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第132話「世界最終戦争」

 聖女王アナスタシアは、タダシに微笑みかけて言う。


「やりましたね、タダシ様!」

「あ、ああ……」


 戦いの終わり、タダシはいつもあまり嬉しそうな顔をしない。

 本土に足を踏み入れさせずに敵軍の侵攻を止めるためとはいえ、味方に多くの犠牲を強いてしまった。


 いや、本当なら味方だけでなく敵ですら誰も殺さずに終わらせたかったのだ。

 皇帝フリードリヒだって、戦争を早く終わらせるためにはできれば生かして捕らえたかった。


 しかし、状況がそれを許さなかった。

 タダシはみんなに言う。


「まだ戦は終わっていない。もうこれ以上の争いは無益だ。帝国軍にもすぐに戦闘を停止してもらって……」


 ゴゴゴゴゴゴゴッ……。


 タダシがそう言いかけた時、地面が激しく揺れ始める。


「キャー!」

「みんな落ち着くニャー!」


 ところどころで悲鳴が上がり、落ち着かせる声も聞こえるが揺れは収まるどころかどんどん大きくなっていく。


「タダシ様、嘆きの川の浄化を解いたのですか」


 聖姫アナスタシアが言う。


「いや……これは一体どうしたことだ」


 嘆きの川の水がどんどん濁っていく。

 タダシは何もやっていないのに、辺獄は以前の汚染された状態に戻っていく。


 いやそれどころか、嘆きの川から瘴気が溢れて濁りきってヘドロのようになった川の水はブクブクと沸騰して、魔魚であるデビルサーモンすら耐えきれず死に始めて次々にぷっかりと浮かび始めた。

 明らかに異常な事態が起こっている。


「タダシ様、川が広がっていきます……」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……。


 そう聖姫アナスタシアに指摘されるまでもない。

 もはや、その異常は誰の目にも明らかだった。


 嘆きの川が、まるで大きな谷の裂け目のように広がっていく。

 広がり続ける大きな地の裂け目からは、常人の目にも見えるほどのおどろおどろしい濃厚な瘴気がまるで噴火した火山の噴煙のようにドロリと溢れ出してきていた。


「ああ! このままじゃ王都が、シンクーの街が!」


 嘆きの川沿いには、王都やシンクーの港街があるのだ。

 このままでは大地の崩壊に巻き込まれる。


 響き渡る地響き、悲鳴と怒号。

 しかし、その時タダシに聖女王アナスタシアが叫ぶ。


「タダシ様、今こそ祈りましょう! みんなも聞いて! みんな自分の信じる神々への加護を祈るのです!」


 ハッと気がついて、タダシは農業神クロノス様にみんなの無事を祈る。

 そして、程なくして奇跡が起こった。


「タダシ、祈りは聞き届けられたぞ!」


 天から聞こえる農業の神クロノス様の声。

 地盤が崩壊しつつある王都の周りに張り巡らされ七大神の神殿が次々と白銀に光り輝く。


 崩れ落ちようとする王都やシンクーの港街が、そのまま地面ごとゴソッと浮き上がってタダシの元に飛んでくる。

 敬虔なる人々の祈りに、天上の神々はきちんと応えたのだ。


「クロノス様! 他の神様達も!」


 神々の加護のおかげで、辺獄の中央に開いた大きな亀裂に巻き込まれそうになった王都やシンクーの港街は守られた。


「タダシ様! 子供達は無事です!」

「こっちは平気だぞ!」


 まだ乳飲み子のタダシの子供達を抱いて海エルフの将軍リサ、獣人の大工頭のシップ、料理頭のマール。

 サキュバスシスターのバンクシア、魔族の女官達などが次々と飛んでくる。


「ようやく追いつきました!」


 海からはポンポンと煙突から煙を吐きながら、イセリナ達を乗せた巨大な赤いトラクターもやってくる。


「はぁ、なんとか終わったあ」

「こんな手強い相手は久しぶりだった」


 続いてドラゴンロードの二人、デシベルとグレイドもやってくる。

 そして、戦闘でボロボロになったワイバーンに乗ってマチルダやレナもなんとかタダシ達のいる岸へとたどり着いた。


「みんな無事だったか!」


 しかし、決戦を生き残ったのは味方だけではなかった。

 次々に二人の魔王や、ドラゴンゾンビに乗った皇帝家の生き残りなどが海岸にたどり着く。


 一度死んでボロボロのアンデッドになった歓喜の魔王ボルヘスが叫ぶ。


「みなさい、我らの勝ちですよ!」


 それに、タダシが叫ぶ。


「どういうことだ!」

「まだわからないんですか、この地に神々が現れたという意味を! ついに世界最終戦争ラグナロクが始まったということです!」


 それは、つまり……。

 その間にも、地が張り裂けるような大地の激震は止まることを知らず続いている。


 ゴゴゴゴゴゴゴッ……ガガガガガガッ!


