陽は翳り、厚い雲が冷気を運ぶ。街中にどこか紫煙めいた濃霧が漂い、通りの向こうですら見通しが悪い。
それは薄暗がりの中。
或いは屋根の上。
建物、道路、広場を問わず、街のいたる所にふわふわと半透明のクラゲに似た何かが、浮かんでいた。
クラゲのようだが、当然クラゲではない。クラゲでいう傘の下に、対になった人の顔の下半分らしきものが見える化け物。
そのクラゲの化け物が、まだ生き残っている一組の
母子は悲鳴を堪えながら、必死で逃げる。声を抑えているのは、もしも恐怖に負けて悲鳴を漏らしてしまうと、クラゲだけでなく腐った屍人と化した街の住人にまで襲われるからだ。
涙を流し、嗚咽を無理に閉じ込め、母子は駆けた。
捕まってはいけない。捕まったら最後――。
「おい、こっちだ!」
男の声。エプロンを巻きつけた中年男性が、母子を手招きした。
見れば一戸の建物が、無傷のままで扉を薄く開いている。そこから男が身を乗り出して手招きしていた。
「早く! こっちへ」
が、母子が男の目の前まで来た瞬間。
その男の顔が――
引火したガスのように、破裂した。
目の前で、割れた柘榴の実を思わせる赤黒い血肉を撒き散らした、男だったもの。
母子は声を失い、その場にへたり込んだ。
男の背中には、追いかけてきたものとは別のクラゲが、触手を貼り付けて浮かんでいる。
「ひッ――ひぃぃぃ!」
悲鳴を堪える事は、最早不可能だった。
それは本能の叫び。神への救いを求めた無力な訴え。
母子の背後には、追いかけてきたクラゲも来ている。
クラゲの化け物が、人の手の平に酷似した触手を、母子へと伸ばしてくる。目の前は頭を破裂させた男と、それを為さしめたクラゲ。背後からもクラゲ。もう逃げ場はなかった。
しかし――
後はもうないと観念しかけたその時、二体のクラゲは同時に左右で分断され、落ちた水風船のような耳障りな音をたてて墜落する。
「大丈夫か」
斬り裂いた刃の閃光。
母子に声をかけたのは、
オヴィリオは座り込んだままの母子に手を差し伸べて立たせると、二人を強引に引っ張っていった。
しかし今の悲鳴を聞きつけたのだろう。
「殿下」
そこへ、ジャンヌの声。
手綱を引き、オヴィリオらのいる路地裏へと、馬を寄せて手を伸ばした。
「ジャンヌ! 後ろだ!」
オヴィリオが叫ぶ。
馬上のジャンヌのすぐ後ろから、あのクラゲが襲いかかろうとしていた。
けれどもジャンヌは「大丈夫」と言って、そちらを見向きもしない。
もうクラゲは触れる寸前。が、次の瞬間。
光が走ったかと思えば、クラゲは一瞬で炎に包まれてしまう。
――ギュキキキキキ
この世のものとは思えぬ音声を発し、火にまかれたクラゲは、消し炭も残さずに燃え尽きていく。
その間に、オヴィリオはジャンヌが乗る馬の前に乗り、母子は別の騎士の後ろに乗せていた。すぐさま馬首を操ると、一同は別の場所へと馬を走らせる。
避難の出来る場所へ――。
コーネリアの後ろに乗るギルダの案内で、一同は街外れの水門へと向かった。人の出入りも少ない場所であるし、一番被害がなさそうな場所といえばそこしかなかったからだ。
その予想は運良く的中し、どうやら水門にこの怪異の被害は及んでいないようだった。
しかし、ここにも既に人は一人もいない。いずれ
それでも、一息つけたのは有難かった。
助けた母子は街の住人の中で、ジャンヌ達が初めて遭遇した生存者なのだ。
一体何が起きたのかを母子に尋ねるジャンヌ達。
ひと通りの状況説明を聞いた後、母子にはすぐにオールボーへ向かうようにと言って街の外へと逃がした。
母子から聞いた情報によると――。
異変は約二週間前から起きはじめていたとの事。
最初は、街の周囲に広がる森からはじまった。
トナカイを放牧している牧童が、不気味なクラゲのようなものを見たと言う話が噂になり、そのすぐ後に一人、また一人と人がいなくなりはじめたのだという。
これはもしかしたらただならぬ事、ひょっとすれば
街の中央にある噴水広場。
突如として、その噴水に体をめりこませた
町中が大騒ぎになったのは言うまでもない。一体何故、いつ、どうやってこんなものがと思うも、しかし噴水の中に体をめりこませているため、その
だがその直後、まるで噴水の
全員、
あのクラゲと一緒に。
こうしてスケーエンの街は、屍者が徘徊する死の街に変わり果ててしまったのだ。
「あのクラゲのようなものが、
随行する騎士の一人が、顔を青ざめさせて呟く。
一行は水門の跳ね橋を上げて急場凌ぎの安全地帯にいるものの、迂回する方法はいくらでもあるため、絶対の安全とは言い難かった。
「そうです。我らは
ホランドの説明に、ジャンヌ達が頷く。
「だが、この街の人間のほとんどが
コーネリアが顎に手を当てて考え込む。
母子の話から推察するに、
周囲の森は何エーカーあるか分からないほど広大なだけに、そうなるともう探しようがなかった。
己の
どうしたものか――。
無言になる一同を見て、ジャンヌが諦めたような溜め息をつく。
「仕方ないか――」
何を言っているのか――。
そう問われるより先に、ジャンヌが