その冒険者ギルド《緋剣の瞳》には、奇妙な噂がある。
曰く――「あの受付嬢に惚れると、冒険者として出世する」
曰く――「あの受付嬢に睨まれると、依頼に失敗する」
曰く――「あの受付嬢は、Sランク級の魔物を素手で倒したことがある」
もちろん、ほとんどは誇張であり、尾ひれのついた与太話だ。だが、唯一すべての冒険者が共通して口にする真実がある。
――彼女は、美しい。
「初めてのご登録ですね。身分証と、簡易魔力測定をお願いします。あ、それと……緊張してます? ふふ、大丈夫ですよ」
静かに微笑んだ彼女の声は、まるで上等な紅茶の香りのように、じんわりと胸を落ち着かせる。新人冒険者として受付に立ったばかりの青年は、思わずその場で頷くだけで精一杯だった。
受付嬢の名は、エリシア・フローレス。
銀糸のような長髪をふわりとまとめ、ギルド制服に身を包むその姿は、冷たさと温かさの絶妙なバランスで成り立っている。どこか人間離れした気品を備えながらも、応対は極めて丁寧。しかも的確で速い。目の前の冒険者の実力や嘘すら一瞬で見抜いてしまう観察眼は、受付カウンター越しの女神とまで称されている。
今日もまた、エリシアは変わらず、静かにギルドの窓口に立つ。
だがその日、ギルドの外れにある町の依頼で、事件が起こった。新人三人組が受けた、低ランクの護衛任務。突如現れた魔物の群れ。破られる防衛線。間に合わぬ救援。
絶望が迫るそのとき――
「……ご案内、遅れて申し訳ありません」
音もなく、空間が裂けた。そこから現れたのは、見慣れた制服姿の、あの受付嬢だった。
「ギルド《緋剣の瞳》、受付主任・エリシア・フローレス。……あなた方の救援、兼、任務の後処理に参りました」
薄く笑うその瞳は、まるで獣のように鋭く、
その手には、真紅に輝く封呪の札が十枚――
今、ギルドの“もうひとつの顔”が、静かに幕を上げる。