ」
人が邪魅を生み、邪魅が人を喰い、人が邪魅を祓う。
そんなイタチごっこを、何千年、繰り返しているのだろう。
「一先ずこの場所は、向こう千年は大丈夫ですよ。
護に微笑まれて、ちょっと照れた。
「お友達が無事で、良かったですね」
「まぁね。塚元の写真、好きだから。また撮ってほしいしさ」
この程度の些細な怪異如きで、夢中になれる趣味を嫌ってほしくない。
特に趣味がない直桜だから、余計にそう感じる。
「直桜が手放しで褒めるくらい素敵な写真、私も見てみたいです」
「大学、寄ってく?」
「ええ、是非。直桜の学舎には一度しか行っていませんから、興味があります」
そういえば、出会った頃の一度だけだなと思い返した。
「楓がいるかもよ?」
護が、あからさまに顔を顰めた。
「なら、行きたくないですね。いや、それ以前に、直桜を行かせるわけにはいきません」
いつもの会話を交わしながら、直桜と護は裏山を後にした。
杉と祠が消えた場所に、シロツメクサが咲いたのは、二人が山を出た後だった。