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第2話 封の祠、崩るる刻(とき)

 久呂見村へ続く道は一本きり。

 山奥の旧道を抜け、鬱蒼とした林を抜けると、突然、視界が開けた。


 「これ……村?」


 蓮が、いつものように片耳に差していたイヤホンを外し、視線を上げる。


 谷に沿って並ぶ家々。けれどどこか、風景が“古すぎる”。電柱も少なく、瓦屋根の古民家ばかりだ。

 村人の姿も見える。だが、こちらに気づいても、誰一人、挨拶を返さない。

 ひそひそと聲が動く。だが聞き取れない。

 視線だけが、こちらを刺すように追っていた。


 「歓迎されてねぇのは、ひしひし伝わってくるな」


 綴が言いながら、手に持った地図を丸める。


 「“祠の崩落調査”って、名目のはずだったけど……この空気、普通じゃないわね」


 アイは小声で呟いた。耳を澄ますと、遠くから、何かの“音”が聞こえてくる。風鈴のようで、喉を鳴らすようで、言葉のような、違うような。

 胸がざわつく。耳の奥に、小さな針のような痛みが走る――あの感覚。“死者の聲”が動いている。


 「とりあえず、宿ってる古民家に荷物置いてから、祠だな」


 綴が言い、3人は指定された“来訪者用の家屋”へ向かう。


 誰が用意したのかは分からない。だが、鍵は開いていた。


 「……歓迎されてない割には、準備いいじゃん」


 蓮が皮肉っぽく笑う。


 「逆よ。こういうのがいちばん気持ち悪いの」


 アイは眉をひそめた。


 「来ることは“知ってた”。でも、“歓迎する気はない”――そういうことよ」


 古びた家に入る直前、蓮はふと空を見上げてつぶやいた。


 「なあ姉ちゃん……俺たちってさ、ほんとに普通じゃねーよな。俺なんか最近さ、自分の声が、自分のじゃない気がすることがあるんだ」


 「……またそれ?」


 「いやマジでさ。声って、気づかないうちに何か“混じる”んだよ。知らねー言葉が口から出る。録音にも残らない。怖えよ……」


 アイは視線をそらしながら、静かに答えた。


 「私もよ。耳、痛くてたまらない。……感情だけの声、毎日、頭の中に流れ込んでくる。怨嗟、妄執、愛、嘆き……まるで“聲じゃない聲”」


 二人の表情と空気の揺らぎを“読み取って”、綴は小さく息を吐く。

 兄妹三人に流れるこの“呪いのような力”――それは偶然ではない。


 彼らの母方の祖母は、東北の山奥に生まれ育った「盲目の口寄せ(イタコ)」だった。 すでに亡くなって久しいが、三人が幼い頃にこう言い残していたという。


 「この子たちは、“声”に喰われる。気をつけなさい」


 綴は祖母の目を覚えている。見えていないはずなのに、彼の顔をまっすぐに見つめ、声なき何かを言い当ててくる、あの人を。

 そして今、彼らの力は“ここ”で呼び起こされた。血に刻まれた力が――村の“何か”に共鳴している。


 「……そういやさ」


 蓮がぼそっとつぶやいた。


 「俺たちの力って、ばあちゃん譲りなんだろ?親は普通だもんな」


 アイが頷く。


 「うん。何も視えないし、聴こえない。たぶん、遺伝的には“隔世”なんだと思う」


 「でも普通の人だからこそ、俺たちの異常にはずっと困ってたよな」


 綴は答えず、窓の外を見ていた。

 子供の頃、両親が“どこにも相談できずに黙っていた”ことを、彼は知っていた。


 (だからこそ、俺たちは“自分の力は自分で制御する”って、いつの間にか決めてたのかもしれない)


