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封祠ノ聲
封祠ノ聲
ユンティア
ホラー都市伝説
2025年05月27日
公開日
1.4万字
完結済
地図に載らぬ村で、祠が崩れた。 取材のためにやってきた三兄妹《三忌(さんき)》は、 それぞれ“視る・聴く・語る”力を持つ者たち。 村に漂う奇妙な気配。封じられたはずの“何か”が動き始める。 それは祟りか、記憶か。 三つの力が交わるとき、村の奥に隠された真実が姿を見せる。

第1話 《三忌》、祠に呼ばれる

 ――音が、ない。


 夕暮れの高速道路。車内のラジオがいつの間にか沈黙し、イヤホン越しの音楽もふいにノイズだけを吐き出して止まった。


 「……電波、死んだ?」


 助手席の女子大生、九重アイが眉をひそめ、スマホを見下ろす。圏外。再起動しても変わらない。


 「なあ綴、ほんとにこんな山奥に村があるのか? 地図にも載ってねえぞ」


 後部座席で足を投げ出しているのは、弟の九重 蓮。チャラい雰囲気にイヤホン片耳、いつもの調子で話しかけてくるが、アイは視線を外したまま、答えない。


 「今の独り言は、ちゃんと人間相手だよ?」


 「うるさい」


 ひとことだけ冷たく返す。蓮は大げさに肩をすくめると、また独り言のように話し始めた。


 運転席の男――九重 綴は、二人のやり取りを黙って聞いていた。

 いや、正確には“聴いていない”。

 彼には、音は届かない。ただ、視線と空気の動きだけで充分だった。


 綴には、生まれつき音が届かない。

 医者には「異常なし」と言われた。彼の世界には、“音”だけがなかった。静寂ではない。ただ、すべての音が、彼を避けるように存在していなかった

 視えてしまう代わりに、聴くことを許されなかった――それが、彼の“生まれ”だった。


 それでも彼は、会話をする。

 相手の唇の動き、表情、喉の振動――すべてを“視る”ことで、言葉の意味を読み取ってきた。

 そして、自分の発声は、幼い頃からの訓練で身につけた。

 音を知らぬまま、発音だけを真似して積み上げた“視覚の会話術”。


 「到着まであと15分くらいだ」


 彼の口元が僅かに動き、低く抑えられた声が発された。

 抑揚はほとんどなく、どこか無機質。音を知らず、発声を“視覚”で学んだ綴の声は、まるで機械の読み上げのように一定だった。


 だが、蓮もアイも、その話し方に慣れていた。

 蓮は兄の“口の動き”と“発する気配”を自然に読み取っていたし、アイは声の奥にある“無音の言葉”を感じ取れる。


 「お、マジか。じゃあもうすぐかー」


 蓮は窓の外を見ながら軽く返す。まるで“普通の会話”のように。


 三人の会話は、常とは違うかたちだった。

 けれどそこに迷いはなく、互いの言葉は正確に届いていた。


 アイは彼の横顔を見て、小さく頷いた。



***



 九重家の三兄妹には、それぞれ“奇妙な力”があった。

 長男・綴(つづる)――《見猿(みざる)》

 視える。常人には捉えられない“存在”の姿が、はっきりと目に映る。その代償として、彼の耳は、生まれたときから音を閉ざされていた。

 視るだけで、聞けない。だからこそ、真実に最も近く、最も孤独な“目”。


 長女・アイ――《聞猿(きかざる)》

 聴こえる。音ではなく、“心の音”や“声なき言葉”を感じ取る。感情や怨念すら、耳を通して流れ込んでくる。

 だからこそ、聴こえないふりを覚えた。無表情に、静かに。自分を守るために。


 次男・蓮(れん)――《言猿(いわざる)》

 語れる。彼の声は、時に死者に届き、命なきものにまで届く“鍵”となる。けれどそれは、呪いもまた呼び込む扉。

 だからこそ、蓮は笑って喋り続ける。本当の意図を濁すため、誰かと話している“ふり”をして。


 三人は、互いの異常を隠さず、特別とも思わず、ただ「それが自分たち」であるように生きてきた。

 そんな三人が依頼を受けるときに使う名がある。


 ――《三忌(さんき)》。

 日光東照宮の“三猿”を逆手に取った呼び名だ。

 「見ざる」「聞かざる」「言わざる」――本来は“悪事を見聞きせず、語らず”の戒め。

 だが、彼らはその逆を行く。

 視てしまう者。聴いてしまう者。語ってしまう者。

