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第76話「流れは全てを呑み込む」

 公国軍を追って辺獄へと入ってきた簒奪者ヴィランの軍勢を飲み込んだのは、大量の激流だった。

 水攻めの計略といえば話にはよく聞くものの、直接目にすると恐ろしいものがある。


 こうして十万を超える新生魔王軍の軍勢が瞬く間に飲み込まれて行くのを見れば、王城にある塔の天辺から眺めるタダシもそれを哀れに思う。

 だが、こちらも多くの犠牲を払っているのだ。


 辺獄を貫く大きな河川を堰き止めるという未曾有みぞうの大作戦を指揮した猫耳賢者シンクーは、公国にある嘆きの川の水源地である五つの川をせき止める大堤防を一ヶ月足らずで建設した。

 猫耳商会が、公国所有の資産の活用を許されたが故にできたハイスピード工事。


 そうして、苦労して作った堤防を一気に切り払ったのだ。

 作戦に関わった労働者はのべ三万人。


 公国とタダシ王国の労働力を総動員して、さらに囮となって敵を引きつけた公国軍にもかなりの犠牲を強いている。

 この激流には、タダシ王国とフロントライン公国の民の血と汗と涙が滲んでいる。


 それらは、全てタダシの命令によって行われたこと。

 目の前で無残にも激流に押し流される新生魔王軍を眺めながら、タダシは静かにつぶやく。


「いまだな」


 タダシは辺獄の浄化を解いた。

 すると、次々に流れ込む激流はどす黒い猛毒の濁流へと変貌していく。


 水攻めにすら耐えきった強い魔族たちも、これにはたまらず猛毒の濁流へと引きずり込まれていく。

 この後の魔王戦に備えて隣に控えている公国の勇者は、冷や汗をかきながらタダシに尋ねる。


「魔王も、おそらくあそこにいるはずですが、死んだでしょうか」

「うーん。それはわからないけど……」


 タダシですらも、ここまで見事に決まるとは思わなかったのだ。

 これも商人賢者シンクーの計算能力によるもの。


 もしかしたら、これに巻き込まれていれば魔王ですら死んだかもしれないと思わせるほどの迫力があった。

 何しろ体長十数メートルの伝説の巨人、ギガントサイクロプスですら、濁流の流れに耐えきれず膝をついて猛毒に悶え苦しんだあげく相次いで沈んでいく。


 そのうち一体は、なんとか猛毒の濁流から這い上がろうとしたが、そこにドワーフのオベロン率いる魔牛戦車部隊が前に出て一斉砲撃を加えた。


「いまじゃ撃て!」


 哀れ、伝説の巨人ギガントサイクロプスですら、強力な大砲を前にしては良い的である。

 ドン! ドン! ドン! ドン! と百門の大砲が続けて火を噴き、足を粉々に撃ち抜かれたギガントサイクロプスが、叫び声を上げながら嘆きの川に沈んでいく。


 伝説の巨人ですら耐えきれなかった計略である。

 暗黒の魔王が魔界でかき集めた十万以上もの軍勢は、大自然の猛威と辺獄の猛毒を前に壊滅的な打撃を受けた。


 からくも濁流の流れから外れた軍勢には、ガリアテ将軍の息子グリゴリ団長が率いるオーガ地竜騎兵団と獣人の勇者エリンが率いる獣人戦士隊が襲いかかる。


「皆の者、我が父ガリアテの仇を討つときは今だ!」

「うぉぉおお!」


 仇を討たんと奮起するグリゴリ達が突撃するだけで、すでに混乱状態だった新生魔王軍の残存は瞬く間に崩れた。

 飛べる魔族は空に逃げたが、それらも鉄砲隊の射撃によって撃ち落とされていく。


 もはや戦争とも呼べぬ、あまりにも一方的すぎる展開。

 世界最大レベルの新生魔王軍の軍勢十万が相手ですら、これはあまりにオーバーキルすぎる。


 塔の上からタダシと一緒にそれを眺めていたマチルダは、固唾かたずと共にゾッとするような思いを飲み込んだ。


「今回は味方で良かった……」


 マチルダは、かつてこの嘆きの川による猛毒攻撃を食らって軍隊を壊滅させた過去を持つ。

 戦場を静かに見つめるタダシを見て、なんでこんな恐ろしい人を相手に戦おうと思ってしまったのだと額の汗をハンカチで拭きながら、かつての自分の愚かさを悔やむ。


 タダシは、それを見て気遣いの言葉をかける。


「マチルダさん。そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」

「そうでしょうか……」


「公王陛下や、オルドスさんたちは高台に無事避難できたみたいだから、きっと大丈夫だ。ドラゴンくん達もよく働いてくれたようだし」

「は、はい……」


