四月。新しい学年、新しいクラス。
教室を満たす期待と不安が入り混じった、どこか浮ついた空気は、僕には少しだけ眩しすぎる。
だからというわけじゃないけど、放課後、僕が真っ先に向かうのは、活気あふれる友達の輪ではなく、ひっそりと佇む旧校舎の片隅だ。
「……っと、今日も変わりなし、かな」
ギィ、と錆びた
鼻をかすめるのは、埃っぽさと、微かなカビの匂い、それから陽だまりの匂い。ここが、僕が部長を務める『よろず相談部』の部室だ。
部員は、僕、
去年、卒業した先輩から半ば押し付けられる形で引き継いだ、名ばかりの部活。主な活動内容は、こうして誰も使わない部室の窓を開けて、空気を入れ替えることくらい。あとは、時々、目安箱に入っている(ほとんどがイタズラか、どうでもいい)手紙を確認するくらいか。
「んしょ……」
窓を開けると、午後の柔らかな風が吹き込んできて、淀んだ空気を掻き混ぜていく。中庭の
雑然とした室内を見渡す。寄せ集めの机と椅子、壊れかけのロッカー、正体不明の段ボール箱。一応、最低限の掃除はしているつもりだけど、すぐに生活感……というか、廃墟感? が戻ってきてしまう。
誰も来ない気楽さはあるけれど、やっぱり少しだけ寂しい。まあ、仕方ないか。僕自身、几帳面なタイプじゃないし。
「ゆーうとっ! やっぱりここにいた!」
不意に、背後から底抜けに明るい声が飛んできた。勢いよく開かれたドアの音と一緒に。
振り返ると、そこには、息を切らせるでもなく、快活な笑顔を浮かべた幼馴染の姿があった。
「
「慌ててないし! もう、悠人がさっさと教室からいなくなるのが悪いんでしょ!」
「悪いって言われても……特にクラスですることもなかったし」
「そういうとこ! もう少しクラスの子と交流しようとか思わないわけ?」
「うーん……」
苦笑いしかできない。紬は昔からこうだ。僕のズボラというか、コミュ障気味なところを、母親みたいに(あるいは姉みたいに?)心配して、世話を焼いてくれる。
正直、ありがたいと思っているけれど、同時に少しだけ申し訳なさも感じる。
「で、何か用事だった?」
「用事っていうか……はい、これ! 新学期そうそう、またプリント出し忘れるとこだったでしょ!」
ビシッと音を立てそうな勢いで、紬が数枚のプリントを僕に突きつける。進路希望調査とか、健康診断の問診票とか、確かに机に入れっぱなしだった気がする。
「あ……助かるよ、紬。ありがとう」
「まったくもう……。悠人は私がいないとダメなんだから」
口では呆れたように言いながらも、その声色や表情はどこか嬉しそうだ。……なんて感じるのは、僕の自惚れかもしれないけど。
こういう紬の優しさに、僕は昔からずっと甘えてしまっている。
「で、ここ、本当に活動する気あるの? 『よろず相談部』」
紬は、改めて部室の中を見回して、溜息をつく。
「あるかないかで言えば、あるけど……依頼が来ないことにはね」
「そりゃ、こんな古くて怪しげな部室じゃ、誰も寄り付かないって」
「否定はしないけど……」
実際、去年一年間でまともな依頼は数えるほどしかなかった。内容は「失くした生徒手帳を探してほしい」とか、「猫の餌やり当番を代わってほしい」とか、そんな他愛もないものばかり。
それでも、頼ってきた子の、少しでもほっとしたような顔を見ると、この部を続けている意味も、まあ、なくはないのかな、なんて思ったりもする。
「それにしても、なんで悠人が部長なんか引き受けちゃったかなあ……」
「断れなかったんだよ。先輩の圧がすごくて……」
「またそれ! 悠人のお人好しも大概にしなさいよねっ」
紬が、僕の二の腕あたりを軽く叩く。痛くはないけど、彼女の心配する気持ちが伝わってくるようで、少しだけ胸が温かくなる。
その時だった。
「……失礼します」
静かだけど、凛とした声が、部室の入り口から聞こえた。
僕と紬が同時にそちらを向くと、ドアの前に一人の女子生徒が立っていた。
息を呑むほど整った顔立ち。艶やかな黒髪のロングストレートが、午後の光を吸い込んで静かに輝いている。透き通るように白い肌と、理知的な光を宿した切れ長の青い瞳。表情はほとんどなく、まるで精巧な人形のようだ、なんて非現実的なことを考えてしまった。
制服は完璧に着こなされ、その立ち姿からは一分の隙も感じられない。
同じクラスの、
「ひ、氷川さん? どうかしたの、こんなところに」
思わず、少し上擦った声が出てしまう。まさか彼女が、この忘れ去られたような部室に何の用だろうか。
氷川さんは、僕と、僕の隣にいる紬を順番に、値踏みするような冷たい視線で見つめた。その青い瞳に見据えられると、なんだか心の中まで見透かされているような気分になる。
「あなたが、この『よろず相談部』の部長、来栖悠人さん、ですね?」
「は、はい、そうですけど……」
「生徒会役員として、通達があって来ました」
彼女は抑揚のない声で、淡々と告げる。
通達、という言葉に、嫌な予感が胸をよぎった。
「この部は、今年度末をもって、廃部となることが決定しました」
氷川さんの静かな宣告が、古びた部室に響き渡った。