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第5話

 白銀の季節が長く続いた王都ロゼンベルクにも、ようやく春の気配が鮮明に訪れはじめた。木々は新芽を広げ、街路には花屋が彩り豊かな花を並べ、人々の装いも軽やかさを帯びている。

 かつて冬の晩餐会で起きた「公衆の面前での婚約破棄」という衝撃的な事件から、すでに数か月。あの夜、屈辱の中を去っていった公爵令嬢マリーナ・アルヴィスの名は、いまや社交界でも“気高く美しい、そして強か”な女性として広く知れ渡っていた。

 同時に、「平民出身の元侍女イレーネが第二王子クラウスを籠絡し、破滅へ導こうとしている」というスキャンダラスな噂は、日増しに大きく膨れ上がり、ついに王家が正式に“クラウス殿下の謹慎令”を発布するに至った。イレーネもまた、王宮への出入り禁止を言い渡され、表向きは二人とも身動きが取れなくなったかに見える。

 しかし——マリーナは知っていた。イレーネがそんな程度で諦めるタマではないことを。彼女は何としてでも、王族の権威を利用してのし上がろうとするだろう。過去の情報から察するに、その狡猾さを甘く見ると痛い目を見る。

 そして、マリーナが誓った“復讐”もまた、まだ道半ばだった。クラウスとイレーネに「こんなはずじゃなかった」と思い切り後悔させなければ、彼女の心は安らがない。

 ——同時に、第一王子リュカとの間に芽生えつつある感情もあった。かつてクラウスを愛した時とは違う、心の奥底をふっと温めるような思い。今はまだ、はっきりと言葉にはできない。だが、リュカの優しさと誠実さは、凍てついたマリーナの心を少しずつ解かしていた。


 本章では、そんな幾重もの思いが交錯する中、ついにクライマックスが訪れる。

 公爵令嬢マリーナは、かつての「守ってあげたい存在」だったクラウスを斬り捨て、新たな道を選ぶのか。野心家イレーネの暗躍はどこまで続き、どう破滅へ向かうのか。そして、リュカとの“真実の愛”は、どのように結実していくのか——。


1. 謹慎下のクラウスと動揺する王宮


 クラウス・フォン・モルトフェルトが謹慎令を受けてからすでに三週間が経とうとしていた。第二王子として与えられた広い私邸に閉じこもり、表向きは「体調不良による療養」という扱いで人前に顔を出さない。

 王城では国王や宰相が主導し、クラウスに関する一切の公務を取り上げ、代わりに第一王子リュカのもとへ集約させた。その結果、リュカの仕事量は格段に増え、近臣たちは連日慌ただしく動き回っている。一方で、クラウスがこれまで担ってきた(あるいは実際にはマリーナが裏で支えてきた)諸外国との交渉や、国内の行事準備などは、リュカやほかの貴族たちが即座に引き受ける形となった。

 つまり、クラウスが完全に“政治の舞台”から外れた状態である。マリーナから見れば、「自分を蔑ろにした報いを受けている」ようにも思えたが、まだこれは序の口。クラウス本人も、寝室にこもって自問自答を繰り返すばかりで、明確な行動を取らないまま焦燥に駆られているのだという。

 そこにもう一人、問題を抱えている人物がいた。そう、イレーネ・コールマンである。

 クラウスが謹慎となった以上、彼女が王宮へ自由に出入りできる機会はゼロに近い。にもかかわらず、彼女は何とかして「王子妃の座」を手にしようと、裏で暗躍しているという噂が消えない。公爵令嬢の友人ネットワークを活かしたマリーナの情報網によれば、イレーネは一部の貴族や商人たちと接触を図り、「自分が第二王子の正統な伴侶である」と吹聴して回っているらしい。

 もっとも、最近では“謹慎中の王子に勝手に会おうとする不敬な女”という認識が広がりつつあるせいか、イレーネを公然と支援する勢力は激減していた。多くの者が彼女を危険人物とみなし、内心では距離を置いているのだ。

 しかし、か弱い平民出身を装う彼女の手管は巧みだった。自分は迫害される悲劇のヒロインだと訴え、さらに「自由で新しい時代の王妃像を築きたい」と大言壮語し、一部の“奇特な”女官や貴族夫人を取り込んでいるという話もある。


 マリーナは、彼女のそうした動きを静かに観察しながら時を待った。焦って正面衝突するのではなく、いずれ来る勝負どころで、すべての不正と矛盾を暴いてやるために——。

 (きっとイレーネが最後の悪あがきをする瞬間がくる。そのときこそ、私たちは一気に攻勢に出て、彼女の化けの皮を剥ぐのだわ。)


2. 公爵家の舞踏会と、マリーナの新たな輝き


 そんな最中、アルヴィス公爵家では「春の舞踏会」が近づいていた。毎年恒例ではあるが、今年は例年にも増して大きな注目を集めている。なぜなら、かの“婚約破棄事件”で渦中の存在となったマリーナ・アルヴィスが、主催者家の令嬢として久々に大きく表舞台に立つからだ。

