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第5話

 祖父は考えました。そして、私に話を持ってきました怖い話に興味はないかと。私は元々、そういうものに興味を持っていました。そして、ここまで話して、皆さんに謝らなければならないことがあります。この文章を見ているあなた方にも、名前の無い神様との縁ができたかもしれないのです。


 名前の無い神様は人々から忘れられることを恐れているのだと、住職や祖父は考えました。ですから多くの人間と縁を作ってやれば、一人の人間から忘れられても、捨て置いてもらえるのでないかと祖父は考えて、私に話をしたのです。助かりたければ、この話を拡散して、なるべく覚えているのだと祖父は私に言いました。同時に彼は、私へすまないと謝っていました。その時、私は腹を立てましたが、人のことは言えません。祖父を安全のラインとして図っていたのも、祖父の話をこうしてネットに広めているのも私なのですから。


 名前の無い神様の、小さな祠は九州のとある村にあります。最近、数件の失踪事件があった以外は、のどかで、過ごしやすい村だそうです。人口が減ってきていて、いずれは廃村になるのかもしれません。


 祠だけは動かさなければならないかもしれないと、祖父は話していました。我々には縁ができていますから、我々はその神様を人々から忘れられないようにしなければならない。


 今、こうして文章を書いている最中にも、窓の向こうの風景に、何かくねくねと動くものが見えます。それは、私を監視しているのでしょうか? 私がこの怪異の情報を拡散できるように見守っているのかもしれません。


 私は、思います。名前の無い神様は、ただ寂しいのではないかと。寂しいから、人間に構うのです。寂しいから、くねくねと動いて、自分はここに居ると主張しているのではないでしょうか? そう考えると、同情することもできませんか? この主張は勝手すぎますかね?


 もしかしたら、怪異の正体は古い神様ではないのかもしれない。私は、そう考えたりもしました。贄にされ亡くなった人々が怪異に変じたもの。それが正体だという可能性も考えられます。贄にされた人々が、いつまでも覚えていてもらいたいと願い、その思いが怪異に変じた。そういう考え方も、可能だと思うのです。


 もちろん、怪異の正体は断定できません。あの地に伝わっていた古い神なのかもしれないし、神の贄になった人々の慣れ果てなのかもしれない。古い神と贄になった人々が混ざりあったものかもしれない。あるいは、これらの予想は全て間違っていて、正体は全く別のルーツを持つものかもしれない。考えても、キリがありませんね。頭を使っているうちに、なんだか疲れてきてしまいました。


 もう少し、私の考察にお付き合いできないでしょうか? もうじき、このお話も終わります。あなたにも、もう神様との縁はできているのですから、少しくらいは、良いでしょう?


 何故、祖父が少年時代を生き残ることができたのか、それは、彼が田んぼで会って追われたもの。が大きくか変わっているのではないかと思います。


 祖父を追った何かは、祖父に、神様を忘れるなというようなことを話していたんじゃないかと思うんです。祖父はそれを伝えられて、だからこそ、後にそのことを忘れてはいけないと、強く感じるようになったんじゃないかと。それを祖父に聞いても、彼は「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」だなんて、はっきりしない返事をするばかりでしたが。でも、そうだと考えると私には、しっくり来ました。


 祖父は、この世ならざる者の声を聞かされていたから、その後に神様の存在を忘れずにいた。では、何故この世ならざる者は、そんなことをしたのかと考えます。祖父は怪異に襲われて、逃げきることができた。その時に偶然聞いたものが強く心に残っていた。そのように考えることもできます。ですが、こうも考えられないでしょうか?


 祖父はメッセンジャーとして選ばれた。人々から忘れられかけていた怪異を、再び人々に伝えるためのメッセンジャーに。だとしたら、それはもっと大きな繋がりになっているのではないかと、恐ろしさを感じます。祠を壊した少年たちですら、そうすることによって、怪異と祖父との縁を繋ぐ役割だったのかもしれません。


 祠を壊した少年たちから祖父へと、祖父から私へと、そして私からこの文章を見ている誰かへと、繋がっているのでは? 我々は皆、何らかの形で怪異が忘れられないように後の人間へ信仰を繋ぐ伝令者……あるいは伝道師とでも言い表すのが適当なような気がします。


 怪異というものは誰かから、誰かへと伝えられ続けたものかもしれない。信仰とは、誰かから誰かへと伝え続けるものですから。信仰という言葉に抵抗を感じるのなら、伝統という言葉を使っても良いのかもしれない。


 我々はその伝統から逃げることはできないのでしょう。知りすぎてはいけないし、忘れてもいけない。その奇妙な伝統を、我々はこれからも続けていくのでしょう。


 恐れと敬いを感じながら。

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