とりあえず、契約も取れそうなんだから、いいのかもしれない。
急に僕の頭は、仕事モードに切り替わってしまったようだった。
この不動産屋という仕事は、お客様から契約が取れれば、それでよしとされる。だからこれはこれで、仕事としてはベストな展開なのだ。そう考えると、これでいいのだろう。
……しかし冷静に考えると、さっきまでのあの浮かれたテンションは一体どこに行ってしまったのか、という感じだ。
思いっきり北山の言葉に期待して、舞い上がってしまっていたのだから。
「僕、本当にここでいいですよ。御手洗さん……?」
きっと北山は、僕の方に視線を向けて言ってくれていたのだろう。
だけど僕は、完全にしょげてしまっていた。少し俯いて、頭の中で考え事をしていたから、その言葉にちゃんと気づいていなかった。
ある意味、お客様の言葉を無視してしまっていたのだ。
次に我に返ったときには――北山が下から覗き込むようにして、僕の顔をのぞき込んでいる姿が視界に入ってきた。
「御手洗さん、大丈夫ですか?」
その声と、目の前に現れた北山の顔のドアップに、僕は思わずひっくり返りそうになった。
しかも、その一瞬で顔が思いっきり真っ赤になってしまっていた。
……そして、覗き込んでいた北山の表情が、ほんの少し“にやり”としたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。
「え? あ、だ、大丈夫ですよ……」
慌てて平静を装うため、顔を上げて眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。
「あの……御手洗さん……僕はここでいいんですけど……?」
完全に動揺している僕に対して、北山はどこか遠慮がちに、控えめにそう言ってくる。
僕はどうにか立て直し、頷いた。
「じゃあ、あとはお店に戻って、契約書に記入していただいてもいいでしょうか?」
「あ、はい!」
とりあえず、マンションはそこで決まりらしい。
僕は再び北山を車に乗せて、お店へと戻ることにした。
このあとは審査などを経て――審査が通れば、北山が僕の家の隣に住むことになる。
つまり、もう数週間もすれば、僕の隣の部屋に北山が住んでいるという現実がやってくるのだ。
そのときにはきっと、もっと仲良くなって、プライベートでも会うようになって……告白して……恋人同士になって……ラブラブなことや、あんなことや、こんなことも……ってことになるのかもしれない。
――と、僕はほんの一瞬で、そんな都合のいい妄想をフルスピードで繰り広げてしまうのだった。