 王宮から第一王子リュカや王妃の取り巻きも参加予定であり、各貴族や有力商人、外交官まで招いての一大イベントになる見込みだった。陰口を叩く者や興味本位で観察しに来る者もいるだろう。だが、マリーナは胸を張って迎え撃つつもりだった。むしろ、そうした注目を利用して、自らの評価をさらに高める好機にしようとしている。

 「……お嬢様、本当におきれいですわ」

 舞踏会当日の夕刻、侍女たちがマリーナの髪を丁寧に結い上げ、宝石のあしらわれた髪飾りをセットし終えたところだった。漆黒の髪は高い位置でまとめられ、ティアラのように輝く飾りが、彼女の青い瞳と相まって神秘的な美を放っている。

 ドレスは深いネイビーに近い濃紺。胸元や袖口に銀糸の刺繍が施され、所々にあしらわれた小さなラインストーンが星のようにきらめくデザインだ。冬の名残を感じさせるようなシックな色合いでありながら、春の訪れにも似合う気品と華やかさを持ち合わせている。

 鏡に映った自分の姿を確認しながら、マリーナはほんの少しだけ微笑む。

 「ありがとう。……あの日の晩餐会で着たものより、ずっといいかもしれないわね」

 当然、婚約破棄を言い渡された夜のドレスは、今も記憶に深く刻まれている。だが、今日の彼女はもうあの頃の自分ではない。荒れ狂う感情を押し殺して震えていた少女から、「自らの意志で運命を変える女性」へと成長したのだ。

 「……さあ、行きましょう。この舞踏会で、私がどれだけ立ち直っているか、皆に見せつけてあげなくては」


 マリーナは侍女を伴いながら館の大ホールへ向かった。そこには、すでに多くの来賓が集まっている。公爵夫妻が入り口近くで客を出迎え、優雅に談笑を交わしていた。

 会場の中央には豪華なシャンデリアが輝き、絨毯と大理石の床が美しく磨かれている。軽快な音楽が流れ始め、招かれた貴族たちがグラスを片手に会話を楽しんでいた。

 マリーナが姿を見せると、会場の視線が一瞬にして集中する。かつては「王子の婚約者」としての彼女に向けられた視線だったが、今は「婚約破棄を経てなお、凛と立つ公爵令嬢」としての興味と称賛が入り混じっている。

 「あれがマリーナ・アルヴィス……」「噂以上の美しさね……」といった囁きや、「気品と威厳がすごい……」という感嘆がそこかしこで耳に入る。

 マリーナは少しも臆することなく微笑み、軽く会釈を返しながら会場を進む。心の中で(これでいいの)と自分に言い聞かせる。

 (皆が私を「可哀想な被害者」として見るのではなく、「凛とした公爵令嬢」として認める。そのほうが私の復讐には効果的だし、今後の人生を切り開くための力にもなるのだから。)


 そのとき、大ホールの入り口が再び開き、会場にさらなる注目が集まった。——第一王子リュカの到着である。

 リュカは国王夫妻の名代として、この舞踏会に出席することになっていた。真紅の装いを基調とした衣装に身を包み、金糸で織られた王家の紋章が胸元に輝いている。彼の後ろには数名の側近や護衛が続いていたが、それらを感じさせないほど穏やかで落ち着いた雰囲気を纏っていた。

 「リュカ殿下がおいでになられたぞ……!」

 「おや、随分と早めにいらしたのね」

 貴族たちが一斉に頭を下げる中、リュカはホールを見渡し、やがて視線をマリーナに定めると、にこりと優しく笑って会釈する。その微笑みに、マリーナは胸が少しだけ熱くなるのを感じた。

 「殿下、よくいらっしゃいました。ご多忙の中ありがとうございます」

 マリーナが礼を述べると、リュカは「あなたが招待してくれて嬉しいよ」と穏やかに答える。

 このやり取りを見守る周囲の貴族たちの目が、さらに好奇の色を帯びているのが分かる。最近の王都では、「リュカ殿下とマリーナは何やら親しい間柄ではないか」と噂する声が増えていたのだ。実際、二人が仲良く話す姿を目撃した者もいる。

 マリーナはやや視線をそらしつつ、会場を一巡しては軽い挨拶を交わす。リュカもそれをフォローするように同席し、時折笑いを交えながら社交をこなしていた。


3. イレーネの襲来と、暴かれる秘密


 舞踏会が盛り上がり始めた矢先、思わぬ“客”が姿を現した。——イレーネ・コールマンである。

 王宮への出入りを禁止されただけでなく、クラウスの謹慎に伴い、周囲から冷たい視線を浴びるはずのイレーネ。だが、彼女はまるで“何も問題などない”というかのように豪奢なドレスを身に纏い、公爵家の門を堂々とくぐってきたというのだ。案内役の従者が慌てて公爵夫人へ報告に駆け寄った。

