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第61話「フォルスの誤算」

 ランダル家の家令フォルスに誤算があるとすれば、カスターを領主代行に立てて領地の政権を奪ってはみたものの、財政が予想より貧しかったことだろう。

 民を慈しみ、長年善政をしいていたランダル家の家計は、控えめに言って火の車だった。


 だから足りない兵力を補充して軍を動かすために、租税をかき集める必要があったのだ。

 しかし、そこから予想よりも早く、神速の剣姫らに動きを察知されてしまった。


 そのため冒険者たちを雇っても殺せない場合、街を囲んでいる伯爵軍を動かして善者ケインを倒すという策も失敗に終わった。

 だが、まだフォルスには策がある。


 二倍の租税を集めたおかげで、使える資金は潤沢にあった。

 多額の資金を使い、大量に雇い入れた傭兵を、そのままエルンの街の内部に潜ませておいたのだ。


 フォルスとカスターが転移魔法で飛んだ先が、エルンの街の外れにあるガラの悪い酒場を本拠地とした傭兵のたまり場であった。

 潜ませた傭兵たちに、すぐさま集まるように命じている。


「おい、フォルスどうするんだ。こんなことで俺は領主になれるのか」


 フォルスの隣で、バカな貴族の若造がほざいている。


「カスター様、まだ勝負は始まったばかりです。雇い入れた傭兵を使い、キッド様とそれを擁立してランダル家を簒奪しようとしている善者ケインを殺せば、我々の勝ちですよ」

「お、弟を殺すのか。しかし、父上は……」


「今さら何をおっしゃっておられるのです。なんならランダル伯爵も亡き者にすれば良いではありませんか。そもそも、庶子などに肩入れされて、正統なる後継者であるカスター様をないがしろにしたランダル伯爵が悪いのですよ」

「そんな……俺はただ、父上の跡を継いで領主になりたかっただけなのだぞ」


 事が大きくなりすぎて、カスターは迷っているようだ。

 だが、傭兵たちを動かしたのちは、愚かな貴族の若造など、もうどうなっても良いとフォルスはほくそ笑む。


 傭兵たちに、金はすでに支払っている。

 カスターはもう捨てて良い駒だ。


 まったく、欲深い人間というものは便利なものだ。

 殺す相手が人族の希望であっても、雇い主がたとえ悪魔であっても、金さえ貰えれば関係ないのだから。


 ケインに近い冒険者たちを使うのは失敗したが、ならず者に等しい傭兵たちであれば上手くいく。


「さあ、傭兵諸君。金に見合った働きはしてもらうぞ。不遜にもランダル家を簒奪しようと企む冒険者ケインを必ず殺すのだ! ケインの首を討ち取ったものには、騎士隊長の地位と金貨千枚の報酬を約束しよう!」

「うぉおおお!」


 金と名誉をちらつかせるフォルスの号令で、百名を超えるならず者の傭兵団が、雄叫びを上げてオーディア教会へと殺到していた。


「きゃぁ!」

「なんだこいつら、うわ!」


 街の中を走り回る傭兵の集団に、街の人が悲鳴を上げて逃げ惑う。

 さあ善者ケインよ、どうする。


「ヒャーハハ! 善者と名乗る優しい男が、金で雇われただけの傭兵たちを殺せるのか。ここから見せてもらいますよお!」


 まずは後ろから、ゆっくりと見物させてもらおう。

 ケインたち冒険者が覚悟を決めて戦ったとしても、これはモンスターとの戦闘とは性質の違う人間同士の争いだ。


 傭兵たちが善者ケインを上手く倒せれば良し。

 倒せなくても、相手を躊躇させて乱戦に持ち込めば、倒す機会は見つかるはず。


 どちらにしろ、死ぬのは取るに足らない愚かな人間どもだけ。

 さあ殺し合えと自らの策の巧妙さに酔い、後ろからあざ笑っていたフォルスであったが、その悪魔的な笑いが一瞬で凍りついた。


 ボォオオオオオオ!


 教会を守ろうとする冒険者たちと、そこに殺到する傭兵たちの前に凄まじい火柱が上がった。

 空中から飛来した、魔女マヤの魔法であった。


「次いくで!」


 バンッ! バンッ!


