桜の花びらが、ふわりと宙を舞う放課後。
「……春って、こんなに眩しかったっけ?」
ぼそっと呟いた言葉に、隣を歩く慧がちらりと視線を向けた。
「お前が眩しいんじゃないの?」
「えっ?」
「顔、赤いぞ」
「う、うるさい! それは先輩のせいでしょ!」
私は思わず頬を手で覆った。あの“付き合う”発言から数日。
まだ気持ちは整理できてないし、言葉の真意も聞けていない。
でも、それでも。こうして隣にいてくれるだけで、心がふわっと浮くような気がして――
「ねえ、慧」
「ん?」
「今日、ちょっと寄り道しない?」
「どこに?」
「……駅前の、アイス屋さん」
「……アイス?」
先輩の声が、ほんのわずかに上ずった気がした。
「だって、甘いもの食べたくなるじゃん、春って」
「お前、年中甘いもん食ってるけどな、俺甘いもの苦手だし」
「むぅ~、いまのは“可愛い”って言ってくれる場面だったのに~!」
「可愛いは、自分で言うもんじゃない」
「くっ、冷静なツッコミ……!」
そんな軽口を叩きながらも、私の心はどこか落ち着かなかった。
理由は、わかってる。
――今日、聞かなきゃいけない。
あの時の「どっちでも」って、どういう意味だったのか。
練習のこと? それとも……もっと、違う意味?
勇気を出して、聞いてみようって決めていた。
***
アイスを片手に並んで歩く道は、妙に心臓の音が大きく感じられた。
「なあ、茉莉奈」
「……ん?」
「あのさ。こないだ、あの“オムライス”の時」
先輩が唐突に切り出す。
「うん」
「……実は、ちょっと照れてた」
「……へ?」
「ケチャップで文字とか、初めてだったし、なんか……こう、ぐっと来たっていうか」
「え、えぇ!? うそ、ほんと!? 先輩がぐっと来たの!? そんなこと、あるの!?」
私が目を丸くすると、先輩は微妙に顔を背けながら、ぽつりと呟いた。
「……俺だって、男なんだけど?」
「……へ?」
「あんま、可愛げ爆発させんなよ。困る」
ぐさぁっ。
その一言で、アイスの甘さなんてどっかに吹き飛んだ。
「ちょ、ちょっと待って、何それ! 今のセリフ、反則でしょ! なんなの!? 先輩、そんなキャラだった!?」
「いや、だから俺、男だって」
「そ、それは知ってるけど!? なんか、その、無自覚にドキドキさせないでよ!!」
慌てふためく私を見て、藤井先輩が珍しくクスッと笑った。
「……お前のそういうところ、可愛いよな」
「う、うそだ……今日は絶対、熱でもある……!」
「ほら、手、冷たい。触ってみろよ」
「えっ、う、うん……」
差し出された手に、おそるおそる自分の指を重ねる。
――あったかい。
私の指先はまだ少し冷たかったけど、先輩の手はびっくりするほどぬくもりにあふれていた。
「ほらな、冷えてる。ちゃんとあっためろ」
「…………」
言葉が出ない。
その手のひらの温度は、まっすぐすぎて。
伝わってくる優しさに、どうしようもなく胸が高鳴る。
(……藤井先輩って、こんな人だったんだ)
冷たくてクールだと思ってた。でも違った。
照れ屋で、不器用で、それでいて誰よりもまっすぐで――
「……先輩」
「ん?」
「……私、あの日の“どっちでも”って言葉、気になってたの」
「……ああ」
「……練習の話? それとも……」
先輩は少しだけ、黙ってから。私の目を、真っ直ぐに見て言った。
「どっちも、だな」
「――えっ?」
「練習にも付き合うし、お前のことも――」
声がふっと、風に紛れて聴こえなくなった。
「え、なに!? 今、なんて言ったの!? 風のせいで聞こえなかった!」
「……お前のことも、ちゃんと見てるって、言ったの」
「……っ!」
その瞬間、心臓が跳ね上がった。
鼓動がうるさすぎて、たぶん顔も真っ赤で。
でも、そんな私を見ながら、先輩はふわっと微笑んだ。
「だから、ちゃんと自覚しとけ。俺、男だから」
「~~~~~!!!」
もうだめだ。これ以上、心臓もたない。
「け、けい、バカ……っ!」
私はアイスのカップをぎゅっと握りしめたまま、桜並木を走り出した。
後ろから聞こえる笑い声が、くやしいけど、すごく、すごく嬉しかった。
***
あの日から、世界が少しずつ変わり始めた。
相変わらず、練習では厳しいし、無愛想なときもある。
でも――
「ほら、背筋。猫背になってるぞ」
「も~、そういう言い方やめてよ~! もうちょっと優しく!」
「……頑張ってるの、知ってる」
「……へ?」
「お前は、ちゃんと見てる人がいる」
そのひと言だけで、私は何度でも、頑張れる。
桜が散っても、想いは散らない。
そして、きっとこれからもっと――甘くて、くすぐったくて、胸がぎゅっとなるような日々が始まる。
「ギャップと鼓動と、彼の手の温度」――
それは、私の恋の温度。