 「奥様、大変です……イレーネ・コールマンが、何者かの紹介状を持って現れまして……『この舞踏会に招かれている』と主張しています」

 「なっ……そんなはずはありません!」

 公爵夫人は驚きと怒りで声を震わせる。もちろん招待していないし、実際にはどの貴族や商人とも協調関係にないはずのイレーネが、どうやって会場まで入り込んだのか。

 すぐにでも追い返したいところだが、もしここで乱暴に追放すれば、逆に「公爵家は元侍女を差別している」などと悪評を立てられかねない。それを狙っている可能性さえある。

 公爵夫人は使用人に目配せし、「やむを得ない。とりあえず会場の片隅へ案内しなさい」と指示を出した。

 ——こうして、イレーネは図々しくも舞踏会に潜り込み、会場の隅へと通されたのである。


 彼女の姿がちらりと人垣の間から見えたとき、マリーナは一瞬息を呑んだ。

 (やっぱり来たわね……。あれだけ締め出しを食らっているのに、どういうつもり?)

 イレーネは淡いラベンダー色のドレスに身を包み、華美な宝飾品をこれでもかというほど身につけていた。まるで自身がこの舞踏会の“華”だと言わんばかりに周囲へ微笑みを振りまいているが、近くにいる貴族や商人は皆、距離を置いているようだった。

 (どうやら、狙い通りにはいっていないみたいね。でも、だからこそ何か仕掛けてくるはず。……問題は、どんな手を使うかってこと。)


 その直後、イレーネが突然、大きな声を張り上げた。会場の一角に居合わせた客たちが驚いて振り向く。

 「皆さま、どうかお聞きになってくださいませ! 私は第二王子クラウス殿下の“真の婚約者”にして、愛の証を得た女なのですわ! にもかかわらず、公爵令嬢マリーナは私たちを妨害し、王家までも味方につけて殿下を謹慎に追いやったのです!」

 ざわざわと会場が揺れ始める。突然の大声と挑発的な物言いに、驚きや困惑の表情が飛び交う。

 「一体どういうつもりだ……」「元侍女とは聞いていたが、ずいぶん図々しい女ね……」と囁く声もあれば、まるで何か面白い見世物でも始まったかのように興味深げに見守る者もいる。

 イレーネはさらに言葉を続ける。

 「私は平民の出自です。でも、だからこそ分かるのです。貴族たちがいかに醜い利権争いをしているか、マリーナ・アルヴィスがいかに私を排除しようとしているか……。本当の愛を尊重するなら、私が殿下を支えるべきだということは明らかですわ!」


 その宣言に、ついにマリーナも黙ってはいられなくなる。会場の視線が彼女に集まり、期待めいた空気が生まれる。ここでマリーナがどう出るか、皆が見守っているのだ。

 マリーナはゆっくりと歩を進め、イレーネと向かい合った。深いネイビードレスの裾が床を滑り、会場の中央を移動する彼女の姿は、あまりにも堂々としていた。

 「イレーネ・コールマン。あなたを招待した覚えはありませんが、わざわざ私どもの舞踏会へいらしたのですね」

 「ええ、そうですとも。——私は自分の正当性を証明するために、今日ここに来たのです。あなたのような“生まれだけが取り柄の傲慢な令嬢”など、所詮は何も分かっていない!」

 会場がざわつく。だがマリーナはまるで意に介さず、薄い笑みを浮かべて答える。

 「そう……それは大層な自信ですわね。では、あなたがお持ちの“正当性”とやらを、ここで明らかにしてくださる? 私たちもぜひ拝聴したいのですけれど」


 イレーネは待ってましたと言わんばかりに胸を張る。そして、手にしていた書類らしき紙束を振りかざした。

 「これは何だと思います? クラウス殿下からいただいた“愛の証”ですわ。これがあれば、殿下の花嫁となるのは私であると確定する。あなたのような貴族のプライドで固められた人間には、到底理解できないでしょうけれど!」

 その言葉に、マリーナは眉ひとつ動かさない。会場の人々は興味津々ながらも戸惑いの声をあげる。書類には確かにクラウスの署名が入っているように見えるが、一体何が書かれているのか。

 「ふむ。具体的に言うと、どんな内容なのかしら? 私たちにも見せていただいて構わないかしら?」

 マリーナが肩をすくめながら問いかけると、イレーネは一瞬だけ表情を曇らせた。どうやら、その書類を精査されるのは都合が悪いらしい。

 だが、ここまできて引き下がるわけにもいかないのか、イレーネは強引に言葉を重ねる。

 「こ、これは殿下との“秘密の婚約証書”のようなものよ! ……彼が自分の自由意志で書き記し、署名をした! だから、私こそ正統な王子妃候補なの!」


 そこで突然、会場の奥から威厳ある声が響いた。

 「そうはさせん……!」

 振り返れば、第一王子リュカが静かに前に進み出てきたのだ。背後にはアルヴィス公爵や宰相、さらには王宮の侍従長らしき人物まで並んでいる。どうやら、公爵家の舞踏会とはいえ要職者も多く出席しており、ただの私的なパーティで済まない状況になってきたのだ。