 その三つの“忌み”を抱えた者たち。だから《三忌》。


 名乗れば笑われることもある。だが、それでも構わなかった。

 三人は、笑われるより、知られぬまま壊れることのほうが怖かった。

 車内で沈黙が続いたあと、ぽつりと蓮が言った。


 「……なあ姉ちゃん、また“三忌”って名乗ったのか?」


 綴がミラー越しに、眉をひそめる。


 「だって他にないじゃない。私たち、視えて、聴こえて、語れる。三猿の逆よ。“忌むべき力”を持った兄妹って意味で」


 アイが淡々と答えると、蓮は笑いながら肩をすくめた。


 「でもさ、逆手にとるって案外いいでしょ。“見ざる聞かざる言わざる”じゃ、何も助けられない。だから俺たちは“視る聴く語る”。――ちゃんと向き合って、終わらせるんだよ」


 そう言って、蓮はイヤホンを耳に差し込んだ。

 そのイヤホンは、アイとお揃いのものだった。数年前、両親が「二人で支え合っていけ」と渡してくれた記念の品だ。

 左耳だけに差して“誰かと通話中のフリ”をするのが蓮のやり方。


 一方、アイは両耳を塞ぎ、外の音を遮断するように装着する。聴こえる“死者の聲”を拒むためだ。


 同じイヤホンでも、二人はまったく違う理由でそれを使っていた。

 けれど、それが“音の届かない兄”と“聲に悩まされる妹弟”を、互いに補い合う存在として繋いでいた。

 それが、三人にとっての、静かな絆のかたちだった。


 それぞれの力は、“呪い”であり、“救い”でもある。

 それを選んだのは、他でもない自分たちなのだから。



***



 今回の目的地は――地図に載らぬ村。

 久呂見村(くろみむら)――“黒くて視てはならないもの”を、ひそかに包み隠すような名。



 依頼主は、綴の勤める出版社が立ち上げた地方文化特集企画だった。  

 テーマは『地図に載らない神域』。古文書に記されたまま忘れられていた祠――「封火祠(ふうかし)」の存在が、現地の郷土誌を通じて再発見され、記事の中核素材として現地取材が決まったのだ。


 「今回も“出版社ルート”か」


 アイがスマホを見ながらぼそっと言う。

 綴は運転中の手元でうなずいた。


 「ああ、地方文化特集の依頼。表向きはな。……けど、提出された資料の中に“何か変な痕跡”があった」


 「記録が途切れてて、誰も語りたがらない場所……ってこと?」


 「そう。話を濁してるわりに、誰かが“そこに何かいた”形跡だけ残してる。そういうの、前にもあったろ」


 「……ああ、“あいつら”か」


 それが、綴にとっての「嗅覚」だった。

 表の仕事のふりをして、“裏”の異常に踏み込む。それが三忌のやり方。


 「どうせろくに保存もされてねえ祠だろ? 写真撮って終わりでよくね?」


 蓮が軽く口を開いた。


 「……そのはずだったんだけど、ね」


 アイがスマホを見下ろしながら、声を低くする。


 「出発直前に、村からこんな一報が届いたの。『封火祠、崩れかけている。今のうちに記録すべし』って。差出人の名前もないわ」


 本来なら、そこまで深く踏み込む予定じゃなかった。


 「へぇ……ヤバそう。こりゃ、燃えてくるなあ」


 綴は運転席で、ふっと息を吐いた。視線は変わらず前方を見据えたまま、口の動きだけで言う。


 「……本来なら俺ひとりで行く予定だった。でも、気になったんだ。“封火祠(ふうかし)には、音と名を封じる術式がある”って書かれてた」


 「音と名……」とアイが小さく繰り返す。


 「見るだけじゃ足りない。聴く奴と、話す奴が必要だ。だから、お前たちを連れてきた」


 「俺たちを“呪いの三点セット”みたいに言うなよ、兄貴」


 蓮は苦笑しながらイヤホンを耳にかけ、軽く肩をすくめた。


 「……ま、行くだけならいいさ。どうせまた、何かに巻き込まれるんだろ?」


 「だからこそ、三人で行く」


 綴は視線を前方に向けたまま、口の動きで告げた。


 「気を引き締めろ。あの祠は“触れたら終わり”って噂がある」


 アイの耳に、微かに風の音が入った。山を越える、重い音。嫌な感覚がする。


 久呂見村――そこは、“何か”を封じた村だった。


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