***


 夕刻。

 村の中心――山肌に食い込むように建てられた、小さな祠。

 木々に覆われた坂道を登ると、急に空気が変わった。


 鳥の声が止んでいた。

 風も吹いていないのに、木々の葉がわずかに震えていた。

 耳の奥で、何かが囁くような錯覚――その気配に、アイは足を止めた。


 名は《封火祠(ふうかし)》。

 かつて山火事を鎮めた“神”を祀る場所とされていたが、その佇まいはどこか“祀っている”というより、“封じている”という印象を与えた。

 祠の脇には、苔むした小さな石板が立っていた。

 綴が目を細め、指でなぞるように文字を追う。


 「『名は、火にくべて、忘れること』……?」


 「七歳の子が、“名を捨てる儀式”をやるってことかしら」


 アイの声に、蓮が肩をすくめる。


 「物騒な儀式だな……。名前を捨てるなんて、正気かよ」


 石段は苔に覆われ、ところどころ欠けていた。

 屋根は歪み、瓦が崩れている。

 それでも、空間そのものが「ここに近づくな」と言っているかのような、目に見えぬ圧力があった。


 「……気持ち悪い」


 アイが足を止め、耳を押さえた。


 空気が、どこか“裂けている”。音でも風でもなく、見えない何かが軋んでいた。

 聴覚ではなく、心の内側が擦れるような音――いや、“聲”。


 「ここが崩れたって通達だったんだよな」


 綴が祠を見上げる。

 彼の目には、見えてはいけない“何か”が、一瞬揺れた気がした。


 無言で蓮が近づく。


 「中、見ていいの? あ、鍵かかってないじゃん」


 蓮が悪びれずに石扉に手をかける。


 「ちょっと待っ――」


 アイが制止するより早く、蓮が扉を押す。


 祠の扉が開いた瞬間、遠くにいた村人たちが、一斉にこちらを向いた。まるで、同じ合図を受けたかのように。

 無表情のまま、音もなく。

 次の瞬間には、また何事もなかったように背を向けていた。


 それと同時に――村全体が、震えた。

 空気の“音”が、弾けたようにアイの耳を打つ。

 **ぴぃぃぃぃ――――**ッという耳鳴りが響き、アイの視界が白く染まった。


 綴の瞳が、異様な揺らぎを捉える。

 祠の奥――朽ちた石室の中央に、人形のようなものが見えた。

 顔のない、布を巻いた小さな木偶(でく)。


 それが――綴を見ていた。


 「おい、あれ……」


 綴が言うのと同時に、背後から蓮の声が届いた。


 「ねえ……今、中で誰かが、しゃべってたよね?」


 蓮の顔は、冗談ではなかった。

 だが、それは“誰かが話した”のではない。蓮自身が話した言葉だった。


 「……嘘、だろ」


 蓮の口元が、勝手に動いていた。

 喋っていないのに、“誰か”の言葉を――いや、“名”を、繰り返していた。


 「ヒナノ……ヒナノ……ヒナノ……」


 空気が反転する。

 祠の奥から、圧し寄せるように“聲なき聲”が噴き出した。

 それは名前。呼び声。呼ばれたいのに、呼ばれなかった名たち。

 それらが一気に解き放たれ、村全体に広がった。


 アイの耳には、村人の叫びが届かない。

 代わりに、子供の泣き声が押し寄せてくる。

 綴の目には、村のあちこちに現れはじめた“白い影”が映る。

 蓮の口元は、まだ止まらない。

 そして、遠くからサイレンのような音が、聞こえた。


 その夜。

 3人は、村の外に出られなくなった。

 携帯は圏外、GPSも狂い、山道も霧に覆われ、声すら遮断される。

 まるで、“何か”が三人を閉じ込めたかのように――

 夜は明けなかった。

 時計は動いているのに、空の色が変わらない。朝を告げる鳥の声も、光の兆しも、どこにもなかった。


 “日付の概念”すら、村の外に置いてきたかのようだった。


 3人は来訪者用の古民家に身を寄せ、交代で眠ることにした。

 何が起きているのか、わからない。

 だが、ひとつだけ確かなことがあった。


 ――封火祠の封印は、壊れた。


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