 リュカは鋭い視線をイレーネに向ける。

 「イレーネ・コールマン。王家の名を騙り、不当に権力を手に入れようとする行為は重罪だ。ましてや、君はすでに王宮への出入りを禁じられている身。……それでも、自分が“正統な花嫁”だと主張するならば、正式な裁定を受ける用意はあるのか?」

 その言葉に、イレーネは口をつぐむ。会場の空気が一変し、まるで法廷のような緊張感が生まれる。

 リュカは続ける。

 「私の弟、クラウスは謹慎中の身だが、いずれ国王陛下の前でこの件を問いただすことになるだろう。……もし君がそれを望むならば、私たちも“その証書”を正式に検証する。だが、万一それが不正な書類であると判明した場合、君はただでは済まないぞ」


 イレーネの顔色が変わる。会場の貴族たちは息を呑んで成り行きを見守っていた。

 (来たわね。……これでイレーネが自滅するか、あるいは最後の手段に出るか。どちらにせよ、ここが勝負どころだ。)

 マリーナも内心で緊張を抱えながら、一歩引いて情勢を見守る。


 すると、イレーネは瞳をぎらつかせ、声を張り上げた。

 「……ならば、構いませんわ! 私は堂々と出廷します! 元侍女である私を見下し、邪魔をするアルヴィス公爵家や王族たちを正面から糾弾いたします! クラウス殿下も本心では私を選んだのだと、証明してみせますわ!」

 震える声の中にある決意。おそらく、ここまで後戻りできなくなった彼女は、王城の裁定の場で自らの“正統性”を大声で主張するつもりなのだろう。負ければ破滅、勝てば名誉と地位を手にできる——まさしく彼女の最後の賭けだ。


 リュカはその表情を冷ややかに見下ろし、淡々と口を開く。

 「いいだろう。……では、近々正式に召集をかける。そこで君とクラウスを含む関係者を集め、事の真偽を問う。君には弁明の場を与えよう」

 イレーネは高笑いすら浮かべそうな勢いで「望むところよ!」と叫ぶ。周囲の貴族たちは一斉にひそひそと囁き合い、騒然となった。

 そんな喧騒の中、マリーナはリュカに視線を投げる。すると、リュカはわずかに頷き返した。

 (……これで決まったわね。イレーネが自ら切り開いた舞台で、すべてを暴いてやる。私が用意してきた“手札”を総動員して、彼女とクラウスに思い切り“ざまあ”を味わわせる時が来る。)


4. 王城の法廷:決戦の時


 こうして、アルヴィス公爵家の舞踏会は波乱のうちに幕を閉じた。だが、それ以上に衝撃的だったのは、数日後に発布された国王の勅令である。

 「第二王子クラウス・フォン・モルトフェルトの婚姻を巡る問題、およびイレーネ・コールマンの不当な権利主張について、王宮にて公聴会(仮法廷)を開く」

 これは異例中の異例だった。王族の婚姻問題を、表立った形で“公開審議”するなど、モルトフェルト王国の歴史上でもほとんど例がない。にもかかわらず、それを実行に移したのは、今回の騒動が王家の威信に大きく関わるためだ。

 もしイレーネの主張が事実であれば、王家は庶民出身の女性を受け入れなければならないし、そうでなければ彼女を虚偽申告による国事妨害罪で処罰しなければならない。もちろん、クラウスがどこまで責任を負うかも問題だ。

 そして、そこにアルヴィス公爵家(特にマリーナ)がどのように絡むかが、もう一つの焦点となる。


 公聴会は王城の大広間を改装して開かれることになった。当日は国王と王妃、宰相、第一王子リュカ、そして多くの貴族や廷臣が出席し、当事者たちを審問する形をとる。まさに“公開の場”で決着をつけるわけだ。

 公爵令嬢マリーナも公式に招かれ、“被害者”として証言する機会が与えられる予定だった。最初こそ「わざわざ公の場で顔を合わせたくない」と思ったが、今はむしろ「望むところだ」と感じている。自分がこれまで集めてきた証拠や情報を駆使し、イレーネの策謀を白日のもとに晒す絶好の機会になるからだ。


 そして公聴会当日。

 王城の大広間には、傍聴を許可された貴族や外交官がずらりと並び、異様な緊張感が漂っていた。中央の壇上には国王と王妃、少し下がった位置に宰相とリュカが座り、さらに左右に分かれて当事者たちが並ぶ構図である。

 イレーネは、どこか浮き足立った様子で中央に立ち、手元の書類をぎゅっと握りしめている。その背後には、憔悴しきったクラウスが座り込むように待機していた。顔色は悪く、髪も乱れ、つい数か月前とは比べものにならないほど疲弊しているように見える。