 景気良く大魔法を放つ魔女マヤ。

 爆発魔法の大きな音は、人間を本能的に恐怖させる。


 欲望にギラついていた傭兵たちでさえ、目の前に上がる炎と爆発に思わず足がすくんで止まった。

 そして、赤き髪の天才剣士が、神剣を振りかざして颯爽と飛び降りる。


「神速の剣姫アナストレアよ。死にたくないものは武器を捨てなさい!」


 その一声は、爆発よりも恐ろしい効果をもたらした。

 戦争におもむくことが多く、剣姫の活躍を見たことがある傭兵たちは知っている。


 剣姫アナストレアに歯向かうこと、それすなわち死である。


「うわああああ、剣姫だぁ剣姫が出た!」

「ごめんなさーい!」


「助けてぇ、ママぁぁ!」

「まだ俺は死にたくねえ!」


 全員が武器を捨て、頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

 あまりの恐ろしさに、幼児退行を起こして座りションベンをしている傭兵すらいる。


「おい、フォルスどうするのだ!」


 カスターがそう叫ぶのも無視して、フォルスは逆方向に全力で逃げた。

 フォルスは予想しているよりも、人間の傭兵はもっと使えなかったのだ。


 確実に逃げおおせるための転移魔法は、かなりの上級魔法だ。

 幻魔将フォルネウスといえども、あらかじめ準備された魔法陣なしでは使えない。


 そのため、傭兵を潜ませていた街の外れまでダッシュで逃げるしかない。

 もはや、人間に化ける魔力も惜しくなり悪魔のおぞましき地顔が出てしまっているが、構っている暇もない。


 あの角を曲がれば、逃げ切れる。

 逃げ切れさえすれば、まだ打つ手はいくらでもある。


 今回は、カスターという利用しやすい駒がすぐ見つかって功を焦ってしまったが、次はもっと巧妙にやる。

 遠方で事件を起こし、まず剣姫アナストレアたちを善者ケインと上手く分断して……。


「やっぱりお前だったか、幻魔将フォルネウス!」


 そう声がかかった瞬間に、凄まじい猛虎の烈爪がフォルネウスを襲う。

 フォルネウスは反射的に左手で、暗器として隠し持っていたエーテル素材のダガーを握った。


「ぐぬうっ!」


 防御のために常に展開させている魔力障壁を容易く切り裂いて、迫りくる烈爪の攻撃を、硬いダカーで受けて何とか外した。

 角を曲がった前に立ちはだかったのは、フォルネウスの仲間であった獣魔将テトラ。


 全力の烈爪裂破れっそうれっぱを受けて、もはや獣魔将テトラは善者ケインに完全に籠絡ろうらくされたと知る。

 味方であれば頼もしい獣魔が、敵に回れば恐ろしい。


「この恩知らずが! はぐれ獣魔であったお前を、八魔将にまで引き立ててくれた魔王ダスタード様の大恩を忘れたのか!」


 獣魔には珍しく、獣魔将テトラは情に厚いところがあった。

 フォルネウスはそこを刺激して、何とかこの場を切り抜けようとする。


「……今の我は、それ以上の恩をあるじに返さねばならんのでな」

「恩の板挟みか、苦しいなテトラ」


「もはや、問答は無用だ」

「待て、そのような事情であれば、敵に回ったことを咎めはすまい。ただどうか、昔のよしみと思って、一度だけ見逃してくれないか」


 恫喝で逃れられぬならば、プライドなど捨てて懇願してみせる。

 幻魔将フォルネウスは、魔王ダスタードの側近中の側近であり、魔王軍ナンバーツーの存在と言ってもいい。


 本来であれば、獣魔将テトラなどよりもずっと格上の魔族だ。

 だからこそ、善者ケイン討伐という大きな仕事を任されていたのだが、いまのフォルネウスは、憎き人間の聖女のせいで右手を怪我していた。


 しかも、すでにかなりの魔力を使用してしまっている。

 その上で、あと転移魔法一回分の魔力を残さなければならないとなれば、テトラを相手にして苦手な格闘戦をやって魔力を無駄使いする余裕もない。


「悪いが、時間切れのようだ」

「なんだと?」


 ゾッと背筋が凍る感覚に思わず振り向いたフォルネウスの胸を、剣姫アナストレアの突き出した神剣がズンッと貫いた。

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