 そういうことではないのだけど、マチルダはそういうことにして頷いておく。

 その時であった。


「おや、あれは……」


 嘆きの川から立ち上る瘴気の流れがおかしいことにタダシが気がついた。

 その流れは最初は小さな竜巻のように、一点に向かって少しずつ収束していき、やがて誰の目にも見える禍々まがまがしき黒い渦となった。


 その黒い渦から、辺りを威圧する大きな声が響き渡る。


「フハハハハハ、なんたることか! ある程度は予想していたにしても、ここまでとはな!」


 かなりの距離があるにもかかわらず、その禍々しき声はタダシたちの耳にも響いた。


「タダシ様! あれは簒奪者ヴィランの声です!」


 元魔王の侍従長フジカが叫ぶ。

 すぐに公国の勇者マチルダと魔王を継承したレナ姫が、塔を駆け下りていく。


「タダシ様! 手はず通りヴィランを撃退するために行ってきます!」

「私も、今こそ父上の仇を!」


 その間にも、黒い渦はまるでブラックホールのように周りの瘴気を飲み込んで膨れ上がっていく。

 そこより、ヴィランの声が再び響く。


「これで勝ったと思ったのか。クックックッ、片腹痛いわ。おい、聞こえているか愚かなる神々の使徒、大野タダシよ! お前は、余の手助けをしたのだぞ!」


 凄まじい瘴気だ。手助けをしただと?

 ヴィランが何をほざいているかわからないが、そのまま放置しておけない。


 タダシは神力で再び辺獄を浄化してみたが、それでも戦場でかなりの数の魔族が死んだせいもあるのか瘴気を取り払えない。

 敵の意図はわからないが、何かが起こりつつある。


「クルル! 俺をあそこまでは運んでくれ」

「クルルル!」


 タダシは、フェンリルのクルルに飛び乗ると自らも瘴気の渦へと向かった。

 しかし、なんだあれは。


 ヴィランという男をタダシは初めて見たが、魔王とはあれほどまでに大きなものなのか。

 暗黒の瘴気を身にまとって黒い渦よりヌルっと上半身を出したヴィランは、ギガントサイクロプスをも凌駕するほどの巨大でおぞましき悪鬼であった。


 タダシの神の見えざる目は、克明こくめいにその姿を洞察どうさつする。

 まるで辺獄全体の瘴気を吸収した禍々しい黒い渦から、禍々しい魔神が生まれ出ようとしているように見える。


 だが、こちらにも対策はある。

 聖剣を持つマチルダと、魔王剣を持つレナ姫がついに前に出た。二人はお互いに声を掛け合い構える。


「レナ姫殿!」

「はい!」


 マチルダは、腰の聖剣を引き抜き叫ぶ。


「天駆ける星よ、我に仇なす敵に滅びを、天星の剣シューティングスター!」


 レナ姫もまた、魔王剣紅蓮ヘルファイアを引き抜いて叫んだ。


「獄滅の炎よ、我に仇なす敵を焼き尽くせ、紅蓮ヘルファイア!」


 そして、二人が聖剣と魔王剣を重ね合わせたことにより、二つの神力が一つに結集していく。

 空が暗くなり、ゴゴゴゴゴゴゴッと轟音を立て巨大隕石が姿を表す。


 巨大隕石は、彗星のように赤い尾を引きながら紅蓮の光球となって地上に突き刺さる。

 天星の剣シューティングスター魔王剣紅蓮ヘルファイア、神の加護を受けし伝説の神器による大量破壊攻撃。


 これが神々の裁きの閃光!

 誰もが息を呑む、この世の終わりのような光景だ。


 天から飛来した紅蓮の光球は、そのまま黒い渦から生まれ出ようとしたヴィランの肉体を一直線に貫いた。

 降り注ぐ紅蓮の光球と、それに逆らわんと手を突き上げたヴィランとが衝突した瞬間、凄まじい爆炎が巻き起こった。


「ぐぁあああああああああああああ!」


 天駆ける星の輝きに貫かれ、その身を獄滅の炎に焼かれ、断末魔の叫びを上げたヴィランの暗黒の肉体はついに崩れ去った。

 空気は震え、大地は激しく揺れた。


 戦車隊を指揮していたオベロンが絶叫する!


「何をしておる! 全員退避じゃ! 退避ぃ!」


 タダシ王国の魔牛戦車隊が、慌てて後方へと逃げていく。

 もはや戦争どころではない。他の軍勢も新生魔王軍の残党を追うのを止めて必死に撤退した。


 爆心地では、流れ込んできた嘆きの川の激流すら一瞬で蒸散してしまうほどのすさまじい爆発が起きているのだ。


「きゃぁあああ!」「うあぁぁああああ!」


 みんな必死に叫び、神器によって発生した天変地異に巻き込まれまいと逃げ惑った。

 これは、さすがにやったか!

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