 一方のマリーナは、公爵夫妻の傍らで控えていた。深緑のドレスをまとい、すっきりとまとめた髪型が凛々しい印象を与えている。彼女の青い瞳は静かな炎を宿し、決して萎縮することなく王の前に立つ心づもりをしていた。


 やがて、国王が厳かな声で開会を宣言する。

 「これより、第二王子クラウスとイレーネ・コールマンにまつわる婚姻問題について、公聴会を開く。皆、慎みをもって真実を述べよ。……まず、イレーネ・コールマン。お前の主張を聞こうか」


 するとイレーネは堂々たる態度で一礼し、声高に主張を始める。

 「私はクラウス殿下と真実の愛で結ばれております。殿下自身が書き残した誓約書がそれを示す証拠です! なのに、アルヴィス公爵家や一部の貴族が私を排除し、殿下を謹慎に追い込んでいるのです! こんな不正は許されるべきではありません!」

 イレーネの背後でクラウスは俯いたまま動かない。自分が書いた書類かもしれないが、それがどのように使われるのか分からないのか、あるいは何らかの後ろめたさがあるのか。彼は沈黙を保っていた。

 宰相が低い声で問いかける。

 「なるほど。では、その書類を拝見させてもらおう。……クラウス殿下の署名が本物であるか、そしてその内容が如何なるものかを、正式に確認する必要があるからな」

 イレーネは得意げに書類を差し出す。宰相がそれを受け取り、脇の侍従長へ手渡すと、侍従長が公の場で読み上げる。

 「『……私はクラウス・フォン・モルトフェルト、イレーネ・コールマンを真の伴侶と認め……いずれ正統な婚姻を結ぶことをここに誓う。』」

 会場がざわついた。確かにクラウスの筆跡に似ているし、署名もそれらしく見える。しかし、どこか不自然な箇所もあると指摘する声が小さく上がる。インクの濃淡や、文面の時系列など、専門家が見れば怪しい点も多々あるようだ。


 宰相は怪訝な顔でイレーネを見やり、さらに言葉を継ぐ。

 「ふむ……筆跡鑑定は必要だが、それ以前にこの文書が正当に作成された証拠はあるのか? また、この書類を作成した時点で、クラウス殿下がどのような状態だったのか、証人はいるのか?」

 イレーネは口ごもる。そんな証人などいるはずがない。おそらくクラウスを唆して、ろくに状況を理解させないまま署名させた可能性が高い。あるいは、偽造の要素が混ざっているかもしれない。

 それでもイレーネは必死に取り繕う。

 「し、証人はいませんが、殿下は私に心を許していました! 私と結婚したいと何度も仰っていたんです! それをマリーナ・アルヴィスが……!」

 そこで、国王が鋭く言葉を挟む。

 「マリーナ・アルヴィスと何だ? 事実関係に基づく発言をせよ。感情だけをぶつけても認めるわけにはいかんぞ」


 イレーネは悔しそうに歯噛みし、最後の砦としてクラウスへ振り返る。

 「殿下! 何とか言ってくださいまし! あなたは私を本当に愛していたでしょう? この誓約書も殿下が自ら書いたものです! それを……どうして黙っているのですか!」

 しかし、クラウスは顔を上げようとしない。やがて、絞り出すような声で呟く。

 「……僕は……覚えていないんだ……」

 会場がどよめく。イレーネは目を剥き出しにして叫ぶ。

 「そ、そんな……嘘を言わないで! 殿下ご自身が書いたのに!」

 クラウスは続けて言う。

 「確かに、イレーネに言われるがまま、何か書類にサインしたことはある。だけど、それが“婚姻を誓う文書”だなんて聞いていない……ただ、『あなたの負担を減らすため』と言われて、ぼんやりしているときに書かされたんだ。……僕はあの頃、体調を崩して意識が朦朧としていた……」


 衝撃の証言だった。つまり、クラウスはイレーネの巧妙な言葉に乗せられ、意識が混濁していた状態で書名だけをさせられた——と語ったのだ。実際にそうなのか、単なる後付けの言い訳なのかは分からないが、少なくとも“クラウスが自発的に意思を示した婚姻誓約”ではなかったことになる。

 周囲がざわめく中、イレーネはひどく動揺していた。

 「殿下……い、いまさらそんな嘘を……!」

 そのときだった。マリーナが静かに一歩前へ進み出る。宰相が「アルヴィス嬢、何か証言を?」と目を向けると、マリーナは深く一礼してから口を開く。

 「宰相閣下、陛下、そして皆さま。私は今回の件で、いくつか証拠を持ってまいりました。……まず、イレーネ・コールマンが公爵家に仕えていた時期、彼女がしばしば私物を持ち出していたとの報告があります」

 イレーネがピクリと身を強張らせる。その隣でクラウスは顔をしかめるが、黙って聞いている。

 マリーナは続ける。

 「さらに、彼女は外部の商人と結託して、不当に高価な宝石や衣類を手に入れていたという情報もあります。おそらく、それを使って身なりを整え、貴族や他国の関係者に“私は王子妃候補だ”と宣伝していたのでしょう。……これらの証拠書類は、こちらに」