 そして、無残にも張り裂けた地中から突如として無数の暗黒の腕が伸びてきた。

 地中の大亀裂から膨れ上がって広がる莫大な瘴気の渦。


 その中からゆっくりとその巨体を起こして姿を表したのは、暗黒の巨神だった。

 その捻じくれた漆黒の巨体から伸びる、無数の触手のような腕。


 人々の思う邪悪の具現化。

 星を喰らう悪神。 


 誰もが、目にするだけで魂が凍えるようなおぞましい姿をみればわかる。

 暗黒神ヤルダバオトが、このアヴェスター大陸に顕現けんげんしてしまったのだ。


「おおー! 暗黒神ヤルダバオト様よ! 歓喜の神ディオニソス様に逆らう小奴らを完膚なきまでに、グギッ!」


 そう叫ぶ歓喜の魔王ボルヘスは、最後まで言えなかった。

 そのまま、暗黒神ヤルダバオトに摑まれて、パクリと食べられてしまったからだ。


「何を、なさる……グギャ!」


 腐敗の魔王サムディーも、暗黒神ヤルダバオトに食われてしまった。

 あっけに取られたのは皇帝家の一族郎党だ。


「暗黒神ヤルダバオトは、我らの味方ではないのか! いやぁー!」

「父上が身を捧げたというのに、なぜだ!」


 最終決戦を生き延びて対岸にたどり着いた皇帝家長女ガルシア、次男オズマが巨神から伸びた無数の腕に摑まれて、乗っていたドラゴン・ゾンビごと飲み込まれる。

 まさに、その光景は地獄だった。


「神よ神、何故我らを……」

「いやだ! あんな化け物に喰われるのは、いやだぁ!」


 なすすべもなく取り残された者、その場から必死にドラゴンゾンビを駆って逃げようとした者。

 皇帝家の一族郎党は、またたく間に黒い巨神の身体に出来た、無数の赤い裂け目のような口に飲み込まれていった。


 まさに地獄絵図だ。

 地表へと降臨し荒れ狂う巨神の後ろには、闘争の神ヴォーダン達、始まりの女神アリアを裏切った六人の神々の姿も見える。


 タダシは叫んだ。


「何故だ! 貴方達神々は、自分達の信徒が喰われているのに何故止めない!」


 タダシは、敵のために怒っているのだ。

 農業神クロノス様達は、タダシを助けて守ってくれているではないか。


 それなのに、たとえ敵であったとしても、目の前でこんな殺され方をして何故敵の神々は守らないのかと怒ったのだ。

 押し黙る神々に代わり、暗黒神ヤルダバオトが不気味に捻じくれた巨体を震わせながら答えた。


「何故だと? よろしい答えてやろう。我の復活は、お前のおかげでもあるのだから」

「俺のせいだというのか!」


「そうだ、この辺獄の大地は度重なる戦で多くの血を吸った。そして最後の依代となる皇帝フリードリヒをお前が殺してくれたことで、我はこの世界にこうして受肉することができた」

「そんな……」


 遡れば一万年もの昔より、流されてきた人々の争いの血が、少しずつこの星の地中に寄生する暗黒神ヤルダバオトの神力となっていた。

 そうして、タダシ達がこの地で行った戦いも、復活のための助けとなってしまっていた。


 全ては、争いを止められぬ人々の宿業。

 暗黒神ヤルダバオトに言わせれば、今日という滅びの日が訪れることは定められた運命だったのだ。


「さて、先程の問いに答えよう。皇帝フリードリヒは自らと一族郎党の命を捧げて勝利を願った。あの魔王らもだ。だから我は、彼奴らの願い通りこの身に取り込んだまでのこと。人と神との盟約は、他の神々とて止められん」


 人々が神にそう願ったのだ。

 苦虫を噛み潰したような表情で睨んでいる闘争の神ヴォーダンは、自らを信仰する皇帝家を族滅ぞくめつさせられたことに内心で忸怩たる思いもあったが、それでも止めることができなかった。


