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第26話「甘いキスは、君のせい」

~制服のまま、ふたりきりの教室で~


放課後の教室は、文化祭準備の熱気が去ったあとの、静かな余韻に包まれていた。

誰もいないはずのその空間に、私と慧だけが取り残されている。


窓から射す西日が、彼の後ろ姿をやわらかく照らしている。


「……ポスター、貼り忘れてたって言ってたの、嘘だった?」


慧が、黒板に向かっていた背をゆっくりとこちらに向ける。

ドキリと胸が跳ねる。

無表情なのに、なんでそんなに人をドキドキさせるの、この人は……。


「嘘じゃない。……けど、お前が来るかなって、少し思った」


「……バカじゃん。なんでそんなことで賭けみたいなことすんの」


「来たじゃん」


慧は、ゆっくり歩み寄ってくる。


「……そっちこそ、なんで制服のままなんだよ」


「文化祭の係のことで、先生に呼ばれてただけだし……慧こそ、まだいたの?」


「……お前、来そうだったから」


繰り返すように、彼はそう言って、小さく笑った。

いつもの無口な慧からは、ちょっと想像できないくらい、柔らかい笑み。


「……なんか、最近の慧、ちょっと変わった」


「俺も思った」


「え?」


「お前のせいで」


「…………は?」


「お前と話すと、変になる。たぶん俺、恋してる」


――どんっ。


頭の中で、雷でも落ちたみたいな音がした。

時間が止まったような気さえした。


慧が……慧が、今……。


「ちょ、ちょっと待って! それって、ど、どういう――!」


「付き合ってほしい。俺と」


その言葉に、心臓が追いつかない。

呼吸も、まばたきさえも、どこかに忘れてきたみたい。


慧の瞳は、ただまっすぐ私を見つめていた。

冷たいようで、あたたかい。

怖いようで、優しい。

まっすぐで、真剣で、逃げ道のないその目に――私は、完璧に落ちていた。


「……ほんとに、私でいいの?」


「他に誰がいるんだよ。剣も下手、天然で、騒がしくて……」


「ちょっ! 言い方!!」


「でも、まっすぐで、明るくて、俺にないものをいっぱい持ってて……好き」


最後の一言に、もう胸が壊れそうだった。

顔が熱い。手も足も震えてる。

それでも――


「……私も、慧が好き」


小さく、だけど確かに言えた。

この想いが、嘘じゃないって証明するみたいに。


慧が、ほっとしたように息をついた。


「……じゃあ、いい?」


「……な、なにが?」


「俺、男なんだけど?」


「……それ、今言う!?」


「……キス、したいんだけど」


「~~~っ!?」


もうダメだってくらい、顔が真っ赤になった。

でも、逃げなかった。

むしろ、じっと見つめ返した。


「……いいよ。慧なら」


次の瞬間――


制服のままの私を、慧がそっと抱き寄せる。

細くて、でもあたたかくて、強い腕に、全身が包まれる。


そして。


触れるか触れないかの距離。

視線が、そっと絡まる。


「……目、閉じて」


囁かれて、素直に目を閉じた。


やさしく、そっと。

ほんの一瞬――けれど永遠みたいな、やさしいキス。


触れた唇は、ほんのり苦くて、でも――私の心を、甘く溶かしていった。


***


「……文化祭、楽しみだな」


「緊張するくせに」


「だって慧と一緒なんだもん」


「……甘すぎ。糖尿なる」


「慧、甘いもの苦手だもんね」


「……でも、お前のことは……好き」


「……私も、好き。慧のこと」


赤く染まった教室の片隅。

制服と、ポニーテールと、彼の手の温度――


すべてが、初めてなのに懐かしい。

甘くて、ちょっと切なくて、でも幸せな時間。


そう、これは私たちの青春。

始まったばかりの、恋の物語。




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