 侍女が差し出した封筒には、イレーネが取引を行ったとされる商人の陳述書や、彼女が秘密裏に金を動かしていた記録がまとめられている。

 宰相がそれを受け取って確認し、眉間に深い皺を刻んだ。

 「これは……偽造ではないようだ。商人の署名も揃っているし、内容が具体的すぎる。……事実ならば、イレーネ・コールマンは王家の名を勝手に利用して財を集めていたことになるな」

 会場が大きくざわつく。イレーネは真っ青な顔で「それは捏造よ!」と叫ぶが、すでに商人のうち何名かが傍聴席におり、証言を行う意志を示していた。

 「お、俺はイレーネ嬢の紹介で、と言われていたんだ……“第二王子の覚えめでたい女性”と聞かされて、信用してしまった。しかし、あまりにも高額な取引を要求されて不審に思っていたんだ」

 「私も同意見です。この女は自分を“将来の王子妃”だと吹聴し、金を湯水のように使いまくっていた」


 怒涛の証言に、イレーネは完全に追い詰められていく。

 さらにマリーナは畳みかけるように言葉を放つ。

 「イレーネがクラウス殿下を利用していたのは、ほかでもない“利権”のためでしょう。殿下は優しくて流されやすい方ですから、簡単に言葉巧みに操ることができた。いえ、それだけでなく、私への嫉妬もあったかもしれませんね。——あなたは私に仕えていた頃から、“いつか大きな屋敷で華やかに暮らすんだ”とよく言っていましたもの」


 イレーネは泣き喚くように声をあげ、「違う! 私が欲しかったのは愛よ! 名誉でもお金でもない!」と叫ぶが、もはや誰の目にもその言葉が空虚に響いていた。宰相が静かに首を振り、国王が厳かに宣告する。

 「イレーネ・コールマン。お前がこのまま虚偽を主張し続けるなら、国に対する反逆の意志ありとみなして相応の処罰を下す。……どうする?」

 その迫力にイレーネはガタガタと震えながら膝を突きかける。ここまで証拠と証言が揃っては、もはや逃げ道はない。

 「……嘘、嘘……いや、私は……ただ……!」

 壊れた人形のように呟くイレーネを、近衛兵が押さえ込み、引き立てていく。これにて、彼女の野望は完全に潰えた。


 会場には重苦しい沈黙が流れる。次に注目を集めるのは、クラウスだ。彼はどう責任をとるのか。国王は冷たい眼差しで、息子を見下ろすように言葉を紡ぐ。

 「クラウス……お前は、国の秩序を乱すような真似を黙認していた。さらに公爵令嬢マリーナとの約束を踏みにじり、国政にも損害を与えたのだ。……謹慎令は継続し、改めて遠方へ出向き、しばし静養と反省を重ねてもらう。もし心から悔い改めるならば、いずれは復帰を考えないでもないが……」

 そこまで言うと、王妃が涙を浮かべながら口を挟む。

 「クラウス、あなた……どうか分かってちょうだい。私たちはあなたを憎んでいるわけじゃないの。ただ、あなたが自らの過ちを認めて、もう一度正しく立ち上がってくれるのを願っているのよ」

 クラウスは顔を上げ、母である王妃を見つめる。瞳には涙が浮かんでいた。

 「……母上……、すみません……僕は……」

 搾り出すように言ったきり、彼は力なく座り込み、背を丸めた。彼の“破滅”は、イレーネほど過激なものではないが、それでも大きな痛手だろう。実質的に王位継承からは外れ、将来的にも公務に復帰するかどうかは微妙なところだ。

 ——こうして、クラウスとイレーネが引き起こした一連の騒動は、“ざまあ”と呼ぶにふさわしい幕引きへ向かって収束した。


5. そして、新たな未来へ


 公聴会が閉会し、騒然としていた大広間が少しずつ落ち着きを取り戻すとき——マリーナは深く息をつき、静かに目を閉じた。

 (終わった。……あの日の屈辱が、ようやく報われたわけではないけれど、少なくとも彼らには自分の行いの代償を払ってもらった。)

 さまざまな感情がない交ぜになり、胸の奥が熱くなる。涙は出ない。むしろ、不思議なほど清々しい気持ちだった。長かった復讐への道が、これで一応の終わりを告げるのだと思うと、心が軽くなるような感覚すらある。


 すぐそばで見守っていたリュカが近づき、小さく囁く。

 「お疲れさま、マリーナ嬢。……本当に大変だったね。君が最初にあの雪の晩餐会で婚約破棄をされたときから、ここまで長い道のりだった」

 彼の声には真のいたわりが滲んでいた。マリーナは微笑み、軽く首を振る。

 「いえ。私のほうこそ、殿下が後ろ盾になってくださったからこそ、冷静に動けたのだと思います。……クラウス殿下やイレーネへの対応だけでなく、私の心にも寄り添ってくださって……」