 人とは違う次元で生きている神々は、直接この現世に干渉することはできない。

 それは、絶対のことわりである。


 そして、この地上に受肉した暗黒神ヤルダバオトのみが、その理の外にある。

 もはやその行為は、神々にすら止めることはできない。


 タダシは愕然とする。


「皇帝や魔王達は、なんでそんなことを願ったんだ……」


 勝利も、生きていてこそではないか。

 なんでみんな、身の破滅を招いてしまうのだ。


 魔王二人と皇帝家の一族をドラゴンゾンビごと喰らい尽くして人心地ついたのか、悠然と立ち尽くしてタダシを見下ろす巨神は身体にある無数の唇に邪悪な微笑みを浮かべる。


「大野タダシ。貴様のような男にはわからぬよ。勝つことに固執し続ける、人の業はな」


 勝つためであれば己が首すら差し出す。それどころか、子や親族の命までみんな差し出しても構わない。

 そんな狂おしいほどの願いを、王の矜持などと言う国もある。


 暗黒神ヤルダバオトは、この地中で一万年もの間、ずっと人々の醜い争いを見続けてきた。

 帝国を造った皇帝家の制覇の歴史も、魔界での魔王達の血塗られた争いも、タダシ達のこれまでの戦いも全てを知り尽くしている。


「だからって、みんな争いばかりで、こんなことをしてなんになると言うんだ!」


 そう叫ぶタダシを、暗黒神ヤルダバオトは静かに見下ろして言う。


「その通り、人は愚かなものだ。最後には己の身を滅ぼす結果になろうとも、争うことを止められない。だから、こうして最後には世界を滅ぼす我を蘇らせてしまうのだ」

「世界を滅ぼすだと」


「教えてやろう。この世界はな、我をこの星に生み出すための巨大な卵に過ぎなかったのだ。我という絶対の存在をこの地上に受肉させたところで、もうこの星はその役割は終わっている」

「だから、滅ぼすというのか」


「そうだ。さあ、最後の戦いをしようではないか古き神々の選びし救世主。この地上に降臨した我! 絶対なる神ヤルダバオトを倒せるというのならやってみせよ!」


 そう勝ち誇る暗黒神ヤルダバオトを前にして、タダシは静かにくわを振り下ろした。

 ザクッ……ザクッ……。


 せいぜいその鍬の先から先程の巨大なビーム攻撃でもするのだろうと思って身構えていた暗黒神ヤルダバオトは、怪訝けげんな顔をする。


「大野タダシ。貴様、なんのつもりだ?」

「何って、土を耕して種を撒いているだけだ」


 タダシにできるのは、ただそれだけ。

 せっせと大地を耕して、種を撒いて肥料を撒いてを繰り返している。


 しかし、何もおきない。

 せいぜい派手なバトルで世界の終わりを彩ってやろうと思っていた暗黒神ヤルダバオトは、不機嫌そうに言う。


「貴様はバカなのか? 今から我がこの世界を喰い尽くして滅ぼしてやろうというのだぞ。世界を滅ぼす神を前にして、土いじりがお前のやることなのか」

「愚かなのはお前の方だよ。暗黒神ヤルダバオト」


「なんだと!」


 大地を震わせる暗黒神ヤルダバオトの叫び声にも、タダシは怯えたりはしない。

 そして、タダシは挑まれても、決して争ったりはしない。


 それが、結局のところ人々の心の闇を力とする暗黒神ヤルダバオトの力になると知っているから。


「世界を滅ぼしたいならそうしてみればいい。たとえ今日が世界最後の日になるとしたって、農家の俺ができることは大地の力を信じて新しい種を撒くことだけだ」


 あっけに取られていた暗黒神ヤルダバオトであったが、興ざめだと言わんばかりにその触手のような巨大な腕を振り上げて言う。


「ならば、そこで古き神々ともどもに滅びるが良い!」


 しかし、その瞬間。

 タダシの方も、しっかりと魔木の種に肥料をやり終えてポンポンと土を手で優しく叩いて言う。


「……傷ついた大地を癒やす力を世界再生ザ・ワールド・リジェネレーション


 タダシの優しい呼び声に従うように、辺獄の大地がキラキラと光り輝く。

 そこから生えた小さな芽は、みるみるうちに巨大な樹木となって成長していく。


 それは、もはや魔木ではなく、青々とした大地の生命力をたたえた清らかなる世界樹ユグドラシル


「なんだと……バカなっ! 地上に顕現した神の拳を、草木ごときが止めるというのか!」


 振り下ろした暗黒神ヤルダバオトの無数の腕は、地面から生えた巨大な世界樹ユグドラシルの無数の枝に全て喰い止められたのだった。

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