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陽光が燦々と、窓の外から部屋の中を明るく照らしている。少し空いた窓の隙間から吹き込む風がやや生温く、早くも夏の気配を感じさせる。
五月某日、時刻は午後一時を過ぎた頃。書斎の広々とした机の上は、書物と書類にすっかり埋もれてしまい、机の表面がほとんど見えない状態になっている。そんな状態にした張本人である俺・墓森葵は、安楽椅子から少しだけ身を乗り出すようにして、広げた紙に文字を書き綴っていた。傍らには、鹿の頭骨のような骨を被った異形が佇んでいる。俯くと視界を遮る程永く伸びた前髪を乱雑に掻き上げ、俺は不機嫌を隠しもせず、上体を反らして伸びをする。
俺のそんな様子を見兼ねてか、異形が何処からともなくティーポットとティーカップを出現させ、カップに紅茶を注ぐ。茶葉の香りがふわりと鼻腔を擽り、振り返ると、異形は書類の山を掻き分けて、ティーカップを俺に差し出してきたところだった。俺は大きく息を吐き、異形を鋭く見据えた。
「休憩など必要ない。もし淹れるなら、せめてコーヒーにしてくれ」
差し出されたカップを受け取らずにそう言うと、異形はすぐさまティーポットとカップを消滅させる。まるで最初から何も持っていなかったように手ぶらになった異形は、深々と頭を下げた。
『考えが足らず、申し訳ございません、御主人様。しかしながら、貴方様は人の身であらせられる。休息は少し必要かと』
脳内に直接届くその声に、俺は大きく溜息をついた。がりがりと髪を掻き乱しながら、俺は彼を見遣る。
「分かった。頭を上げてくれ。それからコーヒーを。飲みながら、もう一度お前の話を聞きたい。情報を整理したいからな」
『承知致しました。ミルクとシュガーはご入用ですか?』
紅茶の代わりにと、何もない空間からコーヒーの用意をする異形を見ながら、俺は首を横に振る。手品のように何かしらの種がある訳でもない、無から有を生み出す様子も少しは見慣れてきたが、まだまだこの異形――〝悪魔〟については、知らないことばかりだ。
『それから、我々の話をご所望、との認識で、お間違いないでしょうか?』
コト、と空いたスペースに淹れ立てのコーヒーを置き。〝悪魔〟――ヴァルガと名乗ったソレは、あくまで物腰柔らかにそう尋ねる。俺は頷いて、ヴァルガをじっと見据えた。
コホン、とわざとらしい咳払いを一つ。ヴァルガの瞳は何処にあるのだろうか、と思いつつ、俺は彼が話し出すのを待っていた。
『ヒトから外れたモノ、ヒトの醜悪さから生まれたモノ、ヒトの裡に巣食うモノ――太古より、オニ、デーモン、怪物等々、様々な名を持つ、ヒトではないモノの総称。我々の世界ではまた違う名があるのですが、こちらの世界では通りが良いので、〝悪魔〟と呼ぶことに致しましょう、とのことでしたね。ここまでは、よろしいですか?』
確認を取るように、ヴァルガがそう尋ねる。俺はペンを持ったまま頬杖をついた。
「ああ、続けてくれ」
素っ気なく頷いて、俺は先を促す。語り出す彼の声無き声を聞きながら、俺はメモに目を落とした。
ヴァルガ曰く、この世界には〝悪魔〟と呼ばれるモノが存在する。それは、ヴァルガがいたという本来の世界から逃げ出してこちらの世界に来たモノもいれば、人間の感情から生み出されたモノもいる、と。そして、〝悪魔〟にはランクがあり、ホントウはもう少し細かい序列があるらしいが、大まかには下級、中級、上級と分かれている。下級は、獣とそう変わりがない。中級になれば言語を操ったり、特殊な能力を持っていたりするとか。
俺は結局、ヴァルガがどのランクに位置するモノなのか、聞いていなかった。そんなことにはあまり興味がない。こいつが使えないのなら、それまでである。
また、〝悪魔〟には他の〝悪魔〟を食らうことで、食らった〝悪魔〟の力を得ることができるらしい。そして、〝悪魔〟の力を引き出すためには、相応の供物が必要になるそうだ。その供物は、唯一性の高いもの程、強い力を引き出すことができる。ヴァルガの場合、供物に相当するのは俺の肉体に関するものになるようで、実際に髪や爪くらいは、俺はヴァルガに与えたことがある。内臓などを持っていかれるものだとばかり思っていたので、こんなものでいいのかと少し拍子抜けしたくらいだ。
何なら、この家はヴァルガの力によって顕現させたものである。以前の家は、〝悪魔〟が三度も現れたことにより、下級の〝悪魔〟の巣窟になってしまい、迎撃しながらだと思考が纏められず、止む無く引っ越しをしなくてはならなくなったからだ。住宅街から離れ、そのさらに奥の小高い場所に、ヴァルガがレトロな赤レンガ造りの洋風の屋敷を出現させた。周りを同じレンガ造りの塀で囲み、正面には黒い金属製の門扉が構えている。どんな場所であろうとさほど興味はなかったが、広々とした書斎があるのは純粋に有り難かった。備え付けの本棚に必要になりそうな本を集めさせ、俺は少なくともここ一ヶ月程は部屋の中に籠り切っている。食事もヴァルガが用意してくれるので、あれ程必死に稼いでいた金の心配をしなくて良くなったのは、便利なものだと思う。
その対価が、髪の束数センチメートルと切った爪。随分と安いものだと思う。
俺は思考を戻し、自分のメモとヴァルガが語った内容に相違がないことを確認する。机にペンを置き、俺はようやく彼が淹れたコーヒーに口をつけた。少し冷めたコーヒーは酸味をつよく感じるものの、程良い苦味があとからやって来て、久しぶりに飲むコーヒーの芳醇な香りに、俺は知らずほっと息を吐いた。