 その言葉に、リュカは穏やかな笑みを浮かべる。そして、ふと少しだけ表情を引き締めて言う。

 「……マリーナ。今だから言えることがあるんだ。……君にとっては辛い出来事だったかもしれないが、僕はクラウスが君を手放したことを、正直どこかで“幸運”だと思ってしまった自分がいる。……あの時点で、君を好きだと自覚したんだよ」


 マリーナの心臓が一瞬、高鳴った。復讐を胸に抱く日々の中で、リュカの存在が自分にとってどれほど大きくなっていたかを痛感する。

 「殿下……」

 リュカは周囲に人の目があるのを気にしてか、さっとマリーナの手を取ることはせず、ただ言葉を紡ぐ。

 「もちろん、今すぐ僕に答えを出してくれとは言わない。君にはまだ、心の整理も必要だろうし……何より、君の気持ちを尊重したい。……だけど、僕がこれからもずっと君の味方でいたい、君を守りたいと思っているのは、真実だ」


 どこかで聞いたような甘い言葉——しかし、その一言一言がマリーナの胸に染み込んでくる。クラウスに翻弄され、イレーネへの怒りを燃やし続けた時間は、もう戻ってこない。だが、だからこそ分かる。リュカの真摯な思いは、今のマリーナにとっては何よりも救いだった。

 「……ありがとうございます、殿下。私も……あなたのそばで、その優しさを感じていたいと思います」

 それが、マリーナの精一杯の言葉だった。けれど、その瞳にははっきりと“愛情”の兆しが宿っている。


 やがて国王や王妃、宰相らが席を立ち、公聴会は完全に終わりを告げる。クラウスは近衛兵の手を借りて退場し、イレーネは徹底的に調査を受けるため別室へ連行された。二人が戻る場所は、もうどこにもないだろう。

 マリーナは公爵夫妻に安堵の笑みを向け、お互いの健闘を労いあう。公爵夫人がマリーナの肩に手を置き、「本当に……お疲れさま、マリーナ」と優しく声をかけた。その目にはうっすら涙が滲んでいる。公爵も深く頷き、「娘がここまで毅然と立ち向かうとは、親として誇りに思う」と言う。

 マリーナはそんな両親の愛を感じながら、改めて決意する。

 (これで私の復讐はほぼ成就した。……でも、ここからが“私の新たな未来”の始まりなんだわ。クラウスに縛られることも、イレーネに翻弄されることもない。私は私の意思で、人生を切り開いていける。)


6. エピローグ:真実の愛へ


 それから数週間後。

 クラウスは地方の離宮へ送られ、一から体調を整えつつ反省の日々を送ることとなった。王妃は息子を案じ、手紙を送り続けるらしいが、王家や社交界ではもはや彼の存在感は薄れている。

 イレーネはというと、王家の名を騙った詐称行為や財産強奪の疑いで厳しい取り調べを受けていた。結果として、かなりの悪事が明るみに出ており、重い罪を免れない見込みだ。優しいクラウスを利用し、マリーナへの嫉妬心を原動力に暴走した末路は、あまりにも悲惨だった。

 その一方で、アルヴィス公爵家には穏やかな日々が戻りつつあった。マリーナは社交界での名声をさらに高め、さまざまな慈善事業や公務の手伝いを精力的にこなしている。多くの貴族が彼女に一目置き、“さすがは公爵令嬢”と讃える声もあれば、“彼女なら王家を支えるに十分な才覚と度量がある”という噂も広がっていた。

 リュカとの関係も、ゆるやかに、しかし確かな進展を見せている。はっきりと口にしてはいないが、互いに惹かれ合う気持ちは隠せないほど明白で、周囲も半ば公然の秘密として受け止め始めた。王家の重臣たちでさえ、「もし将来的にリュカ殿下が即位するならば、マリーナは良き王妃となるだろう」と内心で期待を寄せているという。


 ある日の夕方、マリーナは公爵家の庭園を散策していた。花々が咲き乱れ、小鳥のさえずりが耳に心地よい。そんな美しい光景の中、ふと視界の端に赤い衣装が見えた。

 「リュカ殿下……」

 思わず足を止めると、そこにはリュカが一輪の花を手に立っていた。濃い赤色のバラのような花で、どこか気高い香りを放っている。

 リュカはマリーナに近づき、小さく微笑んでその花を差し出す。

 「先日、ある園芸家の方からいただいた珍しいバラなんだ。……君に似合うと思ってね」

 マリーナは少し戸惑いながらも、その花を受け取る。甘く強い香りがふわりと鼻をくすぐった。

 「……ありがとうございます。素敵な花ですね。私なんかにはもったいないくらい……」

 リュカは微笑を深め、首を横に振る。

 「君こそ、この花のように強く美しい人だ。……君の存在に、どれほど勇気づけられているか、分からないくらいだよ」


 その言葉に、マリーナの胸が暖かくなる。春風に乗って、二人の距離がさらに縮まるようだった。

 「……私も、殿下の存在に救われました。あの日々、もし殿下がいらっしゃらなかったら、今頃私はもっと荒んでいたかもしれません」

 同時に、かつてのクラウスとの思い出が脳裏をかすめる。あの儚げな王子を「守りたい」と思った時期が、自分にも確かにあった。だが、それは誤った愛の形だったのだと、今ははっきり分かる。

