「慧~っ! 今日の私、ちょっと違うのわかる?」
「うるさい。朝から声でかい」
「え~、いいじゃん! だってせっかく髪型変えたのに、反応なかったんだもん!」
「……ちゃんと、見てたよ」
「……へ?」
朝の通学路、制服のスカートが風になびく中、慧はぼそりとそう言った。
「ポニーテール、似合ってる」
「~~~っ! うそっ、ほんと!? え、え、やば、今日たぶん記念日だよこれ!」
「勝手に記念日作るな」
「もう、慧のそういうとこほんとズルい~!」
私は顔を隠すように両手を頬に当てて、くるくるとその場で回った。
きっと今の私は、陽の光よりまぶしい。いや、うるさいだけかもだけど。
それでも――慧が「見てくれていた」って、それだけで、朝から心がぽわぽわして止まらなかった。
***
放課後。
体育館裏の自販機前。
ふたりだけの、いつもの場所。
「なあ」
「ん?」
「なんでポニーテール?」
「えっ、えーっと……えへへ。慧、髪、結んだ方が好きかなって……」
小声で呟くと、慧の表情が一瞬だけ止まる。
その顔がほんの少し赤くなったように見えたのは、たぶん陽のせいじゃない。
「……そんなことで、髪型決めんの?」
「そんなこと、って言わないでよ~。こっちは勇気出して結んだんだから!」
「……」
「そりゃ、毎朝ちょっと面倒くさいけどさ。でも、慧が少しでも“いいな”って思ってくれるなら、頑張っちゃうっていうか」
自販機のペットボトルを両手で抱えたまま、私はじっと慧を見つめた。
「……なに?」
「慧ってさ。甘いの苦手なのに、私のこういうベタ甘っぽいの、ちゃんと聞いてくれるよね」
「……」
「もしかして、私のことだけは“甘くてもいい”って思ってるとか……だったりして?」
「……調子に乗るな」
慧は視線をそらしながらそう言ったけど、その耳はほんのり赤かった。
(ずるい……そうやって無表情に言いながら、ちょっとだけ照れてるの)
そんな慧の“ギャップ”が、私はたまらなく好きだった。
***
それから、ふたり並んでベンチに腰かける。
「今日さ、剣王会の練習、ちょっと早く終わったの」
「ん」
「で、部室でひとりで道着たたんでたら、誰かの視線感じてさ」
「……視線?」
「そう。ほら、慧も知ってるでしょ? あの、新しく入ってきた後輩のギャルっぽい子」
「……柏木、か?」
「そうそう! 彩乃ちゃん。あの子、私のことよく見てるんだよね~」
「……」
「今日も言われた。“センパイ、最近マジで女の顔っすね”って」
「……何それ」
慧の眉がピクリと動いた。
(あ、ちょっとムッとしてる……?)
「でね、“やっぱ、センパイって慧先輩のこと、好きなんすか?”って聞かれて――」
「――答えたのか?」
慧の声が、ほんの少し低くなる。私は慌ててペットボトルを抱きしめるようにして答えた。
「えっと……その……」
(言ったよ、“たぶん、そうかも”って)
でも、口にするのがなんとなく恥ずかしくて、私は小さく頷くだけにとどめた。
慧は黙っていたけど、隣で微かに唇が緩んだ気がした。
「……彩乃、あんま調子乗らせんなよ」
「えっ、なんで?」
「……お前にちょっかいかけたら、めんどくさい」
「もしかして、焼いてる?」
「焼いてない」
「焼いてるでしょ?」
「焼いてない」
「ふふ、慧、かわい~!」
その瞬間、慧の手がふっと私の頭に伸びて、ポニーテールをぽん、と軽く叩いた。
「似合ってる」
「……っ!」
ふいの言葉に、心臓が跳ねた。
(うわ、ずるい……また急にそういうこと言う……)
私はうつむいて、膝の上に置いたペットボトルを握りしめる。
「……慧って、ずるいよね。甘いの苦手なはずなのに、私にはちゃんと甘いんだもん」
「お前には、別腹ってやつだ」
「それ、スイーツじゃん!」
ふたりでふふっと笑い合う。
春の風が、ポニーテールをふわっと揺らした。
(視線の意味なんて、もうわかってる。だって慧の目は、いつだって――)
私の“今”を、まっすぐ見てくれてるから。
***
その日の帰り道。
私は、ちょっと背伸びして、慧の袖をきゅっと引っ張った。
「ねえ、慧」
「ん?」
「今日のポニーテール、気に入ってくれた?」
「……ああ」
「じゃあさ、また明日も、見てくれる?」
「……」
ほんの数秒の沈黙。
そして、ふいに――
「毎日、見てる」
小さな声だったけど、しっかり届いた。
私の心臓が、音を立てて跳ね上がる。
(やばい……今、呼吸忘れそう)
「……慧、今日も反則だよ」
「お前がしかけてきたんだろ」
「ん~~~、でも……やっぱ、慧が一番好き!」
「……知ってる」
その言葉に、私はもう、何も言えなかった。
制服姿のまま、ポニーテール揺らして、全力で走って帰った。
顔が熱すぎて、春風なんて冷たく感じる暇もなかった。
――“彼の視線の意味”、それはもう、とっくに知ってる。