 リュカに抱く感情は“守る”でも“憐れむ”でもなく、もっと対等な“尊重”と“慈しみ”に近いものだ。そのことが嬉しい。そして、そんな自分を誇りにも思う。


 リュカは穏やかな瞳でマリーナを見つめ、静かに囁く。

 「君が受け入れてくれるなら……いつか、正式に王家の者として、君の手を取りたいと思っている。……君の傷が完全に癒え、自分でもう大丈夫だと思える日が来たら、その時は僕をあなたの人生の伴侶として……考えてもらえるかな?」

 マリーナは少しだけ息を呑む。——それはプロポーズを遠回しに示唆する言葉だった。

 数か月前まで、婚約破棄の悲しみと怒りに沈んでいた自分を思えば、今こうして新たな恋が芽生えていることは信じられないほどの奇跡だ。だが、彼女はもう自分の心に嘘をつくつもりはなかった。

 「……ええ。私でよければ、ぜひ。……ただ、まだ少しだけ時間をください。私も、今後のいろいろなことに区切りをつけたいんです」

 リュカは「もちろんだよ」と柔らかく笑う。その笑みは夕暮れの光を受けて、神々しいほどに眩しい。


 花を手に、マリーナはつい微笑み返してしまう。どこか遠くから、小鳥がさえずり、風が草木を揺らす音が心地よく響いてくる。

 ——これが、マリーナの“新たな未来”の始まり。

 クラウスとイレーネの裏切りによって生まれた傷は、完全に消えるわけではない。だが、その痛みは彼女を一段強くし、次の愛へと踏み出す勇気を与えてくれた。

 かつての屈辱を経て得た教訓とプライドを胸に、公爵令嬢マリーナ・アルヴィスは、今まさに本当の幸せを掴もうとしている。

 あの雪の夜、“婚約破棄”が人生の終わりではなく、新たな道の始まりだったと、彼女は笑って語れる日がきっとやって来る。

 そしてリュカという存在が、その物語をさらに彩り豊かに紡いでいくだろう。


エンディングに寄せて


 こうして、マリーナの“婚約破棄ざまあ”は幕を下ろし、彼女は新たな恋と未来を手に入れようとしている。


クラウスは、母である王妃の配慮のもと、遠方の離宮でしばらく治療とリハビリを兼ねた静養に入った。体調が戻り、心が立て直せれば、いずれは王家の一員として公務の一部を担うかもしれないが、当面は日の目を見ない生活を余儀なくされる。


イレーネは、詐欺や背任に近い行為を多数犯していたことが明るみに出て、厳しい刑罰が科される見通しだ。かつての“野心”が彼女を破滅へ導いたと、多くの者が口々に嘆息している。


アルヴィス公爵家は、一連の騒動を通じてその威厳と結束力を示し、王家や貴族社会における地位をさらに確固たるものとした。マリーナの聡明さと胆力は、もはや誰もが認めるところとなり、各方面から期待の声が寄せられている。


 そして何より、マリーナと第一王子リュカの関係は、しばらくの時を経て“公然の秘密”から“正式な縁談”へと進むのではないか、というのが社交界の大方の見立てである。

 もしそうなれば、マリーナは“第二王子の婚約者だった”という過去の苦い経験を払拭し、新たに“第一王子妃”として王家を支える立場に上り詰めることになるだろう。

 もちろん、その道は決して平坦ではない。王妃や宰相に認められたとしても、王家のしきたりや政治的駆け引きなど、越えるべきハードルは多い。しかし、今のマリーナには、それを乗り越えるだけの知性と覚悟がある。

 どんな障害に直面しても、彼女はきっとあの日の雪の晩餐会を思い出すだろう。あの時、自分を踏みにじった存在を正しく裁き、屈辱を糧に成長した経験こそが、何より大きな支えになるはずだから。


 ——こうして、“婚約破棄ざまあ”は終わりを告げ、マリーナは本当の幸せへ歩み出す。

 傷ついた心は癒え、クラウスを捨てたことも後悔はない。むしろ、それが自分にとって必要な試練だったのだと思えるほどに、彼女は強くなった。

 かつての雪の女王のように冷たい美しさだけではなく、春の花のように暖かく優しい一面をも育みながら、公爵令嬢マリーナ・アルヴィスは王都ロゼンベルクの歴史に、新たな一章を刻み始める。

 そして、その隣には、いつも慈しみの眼差しを向ける第一王子リュカがいる。

 “真実の愛”とは、案外、こんな風に波乱の中から芽吹くものなのかもしれない。




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